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たーくんの選択

 目が覚めると窓から朝日が差し込んでいた。

 清々しい朝だ、と、水口は感じた。

 何故かはわからないが、心が晴れやかだ。

 ベッドから起き上がり大きく伸びをすると、水口はキッチンに向かった。

 今まで使ったことのない大きな鍋が、乾かしてあるのを見て、水口は昨日、谷岡たちと鍋を囲んだことを思い出した。

 そして同時に様々な記憶がよみがえった。

 そうだ、俺は、谷岡にフラれたのだったと、水口は思い返した。


 あの時、目の前が真っ暗になった。

 高校生の時から、ずっと好きだった谷岡にフラれて、この気持ちはどうしたらいいのだろう、と思った。

 それでも、谷岡の前ではカッコイイ先輩でいたいという心が働いて、「帰ってくれ」と言い放った。


 沈み込んだ水口の目の前に、ミケがいた。

 思わず、その腕にすがりついた。

 だが、ミケは、沈み込む水口に優しい言葉を一切かけなかった。

 むしろ、ここぞとばかりにズバズバと言われた。

「こういう時って普通、そんなことないよとかフォローするだろう?」

 自分がいたたまれなくなってそう言うと、ミケは、水口の目を見て、キッパリ言い放った。

「そんなことしたら、たーくんは、また、谷岡さんを諦められなくなる。それじゃあ誰も幸せになれない」

 誰も幸せになれない。

 その言葉が水口の心に深く刺さった。

 だが同時に、その言葉は、水口の谷岡に執着し続けていた心を解き放った。


 その時、水口には別の問題が発生していた。

 親の立ち上げた法律事務所を継がずにこっちで事務所を立ち上げるために親が出した条件は、こっちで妻を見つけて結婚することだった。

 谷岡は、こっちで定職に就いていて、好条件だったのだが、谷岡を諦めた今、他に誰がいるというのだろう?

 考えあぐねて、水口は、目の前にいたミケに思わず言った。

「そうだ、ミケ、お前、代わりに結婚しろ」


 あれは完全に、思いつきの発言だった。

 だが、考えてみると意外と悪くないのではないかと水口は思った。

 ミケは、こっちでバーテンダーの仕事がある。

 親の反対を振り切ってまで来ただけあって、腕も確かだし、店も、ミケを手放す気はないだろう。

 兄の和明も心配していたくらいだから、きっと、今、恋人もいないはずだ。

 加えて、ミケは、何だかんだ文句を言いながらも、最終的に、水口の命令に従順なところがある。

 とりあえず、結婚して、ある程度事務所の経営状態が落ち着くまでは夫婦関係を維持できればいいのだ。

 その後離婚することになったってかまわない。

 欲深くないミケの事だから、慰謝料でもめることもないだろう。

 思いつきとはいえ、なかなかいい考えだと、水口は思った。

 一度、会いに行って、結婚の話は本気だと、念を押すか。


 その日、水口は、空き時間にジュエリーショップを訪れた。

 あの日、ミケが見ていた指輪を買おうと思い立ったのだ。

 ショーケースの中からミケが見ていた指輪を探していると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「この店、一度入って見たかったんだよね!」

 そう言って店に入ってきたのは昨日水口を振った谷岡だった。

 ワン吉も一緒だ。

 水口は、すでに吹っ切れているとはいえ、さすがに、今、出くわすのは気まずい。

 身をひそめるべきかと水口は本気で考えていたが、谷岡は、全くこちらには気付いていない様子であった。


「あの、本当に今日婚約指輪買うんですか?」

「思い立ったが吉日じゃない!ボーナスも入ったし!」

「でも、ここって……高……」

「あ、これ、可愛い!」

「先生、それ、高いです!俺の給料3か月分はたいても買えないです!せめて、似たデザインのこれなら……」

「嫌だ!これ買うの!あ、すみません!これ、ください!カードで、一括で!」

「先生、それ、俺が買わなきゃ意味ないんじゃ……」

「大丈夫!結婚したら、財布は一緒なんだから!」

 谷岡は、既に買うものを決めて入った水口よりも後に店に入っておきながら、水口が指輪を購入するよりも前に、婚約指輪(ワン吉の給料3か月分相当以上)を、自分で購入して去って行った。

 ワン吉のプライドとか、考えてやらないのだろうか?

 俺だったら耐えられないな、と、水口は思った。

 谷岡との結婚を諦め、ミケにプロポーズした自分の選択は正しかったかもしれないと水口が思わずにいられなかった瞬間であった。

 結局その日は、指輪を渡せずにしょんぼり帰った水口氏であった。

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