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『エルサードの崩壊か。対抗した皇帝・皇太子らの暴挙で国は混乱』
情報誌の紙面を大々的に飾る、母国の記事。その内容は、私がカイザックから聞いたもので間違いなさそうだ。
「そんな……時期が早まったの……!?」
深夜の自室でひとり情報誌を読んでいた私は、驚愕から声を発してしまう。ハッとして隠れるようにバルコニーへ出ると、まだ暖かな昼間とは違う冷気を帯びた夜風が、私の頬を撫でる。
寝巻き姿にブランケットを羽織り、少ない灯で記事を読み進める。
「エルサード帝国の領土を狙った争いの首謀は、ゴレン大公国とその他二つの小国……やっぱり、カイザックが言ってた争いってこれのことだったのね……。ということは、今ごろ彼があの離れに……」
引き出しの中に仕舞った手紙を、もうすぐ彼が見つけるかもしれない。そうしたら、彼が私を迎えに来てくれるのではないか……。ようやく現れた希望の光に、胸は高鳴る。
「カイザック……早く迎えに来て……」
空に浮かぶ星々を見つめ、戦いの最中であるエルサードで私を探す彼を想う。彼ならきっと、無事で手紙を見つけてくれる。その確信があったのだ。
その日から、私は次々と更新される情報誌の内容を、毎日欠かさず確認した。エルサードの必死な抵抗、軍隊の全滅が記事になったとき、私は帝国の未来を悟った。どうやら、私のいた離れを侵入経路とされ、皇城内に敵が攻め入ったらしい。基本的に隙の多い警備体制だったから、納得だった。
そしてアダルヘルムが屋敷を出て十九日目、ついに戦いの終わりが掲載される。
『エルサード敗れる。その歴史に終焉のとき』
皇帝と皇太子を含む何人かの皇族は殺害され、一部の皇族のみ消息不明である、と記されていた。勝利を収めた国々も、多くの兵士を失ったらしい。もちろん、ゴレンの兵士たちも。
しかし、ゴレンの公子が亡くなったという一文は見つからなかった。きっと彼は生きている、と不安に苛まれることもなく、私は恋する人が現れるのを待った。
三日、七日……十日と経った頃、待ち焦がれた彼ではなく、予定とは大幅に遅れたアダルヘルムが帰宅した。数日のあいだ大雨だったせいか、雨風にさらされた彼の体は水を滴らせている。水分を含んだ服は彼の筋肉質な肉体を露にし、髪は頬に張り付いていた。
そんなずぶ濡れの状態でも、はっきりと分かる。彼の服に染み付いた、赤黒い跡が。
「……おかえりなさい」
「…………あぁ」
サミエルに言われて形式上の出迎えをした私を、アダルヘルムは虚ろな瞳で見る。いつもの彼とは違う危うい雰囲気に、背筋が凍る。しかし、私は勇気を出して声を発した。
「……エ、エルサードが滅びました」
出会いの夜から随分経って、初めて自分から話しかけた。そんな私を、アダルヘルムは滴る水を拭うこともせずジッと見据える。やがて小さく「……そうか」と返事が聞こえた。
「……私は、皇女ではなくなりました」
「……何が言いたい」
不安げに見守る使用人たちは、サミエルの声でその場を離れる。
小さな明かりがいくつか灯るだけの薄暗い玄関で、不気味な空気が漂う中、私は告げる。
「エルサードが滅びた今、貴方と皇帝が結んだ契約は白紙になったはずです。私がここにいる理由はありません」
「……帝国が滅んでも、君の歴史は変わらないだろう」
「私の歴史……?」
どういう意味か分からず、顔を顰めてしまう。
「君が皇女であったこと、母を失ったこと、皇帝に虐げられていたこと、俺と結婚するためにここに来たこと……全てが君の歴史であり、変えようのない事実だ」
「……私を……調べたのですか……?」
「……以前から知っていた」
予想だにしない返答に、しかめた顔が緩んだ。けれど彼は、私の反応を待たず告げてくる。
「たとえ皇帝が亡くなって、帝国が滅んだとしても、君がこの国へ訪れた理由は『俺と結婚するため』以外にない。つまり君自身が契約を承諾したということとなる。だから君が皇女であるかは関係なく、俺と結婚することを君は認めなくてはならない」
「なっ……!?」
自分勝手な言葉に呆れて、言葉を失いかける。けれどすぐに怒りが湧いて、感情のままに反論した。
「貴方は……私が納得してここに来たと思っているのですか!? 皇帝と貴方が勝手に契約し、私を売買したのと同然なのに……私自身の意思がこの婚約にあるとでも!?」
「…………」
「バカを言わないでっ……!! 私が結ばれたかったのは……恋していたのは――」
「……君がゴレンの男と仲睦まじかったのは知っている」
「――!?」
アダルヘルムの口から出た言葉に、息が止まる。
「カイザックを……知っているの……?」
「…………」
「どうして……」
「……何度か逢瀬をしていたことと、君が想いを寄せていたことは知っている」
驚愕で固まった口は、しばらく動かなかった。
彼がカイザックのことを知ったのは最近なのか、それとも以前から知っていたのか。もし以前から知っていたのだとしたら、この男の性格は酷く歪んでいる。
だって、私がカイザックに恋していると知っていて、婚約を推し進めたということだから。それは、私にとって残酷で許せない行いだ。
私が静かに唇を噛んだとき、アダルヘルムは目を逸らし、言いづらそうに問いかけた。
「……君の過ごしていた離れが、敵の侵入経路となったそうだ」
「……そんなことは知っているわ。何度も記事を読んだもの」
「……君は、何も思わないか?」
その曖昧な問いかけに、私は不信感を露わにする。
「……どういう意味?」
聞き返すと、彼はなぜか悲痛に耐えるような表情で、なんでもないと返した。その態度にすら苛立って、私は目を伏せる。すると、暫くの無音の後、彼が口を開いた。
「実は、エルサードに行っていた」
「……え?」
突然打ち明けられた事実は、私の怒りを抑え込み、別の感情を呼び起こす。
「皇帝から救援要請が届いて、ヴァンガイムの兵士たちを連れエルサードへ向かったんだ」
「……貴方も、戦っていたのですか?」
「いや、着いた頃には殆どが終わっていた。救援要請の手紙が届いてすぐに馬を走らせたが、あと一歩のところで間に合わなかった」
……そう、と呟こうとしたら、目を伏せた彼が続ける。
「だが、君が親しくしていたゴレンの男と会った」
「カイザックと会ったの――!?」
心臓が跳ねる。恋する人がエルサードに来ていた。その言葉が聞けただけで、胸は急速に高鳴りはじめ、怒りを忘れさせた。
「彼は――彼はどうしてた!? 私を探していた!? 怪我をしてはいなかった!?」
恋しい人の名に高ぶった私は、アダルヘルムの傍に寄り胸を叩く。
「彼はどこにいたの!?」
「……離れにある君の部屋にいた」
アダルヘルムの返答で、私の心は安堵と期待で満たされる。
やっぱり彼は私を探していた……!! 私の部屋にいたなら、きっと手紙も見つけてくれたはず。約束通り迎えに来てくれたことが嬉しくて、視界はユラユラとぼやけていく。
「……彼は、何か言っていた?」
涙ながらに微笑みを浮かべつつ、問いかける。
「これからどうするかとか……もし聞いたなら教えて……お願い」
アダルヘルムの胸に手を置き真摯に頼むと、彼の眉が僅かに引き攣ったように見えた。そして答えを待つ私に、彼は聞こえないほどの小さな声で呟く。
「……だ」
「……なに?」
耳をすませて聞き返したら、今度はハッキリと告げてくる。
「――その男は、死んだ」




