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朝、久方ぶりに部屋を出ると、サミエルが私を出迎えた。
「皇女様――いえ、ナサリー様、おはようございます。ご体調はいかがですか?」
「…………」
「……お召し物が乱れておいでですね。使用人を呼んで参りましょう」
下着姿のような夜着で廊下まで出た私を、サミエルは気遣い、見ないように目を伏せている。
「……使用人はいらないわ」
「左様でございますか」
明らかにいつもと違う私に、サミエルは動揺の色も見せない。
「それより、ドレスが欲しいのだけど」
「承知いたしました。衣装室から何点かお持ちいたします」
「いいえ」
即座に動きはじめるサミエルを引き止める。彼は七十前後の老体でありながらも機敏に反応し、再び私に向き直した。
「欲しいのは新しいドレスよ」
「それは……大変失礼いたしました。では、すぐにドレスサロンの者をお呼びいたします」
「ええ、お願い……」
丁寧に頭を下げたサミエルは、付近にいた使用人を呼び止め、的確に指示を出しはじめる。そして彼らは慌てたようにその場を去り、ドレスサロンの手配を急いだ。
その後すぐ屋敷に訪れたのは、王室のドレスもデザインしたという、巷で有名なデザイナーだった。ドレスサロンも営んでおり、上流階級の貴族にのみ対応するという、実に分かりやすい理念を持った女性。マダムミラーと呼ばれる彼女は、応接間のテーブルに幾つかのデザイン画を並べると、私に質問をしてくる。
「ナサリー様はどのようなデザインがお好みでしょうか?」
「派手で露出の多いものがいいわ」
「あ、あら……! えーっと、派手で露出が多いもの……」
肥えたほうれい線を汗が伝うマダムミラーは、大量のデザイン画を必死に漁る。私は不機嫌なふりをして、声を低くした。
「ないの……? 残念ね、有名な方だと言うから期待したのに」
「ご、ございます!! もちろんございますわ!!」
急かすように告げると、彼女はさらに汗をかき、鞄の中に用意していたらしい予備のデザイン画を広げだす。
「こ、この中にお好みの物はございますか!? 私が長年かけてデザインした自信作ばかりでございます!! ナサリー様のお求めのドレスでしたら、この三点などオススメで――」
「たった三つ? これだけ多くのデザイン画があるのに、それだけしかないわけ?」
「え、えっとぉ……」
狼狽えるマダムミラーは、おびただしいほどの汗を体中に滲ませる。大きな宝石が輝く指輪を付けた太い指先は、ワナワナと激しく震えていた。
「はぁ……もういいわ、お帰りいただいて?」
わざとらしく大きなため息を吐いて、サミエルに目配せをする。すると、マダムミラーはすぐ様ソファを立ち、懇願するように提案してきた。
「も、申し訳ございません!! ご要望の物は必ずデザインしてご用意いたしますので、どうかお考え直しください……!!」
必死なその態度に、腕と脚を偉そうに組む私は、少し考えてから頷いた。
「……いいわ。その代わり、私の求める完璧なものを作ってちょうだい」
「ももももちろんでございます!! お任せくださいませ!!」
再び私の希望を聞く体勢に入ったマダムミラーは、熱心な眼差しで見つめてくる。
「まず、胸元は大きく開いている方がいいわ。ラインは体の線が強調されるように。あと、素足も晒せるといいわね」
「は、はい……」
表情に困惑の色を浮かべつつも、必死に頷くマダムミラー。それもそのはず、私の言った特徴のドレスは、貴族社会では下品なものだと嘲笑される格好なのだ。
露出した胸元や手脚で多くの男を魅了する代わりに、信頼や威厳を損なうとされている、一般的に非常識なもの。もちろん、一度だけパーティーに参加した際に学んだから、私も理解している。
理解した上で、言っていた。
「色はなんでもいいわ。とにかく派手にして」
「か、かしこまりました!!」
さらに派手さもあれば社交界では浮いて当然だというのに、意見できない彼女は強めに頷く。
「そ、それでは、ドレスは何点ほどご用意しましょうか?」
似非っぽい笑顔で問いかける彼女に、私はなんでもなさそうに答える。
「百着でいいわ」
「ひゃ、百着ですか!?」
「ええ。普段使い用とパーティー用を五十ずつお願い」
これには、マダムミラーだけでなく、冷静沈着だったサミエルも流石に驚いた様子を見せた。今まで不安げに私たちの会話を聞いていた使用人たちも、ざわざわとしはじめる。
「期限は三ヶ月後。それまでに用意して」
「おおおお待ちください、ナサリー様!!」
「なに? できないの?」
いったん制止しようとする彼女の声に不快な反応を返すと、彼女は一瞬ビクリと体を跳ねさせて、勢いよく両手を振った。
「とっ、とととんでもございません!! ドレス百着なんて三ヶ月もあれば十分間に合いますわ!! た、ただ……かなりの高額となりますので、ご予算が心配でぇ……」
分かりやすい見栄を含んだ気遣いに、私は堂々と即答する。
「私の婚約者は公爵よ。そんな心配は必要ないわ」
「そ、それはそれは!! 無用な心配をしてしまったようで大変失礼いたしました……!! では、ご要望通り三ヶ月での納品を目指して作らせていただきますわ!!」
「ええ、よろしく」
冷めた態度で返事をすると、マダムミラーは必死に浮かべた笑みを、少しずつ崩していく。見栄を張ったせいで地獄の日々が始まることが決定し、頭を抱えたい気持ちを抑えているようだった。
そんな彼女を置いて席を立った私は、優雅に応接間を後にする。
サミエルや使用人の視線に気付きながら、前をまっすぐ見て廊下を歩く私を、あの忌々しい声が呼び止めた。
「……ナサリー」
立ち止まり振り向くと、アダルヘルムが距離を離して立っている。
「……こんにちは、アダルヘルム様」
「外に出られるようになったんだな……」
なぜか安心したように歩み寄る彼は、私の頬に触れようとして、その手を引っ込める。
「……少し痩せたな」
「誰のせいですか?」
遠慮なく問いただすと、彼の眉間が僅かに寄った。
「……俺のせいか」
わざわざ口にするので、そうです、と冷淡に肯定する。
「はい。貴方のせいで、私は今も気分が悪いんです。体調だってよくありません」
「……それなら、すぐに医者を呼ぼう」
「いいえ、必要ありませんわ。さっき買い物をしたら、少しスッキリしましたから」
「……あぁ、マダムミラーを呼んだらしいな。ドレスを買ったのか?」
「ええ、オーダードレスを百着ほど」
嫌味を言いつつ求めていた質問を引きだし、間髪入れずに答える。王室のドレスも担当するほどのデザイナーに、百着ものオーダードレスを頼んだのだ。きっと、名のある裕福な公爵でも、支払いを尻込むほどの金額になるはずだ。
金遣いの荒さを見せつければ、アダルヘルムが幻滅するのではと考えこの行動に出た。……しかし、彼は表情を変えず「そうか」と呟く。
「君が喜ぶに越したことはない。滞りなく納品されるよう、俺からもサロンの様子は窺っておこう」
「……ええ」
期待していた反応でなかったことに、私は拳を握る。アダルヘルムはというと、では仕事に戻る、と言って、特に気にしていなさそうに去っていった。そんな彼の様子に、自分の策の弱さを嘆く。
こんな甘いのじゃ駄目……もっと彼を呆れさせる、大きなことをしないと……。最低最悪の悪女に相応しい、もっと非道な行いを……。
心の中で呟いた私は、去っていく彼の後ろ姿を睨みながら考える。そして、ひとつ思いついた。幼稚だけれど、悪女の基本とされる行いを。




