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最低最悪の悪女を演じたら別れてくれますか?  作者: 鈴木涼


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恋しかったはずの人

「なぁ、ナサリーはここでの生活に飽きないのか?」


 カイザックが私のいる離れを訪ねるようになった何度目かの昼過ぎ、ポカポカとした陽気に会話を弾ませていたら、脈絡なく問いかけられた。草の生い茂る地面で膝を抱える私は、一瞬だけ返事に悩むと、それまでの盛り上がりが落ち着くように、声を落として答えた。


「……飽きる飽きないの問題じゃないわ。私にはここにいることしか許可されていないの」

 随分昔に不満を感じ諦めたことを、今更思い出すことになり、返事は少し冷たかった。しかしカイザックは、ふーん、と言って質問を続けてくる。


「代わり映えしなくてつまらないだろ、そんな日々。ちょっと外に出てみたりもしないのか?」

「無理よ。皇帝からの命令以外で出たりしたら、何をされるか分からないもの。貴方もここに来ていることがバレたら、監視をつけられて行動を制限されるかもね。第五皇女の妹ですら、一度だけここを訪れたのを見つかって、監視の目がついたらしいから」

「それじゃあ、使用人以外は誰もここに来ないのか?」

「使用人だって、決まった時間以外は来ないわ。……だから私は、長年勤めている警備の顔も、同じ父を持つお兄様や他の皇女たちのことも、あまり知らないの」


 塀の上に浮かぶ雲を眺めるふりをして、遠くを見つめる。カイザックは「へぇ……そうか」と意味深に呟くと、気分良さげに寝転がった。


「――てことは、お前とこうしてちゃんと話せるのは、俺だけってことだな」

「どうして楽しそうなの」

「だって特別な感じがするだろ? それに、何も知らない初心なお姫様を、俺好みな良い女にできそうじゃないか」

「へ、変なこと考えないで!!」


 恥ずかしいことを言ってヘラヘラと笑う彼を叱ったら、不満や寂しさが紛れていく。そして寝転がる顔を覗き込むと、彼は狙っていたみたいに私の頭を撫でた。


「そんなつまらない生活を送るお前には、俺が外の世界のことを教えてやるよ」

「……本当?」

「あぁ、だから、俺にはお前のことを教えてくれ」

「私のこと……」

「今日の飯が不味かったとか、使用人が代わったとか、お前の母親がどんな人だったか、二人のときは何をして過ごしたか、とかなんでもいい。なんでもいいから、俺はお前のことが知りたいんだ、ナサリー」

「そんなこと、初めて言われた……」


 彼の瞳に映る自分が、感慨深く幸福感に満ちた顔をしていて、そんな顔を見られているのかと思うと恥ずかしかった。恥に負けて顔を背けようとすると、カイザックは私の頭を、両手で勢いよく撫で回す。彼が来るからと綺麗に整えた髪は、瞬く間に乱れてしまった。


「わぁ!? ちょっ、もう!! やめてよ!!」

「アッハッハッ!!」

 撫で回す手を振り払い、ボサボサになった頭を笑う彼に、睨みを利かせる。しかし彼は反省もすることなく、嬉しそうに告げてくる。


「お前の、青空に浮かぶ雲みたいな白い髪も、ミルクがたっぷり入ったコーヒーみたいな薄褐色の肌も、見てると撫で回したくなっちまう」

「え……」

「お前は綺麗だ、ナサリー。こんな場所で閉じ込められてるのが勿体ない」


 生まれてから母以外に褒められたことのない見目を、初めて『綺麗』と称された。それも、私が考えたこともない美しい例えで。単純な私は、それだけで彼を特別に思ったのだ。

 誰もが揶揄する私を隅々まで受け入れてくれた、カイザックのことを――。



 目が覚めたとき、視界に映ったのは薄明かりに照らされた天蓋だった。重い体を起こすと、窓の隙間から入る僅かな冷気が肌をくすぐる。その冷気は、先程までいたはずのカイザックが、夢であったことを自覚させる。


 懐かしい記憶だった。カイザックは楽しそうに笑っていて、私を揶揄ったり、外の話を教えてくれたりした。恋心を自覚せざるを得ない、甘くせつない、正しく夢のような時間だったことを覚えている。

 願わくば、ずっと見ていたい夢だった。


 けれど、なぜか心は落ち着いていた。たとえ夢でも、ずっと会いたかった人に会えたというのに、幸福感も夢から醒めた絶望感も湧かないのだ。


 不思議と冷静な感情が、記憶の中のカイザックは質問ばかりだったことを思い出させる。私自身のことというより、離れでの生活や使用人の入れ替わり、皇帝や兄妹たちの私に対する関心なんかを、しきりに知りたがっていたような気がする。

 恐らく気のせいだろうが、どうしてか今更気になった。


 考えても仕方のないことを考えるのを止め、締め切ったカーテンから漏れ出る光を、ベッドから呆然と見つめる。すると、まだ微睡む意識が次第にはっきりとしてきた。

 明かりもない暗がりの中なのに、一筋の光が漏れ出る様が希望を感じさせるが、そんなものはないと知っている。だって、私の恋していた彼は死んだのだから。


 再び目を瞑り、もうこの世にいない、形見のひとつすらない大好きだった人の顔を瞼の裏に浮かべた。今は覚えている顔も、いつかは思い出せなくなるのだろう。そんなことを考えたら、涙が出そうになった。

 けれど出なかった。


 彼を失ってから何度も泣いて、涙が枯れ果ててしまったのかも分からない。ずっとあった恋しい気持ちが、どうしてか落ち着いているような気がするのが原因だろうか。それとも、アダルヘルムの言葉が脳裏に引っかかっているせいか。

 いづれにしろ、カイザックを想っても涙を流せないことは、私の罪悪感を増していく。同時に、何とも言えない虚しさが、私に伝えているようだった。


 カイザックへの恋が、終わってしまったことを。

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