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黒い獣と白い羽根 後編




 フランがその村へと居ついたのは、一年近く前である。


 地名ですら定かではない土地のとある名も無き村。


 近くに森と川のある比較的恵まれた環境の村である。人口は二百人弱。主に農作業を中心として、生活を成り立たせていた。


 大した目的のない気ままな一人旅の途中でその村に立ち寄ったのは、不注意で足の骨を折るほどの怪我をしたのが理由だった。


 正確には、骨を折るほどの怪我をして川を流されていたところを、その村の住人に助けられたのがきっかけだったのである。


 当時のフランは、まだ廃都での習慣が抜け切っておらず、他人という存在に安易に心を開けなかったのだが、見ず知らずの赤の他人を献身的に介護してくれた村人たちには素直な感謝を抱いたものである。


 足が治ってからも、村に置かせてもらい。

 めでたく村人の仲間入りを果たした。


 気ままな一人旅も悪くはなかったが、静かに過ぎていく日々もまた得がたい幸福なのだと感じるようになっていたからだ。


 基本的に要領がよくて物覚えも悪くないフランは、すぐに村の生活にも順応した。


 朝から晩まで畑仕事に従事したり、大量の興味深い蔵書を誇る図書館(村長の書斎)に入り浸ったり、趣味人の村人とジープをイジったり、村長の下手な将棋やチェスに付き合ったり、そんな日々を過ごしていた。


 穏やかな日々は過ぎていく。

 気づかぬままに過ぎ去っていく。

 それまでの人生の中で、最良といえる日々が。


 そして――


 そんな暖かな平穏が崩れ去ったのは、空に輝く満月が血に濡れたように紅かった夜――


 未だにその全貌が把握し切れていない一夜の出来事だった。



 ● ● ●



 エステルは奇跡的に生きていた。

 多少は焦げていたが、それだけだ。


「………中々に頑丈な奴だな」


 呆れた風に呟くフラン。

 実を言えば、殺してしまったかと内心で不安に思っていたのだ。


 不殺の誓いなどを立てているわけでもないし、そんな綺麗事を口にする資格もないのだが、それでもレイの前では控えたいと思うぐらいは許されるだろう。


「それは可愛い女の子に使っていい表現じゃないっすよ」


 大の字になって地面に横たわるエステルの声に、負の要素は含まれていない。

 すっきりと後腐れなく、己の敗北を受け入れているように見えた。


「もうお前を『女の子』とは思わん。何度、肝が冷えたか知れたもんじゃない」


「止めは刺さないんすか?」


「後味が悪いって言っただろ。もう俺たちを狙ってこないならそれでいい」


「自分は口約束ならいくらでも破れるっすよ。悪の組織の一員っすからね」


「そもそも、それはなんなんだ?」


 悪の組織。

 何度も口にしていたその言葉を、ようやく頭が認識した。まともに聞くにはあまりにも馬鹿馬鹿しい響きの単語なので、極めて自然に聞き流していたのだ。


「文字通りの意味っすよ。素直に受け取って間違いないっす」


「要するに、イロモノ……?」


 単刀直入なことを言うレイに、エステルは苦笑。


「………はぁ。まあ、否定しきれないのが悲しいところではあるっすね。

 それにしても、あ~あ、久しぶりにお仕事失敗っすよ。どうしたもんすかねぇ~」


「そのままブッチしてくれると、こちらとしてはありがたい」


「そうしちゃいますかねっと。

 生命を狙った刺客を許すような甘々なお二人の人となりを判断した限りでは、依頼人の方が随分と胡散臭く思えてきたっすからね」


 パンパンとお焦げを払いながら、立ち上がるエステル。

 燃え跡へと懐から取り出した『羽根』を弾く。まるで逆再生のように、燃え跡が自然の一部へと回帰していく光景は、それなりに見慣れていても不思議な感慨を抱くに足るものだ。


「いや、タダで許すつもりはないぞ」


「そうなんすか?」


 外套を羽織り直していたエステルが、驚きに目を丸くする。

 そこで驚ける神経が、フランからすると理解の外だったが。


「ああ。悪の組織と言ったな?」


「ええ。まあ、はい。悪の組織っすよ」


 不思議でもなんでもなく、間の抜けたやり取りであろう。


「教会とは仲がいいか?」


「最悪っすね。悪だから」


「よし。匿ってくれ。最近、妙な刺客に襲われる理由があって困っているんだ」


「襲ってきた刺客に言うセリフじゃないっすよね」


 とても真っ当な突っ込みだった。


「気にしないでくれ」


「う~ん。」


 悩むような素振りで、唸るエステル。


「………なんか一緒に厄介事を持ち込まれそうな気もするっすけど?」


「はははは。なにを当たり前なことを心配しているんだ」


「意外とイイ性格してるっすね~。まあ、それも含めて面白そうな逸材っぽいから、紹介したら社長(ボス)も喜ぶかも知れないっすね」


「その社長(ボス)とやらの人となりは、実際に会って確かめる必要があるだろうが、ひとまずの今後の目処はついたな」


「いいの?」


 やや不安そうに、顔を寄せてくるレイ。


「当てのない二人旅にも自ずと限界はあるし、『連中』が本腰を入れてくる前に対抗手段は整えておきたい。そういう意味では、悪の組織なんて胡散臭いのは打ってつけだ」


「………そうかなぁ?」


「不安になるのはわかる。だが、よく考えてみて欲しい。こんな時代に堂々と悪の組織(笑)を標榜しているような連中がマトモであるはずがない。俺たちの個性を隠すための森ぐらいの役割は担えるはずだ」


「すげぇ上から目線すね」


 なにやら呟くエステルだが、あっさりと無視される。


「だから、不安になるんだけど……」


「その一員がすぐ傍にいるのに、よくそこまで好き放題言えるっすね」


 じっとりとした視線と突っ込みが飛んできたが、やっぱり無視。


「とゆーか、お二人の事情も少しはお聞きしたいとこっすよ」


「あまり話したくはないんだが、まあ触り程度なら――」


「む。」


「え?」


 不意に言葉を切ったフラン。戦闘時のように目付きを鋭くするエステル。そんな二人の反応を不思議そうに見やるレイ。


 三者三様の反応。

 フランとエステル、やや遅れて追随するようにレイの視線が向いた先。


 白い――白いローブで全身を覆った何者かが立っている。特徴というものが白いローブで覆い隠されていたが、その中で唯一目を引くのが、むしろ見せるように首下から下げられている逆十字のペンダントだった。


「異端狩りか」


 フランは舌打ちを一つ。


「……お手軽に使い捨てられたみたいだな」


 そして、この段階でフランは『連中』の思惑を把握した。

 要するに、エステルは足止めのために利用されたのだ。


「いやはや、そうみたいっすね。重ね重ね申し訳ないっす」


 にへらと相好を崩しながら頭を下げるエステル。


「しっかし、こういう展開だと自分の仕事結果がどうであれ、自分の末路は最初から決まってたみたいっすね。かなり不愉快っす」


「何でも屋ってのは、そんなもんじゃないのか」


 フランとレイの存在は、『連中』からすると機密レベルが高い。


 エステルの仕事が成功しようとすまいと、闇に葬られていたのは確かだろう。それが『連中』の――教会の暗部に所属している『異端狩り』のやり方だ。


 そもそもその存在が表沙汰になってはならない連中なのだから。


「それは偏見っすよ。問題があるのは、依頼人の方っすよ。――ねえ?」


 白いローブからの返答はない。

 問答無用というわけだ。


 白いローブの何者かの横に伸ばした手には『羽根』が一つ。

 一目見ただけで純度の高さがわかるほどの一品だ。


 それが光を放ち、その光が消えた頃には、白いローブ姿の数は五十人近くにまで増えていた。おそらくは近くに控えさせていた者たちを、この場に転移させたのだろう。なかなかの大部隊だ。過去の反省からか、かなり手加減抜きの編成のように思えた。


 この分だと、目に見えない部分にも色々と仕掛けられていると考えるのが無難だと判断するフラン。


「………………」


 エステルはため息を吐いた。


「………よし! 決めたっす。こっからはお二人に全面的に協力するっすよ。未来のお仲間に、手早く恩を売っておくっす」


「ある意味、あなたのせいなんだけど」


 ブスッとした口調で、珍しくレイが突っ込む。

 フランは苦笑。


「そりゃありがたい。なら、レイを連れて、全力でこの場を離れてくれ。どうせ伏兵とかいるだろうから油断はするなよ」


「了解っす。ジープを借りてもいいっすか?」


「ああ。――レイ、ついでに彼女に話してもいいと思える範囲でこっちの事情を教えてやってくれ」


「うん。わかった」


「それで、フランさんはどうするんすか? さすがにお一人で相手するには数が多すぎると思うんすけど」


「はっ」


 エステルの懸念を、フランは口の端を吊り上げて一蹴する。

 その笑みにエステルは背筋が寒くなる。


 エステルとの戦闘の時には無かった何かが鎌首を擡げているような気がするのだ。


「――俺はこれから派手に暴れさせてもらう。

 だから、レイが巻き込まれないように、本気で俺から(・・・・・・)逃げておけよ(・・・・・・)


「……フラン、まさか――」


後で頼むよ(・・・・・)、レイ」


 言いかけたレイを遮るようにして、フランは開戦の火蓋を切る。

 ぞろぞろと緩慢に距離を詰めてくる白いローブの群れを見据える。


 先手必勝。


 フランは黒の銃に吸収したままだった炎を解放する。

 白いローブたちの正面に着弾した火球が、炎を撒き散らす。


「行けっ!」


 レイの手を引いて、ジープに飛び乗ったエステルは、その直後にジープを急発進させる。派手な土煙を上げて、走り去っていく。


「さて――」


 フランは両手の二丁拳銃を構えて、


「それじゃあ、やるか」


 白いローブの群れへと向かって、勢いよく地面を蹴った。



 ● ● ●



 雄叫びのような複数の人間の上げる大きな声が聞こえてきたが、それも一瞬で遠ざかる。


 座席から身を乗り出して、後方を見つめているレイはひどく不安そうだ。


 フランの身を案じているというのもあるのだろうが、その懸念はもっと奥深い何かを畏れているかのようでもあった。


「あの~、レイ=フェザネスさん? ちょっといいっすか?」


「レイって呼んで。その呼び方は大嫌いなの」


 音は静かなのに、奥底で何かが煮え滾っているような口調だった。

 さすがのエステルも、思わず息を呑む。


「………何があったんすか? あんな大人数の異端狩りに狙われるなんて、あんまり普通じゃないっすよ。お二人と教会の間に何があったんすか?」


「……わからない」


「わからないって………?」


「本当にわからないの。どうしてこんなことになっちゃったのかなって今でも思う。どうして、こんな……」


 声を震わせて、レイはうつむく。


 エステルも促すような真似はせずに、ジープを走らせる。

 やがて、レイは己の知ることをポツリポツリと話し始めた。



 ● ● ●



 それは空に輝く月の光が、血に濡れたかのように紅い夜の出来事だった。


 発端は、教会の『異端狩り』に追われる男が、村に逃げ込んできたこと。

 事の構図は単純で、その男を『異端狩り』に差し出せば、何の問題もなかった。


 実際に、その男にはあらゆる意味で情状酌量の余地もなかった。

 異端狩りの一団の対応も、村人には紳士的であり、村人も協力を惜しまなかった。


 だが、事態は急転直下に見舞われる。

 不意に異端の男の前に『死徒』が現れた瞬間に、状況は急変した。



 ――『死徒』と、そう呼ばれる存在がある。


 其は――

 大災厄後の世界で、人類を脅かす二つの脅威の片割れ。


 天災の如く現れ、ただ無意味に人々の在り方を『崩し』て、忽然と姿を消していく正体不明の存在。その存在を消去する手立ては未だに確立されておらず、遭遇すれば逃げるしか手立てのない小規模の局地災害。


 それが『死徒』と呼ばれる存在である。

 見た目は『御使い』の色がそのまま黒になった風。


 それに触れられた人間は、その在り方を『崩さ』れる。


『御使い』が人を『羽根』へと変えるように、『死徒』は人間の在り方を『崩す』ことで『獣』へと変貌させる。


 それは人間としての終わり。人間であることの強制放棄。


 人間であった頃の意志は完全に崩壊し、本能で人間を襲うバケモノへと生まれ変わる。ほんの数時間で完全に崩れ去ってしまうが、街中などに『死徒』が顕れた時に起こった惨劇は、筆舌に尽くしがたい。


 異端の男は、『死徒』にその在り方を崩され、『獣』へと堕ちた。

 状況はそれに留まらず、何人かの村人や異端狩りもまたその在り方を崩された。


 そこから先は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 暴れ回る数多の『獣』。


 徘徊する『死徒』と――何処からともなく誘われるように顕れた『御使い』。

 蹂躙される人間。


 そして――


 レイの生まれ故郷は、たったの一夜で失われてしまったのだ。

 フランとレイの二人だけを残して。



 ● ● ●



「はー。大変だったんすね。お悔やみ申し上げるっす」


「刺すよ」


 エステルの短剣に手を伸ばすレイ。完全にマジだった。


「いやー、すんません。その手の話は、ウチだと売るくらい転がってるんで。もう少しパンチの聞いた話が聞きたか――あ、痛い痛い痛いっす。ごめんなさいごめんなさい。想像以上に重かったので茶化して和まそうと思ったんすよ」


「――刺すわ」


「断定っ! てか、刺さってるっすよ」


 フラフラと危険な蛇行をするジープ。


「――てか、疑問が一つあるんすけど、それでどうして、お二人が異端狩りに追われるなんて話になるんすか? むしろ、教会に手厚く保護してもらえると思うんすけど」


 その問いに、眉間にしわを寄せるレイ。


 答えるかどうかを逡巡するような迷いの時間はわずか、やがて吐息を一つ。


 エステルに向かって、何かを求めるように手を伸ばす。


「羽根、持ってる……?」


「は?」


 脈絡のない質問に、エステルは間の抜けた声を出す。


「だから、まだ羽根を持ってるか聞いてるの」


「あ~、持ってるっすよ。そんなに純度の高くない私物ですけど」


「それでいいからちょっと貸して」


「あ、はいっす」


 手渡された羽根を、レイが左手の肌に押し当てる。すると羽根は光を放って、その左手の中に溶けるように飲み込まれていった。


「ちょっ――」


 純度が低かろうとも羽根は貴重品である。それがいきなり消滅、あるいは浪費をされて、エステルはさすがに非難の声を上げる。


「いいから、ちょっと待って」


 羽根を飲み込んだ辺りに手を添えたままレイが言う。


 わずかな間。

 それからレイは添えた手を動かす。指先が肌の中に飲み込まれていく。


「へ?」


 目を丸くするエステル。


 第二関節ぐらいまで埋まった指がゆっくりと抜かれた時、その指先には再び羽根があった。


「………て、手品にしては――」


 驚きとともに言いかけたセリフが、自然と尻すぼみになる。


 それは羽根を見れば、一目瞭然だ。純度の低かったはずの羽根が、白く輝いている。純白に染め直されたかのような輝きを放っているのだ。純度が高くなっているなどという次元ではない。最高純度の羽根へと新生していた。


 それがどれほどの異常かは、語るまでもない。


「――こ、これはどういうことっすか?」


 自然とエステルの声も上擦ったものになる。


「そういう体質になっちゃったの。

 わたしを追ってる連中は、わたしを『羽根の巣』――フェザーネストって呼んでる」


 世界の復興の立役者でもある教会とはいえども、やはり表沙汰にはできない『暗部』が存在する。表が善行で光り輝くために、裏ではどす黒い陰謀が蠢いてもいる。


 レイを取り巻いているのは、そうした陰謀の一つである。


「………………」


「あの夜に、わたしの両手と両足は『御使い』に羽根に変えられたの。今の両手と両足は羽根の力で構成している偽物――でも、本物と区別がつかないし、時々忘れそうになるぐらい馴染んでるけど」


「いやはや運がいいっすね。よっぽどの幸運に見舞われないと、そんな身動きできない状態での生還は不可能っすよ」


 大してよくないと自覚している頭でレイの言葉を理解しようと試みているエステルは、動揺の抜け切っていない声で、ほとんど何も考えずに口を動かす。


 言葉通りに受け取っても、まるでわけがわからないというのが率直な感想だ。


『御使い』に触れられて生き残れるだけでも希有な例だというのに、そこからさらに不思議な特殊能力が付与されるなどという話は、悪の組織の一員としてそれなりに荒唐無稽な修羅場を潜り抜けてきた自負のあるエステルでも聞いた覚えがない。


「フランが……助けてくれたの」


 感謝と申し訳なさの同居した声音だった。

 ただ単純にそれだけではない事情が、その後の展開にありそうだった。


「この手と足はそういう形をした羽根みたいなものだと思って。だから、羽根を重ねることができるし、分離することも可能なの。それで、どうしてかはわからないけれど、分離して取り出した時に、その取り出した羽根の純度が増すの。手足の部分の本来の容量はまるで変化していないのに」


「………便利っすね。そして、そんな体質なら、目も付けられるっすね。納得したっすよ」


 純度の低い羽根でも、高純度の羽根へと変換できる。


 それも大した手間を必要としないのならば――何らかの副作用があるかもしれないので検証の必要はあるだろうが――その利用価値は計り知れない。

その存在を知ってしまえば、どんな手段を使ってでも手に入れようとする者など掃いて捨てても飽き足らぬほどに湧くだろう。


 あるいは、絵に描いたような善人であったとしても無償の奉仕を望むに違いない。


 当の本人の人権などは軽く無視をして、彼女を真っ黒に塗り潰そうとするだろう。


 それが善意でも、悪意でも、その先に求められるのは『個人の犠牲』だ。


「ふむ」


 エステルは考える。

 正直な話、悪の組織的には必要な人材ではない。


 どちらかというと抱え込むことで厄介事が湯水のように湧く類の人材だ。


 だが、あの社長(ボス)や社員ならば、むしろそうした人材をこそ歓迎するだろうし、恩着せがましくはあるものの、それなりの安住の地を与えられるのもまたウチぐらいだろう。


「これは本気でお二人に協力する必要がありそうっすね。これはお二人だけで乗り切れる問題じゃないっす」


 個人の力には自ずと限界がある。相手が組織であるならば、それも現在の世界における最大の勢力を誇る組織ならば、遠からず彼らは悪意に飲み込まれる。


 そういう意味では、追い詰められる前に準備を整えようとしているフランの懸念は全く正しいといわざるを得ない。


 だからこそ、エステルを――彼女の所属する悪の組織を頼るという選択をしたことを、間違いだったと思わせるわけにはいかない。ただの勘に過ぎないのだが、この出逢いは『とても面白いこと』の前触れになりそうな気がするのだ。


 故に、全力で彼らのサポートをする、とエステルは決めた。


「久しぶりに腕がなるっす」


 言いながら、アクセルを踏み込む。


「………言っとくけど。わたしたちを利用する気なら、悪の組織も潰すから」


 剣呑な光を宿した視線で射抜かれる。


 儚げな外見と控えめな口調とは裏腹に、芯の部分には強い熱を持っているらしい。


 そして、それは脅しでは終わらない。


 戦闘能力そのものはなかったとしても、レイの『羽根の巣』で生み出される高純度の羽根は戦力の天秤を容易く覆すものだ。


 羽根使いとしては、問答無用の力量を備えている。

 故に、敵に回すような愚行をレイは犯さない。


 そもそも根本的なところで『仲間(ミウチ)』を犠牲にするような奴が、悪の組織にいるわけがないではないか。


「まっさか。利用なんてしないっすよ。個人的にはお友達になってくれたらうれしいってくらいだし、社長(ボス)的にも社員になってくれたらそれで満足すると思うっすよ。なにしろ、悪の組織の求めるものは、とっても面白い出来事っすからね。自然とトラブルを持ち込んでくれるような人材は大歓迎っす。それが『あの教会』相手であるのなら、尚更っすね」


 ………何か恨みでもあるのだろうかと思うレイ。


 善の象徴である――裏の側面もあるものの――教会と悪を標榜する組織。

 相容れないのは確かだろうが、そうなるきっかけが存在するのもまた必然であろう。


「それはそれで問題あると思う。わたしたちはなにも面白くないし」


 漠然と悪の組織と言っているが、その実態がどうにもレイには掴みきれない。


「細かいことは気にしないのが無難っすよ。どうせすぐにわかることっすから。

 さてさて、レイさんの事情は概ね把握したっす。では、フランさんは? レイさんの護衛みたいな感じだから連鎖的に狙われてるんすか?」


「フランは――」


 エステルの問いかけた内容のような側面もある。


 だが――

 レイがフェザネス=フェザーネスト=『羽根の巣』と呼ばれているように、フランがグレビスト=グレータービースト=『獣王』と呼ばれる理由もまた存在するのである。


「…………………………………………フランは、あの夜にわたしをかばって『死徒』に触れられて……『崩れ』て『獣』に堕ちてる。なのに、心と人の形を取り戻せた。

 ――だから、異端者として『異端狩り』に追われたの」


 苦渋に満ちた顔で、レイは言った。


 フランは『獣』に堕ちていながらも、それでも『人の形』を取り戻した希有な例ではあるのだが、教会はその『奇跡』を世界の摂理に反した異端だと断定した。


 彼らは『お前は死ね』と――奇跡的に生き返った人間に言ったのだ。


 フランは透明な笑みを浮かべていたけれど。


 レイには受け入れられるはずも、その言葉を赦せるはずもなくて、手を取り合っての長い長い逃亡生活は始まったのだ。


 最初はそんな形だった。

 そして、ほどなくレイの『羽根の巣』の能力が発覚し、現在の形に落ち着いたのである。


「は~、お二人は本当に重たい荷物を背負わされてるんすね。お~、よしよし。自分の豊満な胸で泣いてもいいんすよ」


 言うほど豊満ではない胸を張るエステル。


「ちゃんと前見て、運転して」


 氷点下の視線を突き刺すレイ。

 相手の態度にもイラつくが、レイには体型ネタもタブーなのである。


「すんません。………自分、シリアス展開は苦手なんすよ。茶化して許されるような内容じゃないのはちゃんと理解してるんすけど、どうしても一緒に沈み込んだりするのには抵抗があるんすよね」


「別にいい。同情されても、あんまり嬉しくないし………」


「そう言ってもらえると少しは楽になるっす。自分の空気読めない発言が鬱陶しかったら言って欲しいっす。控える努力をす――」


「鬱陶しいわ」


「………………迅速な努力を心がけるっす」


 うなだれるエステルだったが、次の瞬間にジープを急停車させる。


 危うく放り出されそうになったレイは非難の眼差しを向けようとして、その途中で急停車の理由を知る。

 前方に立ち塞がる白いローブで全身を覆った異端狩りが五人。


「お客様みたいっすね。レイさんはここで待機っす。もしも、自分がミスった時は自衛をよろしくお願いするっすよ」


 ポンと軽くレイの肩を叩く。


 重たい荷物を背負うには、不釣合いなぐらいに細く華奢な肩だった。エステルならば、その気がなくてもへし折りかねないぐらいに。


「レイでいい。わたしもエステルって呼ぶから」


 ジープから降りるエステルに、レイは早口でそう告げていた。


 襲い襲われから始まった関係だが、そうしたわだかまりはレイには無いらしい。切り替えが早いのか、それともわずかなりとも信頼を得られたのか、後者であったら嬉しいなと思いながら、エステルは短剣を抜き放つ。


「了解っす♪ それじゃあ、ちょっくら遊んでくるっすよ」



 ● ● ●



 その頃――


 もう一つの戦場では、既に決着がついていた。


 フランは林立する木々の一つに背中を預けていた。その身体はもう立っていない。左手と右足は歪な方向へと折れ曲がり、その全身は余すことなく朱に染まっている。有り体に言って満身創痍であり、常人であれば再起不能なレベルの損傷が全身に刻まれていた。


 多勢に無勢。


 十数人を地面に這わせた段階で、羽根を用いた数多の属性攻撃の集中砲火を浴びて力尽きたわけなのだが、我ながらよくボロを出さずに持ち堪えたものだと自画自賛したくなる戦果ではあった。


 異端狩りのリーダー格らしい男に顎を爪先で持ち上げられ、強引に上を向かされる。


「なかなか頑張ったじゃないか、異端者。

 ――まさか、三分の一がやられるとは思わなかったぜ」


「お褒めに預かり光栄だ」


 教会に所属している人間なのに言葉使いが野卑なのは、表向きには存在していない『暗部』関係の仕事をしているからだろうか――などとどうでもいい事を考えながら、吐き捨てるように応じると横っ面を蹴り飛ばされた。


 飛び散った血が、地面に染みを作る。


「さて、これから『異端者』であるお前さんを『浄化』するわけだが、何か言い残すことはあるか?」


 浄化という大仰な表現に、皮肉を覚えそうになる。


「………………遺言を聞いてくれるなんて、意外に親切じゃないか?」


「これでも聖職者だ。最後ぐらいは優しくしてやるさ」


「礼は言わない」


「期待はしていない」


「おまけにその必要もない」


「――なに?」


 怪訝そうな声を出す異端狩りの男に、フランは目に見える形でその言葉の意味を理解させる。


 ゆっくりと立ち上がる。


 不自然な方向へと折れ曲がっていた右足は、今はなんの違和感もなく真っ直ぐ伸びている。


「下手な芝居はお終いって言ったのさ」


 軽く右手で調整をすれば、変な方向に曲がっていた左手もすぐに元通りになる。

 自分でも違和感のある所業だが、傍で見る連中はその比ではない。


「な、なな、んだそれは……?」


 動揺のざわめきが、異端狩りたちに瞬く間に広がっていく。


「………おいおい。お前、ちゃんとした話を上司から聞いてないのかよ」


 どうにも連中からは知識不足の感が否めない。


 フランを相手にしておきながら、人間相手をしているような対応なのも気にかかっていたが、これはどうやら手柄を焦ったバカの独断専行と判断した方がいいのかもしれない。


 レイの『羽根の巣』の能力に目を奪われでもしたのか、フランがどういう形で異端なのかを正確に把握していない。もしもきちんと把握していたならば、この程度の損傷を与えたぐらいで気を緩めるはずがない。


 跡形もなく消滅させて、ようやく(・・・・)のレベルなのだから。


 その知識不足がどれだけの致命傷になるのかを、こいつらはこれから嫌というほど思い知る羽目になるわけなのだが。


 自業自得だな、とフランはあっさり切り捨てた。

 機会はあった。チャンスもあった。


 なのに、彼らは貴重な『時間』を活かせなかった。ただそれだけの話だ。

 この三流じみた体たらくでは、レイが羽根を使うほどの事態にはならないだろう。


「さて、と――」


 思っていたよりも被害が小さくまとまりそうなので、フランは安堵の息を吐く。


 フランの躯は、あの夜に『崩れ』て、『獣』に堕ちている。


 正直に打ち明けるならば、その後のことをフランはほとんど覚えていない。虫食いのように断片的な記憶はあるのだが、それを意味のある情報として認識できない状態である。理性というか、意識というか、そうした諸々を含めた『心』が木っ端微塵に砕け散っていたのだから、それも当然ではあるのだが。


 望んだわけではないが、『獣』に堕ちるというのは、そういうことなのだ。


 そして、フランとしての形を取り戻せた理由もわかっていない。


 気づけば、四肢の再生したレイの傍らに寝転がっていたのだ。

わけのわからぬ内に、フランはかつての『人の形』と『心』を取り戻していた。


 ――だが、それがどんな種類の『奇跡』であったとしても、完全に元通りなんて都合のいい話ではなかった。


 全身が朱に染まっている?

 そんなものは返り血に過ぎない。


 フランはただの一滴でさえも、己の血を流してはいない。


 いや、より正確に言うならば、この身体に血など巡っていない。あまり認めたくはない現実なのだが、粘土細工のようなものだ。外見は人の形をしていたとしても、その中身はとっくに『別の何か』に変質している。


 彼の生命の時間を刻んでいるのは、異質の法則だ。

 ――そう。


 フランは本当に(・・・・・・・)自然の摂理に反した(・・・・・・・・・)存在へと変わっていた(・・・・・・・・・・)


 何者でもなくなっていた彼は、自らの体を整えられる。

それは同時に、かつての『堕ちた獣』へとその形を変えられるという意味も内包している。


 故に、こうしてやられた振りをしていたのも時間稼ぎの一環だ。


 少しでも遠くに離れていてもらわないと、レイを巻き込んでしまう可能性がある。


「二人も十分に離れてくれた頃合だろうし、もういいよな(・・・・・・)?」


 獰猛な笑みを浮かべたフランは、明白な意志で――己の存在を(・・・・・)崩し(・・)()



「あ?」


 変化は劇的だった。


 その体躯が黒く染まり、膨張していく。

 形が崩れて、歪な音ともに別の何かに再構築されていく。


「………………………………………」


 異端狩りたちはその変化を、呆然と見守ってしまう。


 実のところ、フランの推測は当たっていた。


 異端狩りである彼らに命令を下した者は人間としての器が小さいながらも、それに見合わぬ上昇志向の持ち主だった。異端認定された青年と喉から手が出るほどの利用価値を備えた少女を見た目だけで判断するという愚を犯し、本当に大事な記述に目を通さずに無知蒙昧な令を下していたのだ。


 そして、動員された異端狩りは数こそ多いものの、『本物の異端』というものを目の当たりにしたことがない下っ端に過ぎなかった。要するに、かつての魔女狩りのような弱い者苛めを専門としているような、数しか頼れるもののない有象無象なのだった。


 彼らにとっての最善の行動とは、この時点で脇目も振らずに逃亡することだった。


 だが、フランの『変化』に驚きで硬直して魅入ってしまったために、そのチャンスを永遠に失ってしまった。


 人間から堕ちた『獣』が、大地を踏みしめる。


 見た目は、漆黒の毛並みを纏った狼だろうか。


 赤黒く濁った双眸は爛々と狂熱をたたえ、犠牲者たちを値踏みするように一瞥をする。凶器でしかない牙の生え揃った口はわずかに開かれ、鮮血よりも赤い舌が覗いている。その威容とも言うべき十数メートルにも達する巨躯は、異端狩りの目には聳えたつ山も同然だ。


 その巨躯を支える四肢から伸びた鋭く尖った爪が地面を擦り、土を掘り返す。


 重たい音とともに木々を薙ぎ倒しながら一歩を踏み出す『獣』――漆黒の狼。


 直後。


 大地を揺るがし、天をも震わせる咆哮が放たれた。


 畏怖にも近い恐怖に完全に縛られていた異端狩りは、そこでようやく身体の動かし方を思い出したかのように『獣』に背を向けて逃げ出した。


 まるで意味を成さない悲鳴を上げながら。


 そして――


 対峙した者が絶望しか抱けない暴嵐の渦とともに。

 堕ちた『獣』の蹂躙が始まる。



 ● ● ●



 太陽が沈んでいく。


 世界が夜の色に染まっていく。

 森の出口で、レイはフランを待っていた。


 その傍らに立つエステルは、不安と緊張で面白い表情になっている。


 五人の異端狩りを迅速に無力化した上で、首から下を楽しげに地面に埋めていた時とは別人のようだ。


 だが、それも無理もない話だろう。


 先ほどまで耳に届いていた音の数々。

 地震の如く揺れる大地。尋常ではない轟音。舞い上がる土煙。腹に響く咆哮。


 何が起こっているかわからないが、並大抵ではない惨劇が起こっているのは間違いないだろうと確信させる不穏の数々。


 堕ちた『獣』――その恐怖をまざまざと実感させられた心地なのである。


「………………自分のバイク。借り物なんすよね」


「諦めて。ちょっと身体をイジるぐらいなら問題ないみたいなんだけど、あのレベルまで堕ちちゃうと正気とか理性がどっか遠くにいっちゃうの」


「しくしくしくしく……」


 目の幅涙を流すエステルだったが、レイの言葉の中に聞き逃せない要素が混じっているのに気づいて、目を丸くする。


「ちょっと待って欲しいっす。正気とか理性がどっか遠くにいくって、それは文字通りの意味で『獣』に堕ちているのでは?」


「そうだよ」


 事も無げに言うレイ。

 そのあまりの落ち着きぶりに、逆に不安が増す。


 堕ちた『獣』は、意識的に人類を襲う局地災害。時間制限があるからこそ、その被害は局地的だが、それでも街中にでも現れてしまえば、その被害は凄まじいものとなる。話し合いの余地など存在しないし、遭遇すること自体が最悪の不幸も同然なのだ。


 今すぐレイを抱えて逃亡した方がいいのでは、と本気で思うエステルだった。


「………でも、フランは、わたしを襲ったりしない。

 最初の時から、ずっとそうだった」



 覚えているのは、巨大な狼の顔。

 四肢を失った状態で仰向けに横たわるレイを見下ろす双眸。

 あり方の崩れた存在には正気も理性も存在しない。


 なのに。


 殺戮の狂気に染まった――あるいはそれが『彼ら』の正気なのかもしれないが――その双眸の奥に、ほんの一筋の綺麗な光を見た。


 フランだったモノに食べられるのなら、それもいいと思った。


 だけど、彼はそうしようとはしなかった。

 それどころか、彼女を守るように立ち回った。


 あの『御使い』から、あの『死徒』から、あの堕ちた『獣』の群れから――

 そして、得体の知れない『ナニカ』から――


 レイを守るように、彼は戦った。



「だから、大丈夫。

 でも、わたしが食べられたら、すぐに逃げて」


「自信満々な発言のあとに、不安になる一言を付け加えないで欲しいっすね。

 ま~、その時は逃げるっすけど、レイを見捨てるつもりはないっすからね」


「………………お人好し、だね」


 肩越しに振り返ったレイの口元には仄かな笑み。


「多分、お二人ほどではないっすよ」


 そんな風に緊張を紛らせるように会話をしていると、その小山のような巨体とは裏腹にまるで重みを感じさせない静かな足取りで漆黒の毛並を纏った狼が現れた。


 ズザッ――と、思わずといった風に、一歩後退するエステル。

 その驚きっぷりにくすりと笑って、レイは漆黒の狼へと歩み寄っていく。


「ハラハラドキドキ、ハラハラドキドキ、ハラドキハラドキ………」


「五月蝿い」


「――はい。すんませんっす」


 本気で鬱陶しそうな声が矢のように飛んできた。

 数メートルの距離を置き、レイは立ち止まる。


 そんな彼女に視線を合わせるように、漆黒の狼がその身体を伏せる。


 それでもサイズの差は如何ともし難いものだったが、まるで意志の疎通が図れているかのようなその光景にエステルは息を飲む。


「………っ」


 堕ちた『獣』に、『生前』の記憶や理性は存在しない。


 ただただひたすらに、かつて隣人であった者たちを殺戮し、貪り尽くすだけだ。


 しかし、眼前の光景はその前提を壊しているような錯覚をさえ引き起こす。


 彼が例外なのか、あるいは堕ちようとも正気を保つ術があるのか。

 それはわからないが、それはまるで『奇跡』のような光景だった。


 そして、それだけでは終わらない。


「……フラン。」


 伏せた狼の鼻先に、唇を寄せるレイ。

 不思議と厳かな空気の中で、レイの四肢が光を放つ。


 白い。真白(しろ)い。純白(しろ)い――光が、レイの背中で翼を形作る。大きな、とても大きな、眼前の『獣』を包み込めそうなぐらい大きな二つの翼。


 それだけではなく、その頭上に小さな輪が浮かんでいるようにも見える。


「………天使?」


 エステルは無意識にそんな呟きを零していた。

 神聖な、それでいて暖かな光が狼を包み込む。


 長いような、短いような、時間の感覚を曖昧に感じながら、エステルは『二人』をじっと見つめる。


 やがて、その光が消えた時には漆黒の狼の姿は既になく、まるでそれが当然であるかのようにフランが立っていた。どんなトリックが成されたのかさっぱり不明だが、衣服まで変わらぬ出で立ちである。


 さすがに色々と考えるのが面倒になってくるエステルだった。


 ――というか、考えるだけ無駄だろう、これは。


 まるで『奇跡』のバーゲンセールだ。

 軽く人智を超越している。


「………おかえりなさい(・・・・・・・)


ただいま(・・・・)


 糸が切れた人形のように脱力したレイを抱き止めながら、フランは微笑んだ。


「いつも苦労をかけて悪い」


「……いい。でも、ちょっとだけ疲れた」


「すまない」


「いい。………でも、ちょっとだけ眠るね」


「ああ」


 フランがうなずくと、レイはすぐに目を閉じ、寝息を立て始める。

 その小さな身体をお姫様抱っこして、エステルの元へと歩み寄る。


「………………失礼だってのは承知の上で聞かせてもらうっすよ。

 お二人はなんなんすか(・・・・・・・・・)……?」


 なにを驚けばいいのかすらわからなくなったエステルは、疑問をまとめた端的な質問を放り投げた。


 フランが返すであろう答えを、エステルはわかっている。

 わかっていながらも、聞かずにはいられなかった。


 故郷を無くし、異端狩りに追われる二人。

 レイの『羽根の巣』の能力。


 ここまでならまだ理解の範疇だ。


 そういうこともあるだろうで片付けられるし、同僚の中にはそれに近い荒唐無稽な能力を有している者もいる。そもそも根本的な意味では、社長(ボス)からして尋常ではない。


 だが、これはそうした領域を超越している。


 自らの意志で『獣』に堕ちる獣王(せいねん)

 堕ちた『獣』を元に戻した天使(しようじよ)


 ――彼らは『現在の世界』の前提を壊している。


 それがなにを意味しているのかすらわからないが、彼らの前に広がる道が多大な苦痛と困難と未知で彩られているのは間違いない。

 それは下手をすれば。


アレ(・・)の『再開』にすら繋がりかねない………とか?」


 自分にも聞こえない小さな呟きを無意識に漏らすエステル。


 そんな風に自己の思考に没頭しかけていると、フランがため息を吐くのが聞こえてきた。


「………随分と単刀直入だな。少しは気遣った聞き方を心がけてもらいたいぐらいだ」


「すんませんっす」


「………………それは、俺たちが知りたいことだよ」


 フランの返答は、エステルの予想と全く同じだった。


 ありとあらゆる感情の色を消した透明の笑みを浮かべて、フランは無明に染まり始めた空を見上げた。

 瞬き始めた数多の星の中に、答えを探すかのように。



 ● ● ●



 宵闇に染まった空の下を、三人を乗せたジープが走る。

 央都はもう目と鼻の先で、街の明かりも見え始めていた。


「あ~、もう一つだけ質問してもいいっすか?」


 どうでもいいような雑談の合間に差し込まれたその一言に、フランとレイは互いに横目でアイコンタクト。


「答えられる内容ならな」


「うん」


 大概の事情は話しているが、それでもまだ黙っていることの一つや二つはある。


 言動が少々アレなせいでバカっぽいエステルだが、悪の組織の一員であるためか頭の回転はそんなに悪く無さそうだというのが二人の印象だった。


 こちらの予想を覆す穿った質問が出てこないとも限らない。


「どうして、お二人は一緒にいるんすか?」


「ある程度の事情はレイから聞いただろ?」


「ええ。まあ。お互いの抱えた問題とか、利害とか、仕方のないところとか、そーゆーどうでもいい部分は差し置いての、とても大事な芯の理由を聞いてるんすよ」


「好奇心にしては踏み込みすぎじゃないのか?」


 フランはサイドミラー越しに、エステルを見る。

 既に見慣れ始めていたお気楽そうな表情は鳴りを潜め、至極真面目な顔をしている。


「こちらとしても大事な質問っす。入社試験みたいなもんだと思って欲しいっす」


「悪の組織に入社って………」


「まだそうすると決めたわけでもないんだがな」


 呟きながら、フランは思案する。

 理由ならいくつもある。


 その中でも比重の思い理由としてあげるなら、レイが『恩人』であることだろう。


 それはほんの少しだけ過去(むかし)の話。


 些細な失敗で死にかけていたフランを、村の近くの川に水汲みにいったレイが見つけた。


 震える手で飲ませてくれた水の味を。


 大人を呼んでくるから待っててと言って、何度も心配そうに振り返りながら走り去る背中を。


 村へと運ばれる間、ずっと握っていてくれたその手の温もりを。


 フランは忘れていない。


 そんな少女の陽だまりのような暖かな優しさが、何者でもなかったフランを『人間』にしてくれたのだ。


 崩れ堕ちようとも、人間ではなくなっても、それでも忘れない『想い』があるからこそ、今もフランはフランで在り続けられている。


 だからこそ、全てを賭けてでも、フランはレイを守りたいのだ。

 守り、そして、共に在りたいと願う。


 だが、さすがにそれを口にするつもりはない。

 それはフランの中に秘めておくべき『理由』なのだから。



「そうだな。理屈抜きの一番の理由を口にするなら、それは――」


 フランは苦笑しながら、レイと視線を合わせる。

 首肯が返ってきたので、タイミングを合わせて同時に口を開く。



「「お互いに一緒にいると約束した――大事な家族だから(だ)」」



「いい答えっすね~。やっぱり、自分お二人のことが好きっすよ。悪の組織にも超最適で注目の新人になれるっすね」


 エステルは笑う。


「いや、それはどうなんだ?」


「どう考えても悪の組織らしくないと思う」


「ところで、さらに質問なんすけど、フランさんってひょっとしなくてもロリコ――」


「黙れ」


 最後まで言わせずに後部座席に銃を撃ちまくるフラン。


「合法になるまで待っててもらう」なんて言うレイ。


「わっひゃあぁぁぁっ!」とアクロバットな挙動をするエステル。


 搭乗者たちが賑やかにしながら、ジープは新たな出会いの待つ央都へと砂煙を立てながら向かっていく。



 ● ● ●



 これは――

 とある黒い獣(せいねん)白い天使(しようじよ)が、神様にさえも見放された後の世界を渡り歩いてゆく物語。









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