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「け、結婚……ですか……?」
「そうだ。聞けばお前も二十歳になったようだし、何もおかしな話ではなかろう」
「で、ですが、どうしていきなり……」
「相手方のご希望だ。誰も皇族の恥であるお前を売り込んだりはしておらん」
とんだ物好きだ、そう言って初めて笑顔を見せる皇帝。呆然とする私は、かろうじて働く思考をグルグルと巡らせた。
一体誰がどうやって、社交界にも出ていない私を知ったというの? 一度だけ出席したパーティーはすぐに退場したし、そもそもあの日の私の失敗を目の当たりにして結婚を申し込む人はいないはず。まさか、カイザックが思い余って行動を……? いや、それはない。だって彼は、見かけによらず慎重な人だから……。
次第に苦しみが増す胸を、両手で強く押さえる。すると、少しの間笑みを浮かべていた皇帝は、またも険しい顔つきになる。
「相手はヴァンガイムの公爵だ。ここ最近で代替わりをしたらしいから、夫となるのが年老いた元公爵でないだけ随分マシだろう」
その国名に、外の情報が使用人の噂話しかない私は耳を疑う。
独立国家、ヴァンガイム。エルサードの隣国で、ゴレンともほど近い位置の真新しい王国。しかし領土が広いばかりで反対勢力も多い我が国と違い、数十年という短い歴史の中でも着々と自国の護りを固め、統制しているという。
そんな王国の公爵が代替わりをし、結婚相手に私を望んでいるだなんて、誰が信じられるだろう。
「こ、公爵様はどうして私をご所望に……?」
「知らん。私も他の皇女たちを勧めてみたが、きっぱり断られてしまったのだ。まったく……若い公爵は頑固でならん。何が良くてこんな女を嫁にしたがるのか……」
「…………」
母を側室に選び私を産ませておいて、自分のことは棚に上げる皇帝は、容赦なく蔑みを瞳に表す。これでも最初は母を気に入っていたらしいが、何がどうしてここまで軽蔑するようになったのか、私には検討もつかない。
「傍若無人で好戦的だという噂さえなければ、私ももっと強く出れたのだがな。下手に怒りを買って交易の妨げになっては適わん」
「そ、そんな恐ろしい人が……っ」
私の反応に、面白がった皇帝はニヤリと口元を緩める。
「随分と野蛮な男らしいぞ? 体中に無数の傷があり、肩から腹にかけて大きな火傷痕が残っているそうだ。城に火を放ち逃げようとした敵を、確実に仕留めるため、単身で燃え盛る炎の中に飛び込んだらしい。人を殺すため、手段を選ばぬ男だとも聞いたなぁ」
「……っ!!」
「ハッ! それでも娶ってもらえるだけ感謝するべきだな。お前は本来、あの離れで一人寂しく死ぬ運命だったのだから……まぁ、嫁いでも死の危険は付き纏うだろうが」
わざとらしい脅しの言葉にすら怯んでしまう。胸はキュッと拗られたようで、息がしづらい。
「とにかく、公爵は十日のうちに迎えを寄こすと言っている。それまでにお前はここを出る準備を――」
「ちょ、ちょっと待ってください!! そんなに急だなんて……」
カイザックとの約束が過ぎり声を上げると、皇帝はまた不機嫌になり、瞳は嫌悪を増した。その眼差しに、言葉が詰まる。
「た、たった十日で、ヴァンガイムへ嫁ぐ準備をしろと、言うのですか……」
目を逸らし、怯えた心を包み隠せず問いかける。そうだ、と皇帝は頬杖をついて肯定し、刺し殺すような視線を向けてくる。
「公爵はお前をすぐにでも自国へ迎え入れたいらしい。本当は話を受けた即日中にと言われたが、交渉して十日となったのだ。お前には、寧ろ有難みを感じてほしいものだが?」
「…………」
「そもそも、ゴミの利用目的にお前の意思など必要あるまい。文句を言う筋合いは、お前には一切ない」
分かったらすぐに準備しろ、と一方的に退出を促される。準備するものなんてないと分かって言っているのだ。纏める荷物は、母の遺品である時計と少しの洋服くらい。
離れに戻ったら、無力感で咽び泣いた。
どうして、どうしてこんなことになるの……あと半年したら、カイザックが迎えに来てくれたのに……。彼の手を取って、私の全てを否定するこの国から去ることができると思っていた。
あと、たった半年だったのに――!!
カイザックとの約束を反故にして、顔も声も知らない、傍若無人と噂される男の元へ嫁ぐことは、私の悲痛を煽るには十分だった。
逃走や自死を選ぶ道もあったけれど、そんな度胸もない私には、少しばかり食事を拒否する程度しかできなかった。少し痩せただけで、なんの抵抗にもなりはしなかった。
程なくして、私は隣国ヴァンガイムへ向かった。




