毒殺された令嬢ですが、やり直したら毒も効かない最強の体になっていたので、もう我慢するのをやめました ~辺境で魔物を食べていたら、無愛想な辺境伯に溺愛されています~
わたし、エルフリーデ・ザイファートが死んだのは、十八の春のことだった。
婚約者の屋敷で供された、一杯の紅茶。
それを飲んだ夜、わたしは血を吐いて倒れ、三日三晩苦しんだ末に、息を引き取った。
毒だ、と気づいたときには、もう遅かった。
誰が盛ったのかも、なぜ殺されたのかも、わからないまま。
わたしはただ、令嬢らしく微笑んで、出された紅茶を、疑いもせずに飲んだ。
――それが、わたしの人生だった。
いつも我慢して。いつも控えめに。淑女とはこうあるべきだと言われるまま、本当の自分を、ずっと押し殺して。
その果てに、毒殺。
……ふざけるな、と思った。
暗闇の中で、わたしは、生まれて初めて、本気で怒った。
もし、もう一度やり直せるなら。
今度こそ、わたしは――
*
「……っ、は!?」
目を覚ますと、見覚えのある天井があった。
実家、ザイファート伯爵家の、わたしの部屋の天井だ。
飛び起きて、鏡を見る。そこに映っていたのは、十六歳の――まだ毒を盛られる、二年も前のわたしだった。
「……戻ってる」
夢ではなかった。頬をつねる。痛い。間違いなく、現実だ。
わたしは、人生をやり直す機会を、与えられたらしい。
じわじわと、理解が追いついてくる。
今のわたしは、まだ何も奪われていない。毒も盛られていない。あの婚約者とも、まだ深く関わっていない。
なら――やることは、一つだ。
「今度は、我慢なんて、絶対にしない」
そう口に出した、その瞬間だった。
体の奥から、何か、とんでもない力が湧き上がってくるのを感じた。
試しに、と思って、傍らにあった鉄製の燭台を握る。
ぐにゃり。
飴のように、ひしゃげた。
「……え?」
もう一度握る。ぐしゃり。今度は、握りつぶしてしまった。鉄の塊を、素手で。
わたしは、しばらく、自分の手を見つめていた。
なるほど、と思った。
前世のわたしは、力も、欲望も、何もかも我慢して生きて、その果てに毒殺された。
だからだろうか。やり直したわたしの体は、もう二度と、何にも負けないようにできているらしい。
そして、もう一つ。
わたしは、ふと思い立って、化粧台の引き出しから、護身用にと持たされていた「痺れ薬」――要は弱い毒を取り出し、迷わず口に含んでみた。
……無味無臭。何ともない。
まったく、何の感覚もない。
「毒も、効かないのね」
ふふ、と笑いが漏れた。
かつてわたしを殺した毒が、今のわたしには、ただの水と変わらない。
最高じゃないの。
*
それからのわたしの行動は、早かった。
まず、前世で婚約者だった男――シュターデ侯爵家の嫡男との縁談を、自分から白紙に戻した。両親は驚いていたが、「あの家とは、家風が合いません」とだけ告げて押し通した。
あの男が、わたしを殺した犯人かどうかは、まだわからない。けれど、あの紅茶が出された家であることは、確かなのだ。近づく理由は、ない。
そして、わたしは家を出た。
行き先は、北の辺境――グラーフェン辺境伯領。
貴族の令嬢が嫁ぎ先も決まらぬまま辺境へ向かうなど、前世のわたしには考えられない選択だった。けれど、今のわたしは違う。
力を持て余したこの体で、令嬢の檻の中で、また誰かに殺されるのを待つなんて、まっぴらだ。
辺境なら、この力を、思うさま振るえる。
そう思って、わたしは旅立った。
*
グラーフェン辺境伯領は、噂以上に過酷な土地だった。
領の外れには深い森が広がり、そこから魔物が出る。畑は荒らされ、人々は怯えながら暮らしていた。
わたしが領都に着いたちょうどその日も、森から大きな魔物が一頭、迷い出てきたところだった。
猪のような姿の、けれど馬車ほどもある巨体。ブラッドボアと呼ばれる、危険な魔物だ。
領兵たちが槍を構えるが、その巨体に弾き飛ばされ、なすすべもない。人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。
わたしは、自分でも驚くほど自然に、前に出ていた。
「――そこの、あなた」
突進してくるブラッドボアの正面に立ち、わたしは、その牙を、素手で受け止めた。
ずん、と地面がめり込む。けれど、わたしの足は、一歩も下がらなかった。
周囲が、しん、と静まり返る。
「ごめんなさいね。お腹が、空いていたものだから」
わたしは、にっこり笑って、そのブラッドボアの巨体を――ぶん、と頭上に持ち上げ、地面に叩きつけた。
一撃だった。
大地が揺れ、土煙が舞う。馬車ほどの魔物が、ぴくりとも動かなくなった。
領兵たちも、逃げ惑っていた人々も、ぽかんと口を開けて、わたしを見ていた。
わたしは、倒したブラッドボアを見下ろして、ぐぅ、と鳴ったお腹を、そっと押さえた。
「……そういえば、三日も馬車に揺られて、何も食べていなかったわ」
前世のわたしなら、ここで「淑女が、はしたない」と、空腹を我慢しただろう。
でも、もう、我慢はしないと決めたのだ。
「いただいても、よろしいかしら? どうせ、倒した魔物ですし」
誰にともなく言って、わたしは、その場で火を起こし、ブラッドボアの肉を捌き始めた。
*
ブラッドボアの肉は、絶品だった。
脂がのっていて、噛むほどに旨みが溢れる。香草と塩だけのシンプルな焼き方なのに、いくらでも食べられた。
わたしは、巨大な魔物一頭分の肉を、ほとんど一人で平らげていった。
「う、嘘だろ……あの量を、一人で……」
「あの細腕で、ブラッドボアを素手で……」
領兵たちのざわめきも、今のわたしには心地よいBGMだった。
ああ、なんて自由なんだろう。
力を隠さなくていい。食欲を恥じなくていい。誰の顔色も窺わなくていい。
これが、わたしが欲しかった生き方だ。
わたしが三頭目のブラッドボア――そう、あれから森に踏み込んで、二頭追加で狩ってきた――を焼いていると、ふいに、低い声が降ってきた。
「……貴様、何者だ」
顔を上げる。
そこに立っていたのは、黒い軍装に身を包んだ、長身の男だった。
鋭い目つき。無表情。全身から放たれる、ひりつくような威圧感。
この領地の主――グラーフェン辺境伯、ディートハルト・グラーフェンだと、すぐにわかった。前世では、噂でしか聞いたことのない人物。「辺境の鬼」と恐れられる、無愛想で苛烈な男。
「エルフリーデ・ザイファートと申します」
わたしは、肉を頬張ったまま、もぐもぐと答えた。淑女失格な姿だが、もう気にしない。
「ご領地の魔物を、勝手に狩って、勝手にいただいております。ご迷惑だったかしら?」
ディートハルト様は、わたしと、わたしの足元に積まれた三頭分のブラッドボアの残骸を、交互に見比べた。
そして。
「……迷惑なものか」
彼は、ぽつりと言った。
「この領地は、長年、その魔物に苦しめられてきた。それを、貴様は一人で、三頭も」
彼は、つかつかとわたしに歩み寄ると、無表情のまま、まっすぐにわたしを見下ろした。
「もう一度、聞く。貴様、何者だ。なぜ、こんな辺境にいる」
その目は、険しかったけれど――不思議と、嫌な感じはしなかった。
むしろ、まっすぐすぎて、少し、眩しいくらいだった。
「行き場のない、ただの令嬢崩れですわ」
わたしは、肩をすくめた。
「強すぎて、食べすぎて、令嬢の世界には、居場所がなかったので」
ディートハルト様は、しばらく、わたしを見つめていた。
それから、彼は――ふっと、ほんの少しだけ、口の端を緩めた。
「辺境の鬼」が、笑った。後で知ったことだが、それは、何年ぶりかのことだったらしい。
「ならば、ここにいろ」
彼は言った。
「貴様の力も、その食欲も、この地でなら、何一つ恥じる必要はない。むしろ――歓迎する」
歓迎する。
その一言に、わたしの胸の奥が、じん、と熱くなった。
ああ、そうか。
前世で、わたしがずっと欲しかったのは、これだったのだ。
ありのままの自分を、丸ごと「いていい」と言ってくれる、誰か。
「……ふつつか者ですが」
わたしは、立ち上がって、彼に向き直った。
「よろしく、お願いいたしますわ。辺境伯様」
差し出されたディートハルト様の手を、わたしは握り返した。
……うっかり、少し力が入ってしまって、彼が「ぐっ」と顔をしかめたのは、ご愛嬌ということで。
*
それから、わたしの辺境暮らしが始まった。
毎日、森で魔物を狩り、その肉を食べ、領地の脅威を一つずつ減らしていく。
わたしが魔物を狩るたびに、領地は安全になり、わたしが魔物を食べるたびに、食料庫の負担が減った。領民たちは、いつしかわたしを「辺境の食いしん坊姫」と呼んで、慕ってくれるようになった。
ディートハルト様は、相変わらず無愛想だった。
けれど、彼は毎晩、わたしの食事に、こっそり一番いい肉を取り分けてくれた。わたしが森で怪我を――滅多にしないが――したときには、誰よりも早く飛んできた。
そして、わたしがどれだけ食べても、どれだけ豪快に振る舞っても、一度も、嫌な顔をしなかった。
ある夜、満天の星の下で。
「エルフリーデ」
ディートハルト様が、ぽつりと、わたしの名を呼んだ。
「貴様が来てから、この領地は、変わった。いや――俺が、変わった」
彼は、いつもの無表情を、少しだけ崩して、続けた。
「貴様の、何にも我慢しない生き方が……眩しい。ずっと、隣で見ていたいと、思うようになった」
わたしは、肉を焼く手を止めて、彼を見上げた。
無愛想な「辺境の鬼」が、耳を、ほんのり赤くしている。
「これは……その、求婚だ。受けてくれるか」
わたしは。
前世で、令嬢らしく微笑んで、疑いもせず毒を飲んで死んだわたしは。
今、自分の意思で、心から望んで――頷くことができる。
「喜んで」
わたしは、満面の笑みで答えた。
「ただし、一つだけ条件が。わたし、たくさん食べますわよ。それでも、よろしくて?」
ディートハルト様は、今度こそ、はっきりと笑った。
「望むところだ。領地ごと、貴様に食わせてやる」
*
幸せだった。
前世では、決して手に入らなかった居場所と、人。
もう、何も我慢しなくていい。もう、誰にも怯えなくていい。
――そう、思っていた、のだけれど。
ある日、領都に、一通の手紙が届いた。
差出人は、シュターデ侯爵家。
前世で、わたしに毒入りの紅茶を出した、あの家だった。
『エルフリーデ・ザイファート嬢へ。
あなたが辺境で名を上げていると聞き、筆を執りました。
ぜひ一度、我が家へお越しいただきたい。積もる話も、ございますれば』
わたしは、その手紙を読んで、すっと、目を細めた。
縁談を白紙に戻し、関わりを断ったはずの家。それが、今になって、わざわざわたしを呼び出す。
偶然だろうか。いいえ。
わたしを毒殺した何者かは、まだ、あの家にいる。
そして、やり直したわたしが「死ななかった」ことに、もしかしたら――気づき始めている。
わたしは、手紙を、ぐしゃりと握りつぶした。鉄の燭台と同じように、いとも簡単に。
「ふふ」
笑いが、こぼれた。怒りではなく、むしろ、楽しみで。
いいわ。受けて立ちましょう。
今度のわたしは、毒も効かない、最強の体を持っている。
わたしを殺した犯人を、この手で見つけ出して――
今度こそ、きっちり、ご挨拶をして差し上げる。
「ディートハルト様。少し、出かけてまいりますわ」
わたしは、立ち上がった。
前世の決着を、つけるために。
――でも、それは、また別のお話。




