分からない彼の気持ち
「……なぜあの場にいたのですか」
気まずい空気のまま帰路に着いた馬車内で、同乗する彼に問いかけた。待機させていた使用人は私の馬車で帰らせ、私は彼の乗ってきた馬車に乗せられ、二人きりだった。時間が経って落ち着いたことで、疑問について冷静に考えられる。
「貴方は出かけていると聞いていましたが、たまたまこの近辺にいたのですか」
屋敷を出る前に使用人から聞いたことを頼りに質問すると、アダルヘルムは静かに答えた。
「……確かに用事で出ていたが、昼過ぎには屋敷に戻っていた。サミエルからの報告で君が出かけたことを知って、知り合いもいない君が一人で外へ出たのが妙だと思い、様子を見に来たんだ」
「…………」
その用事というのが、恐らくジェニファーとの逢瀬なのだろう。ひとり納得した私は、さらに彼を問いただす。
「妙、とはどういう意味ですか。使用人を連れて出かけることなど、よくあることではありませんか」
流れゆく外を眺めるアダルヘルムの無表情が、少し揺らいだような気がした。
「……最近の君が、どこかの誰かと文通で親しくしていたことをサミエルから聞いていた。あのパーティーでの一件からして、相手はバルテン伯爵家の三男であると推測した。そして、一度だけ見た手紙の紋章がバルテン伯爵家のものであったことから、確信に変わった」
「……まさか、勝手に中を見たのですか?」
「封蝋を見ただけだ。内容は知らない」
小さな疑いをかけられても、彼は淡々と否定する。
「君があのダンという男とパーティーで親しくなっていたのを見て、密かに素性を調べていたら、女好きの遊び人であることが分かった。気に入った女性を手に入れるためならなんでもするという性格で、クラランス子爵家の令嬢も、そのせいであの男に騙されたと」
「クラランス子爵家の令嬢って……」
「ジェニファー嬢だ」
その回答で、事の真相が理解できた。アダルヘルムはダンのことを彼女に聞くため、謝罪という名目で屋敷を訪ねていたのだ。
「……逢瀬では、なかったのですね」
残念な気持ちで呟くと、彼が珍しく目を丸くする。
「逢瀬……?」
「ダンから聞いたんです。貴方が連日ジェニファーさんの屋敷を訪ねている、と」
「そうか……妙な誤解をさせてしまったものだな……」
正直に打ち明けた私の耳に、彼のため息混じりな声が聞こえる。
「君の無礼を詫びるため、謝罪へ伺っていただけだ。途中からは、冷静になったジェニファー嬢からあの男の情報を集めていたが、誓って変な関係になったりなどしていない」
「……そうですか」
どうでもいい疑惑なのに、なぜだか真摯に否定する彼の眼差しから、後ろめたさで顔を背ける。
男の欲望を利用しようとして、返り討ちにあった自分が情けなかった。上手く立ち回ることもできず、挙句の果てには演じることも忘れ、助けを乞う始末。想像力も経験も足りない自分の脳が、初めて幼いと思った。欲望とはそういうものである、と知識だけはあったはずなのに。
「……馬鹿だと笑わないのですか」
思わず、込み上げた情けなさを口にしてしまう。アダルヘルムはまっすぐこちらを見つめ、なぜ、と問いかけた。
「……利用しようとして上手くいかず、無様に助けを乞う様は滑稽だったでしょう? こんな派手で如何わしい格好をしておいて、不貞行為のひとつすら失敗に終える、可哀想な女だと思ったのではありませんか?」
「…………」
「私は貴方に嫌われるため、別れを考えさせるため、完璧な悪女になろうとしました。その結果がこれだなんて、いい笑い者だと思われてもおかしくないじゃありませんか」
思惑は全て彼に気付かれている、そう思って打ち明けた。汚れたドレスのスカートを握り、靴擦れが酷いかかとの痛みを感じる。その汚れと痛みが自身の滑稽さを際立てるようで、恥ずかしくて俯いた。
しかし彼は、少し黙ってから冷静な口調で返答する。
「俺が君を笑うことなどない。……それどころか、君があの男に犯されなくて、心底よかったと思っている」
「……え?」
思いもよらぬ返答に、顔を上げた。悲痛に耐えるようなアダルヘルムの表情が、私を釘付けにする。
「あの男が君の脚に直接触れるのを見て……どうしようもない殺意が湧いた。このまま俺が気付くのが遅れ、君の身体を暴かれていたらと想像するだけで、今でも怒りが込み上げてくるくらいだ……」
まるで私に対して良い感情を抱いているかのような発言に、唖然とする。自身と別れるため悪女を演じ、他者や家門に迷惑をかけ、勝手に自滅しかけた女など、良い感情で見られるわけがないのだ。
「……ど、どうして……そこまで……」
「……それほど、君を大切に思っているからだ」
「はっ――?」
ガタンッ、と大きく馬車が揺れ、私は前に倒れかける。しかし、その体は瞬時にアダルヘルムに支えられた。
「申し訳ありません! 野ウサギが出てきまして……」
外から御者の男の声がして、アダルヘルムが「問題ない」と答えたのを聞いてから、彼の顔を見上げる。私の体を優しく撫でるように支える彼は、疑心で満ちた瞳に気付いたのか、寂しく笑みを浮かべた。
「怪我はないな……?」
「ありま……せん」
「そうか……君が無事でよかった……本当に」
泣きそうな、けれど心の底から安堵したような、私を想う言葉に感じて胸が痛む。そのまま彼は私を強く抱き、この日初めて過ちを咎めた。
「今回の件で分かっただろう、君の軽率な行いがどんな危険を招くか……だからどうか、もうこんな事件は起こさないよう気を付けてくれ。頼むから……」
懇願するみたいに告げられて、言葉を失った。
一体どうして傍若無人なこの男が、政略結婚の女にここまで甘いのか。混乱する私は、彼の甘さに疑問と違和感を抱きながらも、その胸に顔を埋めてしまう。カイザックを殺した憎むべき男の胸なのに、その体温が私を包み込むように温かく、意に反して安堵させられたせいだ。私は自分にそう言い聞かせ、泣きたくなる気持ちを抑え込んだ――。




