悪役令嬢の告白 - わたくしの初めての恋は終わりました
転載はお断りします。
ここは、とある世界のとある国。
「また婚約破棄だと? 何度目だ! 前回から一体何をしておった」
私的な会議室で国王が怒鳴っている。
「今回で三度目。今度は公爵令息と男爵令嬢ですな」
「ったく貴族の小童どもときたら。こりゃ呪いか何かか?」
「三年前のアレで学院でも強く戒めてはおったんじゃがなぁ」
「今回はいくつ貴族を潰せば終わるのだ」
宰相、騎士団総長、学院長、貴族議会の議長が揃って苦り切っていた。
「で、どうするよ?」
「年寄りが口うるさく言っても聞きゃあせんからなぁ」
「‥‥‥『最初の』彼女はどうだ?」
「『最初の』? 辺境の地で良くやっているそうじゃないか」
「知恵を借りられないか? 陛下、どうです?」
「わしは、もう彼女に命じたくはないのだ」
「‥‥‥」
「私が交渉に参りましょう」
王太子が手を挙げた。
「‥‥‥ 行ってくれるか、其方には苦労を掛けるな」
「なら、彼女への報酬を決めておかねばなるまい」
「その辺りも相談したいので宰相閣下の文官を一人お借りします」
こうして『最初の悪役令嬢』のいる修道院へ王太子が赴くことになった。
***
五年前、貴族子女の通う王立学院で事件があった。
学院には第一王子とその婚約者が最終学年で在籍しており、彼らの卒業パーティーでの出来事だ。学院の卒業で成人と認められるため卒業パーティーは成人祝いの場でもある。
第一王子には一二歳の時から侯爵家のご令嬢が婚約者に据えられており、優秀な王子と似合いの淑女と周囲から見られてきたのだが、王子が学院で二年生、一五歳の時、一学年下に入学した子爵家の養女に出会ったことで二人の関係は変わっていく。
王家の決めた婚約者のいる己の立場を忘れて恋に夢中になってしまい、日々、恋人との距離を詰めていく王子は、婚約者からの言葉に耳を塞ぎ、厭わしげに遠ざける。
周囲の学生たちは、そんな王子の有様に最初は眉を顰めていたが、婚約者の令嬢が王子の恋人を苛めていると噂が広がると、王子と恋人を庇うように態度が変わっていった。
そして王子は卒業パーティーという公の場で、王家から望んだ婚約を彼の独断で一方的に破棄し、恋人への加害と傷害未遂を理由に婚約者であった侯爵令嬢を断罪し、貧しい辺境地の修道院へ追放を言い渡したのだ。
この出来事は、卒業パーティーの場にいた貴族子女、その父兄、学校関係者だけでなく、招かれていた他国の来賓にも大きな衝撃を与えた。周辺国を含めて初めて公然で行われた婚約破棄はもはや事件だった。
発生から一時間も経たぬうちに貴族の醜聞に群がる好事家どもの知るところとなり、彼らが面白おかしく誇張して広める噂話によって、王子とその恋人の仲を引き裂こうとして罰を受け婚約を破棄された令嬢は、後に『最初の悪役令嬢』と呼ばれることになる。
他国は、露呈した第一王子の危うさにすぐさま王国との外交に距離を取り、一先ず成り行きを静観とした。敵対的な野心を向けられなかったのは、これまで王国との関係が友好的なものであったことが幸いだったといえよう。
この事件で王子は独断での感情的な采配が問題視され、貴族議会からは廃嫡が求められたが陛下が押し切った。
立太子の判断は弟の第二王子が学院を卒業する三年後に保留された。それは同時に、王子の新たな婚約者となった子爵家の娘への妃教育の終了期限でもあった。
元平民で貴族の女性としては不足だらけだが婚約者を変えることは許されない。二人は運命の恋人たちと市井の隅々にまで知れ渡っているのだから。
婚約者が妃教育を期限内に終え、かつ、王子が大きな功績をあげたならば、王位継承権を維持し立太子の可能性が残るが、さもなくば臣籍へ降ることとなる。
第一王子は自身の行動が、両陛下と多くの貴族家からの期待を裏切り、他国との外交に悪影響をもたらし、この国を揺るがせたことをようやく理解したのだった。
王太子の座を自分で遠ざけてしまった、このままでは後がないと、強く自覚してからは恋に逆上せていたときとは別人のように公務に励んだ。
貴族からの評価は少し上向いたものの、婚約者の妃教育は並みの進捗に届かず、焦りの増す中で味方は減り、王子と恋人の関係は急速に冷え込んでいった。
そんな状況下に事件は起きる。
***
最初の婚約破棄事件から二年後、学院でまた婚約破棄が起きた。
今回の事件を起こした侯爵家令息は学院の事情聴取に対し、兄が第一王子の側近であったことから事件の真実を知っており、王子の手口を模倣したと告白したのだ。
この驚愕の証言から学院と王宮によって改めて第一王子による婚約破棄事件が精査され、王子たちによる当時の悪辣な陰謀が暴露された。
王子と側近らが子爵家の娘の発言を正当化するために証拠を捏造しており、証人たちには卑劣にも実家への圧力で脅して偽証を強要し、意図的に冤罪を作り出していた。
修道院へ追放され侯爵家から除籍された令嬢は無実だったのだ。
王子と側近を手玉に取った娘は顔に重犯罪者の印を刻まれ、鞭打ちの上、手足に重い枷を着けられ隣国との境界にある相互不干渉の荒廃地へ追放となった。親の子爵家は養女の行動に直接の関与はなかったが爵位を準男爵へと下げられ領地を失った。
側近たちはそれぞれの家から除籍され、犯罪奴隷として鉱山労働に送られた。
王子は王位継承権を剥奪され王族から除籍、罪人の幽閉塔に収容された。時機を見て病死することになる。
『最初の悪役令嬢』が修道院送りとなって二年半、ようやく冤罪は晴れた。
王宮の使者から名誉回復を知らされた彼女は連絡の労に感謝はしたものの、事情を訊くこともなかった。
自分を切り捨てた侯爵家への復帰は一片の迷いもなく断り、修道院で薬草を育て、葡萄酒やチーズを作ったり、辺境地の住人たちと共にある生活を選ぶという。
彼女が修道院での生活を気に入っていたのも一因だが、それは彼女の側からの明確な拒絶だった。
彼女を断罪した者たちとその家、および、実家である侯爵家から膨大な額の賠償と慰謝が支払われたが、彼女はそのお金を修道院と辺境地の生活向上のために使うことにしている。
その後、第二王子が学院を卒業して王太子となり、第一王子の醜聞を払拭しようと奮闘してきた今年、三度目の婚約破棄事件が起き、国王が怒り狂っているのだった。
***
「ふぅ、今日はここまでにしましょうか。もうじき陽が傾くわ」
わたくしは修道院の仲間たちと住民の婦人たちに声をかけ、お針仕事の片付けを始めました。冬に向けての衣類を準備しているのです。
おや、馬車の音ですか? 来客とは珍しいこと。
王宮からの使者様がわたくしに面会?
王太子殿下となられた第二王子と宰相閣下付きの筆頭文官様が何用って感じですけども。一人で会うのはまずい気がしますね。院長先生と巫女長のベアトリス様にご同席を願いましょう。
婚約破棄がまた起きたのですか、それが?
被害を経験した立場から意見が欲しいと。はあ。
わたくし、名誉回復していただいたのですが、また、わざわざ恥をかきに来いと?
上げてから落とすほうが民のウケが良いのでしょうが、我が身のことですからね、行きたくないですよ。当然でしょ何言ってるんですか。
今舌打ちしましたか?
ということでお断りさせて、え、報酬?
この地区と修道院の補助金を一年間増額!
えっと、あの、増額とはいかほど? チョロくないです!
ぉおおぅ、はしたない声が出てしまいました。
半金は先に一時金でいただけますか?
残りは月々の交付金に上乗せで、えぇはい。
それと冬前にはわたくしをここに戻していただきますよ。
ようございましょう、では契約書を。まぁ、ご用意のよいこと。
こうしたことは書面に残しませんとね。
これだけあればあちこち修繕できますね院長先生。
ぐふふふふふって、あははは。
ベアトリス様、お金の管理を確りとお願いいたします。院長先生、大人げないですよっ、睨んでも怖くありませんから。
はい、まあ、一つがんばってみましょう。
では行って参ります。チョロくないですからっ!
そのような経緯で少し不本意ではありましたが王宮へ参内いたしました。
陛下にお目通りするのは久しぶりですがずいぶんとお疲れのご様子。第一王子の件がよほど堪えたのでしょうか。っと詮索は不敬ですね。
「楽にしてよい。ここは私的な場だ。本件をよろしく頼む」
陛下はそうおっしゃると会議室から退出され、学院長と文官様が残られました。
「私から説明しましょう。王立学院で公然での婚約破棄がこれまで三回起きました。これの根絶に向けた施策を用意したい。そのために最初の事件の被害者であるアリシア嬢の知見をお借りしたい」
「わたくしは修道院に身を寄せる平民のアリシアです。過分の扱いは無用に存じます。わたくしが呼ばれた主旨は理解しておりますので早速始めましょう」
***
わたくしはこれまでに起きた婚約破棄事件の調査資料を見せてもらい、情報を整理します。そこから施策を考えましょう。
周辺国の事例と合わせて一七件ですか、第一王子のやり口が広まってしまったのですねぇ。婚約の当事者だけで話せばよいものを、まったくいい迷惑です。
資料とにらめっこで五日経ちました。学院長と文官様に報告します。
「詳しい資料をありがとうございました。身勝手な人が多いのですねぇ」
「策はどうじゃな? 立てられそうかの?」
「案としては次のものです」
・入学要件の明確化
行儀作法試験の合格を必須とする
規則遵守の誓約書提出
・行儀作法を進級要件に変更
試験不合格なら留年か退学
授業の状況により他生徒への接触を規制
・授業外で婚約者のいる生徒への接触を規制
除外:婚約相手、緊急時/必要時は後で報告
みだりな接触は注意対象、改善なくば厳罰
・迷惑行為の禁止、厳罰化
身分を翳す、強要、脅迫、風説流布、虚偽、騒乱、行事の妨害
・保護者との連携強化
問題行動の報告、三者面談の実施
・調査依頼への対応
目的:冤罪や悪質な噂の真偽判定
「施策案はどれも学校の運営に影響ありです。大丈夫ですか?」
「む。そこはまぁ、内容次第じゃな。理事会は通さねばならん」
「今は新入生が入学して二か月ちょっと。今、捻じ込めば今年度から間に合う感じですか」
「詳細を詰めましょう」
学院での施策案を推敲し、学院の規則変更に向けて理事会に諮ってもらうことになりました。
わたくしのお役目はここまで。これから修道院に戻って冬越えが待っています。
ふぅ、つーかーれーたー。
月日がたち夏の終わりを迎えた頃、わたくしは再び王宮に参内していました。
冬前に実施した施策の結果を確認するのと、追加の依頼で卒業式典の招待講演者にされてしまったのです。修道院の院長先生に頼み込んだら簡単だったそうです。
ははは、味方から弓を射かけられるってこういうのかしら。帰ったら院長先生には薬草の恵みを堪能していただきましょう。チョロ院長めぇえええ!
効果はいかがでした?
自主退学2名、除籍1名ですか、いたんですねぇ。
で、講演ですけど辞退でき、ないですか、はあ~。
でも何を話せば? 施策のことじゃなくて?
わたくしの婚約破棄の体験ェ? さらに恥をさらせと。
王家の醜聞でもあるのでは? 話して構わぬと。
‥‥‥‥‥‥
お請けするには条件があります。
それも含めてきちんと書面にしてくださいまし。
大変だわ! 話す内容。考えて、わたくしィイイイ。
***
皆様、ご卒業と成人の良き日を迎えられましたこと、心よりお慶びを申し上げます。
ご紹介にあずかりましたアリシアと申します。王太子殿下よりご依頼を賜りまして、本日は、この後に卒業パーティーを控えた皆様へなにか話をせよとのことで、恥ずかしながらわたくしの経験をお話しさせていただこうと思いました。
お時間を頂戴しますがよろしくお願いいたします。
ご存じの方もいらっしゃるかと存じます。
もう六年前になりました。故第一王子殿下がこの学院で起こした最初の婚約破棄事件で断罪され、修道院へ送られた『最初の悪役令嬢』はわたくしのことです。
おぉ、そのように驚かれると照れてしまいますね。
当時のわたくしは侯爵家の娘でしたが、今は身分もなくただの修道女、いえ、略式の誓願ですからシスターですね。事件以降そのまま修道院で生活しております。
事件のあらましを簡単に申せば、わたくしは王子殿下の婚約者でしたが、殿下は下級生のご令嬢に心を寄せ、邪魔になったわたくしとの婚約を破棄し、罪への罰で修道院へ追放したということになります。
こう言えば咎められるべきは身勝手な殿下に思えますが、そこには、わたくしを悪役に仕立て、周囲から非難を集めるための罠が張られていたのです。
その甲斐あって卒業パーティーでは、悪役令嬢から虐げられるか弱いご令嬢を庇う心優しき正義の殿下という構図が完成し、わたくしは婚約を破棄され、断罪、追放、周囲の皆は喝采、家からは勘当されました。
まったく酷い目にあったものです。
ですが、三年半ほど前に殿下たちの陰謀であったと暴かれ、わたくしの無実は明らかになりました。殿下や関係者には厳しい処罰があったと聞いています。
おや、顔色のすぐれないご令息は、大丈夫ですか? ご気分が悪かったら無理をせず休んでくださいねぇ。
もう少し詳しくですか?
そうですねぇ、話しましょうか。
殿下との関係が拗れ始めたとき、わたくしは殿下とご令嬢の二人に激しい怒りを感じました。悲しみと嫉妬です。
侯爵令嬢として、また、王子妃教育を受けていたわたくしは、気持ちを表には出しませんでしたが内心、とても荒んでいたのです。
身分を蔑ろにする者は許さない。侮られてはならない。敵は叩き潰す、貴族の矜持にかけて、と。
わたくし単独でそのような力はないので、やるとすれば貴族である親の威光に縋ってになりますが。滑稽ですよね。
ご令嬢を苛めたりしてませんよ。本当です。
学院の出来事を両親に相談しましたらこう言われたのです。
父から「うちの体面に関わるから二度とその話はするな」
母から「結婚すれば落ち着くのだから我慢なさい」
それを聞いてさらに怒りが込み上げました。
家の体面がなに? 我慢? わたくしが?
不貞を許せなどと納得できるものか。
このわたくしの気持ちはどうなるの?
誰が、どう贖ってくれるというの?
なぜ味方になってくれない?
間違ったことは言ってない、わたくしは正しい!
そう思ったのです。なんとも傲慢で尊大です。
そのような心で生きていたのです、皆様と年も変わらぬ小娘が、疑いもせずに。
俯かれているご令嬢、大丈夫ですか? 無理なさらないでくださいね。
そうして、怒りを溜め込んで過ごすうちに最終学年になっていました。
王家に縁付く機会を逃したくない両親は頼りにできず、婚約の解消を陛下に願い出るか悩んでいたわたくしは自分と向き合いました。
自分の婚約者が自分以外の人に靡いていく、その姿を見るのは辛い。
心変わりを知りたくない、認めたくない、とても悲しい。
惨めな自分を見たくない、負けを認めたくなくて、そして逃避する。
婚約者の気持ちはまだ自分にあるはず。
そう思い込みたくてしようがない。
でも同時に気付いてもいたのです、気持ちはもう離れていったのだと。
あの人が好き、という一途な気持ちは尊いものでしょう。
では、そう思っている自分が好き、なのだとしたら?
相手に愛を捧げているのではなく自分に酔っているだけ。
わたくしが可愛いがっているのは自分、それはただの自己愛でした。
わたくしの心に婚約者の姿が象られていて、わたくしはそれを婚約者と思ってきたのです。この人はわたくしを蔑ろにしない、そう信じていたのです。
ですが、ある時、教室の窓ガラスに映った殿下とご令嬢の姿を見て、振り返って実際の二人を見て、心の中の婚約者と実際の本人は違うと唐突に気付きました。
あれほど思い慕ってきた婚約者は、わたくしの中にある、わたくしに都合よく美化してきた幻想なのだと。そして幻想を強固にしてきたのは他の誰でもない、わたくしなのでした。
婚約してから彼を思い続けてきたこれまでの時間は何だったのか。わたくしの思いを大量に注ぎ込んだのだから贖われなければならない、裏切りは許せないという気持ち。
これは愛でも恋でもなくて、報われず損をしたことへのただの怒りでした。
わたくしがしてきたことは投資だったのです。
その認識に驚き、同時に心の底から自分に呆れました。
「あの人を愛するわたくし」も大きな幻想なのでした。
わたくしは婚約者の幻想を持ち、同時にわたくし自身にも幻想を持っていたのです。それどころか学友も、両親も、家の使用人も。周囲は幻想ばかりでした。
いつからか、わたくしは独りぼっちだったのです。
これを認めるのは本当に大変な苦痛でした。学院を休んで五日泣き通しでした。
ぼさぼさの髪、泣き腫らしたまぶた、涙と鼻水を垂らした跡。
鏡で自分の姿を見た時、この不細工な女がわたくしなのかと、頭が冷静になって、淑女が人前では決して見せない笑いが込み上げてきました。
一頻り笑ったらお腹が空いていたことに気付いてまた笑えました。
なんだ、お腹が空くほうが辛いなと、そう思えたのです。
あれほど悲しいと思っていたわたくしの気持ちは自己憐憫と知りました。
わたくしは長い夢から醒めました。
わたくしは侍女に助けてもらい湯浴みをして身嗜みを整え、軽食をいただきました。急にたくさん食べると体が受け付けないので消化の良いパン粥と温かいミルク、果物を少し。
とってもおいしかったです。侍女の助けがうれしくて涙がこぼれました。
学院に戻って、幻想に引きずられずに自分と周囲の在るがままを見たとき、苦しく悲しい気持ちに乱れることなく、わたくしの状況を理解しました。
あぁ、わたくしに向けられた悪意はこれほど大きなものなのかと。
婚約者への気持ちはすぐ褪めました。なにせ日々、彼は恋人に夢中でしたから。人目も憚らずに。わたくしに見せつけていたのでしょう。
そんな二人を見てもなんの感慨も持てませんでした。
こうして、わたくしの初めての恋は終わりました。
卒業のひと月ほど前には殿下が婚約の破棄を言い出すと分かっていたので卒業式の当日も動揺はありませんでした。とはいえ、まさか冤罪まで着せられるとは思っていませんでした。これはわたくしが甘かった。もう、甘々の甘ちゃんでした。
障害を排除するために人はどんな卑劣な手段でも取るものだと我が身で知ったのです。王子妃になる女性はその闘争に勝つ強さが必要なのでしょう。
わたくしには無理だったし、婚約がなくなって幸いでした。
断罪されて修道院へ放り込まれたことは、わたくしには大きな転機でした。自身の在り方と他者との関係を学び直す機会を得たのです。
辺境の地には様々な事情でそこに来た人たちがいます。わたくしもその一人ですね。
それまで貴族家の令嬢として保護されてきたわたくしから見て彼らは荒々しく、粗野で、しかし純朴で、親切なことにとても驚いたものです。
辺境の地では命を繋ぐために常に闘わなければなりません。自然環境、野生の動物たち、他者の悪意など、身を脅かすものがたくさん、すぐ傍にあります。
四、五歳の幼子でもそのような状況の中でたくましく生きている戦士なのです。彼らはわたくしとは生き物としての強さがまるで違いました。
そのような環境では他人を蹴落とすよりも、お互いに協力することが重要になります。奪うよりも分け合うのが基本で、そうしないと皆すぐに死んでしまうからです。奪おうとする者は厳しく排除されます。
貴族令嬢で、決まった婚約者がおり、困窮したこともなく、使用人に傅かれることが当たり前の生活。領民から集めた税で裕福に暮らす貴族という制度を甘受してきたわたくしは、一つの命としてはなんとも弱々しい存在でした。わたくしは人として心も身体もずいぶんと未熟だったのです。
修道院に身を寄せ、そこで様々な境遇の方と接した今となって思うのです。人との関係というのは自分と相手との二人の間に、生まれる、かもしれない、ものではないかなと。
わたくしと殿下は周囲から婚約という枠を与えられたものの、二人とも、お互いの間に関係を育てる真摯な働き掛けは足りなかったと思います。
その反省から申し上げるならば、どちらか一方でもお相手との関係構築が難しい、できない、したくない、という婚約ならば、様子見などせず、さっさと白紙にするのがよいと思います。
生きている時間は短いのです、早く次に進みましょう。
時間を置けば置くほどに腐れ具合が進み、悲惨な出来事を生むのです。
お相手の本当の姿が見えていますか?
美点も欠点も、嫌いなところも?
自分の心の中に作り上げた虚像ではなく、そこに在るがまま剥き出しの事実。
見ていますか?
政略だからと諦めていませんか?
盤上の駒じゃない、生きていく二人の話です。
それともう一つ。
男性と女性が惹かれ合うのはごく自然なことと思います。ですが、婚約者のある身で他所の女性に靡くのを若さ故の気の迷いだからとか、大目に見ろというならば、それは女性への侮りです。そこに忖度などする必要はありません。
そのような自分だけに都合のよい寝言を抜かしている殿方って、うふふふ、要りますかしら?
女性はまだまだ弱い立場です。修道院では相談、一時的な避難なども受け付けてございますのでお困りでしたらご遠慮なくお訪ねくださいまし。
長々と話してしまいました。
これが皆様の気付きに役立ったならわたくしも慰められます。
その気付きは、これまで無意識に、または意図して触れぬよう、避けて来たことかもしれません。
でも、もう見た、知ってしまった。
以前の無知だった自分には戻れないのです。
後悔や未練は過去です。
わたしくしたちは今も進んでいる最中で、過去は遠ざかります。
過去をもう一度と望んでもそれは叶いません。
既に終わったこと、ないものはない。
この先へ、前へと進みましょう。そこには選択の余地があるのです。
悪役令嬢のわたくしからのお話はこれで終わりです。
今からどう動くか、皆様がご自身の御心を大切にその選択をされますよう、また、その選択が善きものとなりますよう、祈りを捧げさせていただきます。
では失礼いたします、皆様、ごきげんよう。
***
かつて『最初の悪役令嬢』と呼ばれた女性は話を終えると優雅に一礼し、静まりかえった講堂から退出していく。出口へ向かって歩く彼女を見送る誰からともなく、そして出口の扉が開くときには万雷の拍手が彼女を讃えていた。
彼女は王宮に寄らず、学院から馬車に乗りそのまま修道院へ帰って行った。
卒業生たちは不思議な興奮に満たされていた。
その後、いくつかの式次第を終え、始まった卒業パーティーでは、皆、和やかに料理を楽しみ、ダンスを踊る。
場を乱すものなど誰もいない、穏やかな夕べを過ごしたのだった。
その報告を聞いた国王陛下と重鎮たちはほっと胸を撫で下ろしたという。
そんな平和なひと時を過ごして一週間後、朝から王宮の貴族院を訪れていた宰相は事務方の長に問うていた。
貴族院には手続きに訪れた貴族家の者たちが順番待ちの行列を作っていたからだ。
「一体、これは何事であるか?」
「皆、当事者両家の協議が終了し、本日、婚約の解消、および白紙撤回の申請提出と受理を待っています」
「は?」
「一昨日から昨日は数件でしたが本日は多いですな。臨時の窓口を設けて処理を続けていますが今来ている分の処理を終えるのは夕方近くとなるでしょう」
「‥‥‥‥‥ふぁ?」
「婚約破棄といった拗れた案件は一つもなく、どれも円満決着だそうです。現状ですが」
「‥‥‥‥‥なんじゃそりゃ」
「は? なにと問われましても。まぁ、無理をしていた方が多かったのだなぁと、ま、わたくしなどはそのように愚考する次第でありますが‥‥‥、そゆこと言ってるんではない、と?」
「なんでこうなる、大変だ、こうしちゃおれん! 緊急会議だっ!」
脱兎のごとき勢いで廊下へ飛び出し去っていった宰相閣下を唖然と見送った事務方一同は、すぐに手元の処理に復帰してさくさくと手続きを終えていく。まさに鑑と讃えられるべき勤勉さである。
「こここへへへ陛下ぁっ!」
ノックをするや許可も待たずに国王陛下の執務室へ怒鳴り込んだ宰相閣下。
「緊急事態ぃイイイイイッ! けひゅっ かふっ」
「唾ぁっ! 署名がダメにって大丈夫か? お主が緊急事態だろっ」
鼻息をフゴフゴさせながら侍従が差し出した水を少しずつ含むようにゆっくりと飲み込むと
「す、す、すぐに重鎮たちの招集を願います。いいい一大事が起きてます!」
二時間後、会議室では招集されたいつもの顔ぶれが項垂れていた。
真っ先に一番の体力派、騎士団総長が再起動した。
「確認のため整理するぞ。一週間前、学院では卒業式典があった。そこでアリシア女史の講話が卒業生に向けて行われた。合ってるか?」
「いや、卒業生だけじゃなくてな、それは在校生も、来賓や保護者もわしら教員たちも聴いておった。素晴らしかった」
「ああ、らしいな。で、卒業生たちは感銘を受け、あとのパーティーもお行儀よく終えたと。合ってる?」
「そうじゃ。皆、紳士淑女はかく在るべしといった風情での。穏やかで温かみのある巣立ちの宴であった。教員も警備で来てくれた騎士たちも皆、喜んどった」
「おう。警備の隊長からもそう聞いてる。で、日が開いて昨日、今日と。何事もなく平和な日に思えたが、そこじゃあ婚約を結んでた家々が協議して? 婚約の解消? 白紙撤回? 円満なら良かったじゃねぇの。解んねぇなあ、何が問題?」
「其方が羨ましい」
「あんだよ、煽ててもなんも出せねぇぞ」
「素直か、褒めとらんわ。宰相、説明を頼む」
「ふむ。何が問題か、それは未来への不安ということになろうか。これまで、今後数年の貴族の派閥動向や事業の構想といった国の姿というものが、家同士の婚約という形である程度予見できていた。あの家が繋がればこうなるだろう、とな。それが崩れた。つまり、有体に言えば、この先なにがどうなるか分からん、出たとこ勝負になったということだ」
「あ? あぁー、そういうアレ。こりゃ、面白くなってきやがった?」
「‥‥‥‥‥ はあ? 其方! 謀反など考えておらんだろな! やめれ! 頼むから」
「へへへへ、や、笑ってすんませんね。ないです、誓って! ぶふっ、頼むて、慌てぶりが本気過ぎてぶははははは」
「ふんっ、ま、このように不安に駆られる状況が激増するということだ、先が読めんとなればな」
「昨日まで平気で渡ってた橋が、実はいつ崩れてもおかしくねぇって気付いちまったって感じか。でもそんなの戦場じゃ当たり前の気構えだぞ。考え無しから死んでいく」
「平時にその気構えができるもんがどれだけおる。これから毎日、どこにいても、ずっと必要になるということだ」
「未来は過去の延長上にあることを願うもんじゃ。今日と左程変わらん明日、次の日も、とな。安心したいのじゃ。じゃが、これからはわしらも必死で足掻くしかなかろうて。この老骨にはしんどいがの」
「我らだけではない、皆が変わらねばならぬ。早急に進め方を決めるぞ。秘蔵子たちを集めよ! 出し惜しみはなしだ!」
国王陛下と重鎮一同の目に覚悟が宿った。
***
「修道院の宣伝してきました~、がんばりました。殿方の浮気相談増えたら寄付も期待できますね、褒めてくださいよぉ~、お土産に甘味も買ってきました。あと院長先生はこちらお飲みくださいまし、健康のためです~」
学院での講話を終えてのんびりと修道院へ帰り着いたアリシアは、院長と巫女長に学院での活動を報告していた。
そこへ王宮から馬を飛ばして文官がやってきて、王都の出来事を伝え、助力を請うのだがアリシアはさらりと返す。
「婚約解消は皆様、其々のご選択ですから。各々の才覚でやっていけばよいのです。ここはずっとそうですよ? それと卒業式典のときの条件、『これを最後の関わりとする』、約束はお守りくださいませ」
残念そうに帰っていく文官を見送りながら独り言ちる。
「権力を翳して人を駒扱いする貴方たちが嫌いなのですよ。それにしても、静かに婚約をぶち壊すとか、こういうのも悪役令嬢の仕業かしら。人生はなるようになっていくのよ、うふふ」
あの講話から三年後、卒業生たちが王国の様々な場で活躍し始めたという。
彼らは周囲を牽引する。彼らに薫陶を受け次代はさらに先へ進むだろう。
王国の未来に幸多かれ。
本作、これにて終幕です。
読んでいただきありがとうございました。
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