交わした約束
忘れもしない恋しい人の声に、体は脊髄反射で動き出す。
「カイザック――!!」
塀から飛び降りた彼の胸に、私は勢いのまま飛び込んだ。おっと、と大して驚きもしていなさそうに呟いた彼は、その大きな体で私を包み込む。
「カイザック……カイザックなのね……!! ずっと、ずっと会いたかった……!!」
「しばらく会わない間に、素直さが増したようだな」
軽口を叩きながら私の背を撫でる彼は、この二年、何度も夢に見たカイザックそのものだった。離したくなくて、このまま時が止まってほしくて、硬い胸に顔を埋めた。
しばらく私を抱き締めたカイザックは、顔を見せてくれ、と私の体を優しく引き剥がす。薄く笑みを浮かべて真剣に見つめる彼は、二年前とちっとも変わらなくて、思わず微笑んでしまう。
そして再会に高ぶった胸が落ち着くと、私たちは久しぶりに並んで話をした。
「俺がいない二年はどうだった?」
「つまらなかったわ……もともと、私と話をしようとしてくれる人はいなかったもの。貴方がいない間、言葉を忘れちゃうんじゃないかと思った」
「使用人とは話さないのか?」
「みんな話しかけてほしくなさそうなんだもの。夜は湯浴みの手伝いが終わるとすぐに本城へ帰っていくわ。だから、貴方が来てくれて嬉しい……」
肩に寄り添えば、カイザックは腰に腕を回してくれる。先ほどまで肌寒かった夜風が、彼の体温で心地よく感じた。
「ねぇ、カイザック……このまま朝までいてくれる……?」
「……いや、城の警備を眠らせてるんだ。すぐに帰らなくちゃならない」
「そんなっ……!!」
思わず体を離すと、眉を下げて微笑むカイザックが映る。
「せっかく会えたのに……もう行ってしまうの……?」
「あぁ、警備の連中が目を覚ます前にここを出ないと……」
「それなら私も連れて行って!!」
「ナサリー……」
笑顔がなくなり、さらに角度をつけて下がった眉が、彼を困らせているのだろうと理解できる。けれど私は、心のままに思いを告げた。
「もうこんな離れで一人きりは嫌!! 言葉を忘れそうなほどに会話のない空間も、何もしていないのに私を睨む人々も、いつ会いに来てくれるか分からない貴方を待つのも……!! ここに私の居場所なんてない……だから貴方が私をここから連れ出して!!」
「…………」
「お願い……貴方のそばにいたいの……閉じ込められたっていいから……私を攫ってよっ……」
黙って私を抱き寄せるカイザックは、すまない、と謝った。その優しい否定が私の心臓を苦しめる。
彼の胸の中で、服の色が滲むほど涙を流した。彼は私を強く抱き、もう一度謝った。
「一年後の冬、この付近で争いが起きるだろう。お前にだけ言うが、ゴレンも加勢することとなった」
「それって……この国も巻き込まれるの……?」
「……場合によってはな」
「…………」
流した涙が乾き、頬に違和感が残る。カイザックの腕の中で静かに温もりを感じていると、彼は耳元で囁いた。
「そのとき、お前を迎えに来る」
「……本当?」
「あぁ、それまでいい子で待てるだろう?」
愛おしげに名を呼び、掌で頬を撫でる彼に、私は深く頷いた。
カイザックと再び別れた私は、彼と交した約束に縋って日々を過ごした。早く時が経ってほしくて、眠る時間を伸ばしたりしたけれど、あまり意味はなかった。
焦がれれば焦がれるほど、冬が遠く感じた。
そして季節を半分過ぎた頃、私は皇帝の命令で本城へ呼び出された。本城へ呼び出されたのは、人生で二度だけ。母が亡くなってから形だけの葬式を行われたときと、三つ下の妹の社交界デビューで引き立て役として招かれたとき。
葬式のことは幼かったせいかあまり記憶にないが、妹の社交界デビューは四年前なので記憶に新しい。
当時、十五歳だった私は皇族としてのマナーを教えられていなかったため、まだ十二歳の妹と比べてもかなり劣っていた。ずっと離れで、使用人以外の他人と関わらず過ごしてきたのだから当然だ。けれどもちろん、世間は私に同情することはない。
たった十二歳の少女よりも一般的な教育が劣っている者に、貴族の大人たちは冷たい視線を浴びせかけた。頼まれて一度だけダンスを踊ったけれど、その出来も酷いもので、相手に迷惑をかけてしまったのですぐに会場を飛び出した。去り際も、どこかの貴族がクスクスと笑う声が私の耳にこびりついた。
そんな私を、妹は嬉しそうに見つめていた。恐らく、私に恥をかかせて自分を目立たせる目的で、パーティーに参加させたのだろう。
嫌なことを思い出して胸が苦しくなった私は、カイザックのことを思って気を紛らわす。
大丈夫、こんな扱いはもう終わる。半年後には、彼が迎えに来てくれる……。小さく息を吐いて前を向き、私は三度目に相対する皇帝の玉座を目指した。
四年ぶりに顔を合わせた皇帝は、気だるい態度を隠しもせず、堂々と私を睨む。その鋭い目つきに、私の拳に力が入る。
「お久しぶりです、お父様……」
「フンッ……『お父様』か」
嫌味のように告げられて、虚しさが込み上げる。目を合わせるのが苦痛で、自然と目線は下がった。
皇帝は目の合わない私を咎めるかに思われたが、ため息ひとつ吐いただけで、すぐに用件を切り出した。
「……お前を呼び出したのは他でもない。ナサリー・イーサンスデム、お前に結婚の話が舞い込んだからだ」
「――!?」
予想だにしない内容で、下を向きかけた私の顔は、瞬時に皇帝へ向かう。




