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たーくんの困惑

 うまく事が運んだものだと水口はほくそ笑んだ。

 ミケは結婚を承諾したのだ。

 しかも、ミケが出してきた条件が、なるべく早く結婚することだった。

 言われなくとも、水口は今年度中に結婚しなければ実家に強制送還の身なのだ。

 水口としても、結婚は早ければ早い方がよかった。


 その日、水口がいつものようにミケの店でカウンターに座ると、何だかミケの空気が違った。

 何故かはわからないが、水口は嫌な予感がした。

 開店直後の店はまだ水口以外誰もいなかったのだが、いつもの癖で藤岡を見ると、藤岡はうなずいた。

 水口は、不意に、ミケが指輪をしていないことに気付いた。

「指輪、してないのか?」

「仕事の邪魔」

 キッパリそう言い切られたものの、何だか合点がいかず、水口は再度口を開いた。

「いつもは、はめていただろう?」

「いつも、仕事の時は外してる」

 そう言われてみると、確かに仕事の時は、指輪をしていなかったような気がして、水口は口をつぐんだ。

 ミケの隣にいた藤岡が、奥へ入って行った。

 ミケは静かにその様子を目で追った後、水口に向き直った。 

「お父さんが結婚の事、反対してる」

「そうか」

 努めて冷静に水口はそう答えたが、内心はひどく動揺していた。

 ミケは、お父さん子だから、父親に反対されたら、結婚の話は断られてしまうんじゃないかと。

「それで……」

 ちょうどその時、藤岡が奥から戻ってきた。

 同時に店の扉が開き、数名の男女が入ってきた。

 男女が少し離れたテーブル席に案内されたのを見て、水口がミケに向き直ろうとしたところで、再び扉が開いて女性が一人入ってきた。

 女性は、見目はさほど悪くなかったのだが、その遠くからでも漂ってくる香水のにおいのキツさと、遠巻きにでもわかる化粧の濃さが、彼女の品格を下げていた。

「隣、空いてるかしら?」

 女性は、カウンターまでやってくると、水口に話しかけてきた。

 水口は、ちらりとミケの方を見たが、水口のことなど全く興味がないようなそぶりでグラスを磨いていたため、水口は何だかむきになり、女性にうなずき返した。


「ねえ、聞いてる?」

「……ああ」

 あれから一時間、女性は一人でつまらない話を続けていたが、正直なところ、水口はほとんど話を聞いていなかった。

 女性が来て数分したころに、藤岡が、青い顔をして奥へと引っ込んで行ったため、カウンターではミケ一人が忙しそうに働いていた。

 水口は、女性の話に適当に相槌を打ちながら、一人で考え事をしていた。


 ミケは、水口の結婚の話を受けたとき、その条件として、なるべく早く結婚したいと言った。

 それは、もしかして、父親が生きている間に結婚したいということだったのだろうか。

 水口は、そのとき不意に、ミケの兄の和明の結婚式の風景を思い出した。

 新婦の父親は、彼女が幼いころに亡くなっていたため、新婦はバージンロードを一人で歩いていた。

 ミケももちろんその光景を見たはずだ。

 父親の命が長くないと知っているミケが、もし結婚するなら父親が生きているうちにと考えたに違いない。

 だが、その父親が、反対しているのだ。

 水口は、女性の話を聞きながらも、時折、ミケの様子を見た。

 藤岡がカウンターに出てこないせいもあって、ミケは一人で忙しそうだ。

 それにしても、注文を受けるとき以外、全くこちらを気にする様子がない。

 まさか、ミケは、水口が、今隣にいる女性をミケの代わりに結婚相手として選ぶことを望んでいるのだろうか?


 いつしか、カウンターには、水口と女性と、ミケしかいなくなっていた。

 ミケはそれでも、水口たちの方には全く興味がないそぶりであるだけでなく、むしろ、女性の会話に水を差さないように、徹底して気配を消しているようにさえ思えた。

 水口は、ミケの様子が腹立たしくさえ思えてきた。

「ねえ、場所を変えて飲み直さない?私、あなたのことがもっと知りたいわ」

 隣の女性が甘く囁いた。

「すみませんが、俺は、貴女に全く興味がありません」

 ちょうどイライラしていたころに言われたからか、水口は、いつもよりも冷淡な反応をしてしまった。

 女性は、怒りをあらわにして帰って行った。


「おい、ミケ、まさかお前、あの女と俺がくっつけばいいとでも思ってたのか?」

 女性が去った後のカウンターで、水口がいらだった様子でミケに話しかけた。

 ミケは静かに首を振った。

「じゃあ、なんで興味ないような風だったんだ?」

「たーくんのタイプじゃないと思ったから」

 ミケは、悪びれる様子もなく言った。

「じゃあ、ちょっとくらい会話の腰を折ったり、助けることだってできただろう?」

「あの人はきっと、たーくんがちゃんと断らないと、たーくんはあの人のこと好きなのに邪魔が入ったからいけないんだって思い込んでたと思う」

 水口は返す言葉が出てこなかった。

「まさか、あそこまでひどい言い方をするとは思わなかったけど」

「あれは……!」

 ミケの態度にイラついたからだと水口は言いかけたが、それではまるで、水口がミケに助けてほしかったようで、何だか情けなくて、水口は口をつぐんだ。

「そうだ、たーくん」

 ミケが何かを思い出したように話しはじめ、水口は一瞬どきりとした。

 やはり、結婚を断れるのではないだろうかとその瞬間に思ったのだ。

「明日、付き合ってほしいところがあるの」

 だが、予想外のその言葉に、水口は、思わずうなずいた。

 水口は、ミケが何を考えているのか全く分からなかった。

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