恋する乙女の本性
「こ、皇女様……何を仰っているのか、分かりませんわ……」
「ふふっ、ごめんなさい。随分と簡単に言ってしまいましたね。つまり、私に刺しかかってほしいのです」
改めて言い直されるが、上手く飲み込めない。言葉の咀嚼に時間がかかり固まる私に、皇女は冷めた瞳と打って変わって、明るく弾んだ声で続ける。
「本当に私を刺す必要はありません。未遂で結構です。今回のシナリオはそのままで、憎悪が増した貴女が暴走して私に刺しかかった、という展開を付け加えるだけ。きっとその方が、悪女である婚約者を野放しにしてしまった公爵も責任を感じることでしょう」
「で、ですが……それは、いくら皇女様がお許しになっても、罪に問われるのは免れないのでは……」
「そうならないよう計らいます。ですから、ナサリー様は何も気にすることなく、私に刺しかかって大丈夫ですよ」
後のことはお任せください、と皇女が胸を叩くのに、返事に戸惑う。どんなに私が悪女でも、皇族殺害未遂を企てるのは度が過ぎていると感じたからだ。本来であれば、このような企みをしただけで罪となる。もし人々の前で実行してしまえば、私は監獄に送られることとなるだろう。……きっと、アダルヘルムや使用人たちも社会から非難されることとなる。彼のことは憎んでいるが、私の罪で関係のない者まで非難されては、あまりに不憫だ。故に、即答はできなかった。
私の迷いを感じ取った皇女は、困ったように眉を下げる。
「ナサリー様、私に仰ってくれたじゃありませんか。『彼と別れるためならなんだってする決意がある』と……あの言葉は嘘だったのですか?」
皇女の声は裏切られたように悲しげで、瞳は黒く濁っていた。断ってしまえば、契約違反として彼女の反感を買うことは容易く理解できる。
「……いいえ、嘘ではありません」
「それならできますね? 期待していますよ」
結局断ることはできず、ニッコリと笑う皇女の圧から逃れるように、目を背けるしかなかった。
――翌朝、皇女から細かく指定があった。
『本日の昼過ぎ、公爵が外出から戻る頃合いで襲いに来るように』
そして指定された通り、ナイフを持って庭園のガゼボを訪れると、一人で紅茶を嗜む皇女がいた。どんよりと薄暗い曇天の下、心地良さそうにお茶をする皇女は、私に気が付くと口角を上げた。
「お待ちしていました、ナサリー様」
どこか不気味にも感じる笑みに、返事もできずただ立ちつくす。周囲を見ても、不自然なほど誰もいない。その怪しさを不審に感じつつ、皇女に問いかける。
「……あの、本当にいいのですか? もし避けることに失敗すれば、皇女様が怪我を負ってしまいますが……」
「面白いですね、悪女を目指す貴女がそんなことを気にするなんて」
自分は平気だとばかりに聞き流す皇女は、小さく笑い声を漏らす。
「それとも、私が怪我をして罪に問われるのが恐ろしいのですか?」
「いいえ……私が恐ろしいのはそんなことではありません」
「では、どんなことです?」
音もなくティーカップを置いた皇女の瞳が、問い質すかのように突き刺さる。私が恐ろしさを感じていると認めたからか、皇女の声は不機嫌に低くなっていた。
「言ったではありませんか。この婚約破棄が上手くいけば、貴女が困った際は力になる、と。貴女が心配することは、全て私が解決できるはずです。ですからご心配は必要ありません」
「……ええ、そうですね」
そう相槌を打っておきながら、どうにも気が進まない私に、皇女は決断を急かしてくる。
「馬車の音が聞こえます。ナサリー様、公爵がここを通るのに合わせてお願いしますね」
「…………」
「ナサリー様? もうすぐですよ。その手にあるナイフを構えてください」
立ち上がり歩み寄った皇女は、ナイフを持つ私の手を上げさせようとする。そして皇女の腹部ほどの位置にナイフを構えると、決意が固まった。
「やっぱりできません、皇女様」
「……ナサリー様?」
「人として嫌悪されるべき行動をとらなければ、アダルヘルムに別れを意識させることができない、ということは重々承知しております。……ですが、やはりこればかりは手を出してはならないような気がするのです」
ナイフを握る私の手を包み込むように支える皇女は、その大きな瞳を細くする。
「一歩間違えれば、皇女様が怪我をするだけでなく、なんの罪もない使用人たちが巻き込まれる可能性があります。彼女たちすらも利用して悪女であろうとしてきた私が言うのもおかしな話ですが、これ以上の迷惑をかけるわけにはいきません」
「……それが、貴女の本音ということですね」
「はい。ご期待に添えず申し訳ありません」
顔を伏せた皇女は返事をしない。私は謝罪をしてから、改めて今後の策を練り直す旨を伝えようと、口を開いた。
「もう一度話し合いましょう。きっと、二人でならもっといい案が出せます」
表情の見えない皇女へ告げる。すると、小さく彼女の声が聞こえた。
「本当に生温い人……」
「――えっ?」
聞き間違いかと思い声が漏れた瞬間、皇女が顔を上げた。
「貴女の仰る覚悟とは、所詮その程度だったのですね。……残念です」
カロリーネ皇女の顔は、優しくあどけない姿を失い、落胆と怒りに満ちていた。




