たーくんの本気
翌日、水口は、ミケに指定された待ち合わせ場所にいた。
それは、駅の改札前だった。
待ち合わせ時間の少し前にやってきたミケは、水口の姿を見つけると券売機を指さした。
そっちに行けってことか。
水口は、券売機へと向かいながら、ミケの服装を観察していた。
ミケの私服を見たことはあったが、いつもラフな格好をしているのに、今日は、女性らしいワンピースを身にまとっていた。
お洒落をしているってことは、デートか何かのつもりだろうか?
だが、ミケの父親は反対しているのでは……?
水口は、何が何だかわからずに混乱するばかりだった。
ミケは、ためらうことなく地元の駅への切符を購入した。
「どこへ行くんだ?」
「実家、私の」
それ以上ミケは何も説明しなかった。
互いに言葉を交わすことなく、水口とミケは隣同士の席に腰かけた。
水口は一人考えた。
ミケは、結婚を断るとは言っていない。
その上に結婚を反対しているミケの父の元へ行くというのだ。
これは、もしかしなくても、結婚を言い出した水口が、自分で落とし前をつけろと言うことなのだろう。
だが、水口は、正直なところ、ミケの父親が苦手だった。
苦手と言うよりは、怖いという表現が近いのかもしれない。
水口は、お金持ちのお坊ちゃまで、誰よりも喧嘩が強くてガキ大将で、水口に頭の上がるものなどいないと思っていた。
そんな水口を唯一しかりつけたのが、ミケの父親だった。
確か初めのころは、ミケをからかっていじめていたのが見つかって怒られたのだが、それからは、ミケが無関係でもいたずらしているところを見つかるたびに怒られた。
今、水口は、ミケを利用しようとしているのだ。
これで怒られないはずがない。
ミケの父親が今、病気であの頃よりも衰えていることはわかっていたが、それでも、水口は恐怖感しか覚えなかった。
「バカもん!どのツラ引っ提げてきやがった!帰れ!とっとと帰れ!」
案の定、水口を見た瞬間ミケの父親は怒髪天だった。
「お父さん、私が、話がしたいの」
ミケは、そんな父親の様子に動じることなく、淡々というと、水口の手を引いて、家に入って行った。
水口は、ミケと手をつないだことなど何度もあったはずなのに、結婚を意識しているからなのか、何だか恥ずかしいようなこそばゆいような不思議な気持ちになった。
二人が居間にたどり着くと、ミケの母親がお茶を出してきた。
「お父さん呼んでくる。たーくんは、そこで待ってて」
ミケはそう言うと、居間から出て行った。
一人残された水口は、深い深いため息をついた。
病に倒れたミケの父親は、たとえ怒ったところで、あの頃の威力はないだろうと甘く考えていた自分を呪った。
痩せて鋭くなった眼光は、さらに恐ろしかった。
たとえ、病がその体をむしばんでいたとしても、到底敵う相手ではない。
今、ここで、ミケたちが戻ってくる前に引き返してしまえば、結婚の話はなかったことにしましょうと言えば、すべてが丸く収まるのかもしれないと、水口は考えたが、何故だか、それを行動に移せなかった。
今、引き返したところで、ミケ以上に結婚したいと思える女性には出会えないと、心のどこかで思っていたことに水口はこの時初めて気づいた。
ミケといるときの水口は、自分を飾ることも、偽ることもしなくてよかった。
その心地よさに、水口は、いまさらになって気が付いた。
水口が引き返すことができないでいるうちに、ミケが父親を連れて戻ってきた。
父親は少し不機嫌そうだ。
「父さんは、反対だと言っただろう?」
「うん」
「じゃあ、なんでこんなヤツを……」
「私、お父さんに言われて考えたんだ」
ミケは、再び父親の怒りが爆発する前に話し始めた。
「確かに、お父さんが倒れたことや、バージンロードを一人で歩いた春奈さんの姿をみて、お父さんが元気でいるうちに、結婚したいっていう想いがなかったわけじゃない」
ミケは、凛として父親を見つめていた。
その姿はどこか美しく、水口は、その姿をただ見つめていた。
「お父さんに反対されて、最初は、それじゃあ、この結婚意味ないやって思った。お父さんが喜ばない結婚なんて、する意味がないって」
ミケは、水口の方をちらりと見た。
もしかして、ここまで来て結婚を断られるかと水口が覚悟した時、ミケは再び父親に向き直った。
「でも、何だか決心がつかなくて、どうしてだろうって考えたんだ」
ミケは、水口の方を見た。
その瞳はどこか優しかった。
「たーくんは、ワガママで、自分の事しか考えてなくて、私の事は、下僕としか思ってないどうしようもない人だと思ってたけど、本当は、優しくて、私の事を見ててくれてて、悲しい気持ちの時にそばにいてくれたり、嬉しい気持ちになれるよう陰でいっぱいがんばってくれたり、私、そんなたーくんのことが本当は好きだったんだなって気づいたの」
水口は、ミケの思いもよらぬ言葉に目を丸くしていた。
「それでも、お父さんを悲しませることはしたくないんだ」
父に向かって優しくそう言ったミケは、水口を見た。
「だから、たーくん」
その眼光は、家に入ってすぐのミケの父親の眼光を思わせるほどに鋭かった。
「私は、たーくんの事務所が落ち着くまで仮面夫婦でいることはできない」
うなだれた水口に、ミケは続けて話した。
「一生添い遂げてくれるのでなければ、一生愛し続けてくれるのでなければ、一生、幸せにしてくれるのでなければ、私は、たーくんとは結婚しない」
呆然とその言葉を聞いていた水口は、頬を伝う何かに気付いた。
涙が流れていたのだ。
男が泣くなど恥ずかしいと涙を拭おうとしたが、涙は止めどなく流れてきた。
この気持ちが何なのか、水口はだんだんわかってきた。
嬉しいのだ。
水口と言う人間を、水口の本性を知り尽くしているはずのミケが、これほどまでに自分を見てくれて、愛してくれたことが、ただ、嬉しいのだ。
水口はミケの方に手を伸ばすと、ミケを抱きしめた。
「今、ここで、誓うよ。……一生ミケを愛すると」
それ以上言葉が出なかった。
この後、「いつまで慶子にひっついとるんじゃ、バカもん!」とミケ父に怒られたことは、言うまでもない。




