第4話松戸のクラブ「ベーカー」
松戸駅西口の雑踏を抜け、細い路地を入った先にあるビルの4階。そこに、夜の松戸を象徴するクラブ「ベーカー」があった。エレベーターを降りると、重厚な扉の向こうから、重低音のビートがわずかに漏れ聞こえてくる。豪志とシャンボは、エミとノリコに続いて店内へと足を踏み入れた。
まだ営業開始前の店は、照明も薄暗く、昼間の活気とは違う静けさに包まれていた。磨き上げられたカウンター、壁にかけられたアート、そしてフロアの中央に設えられた小さなステージ。豪志は、ここが彼らの新たな「仕事場」となることに、まだ実感が湧かなかった。
「今日は早番だから、五時半から勤務だよ」
エミが言った。彼女はもう、昼間の福祉施設の制服姿から、黒のタイトなワンピースに着替えていた。ノリコも同様に、ピンクのドレスを身につけ、フロアの隅にあるテーブルを拭いている。
「ベーカーは、一応舞台やマイクといったカラオケ機材もあるから、歌おうと思えば歌えるよ」
ノリコが豪志に微笑みかけた。豪志は、自分の心がまだ音楽と用心棒という二つの役割を切り替えられていないことに気づいた。
「シャンボさんは日本の曲だと『True Love』とかが好きなんじゃ」
豪志の言葉に、シャンボは少し照れたように笑った。
「おー、いいじゃん。じゃあ、まずは俺から歌うわ」
ノリコがカラオケのリモコンを手に取り、シャンボに渡した。
「goki君は歌わないの?」
エミが豪志を促した。
「じゃあ、まあ、エド・シーランの『Bad Habits』を」
豪志がそう答えると、ノリコは楽しそうに歌い始める曲を選んだ。
「わたしはねえ、aikoとか西野カナとかが好きかな」
彼女はそう言いながら、自分の好きな曲を予約した。まるで、これから始まる大変な仕事の前に、心を解き放つように。
「じゃあ、順番に歌っていきましょう」
シャンボがマイクを握り、藤井フミヤの**「True Love」を歌い始めた。彼の少しハスキーで、それでいて温かみのある歌声が、静かな店内に響き渡る。まるで、この場所が持つ冷たい空気を温めてくれるようだった。続いて、豪志がエド・シーランの「Bad Habits」**を歌った。彼の歌声は、シャンボとは対照的に、どこか尖っていて、孤独な感情を揺さぶるものだった。
彼らが歌い終わった時、店の奥から、眼鏡をかけた恰幅のいい、四十代くらいの男性が現れた。彼は豪志たちをじっと見つめ、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「支配人のムラカミさんだよ」
エミが二人に紹介した。ムラカミは、二人の顔を交互に見て、満足そうに頷いた。
「おお、君たちか。うちで働きたいというのは」
豪志とシャンボは、彼の威圧感に、思わず身構えた。ムラカミは、テーブルの上のシャンボのギターケースに目をやると、ふっと笑った。
「松戸の西口界隈も最近物騒でね。昔はヤクザか半グレくらいだったんだが、今は政治結社やら、果ては迷惑系ユーチューバーまで、あらゆる、いわゆるめんどくさい人間が乗り込んでくる。暴力じゃ解決できないことも多いんだ。だからこそ、君たちのような、頭の切れる用心棒が必要なんだよ」
ムラカミの言葉は、豪志とシャンボの「愚連隊」の美学を、まるで最初から知っていたかのように響いた。彼は、彼らが単なる暴力的なチンピラではないことを見抜いていた。
「豪志さん、シャンボさん、よろしく頼むよ」
ムラカミはそう言って、深く頭を下げた。その真摯な態度に、豪志は驚きを隠せなかった。彼は、この仕事が単なるお金のためだけではなく、このクラブと、ここにいる人々を守るためのものであることを悟った。
「わかりました。我々の『愚連隊』の美学、見せてやりましょう」
シャンボが力強く言った。
その言葉を聞いて、ムラカミは満足そうに微笑んだ。そして、彼の口から、彼らが今日最初に対峙することになるトラブルの種が語られた。
「実は今日、厄介な客が来るんだ。名前は『テリー』。最近、この界隈で幅を利かせ始めている、政治結社『日本愛国連合』の幹部だ。暴力は振るわないが、言葉で人を追い詰めるのが得意でね。特に、うちのノリコを気に入ってて、しつこく絡んでくるんだ」
豪志とシャンボは、互いに顔を見合わせた。彼らの最初の仕事は、暴力ではなく、言葉の暴力と戦うことだった。彼らの「愚連隊」の美学が、今まさに試されようとしていた。




