第二章〜前哨戦13馬身差圧勝
■ 2歳王者として迎える冬
ジュヴナイルの逃げ切りは、アメリカ競馬界を揺るがせた。
フィアースネスは2歳王者の座につくと同時に、
アメリカ三冠路線の大本命 と見なされることになった。
そして、
「2018年ジャスティファイ以来の三冠馬が現れた」
という声が大衆の間で膨れあがっていった。
新聞の見出し、SNS、専門家の分析。
どれもがフィアースネスをトップに据えた。
しかし──陣営だけは浮かれなかった。
理由は明白だった。
フィアースネスは、自分のテンポで走れたときだけ怪物になる馬。
裏を返せば、テンポを壊されれば脆い。
完成されているどころか、むしろ繊細で、未成熟で、危ういバランスの上に立っている天才だった。
冬の調整は、その繊細なバランスを壊さないことに全てがかけられた。
併せ馬より単走を中心に。
走る負荷より、呼吸のリズムを優先。
馬体を大きくしすぎず、精神を張らせすぎず、
ただ“春に向けて育てる”ことだけを考える。
その慎重さは、異常とも言えた。
しかしそれこそが、
“天才を壊さずに春へ連れていく唯一の道” だった。
フィアースネスの馬体は冬の間に伸び、
肩のラインがより滑らかに、
腰の筋肉が柔らかさを帯びて成長していった。
そして新年を迎える頃、
彼は確かに“2歳秋とは違う体つき”になっていた。
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■ 新年──期待と不安が混ざる季節
年が明け、クラシック戦線が本格的に動き出すと、
フィアースネスの名前は当然のように筆頭に挙げられた。
しかし陣営は、世間の熱狂とは距離を置いた。
「期待が大きいのはありがたい。
でも、この馬は万能じゃない。
強さも、脆さも、どちらも極端だ」
調教師はそう言って、フィアースネスの首筋を撫でた。
気性は落ち着いているようでいて、実は針のように鋭い。
わずかな変化を敏感に感じ取り、
それが調子の良し悪しを大きく左右してしまう。
だからこそ──
3歳初戦に向かう準備には、どの馬よりも慎重さが求められた。
そして迎えた、
3歳初戦 ホーリーブルステークス(G3)。
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■ ホーリーブルステークス──“まさかの敗戦”
◆ パドック──静かすぎる王
その日のパドックで、調教師はすぐに異変に気づいた。
「……静か、だな」
フィアースネスは落ち着いているように見える。
しかし、その落ち着きは“良い静けさ”ではなかった。
耳の動きがいつもより鈍い。
歩幅も小さなまま変わらない。
気迫が薄い。
ファンから見れば順風そのものに見えるが、
陣営には分かっていた。
「今日は……完璧ではないな」
馬体の張りも、肩の可動域も、まだ冬の名残を残していた。
仕上げは七割程度。
ただ、それでも世間は気づかない。
彼らはフィアースネスに“怪物”を重ねて見ていた。
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◆ スタート──“前へ行かない”フィアースネス
ゲートが開く。
フィアースネスは飛び出しこそ悪くなかったが、
前へ行く意志が薄かった。
いつもなら自然に前へ、
自分のテンポで位置を取りにいく。
だがこの日は、どうにも前へ進みにくそうだった。
「行かない……?」
ジョッキーが強めに促すと、
ようやく前へ動き出す。
しかしそれは“動かされている”動きであり、
フィアースネス本来の軽さはまるでなかった。
結果、半ば押し込まれるようにハナへ立ったが、
その逃げは本来のものとは程遠い“苦しい逃げ”だった。
呼吸は浅く、
リズムがバラバラで、
脚の回転と身体の動きが一致しない。
調教師は無言で首を横に振った。
「あれは……フィアースネスの走りじゃない」
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◆ 道中──噛み合わない身体
逃げているのに、脚の伸びがない。
頭が少し高く、肩の出が硬い。
ピッチは早いのに前へ進まない。
“テンポが狂ったフィアースネス”の典型だった。
この馬は、世界に合わせて走れない。
自分のリズムに世界を合わせたときだけ怪物になる。
だが、この日はその世界が壊れていた。
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◆ 直線──伸びない天才
直線に向いても反応が鈍く、
推進力が足りず、
最後まで本来のストライドを出せなかった。
結果──
フィアースネス、3着。
スタンドは騒然。
大衆は失望し、SNSは激震した。
「弱くなった?」
「2歳だけの馬だったのか」
「一本調子で限界が見えた」
だが、陣営は違った。
「問題なし。
むしろ、よくこれで3着に来た」
調教師は静かに言い切った。
「今日は仕上げ途上。
それに前へ行かないフィアースネスは、本来の姿じゃない。
整えば、この馬は戻ってくる」
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■ フロリダダービー──“天才の帰還”
ホーリーブルの敗戦後、
フィアースネスは見違えるほど変わっていった。
調教での動きが軽くなり、
脚の回転とストライドの噛み合いが戻り、
そして──“あの音”が戻ってきた。
蹄が芝を叩いた瞬間に響く、
フィアースネスだけが出す“跳ね返る音”。
「戻ったな。
いや……これは進化だ」
調教師は確信した。
そして迎えた フロリダダービー。
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◆ パドック──堂々たる姿
この日のフィアースネスは違った。
耳は前を向き、
力みなく歩き、
視線は遠くに固定され、
体全体から静かな気迫が漂っている。
「今日は……勝つ」
ジョッキーは返し馬の一瞬だけで悟った。
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◆ スタート──完璧な反応
ゲートが開いた瞬間、
フィアースネスは弾かれたように飛び出した。
前へ行くのは自然だった。
促さずとも位置が取れる。
呼吸のリズムも完璧。
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◆ 道中──圧倒的な調律
2コーナーを回り、
向こう正面に入った時点で差は明らかだった。
フィアースネスの脚は浮くようで、
ストライドが他馬の1.5倍にも見えた。
肩がしなり、腰が伸び、
地面との接触時間が極端に短い。
そして3コーナー──
ジョッキーが軽く息を合わせると、
フィアースネスはさらに伸びた。
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◆ 直線──“完全な一人旅”
直線に入った瞬間、レースは終わった。
後続は誰も追いつけない。
むしろ、伸びようとする前にフィアースネスが遠ざかる。
完全な一人旅。
そして──
13馬身差の圧勝。
スタンドからどよめきが起きた。
「怪物だ……!」
「これは本物だ!」
「三冠候補筆頭はフィアースネスで決まりだ!」
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■ 第二章の締め──“運命の春へ”
ホーリーブルの敗戦で揺れた評価は、
フロリダダービーの13馬身差圧勝で完全に覆った。
フィアースネスは堂々たる
三冠候補筆頭
として、再び世界の中心に立った。
ただし──
フィアースネスが“逃げ切りでしか勝っていない”ことも事実だった。
「ダービーは20頭立て。
ハイペースになりやすい」
「逃げ馬には厳しい舞台だ」
そんな声も確かにあった。
しかし陣営は静かに言う。
「フィアースネスは……まだ伸びる。
本番に向けて、確実に完成に近づいている」
馬房でフィアースネスは、
いつものように静かに呼吸をしていた。
その姿はどこか神秘的で、
嵐の前の静けさを思わせた。
そして季節は春へ──
フィアースネスの運命が動き出す、第三章へ。




