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たーくんとプロポーズ

「値段だけで選んだのがまずかったか……」

 たーくんこと水口卓也は一人で呟きながら通りを歩いていた。

 婚約者(自分で勝手に決めた)に、指輪を受け取ってもらえなかったのだ。

 水口は、それはすべて、指輪のデザインのせいだと決め込んでいた。

 だが、残念なことに、水口はファッションには大変疎く、恋人(と勝手に思い込んでいる)が喜ぶデザインなど全く分からなかった。


 ふと顔をあげた水口は、見知った顔が少し前を歩いていることに気付いた。

 それは、幼いころから水口の下僕であるミケだ。

 水口は考えた。

 ミケも、曲がりなりにも女だ。

 女性が一般的に好むデザインとやらをミケに選ばせれば、彼女が喜ぶデザインが手に入るかもしれない。

 水口は、ミケを捕獲することにした。


 突然腕を掴まれたミケは、ほんの少しだけ目を見開いて振り返った。

 普通の人が見たら、突然腕を掴まれたにもかかわらず、全く動じることなく振り返ったようにしか見えなかっただろう。

 ミケは、それほどに表情が乏しいのだ。

 だが、付き合いの長い水口には、ミケの微妙な表情の変化が読み取れる。

 たぶん、ミケはものすごく驚いていると。

「……たーくん?」

 水口と目が合ったミケが言った。

「ちょっと、来い」

 ミケが、ほんの少しだけ眉をひそめた。

「無理、買い物中」

「いいから」

 そう言うと、水口はミケの腕を引っ張り、ジュエリーショップまで向かった。


「なあ、ミケ、谷岡はどんなデザインが好きだと思う?」

「私に聞かれても……」

 少し困った様子でミケが答えた。

「同じ女だから、通じるところがあるだろう?」

 ミケの視線が少しだけショーケースを見て、再び水口の目を見た。

「谷岡さんに直接聞いたら?」

 一瞬だけある指輪のところで、ミケの視線が止まっていたが、どうやらそれは、水口の婚約者(と思い込んでいるだけ)の好みではなく、ミケの好みのようだった。

「サプライズで渡したいだろう?」

「この前渡してるから、もうサプライズにはならない」

 ミケは、言葉を飾ることなく、核心をつくことをズバッと言うところがある。

 たまにそれが心に突き刺さることもあるが、率直な意見を包み隠さず伝えてくれるので、水口は、ミケのそう言ったところは気に入っている。

「そうか、そうだな……でも……」

「はい、おしまい」

 後ろ髪を引かれたが、ミケに手を引かれる形で水口は店を出た。


「あれ?水口先輩!」

 そこに、水口の婚約者(だと思い込んでいる)、谷岡翠が現れた。

 その隣には何だか見たことのある影の薄い男性がいた。

「あれ?三田さん」

 彼女の後ろから現れたのは、ミケの店で働いている、女性客から大人気のイケメンだった。

「二人って、そういう仲なんですか?」

 イケメンにそう言われて、ミケが慌てて水口の手を振りほどいていたが、そんなことはお構いなしに、水口は婚約者(と思い込んでいる)に話しかけた。

「やあ、谷岡、奇遇だね、一緒にディナーでも……」

「今日は、兄貴の家で鍋パーティーなんです」

 彼女が答えるよりも前に、イケメンが言った。

 容姿は似ていないが、イケメンと影の薄い男性は兄弟らしい。

 それにしても、このイケメン、自分に対して敵意らしい何かを向けている気がする。

 それよりも、せっかく運命的に出会ったチャンスを逃したくない。

「鍋パーティー、楽しそうだね」

「そうだ、皆で鍋パーティーしましょうよ!」

「え?うち、あんまり広くないですよ」

 影の薄い男が慌てて言った。

「大丈夫よ、詰めたら入るよ!」

「あの、私、帰るので……」

 その場を離れようとしたミケの腕を谷岡が掴んだ。

「そんな、水臭いこと言っちゃダメ!」

 不意に、水口にある考えが浮かんだ。

「それなら、うちに来たらいいよ。ここから近いし」

 水口の家で鍋パーティーをやることになれば、水口の参加は絶対になる。

 しかも、彼女にとってはいつか一緒に住むことになる我が家だ。

 邪魔な二人はミケに相手させて、帰らせればいい。

 完璧じゃないか!


 鍋の支度を買い整えた一行は、水口のマンションにたどり着いた。

「おじゃましまーす、わぁ、ひろーい!」

 谷岡が、意気揚々と部屋に駆け込んで行った。

「翠先生!」

 そう言いながら、影の薄い男が、谷岡の脱いだ靴を整えて、谷岡の後を追って行った。

 まるで、谷岡の従者だな、と思いながら、水口は、イケメンに上がるよう勧めると、ミケのほうを見てそっと言った。

「ミケ、お前は、あの兄弟の相手をしろ。特に、あの弟の方は、危険な気がするから要注意だ。しっかりマークするんだぞ」

 ミケは若干腑に落ちないような表情をして固まっていたが、水口は半ば強引にミケを家に上げ、ダイニングでくつろぐイケメンのところにミケを押しやった。


 キッチンには、すでに谷岡がいた。

 この状況はもしかして、一緒にキッチンに立つ夫婦に見えてしまうかもしれない。

 にやけそうな顔を何とか整えてそちらに向かうと、谷岡の視線の先には、谷岡の従者がいた。

 従者は、影は薄かったが、料理の手際は非常に良かった。

 きっと、谷岡は、従者の手際を見て、花嫁修業をしているに違いない。

 そんなことしなくても、家政婦を雇える余裕くらいあるというのに。

 まあ、せっかくその気になっているのであれば、余計な口出しはせず、花嫁修業をさせてやろう。

 水口は踵を返して、ミケとイケメンが座るテーブルにやってきた。

 二人は無言のまま、テレビを見ていた。

「お兄さん、料理上手なんだね」

 水口が二人の沈黙を破ってイケメンに話しかけた。

「はい、自慢の兄貴です」

 イケメンは、水口の作り笑顔に爽やかな笑顔を返してきた。

「どこかの家政婦センターに所属しているのかい?」

 水口は、あの従者をそのまま結婚した新居で家政夫として雇うのも悪くないと思いついた。

「兄貴は、看護師ですよ」

 くすりと笑ってイケメンが答えた。

 看護師と言う響きに、何故だか心がざわついたが、ちょうどそのころ、話題の中心にいた従者が鍋を持って現れた。

「お鍋、かんせいでーす!」

 その後ろから、箸と皿を持った谷岡が現れた。

「あ、先輩、勝手にキッチン漁っちゃいました!」

「構わないよ……」

「すごく広いキッチンですね!やっぱり、システムキッチンは、使い勝手が違いますね!これを使わないなんてもったいないですよ!」

 谷岡が、結婚したら当然のように使うのだから、好きに使ってくれと、言いたかったその言葉は、従者の興奮しきった言葉で飲み込まざるを得なかった。


 正直なところ、水口は、どこの馬の骨ともしれない看護師が作った鍋には全く期待していなかった。

 だが、鍋は予想に反して美味かった。

「やっぱり、ワン……明君の料理は最高だね!」

 谷岡は上機嫌に言った。

 何か、ワン、と言ったのは何だったのだろうと、考えていると、従者が言った。

「翠先生、俺、別に、ワン吉って呼ばれても気にしませんよ」

 どうせ、酔っぱらったら、普通にワン吉って呼ぶじゃないですか、と付け加えて、ワン吉と呼ばれかけていた男は鍋をもって席を立った。

「しめはうどんがいいな」

 それを見て、谷岡が当然のように言った。


「ねえねえ、三田さんって、あのお店のバーテンダーさんじゃない?」

 しげしげとミケを見た後に、谷岡が言った。

「はい」

「水口先輩、いつの間にこんな可愛い彼女ゲットしたんだろうって思ったけど、あそこのバーテンダーさんだったんだ!」

「ただの顔見知りです。付き合うとかムリ……」

 水口が言うよりも早くミケが全否定した。

 そこまで否定することはないだろうと、水口は悲しく思っていたが、そんなころに、ワン吉が鍋を持って現れた。

 ワン吉はうどんを全員分取り分けると、空になった鍋をもって再びキッチンに引っ込んでいった。


「三田さん、ここにあるお酒でカクテルとか作れるの?」

 谷岡は、ミケに興味津々だ。

「簡単なものなら……今から作りましょうか?」

 ミケも、美味しいものを食べたからか、いつもより少し上機嫌のようだ。

「わぁ、素敵!ぜひ!」

 ミケはその場を離れ、キッチンのほうに向かった。

「先輩、いい子じゃないですか、彼女にしないんですか?」

「いや……」

 そこで初めて、水口は違和感に気付いた。

 何故、谷岡は、水口の婚約者のはずなのに、ミケと付き合うことを進めているのだろう?

 この話題を、続けてはいけない気がする。

「ところで、ワン吉君は、あんなに家事ができるのに、看護師さんをしているのかい?何だかもったいないね」

 水口は、無害そうな話題に話を逸らした。

「確かにそうかもしれないけれど、私は、彼はNICUに不可欠な存在だと思うなぁ」

 NICUと言う言葉に何だか聞き覚えがあった。

 NICUの看護師。

 もしかして、まったくノーマークだったワン吉は、谷岡に告白したとかいう、あの看護師か?

 いや、でも、そんな度胸があるようには見えない……。

「カクテル、できました」

 混乱しているさなかに、ミケが戻ってきた。

 カクテルをテーブルに置いたミケの腕を引っ掴んで、水口は部屋の隅へ行った。

「おい、ミケ、大変だ!もしかしたらワン吉とやらが、例の谷岡に告白した看護師かもしれない!」

 ミケは少し目を見開いたが、その後、今度は少し目を細めた。

 そして、小さくため息をついて、呟くように言った。

「もしかしなくても、そうだと思う」

「ミケ、お前知ってて……」

「わー、すごーい!」


 谷岡の声に振り返ると、キッチンからワン吉がケーキを持って出てきたところだった。

「そろそろクリスマスなので、作ってみました」

 オトメンか!と、水口は思ったが、谷岡は相変わらずキラキラした目でケーキを見つめ続けていた。

 オトメンのワン吉は、谷岡に急かされるままにケーキを切り分けていた。

「わあ、超美味しい!」

「美味しい」

 ミケも美味しそうにケーキを頬張っている。

 ワン吉が五等分を断念したケーキは綺麗に六等分にされていたので、あと一切れ残っていた。

「ねえ、これ……」

 その一切れを物欲しそうな目で谷岡が見ていた。

「最後の一切れ、女の子で半分こしますか?」

「私ももらっていいの?」

 そう言ったミケは、傍から見ると無表情に見えるかもしれないが、あれは喜んでいる時の表情だと、水口は知っていた。

 ふと、そんなミケを見ていたらしい谷岡と目が合った。

「先輩も欲しいですか?」

「いや、譲るよ」


「いやあ、美味しかった!」

 満足満足と言いながらお腹をたたく谷岡の隣でワン吉はせっせと片づけを始めていた。

「料理上手で、家事もできるなんて、いいお嫁さんになれそう……」

 感心した様子でワン吉を見ながらミケがポツリと呟いた。

 谷岡は、そんなミケを何だか複雑な表情で見ていた。

「え?俺男なのに嫁って……」

「確かに!」

 動揺するワン吉の言葉を遮って、谷岡が立ち上がった。

「そうだ、ワン吉、結婚しよう!」

 谷岡はそう言いながらワン吉を押し倒した。

 これは、谷岡からワン吉へのプロポーズなのか?

 いや、プロポーズにしてはムードがなさすぎるだろう?

 いや、でも……きっと冗談……。

「え?俺でいいんですか?」

 ワン吉の野郎、真剣に答えてやがる!

「お、おい、谷岡、俺のプロポーズは?」

「え?この前断ったじゃないですか」

 プロポーズ、断られてたのか……。

 水口は目の前が真っ暗になったのを感じた。

 何だかごちゃごちゃになった気が……。

 皆様の読解力に期待しています。

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