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毒殺された令嬢ですが、やり直したら毒も効かない最強の体になっていたので、もう我慢するのをやめました ~辺境で魔物を食べていたら、無愛想な辺境伯に溺愛されています~

作者: 中身無男
掲載日:2026/06/20


わたし、エルフリーデ・ザイファートが死んだのは、十八の春のことだった。


 婚約者の屋敷で供された、一杯の紅茶。


 それを飲んだ夜、わたしは血を吐いて倒れ、三日三晩苦しんだ末に、息を引き取った。


 毒だ、と気づいたときには、もう遅かった。


 誰が盛ったのかも、なぜ殺されたのかも、わからないまま。


 わたしはただ、令嬢らしく微笑んで、出された紅茶を、疑いもせずに飲んだ。


 ――それが、わたしの人生だった。


 いつも我慢して。いつも控えめに。淑女とはこうあるべきだと言われるまま、本当の自分を、ずっと押し殺して。


 その果てに、毒殺。


 ……ふざけるな、と思った。


 暗闇の中で、わたしは、生まれて初めて、本気で怒った。


 もし、もう一度やり直せるなら。


 今度こそ、わたしは――



          *



「……っ、は!?」


 目を覚ますと、見覚えのある天井があった。


 実家、ザイファート伯爵家の、わたしの部屋の天井だ。


 飛び起きて、鏡を見る。そこに映っていたのは、十六歳の――まだ毒を盛られる、二年も前のわたしだった。


「……戻ってる」


 夢ではなかった。頬をつねる。痛い。間違いなく、現実だ。


 わたしは、人生をやり直す機会を、与えられたらしい。


 じわじわと、理解が追いついてくる。


 今のわたしは、まだ何も奪われていない。毒も盛られていない。あの婚約者とも、まだ深く関わっていない。


 なら――やることは、一つだ。


「今度は、我慢なんて、絶対にしない」


 そう口に出した、その瞬間だった。


 体の奥から、何か、とんでもない力が湧き上がってくるのを感じた。


 試しに、と思って、傍らにあった鉄製の燭台を握る。


 ぐにゃり。


 飴のように、ひしゃげた。


「……え?」


 もう一度握る。ぐしゃり。今度は、握りつぶしてしまった。鉄の塊を、素手で。


 わたしは、しばらく、自分の手を見つめていた。


 なるほど、と思った。


 前世のわたしは、力も、欲望も、何もかも我慢して生きて、その果てに毒殺された。


 だからだろうか。やり直したわたしの体は、もう二度と、何にも負けないようにできているらしい。


 そして、もう一つ。


 わたしは、ふと思い立って、化粧台の引き出しから、護身用にと持たされていた「痺れ薬」――要は弱い毒を取り出し、迷わず口に含んでみた。


 ……無味無臭。何ともない。


 まったく、何の感覚もない。


「毒も、効かないのね」


 ふふ、と笑いが漏れた。


 かつてわたしを殺した毒が、今のわたしには、ただの水と変わらない。


 最高じゃないの。



          *



 それからのわたしの行動は、早かった。


 まず、前世で婚約者だった男――シュターデ侯爵家の嫡男との縁談を、自分から白紙に戻した。両親は驚いていたが、「あの家とは、家風が合いません」とだけ告げて押し通した。


 あの男が、わたしを殺した犯人かどうかは、まだわからない。けれど、あの紅茶が出された家であることは、確かなのだ。近づく理由は、ない。


 そして、わたしは家を出た。


 行き先は、北の辺境――グラーフェン辺境伯領。


 貴族の令嬢が嫁ぎ先も決まらぬまま辺境へ向かうなど、前世のわたしには考えられない選択だった。けれど、今のわたしは違う。


 力を持て余したこの体で、令嬢の檻の中で、また誰かに殺されるのを待つなんて、まっぴらだ。


 辺境なら、この力を、思うさま振るえる。


 そう思って、わたしは旅立った。



          *



 グラーフェン辺境伯領は、噂以上に過酷な土地だった。


 領の外れには深い森が広がり、そこから魔物が出る。畑は荒らされ、人々は怯えながら暮らしていた。


 わたしが領都に着いたちょうどその日も、森から大きな魔物が一頭、迷い出てきたところだった。


 猪のような姿の、けれど馬車ほどもある巨体。ブラッドボアと呼ばれる、危険な魔物だ。


 領兵たちが槍を構えるが、その巨体に弾き飛ばされ、なすすべもない。人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。


 わたしは、自分でも驚くほど自然に、前に出ていた。


「――そこの、あなた」


 突進してくるブラッドボアの正面に立ち、わたしは、その牙を、素手で受け止めた。


 ずん、と地面がめり込む。けれど、わたしの足は、一歩も下がらなかった。


 周囲が、しん、と静まり返る。


「ごめんなさいね。お腹が、空いていたものだから」


 わたしは、にっこり笑って、そのブラッドボアの巨体を――ぶん、と頭上に持ち上げ、地面に叩きつけた。


 一撃だった。


 大地が揺れ、土煙が舞う。馬車ほどの魔物が、ぴくりとも動かなくなった。


 領兵たちも、逃げ惑っていた人々も、ぽかんと口を開けて、わたしを見ていた。


 わたしは、倒したブラッドボアを見下ろして、ぐぅ、と鳴ったお腹を、そっと押さえた。


「……そういえば、三日も馬車に揺られて、何も食べていなかったわ」


 前世のわたしなら、ここで「淑女が、はしたない」と、空腹を我慢しただろう。


 でも、もう、我慢はしないと決めたのだ。


「いただいても、よろしいかしら? どうせ、倒した魔物ですし」


 誰にともなく言って、わたしは、その場で火を起こし、ブラッドボアの肉を捌き始めた。



          *



 ブラッドボアの肉は、絶品だった。


 脂がのっていて、噛むほどに旨みが溢れる。香草と塩だけのシンプルな焼き方なのに、いくらでも食べられた。


 わたしは、巨大な魔物一頭分の肉を、ほとんど一人で平らげていった。


「う、嘘だろ……あの量を、一人で……」


「あの細腕で、ブラッドボアを素手で……」


 領兵たちのざわめきも、今のわたしには心地よいBGMだった。


 ああ、なんて自由なんだろう。


 力を隠さなくていい。食欲を恥じなくていい。誰の顔色も窺わなくていい。


 これが、わたしが欲しかった生き方だ。


 わたしが三頭目のブラッドボア――そう、あれから森に踏み込んで、二頭追加で狩ってきた――を焼いていると、ふいに、低い声が降ってきた。


「……貴様、何者だ」


 顔を上げる。


 そこに立っていたのは、黒い軍装に身を包んだ、長身の男だった。


 鋭い目つき。無表情。全身から放たれる、ひりつくような威圧感。


 この領地の主――グラーフェン辺境伯、ディートハルト・グラーフェンだと、すぐにわかった。前世では、噂でしか聞いたことのない人物。「辺境の鬼」と恐れられる、無愛想で苛烈な男。


「エルフリーデ・ザイファートと申します」


 わたしは、肉を頬張ったまま、もぐもぐと答えた。淑女失格な姿だが、もう気にしない。


「ご領地の魔物を、勝手に狩って、勝手にいただいております。ご迷惑だったかしら?」


 ディートハルト様は、わたしと、わたしの足元に積まれた三頭分のブラッドボアの残骸を、交互に見比べた。


 そして。


「……迷惑なものか」


 彼は、ぽつりと言った。


「この領地は、長年、その魔物に苦しめられてきた。それを、貴様は一人で、三頭も」


 彼は、つかつかとわたしに歩み寄ると、無表情のまま、まっすぐにわたしを見下ろした。


「もう一度、聞く。貴様、何者だ。なぜ、こんな辺境にいる」


 その目は、険しかったけれど――不思議と、嫌な感じはしなかった。


 むしろ、まっすぐすぎて、少し、眩しいくらいだった。


「行き場のない、ただの令嬢崩れですわ」


 わたしは、肩をすくめた。


「強すぎて、食べすぎて、令嬢の世界には、居場所がなかったので」


 ディートハルト様は、しばらく、わたしを見つめていた。


 それから、彼は――ふっと、ほんの少しだけ、口の端を緩めた。


 「辺境の鬼」が、笑った。後で知ったことだが、それは、何年ぶりかのことだったらしい。


「ならば、ここにいろ」


 彼は言った。


「貴様の力も、その食欲も、この地でなら、何一つ恥じる必要はない。むしろ――歓迎する」


 歓迎する。


 その一言に、わたしの胸の奥が、じん、と熱くなった。


 ああ、そうか。


 前世で、わたしがずっと欲しかったのは、これだったのだ。


 ありのままの自分を、丸ごと「いていい」と言ってくれる、誰か。


「……ふつつか者ですが」


 わたしは、立ち上がって、彼に向き直った。


「よろしく、お願いいたしますわ。辺境伯様」


 差し出されたディートハルト様の手を、わたしは握り返した。


 ……うっかり、少し力が入ってしまって、彼が「ぐっ」と顔をしかめたのは、ご愛嬌ということで。



          *



 それから、わたしの辺境暮らしが始まった。


 毎日、森で魔物を狩り、その肉を食べ、領地の脅威を一つずつ減らしていく。


 わたしが魔物を狩るたびに、領地は安全になり、わたしが魔物を食べるたびに、食料庫の負担が減った。領民たちは、いつしかわたしを「辺境の食いしん坊姫」と呼んで、慕ってくれるようになった。


 ディートハルト様は、相変わらず無愛想だった。


 けれど、彼は毎晩、わたしの食事に、こっそり一番いい肉を取り分けてくれた。わたしが森で怪我を――滅多にしないが――したときには、誰よりも早く飛んできた。


 そして、わたしがどれだけ食べても、どれだけ豪快に振る舞っても、一度も、嫌な顔をしなかった。


 ある夜、満天の星の下で。


「エルフリーデ」


 ディートハルト様が、ぽつりと、わたしの名を呼んだ。


「貴様が来てから、この領地は、変わった。いや――俺が、変わった」


 彼は、いつもの無表情を、少しだけ崩して、続けた。


「貴様の、何にも我慢しない生き方が……眩しい。ずっと、隣で見ていたいと、思うようになった」


 わたしは、肉を焼く手を止めて、彼を見上げた。


 無愛想な「辺境の鬼」が、耳を、ほんのり赤くしている。


「これは……その、求婚だ。受けてくれるか」


 わたしは。


 前世で、令嬢らしく微笑んで、疑いもせず毒を飲んで死んだわたしは。


 今、自分の意思で、心から望んで――頷くことができる。


「喜んで」


 わたしは、満面の笑みで答えた。


「ただし、一つだけ条件が。わたし、たくさん食べますわよ。それでも、よろしくて?」


 ディートハルト様は、今度こそ、はっきりと笑った。


「望むところだ。領地ごと、貴様に食わせてやる」



          *



 幸せだった。


 前世では、決して手に入らなかった居場所と、人。


 もう、何も我慢しなくていい。もう、誰にも怯えなくていい。


 ――そう、思っていた、のだけれど。


 ある日、領都に、一通の手紙が届いた。


 差出人は、シュターデ侯爵家。


 前世で、わたしに毒入りの紅茶を出した、あの家だった。


『エルフリーデ・ザイファート嬢へ。


 あなたが辺境で名を上げていると聞き、筆を執りました。


 ぜひ一度、我が家へお越しいただきたい。積もる話も、ございますれば』


 わたしは、その手紙を読んで、すっと、目を細めた。


 縁談を白紙に戻し、関わりを断ったはずの家。それが、今になって、わざわざわたしを呼び出す。


 偶然だろうか。いいえ。


 わたしを毒殺した何者かは、まだ、あの家にいる。


 そして、やり直したわたしが「死ななかった」ことに、もしかしたら――気づき始めている。


 わたしは、手紙を、ぐしゃりと握りつぶした。鉄の燭台と同じように、いとも簡単に。


「ふふ」


 笑いが、こぼれた。怒りではなく、むしろ、楽しみで。


 いいわ。受けて立ちましょう。


 今度のわたしは、毒も効かない、最強の体を持っている。


 わたしを殺した犯人を、この手で見つけ出して――


 今度こそ、きっちり、ご挨拶をして差し上げる。


「ディートハルト様。少し、出かけてまいりますわ」


 わたしは、立ち上がった。


 前世の決着を、つけるために。


 ――でも、それは、また別のお話。

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