第114話 木の履歴
夕方の光が、少しだけ赤くなっていた。
ヴェルは帳面を閉じると、エメリクを振り返った。
「見せたい場所があります」
言葉は短い。
迷いもない。
二人は村の外れへ向かった。
道は次第に広くなる。踏み固められた土の道。車輪の跡が深く刻まれている。
木の匂いが強くなる。
乾いた、少し苦い匂い。
「製材所です」
ヴェルが言う。
建物は大きくはないが、音があった。
ギィ……ギィ……
板を引く音。
ゆっくり、重い。
中に入ると、空気が変わる。
木屑が舞っている。足元は柔らかい。踏むと沈む。
奥で男が一人、木を叩いていた。
コツン。
首を振る。
別の木を叩く。
ドン。
今度は頷く。
「スヴァルト」
ヴェルが呼ぶ。
男は顔を上げる。
背は高い。髪は短い。手は分厚い。
言葉はない。
ただ、視線だけが鋭い。
エメリクが近づく。
床に並んだ丸太を見る。
切り口がいくつも並んでいる。
年輪が見える。
スヴァルトが一本の木を指で叩く。
コツン。
「軽い」
初めて口を開いた。
低い声。
それだけ言う。
次の木を叩く。
ドン。
「これだ」
エメリクが聞く。
「何が違う」
スヴァルトは少しだけ考える。
それから言う。
「時間」
短い言葉。
ヴェルが補足する。
「乾燥です」
スヴァルトは首を振る。
「違う」
エメリクが見る。
スヴァルトは木の切り口を指でなぞる。
「急いだ木だ」
別の木に手を置く。
「待った木だ」
エメリクは言う。
「コルボーの木か」
スヴァルトは答えない。
だが、次に叩いた木はすべて軽い音だった。
コツン。
コツン。
コツン。
「板にならない」
ヴェルが言う。
「燃やすしかない」
エメリクは静かに言う。
「家に使われている」
スヴァルトが顔を上げる。
一瞬だけ目が動く。
「知ってる」
その声は、少しだけ低くなった。
「だから寒い」
沈黙。
木屑が落ちる音だけがする。
サラッ。
エメリクは床を踏む。
柔らかい。
「これは?」
「木屑」
ヴェルが答える。
「捨てるか、燃やすか」
スヴァルトが言う。
「山ほど出る」
エメリクは周囲を見る。
確かに山のように積まれている。
削られた木の残り。
使われなかった部分。
「全部、森の一部だった」
エアリスが呟く。
スヴァルトは木を持ち上げる。
重い。
そして言う。
「森は二回削られる」
エメリクが顔を上げる。
「一回目は伐採」
スヴァルトは続ける。
「二回目はここ」
沈黙。
ヴェルが帳面を開く。
「この家の材木、ここを通ってます」
エメリクはゆっくり言う。
「コルボーの木だな」
スヴァルトは何も言わない。
ただ、軽い木を一つ転がす。
ゴトン。
音が軽い。
「これは壁になる」
「そして寒くなる」
ヴェルが言う。
エメリクは目を閉じる。
森で見た切り株。
乾いた土。
鹿の足跡。
全部が繋がる。
「木の履歴だ」
エアリスが書く。
「森から家まで」
スヴァルトが最後に言う。
「急ぐと、全部軽くなる」
その言葉は短い。
だが重かった。
外に出ると、風が冷たかった。
遠くの森が見える。
空が広い。
広すぎる。
エメリクは言った。
「森を見に戻る」
ヴェルが頷く。
「次は、木の値段です」
風が吹く。
木屑が少し舞う。
第19章はここで終わる。




