第33話ミュージカ(musica) ~音楽の持つチカラ~
1. 管理者たちの「告白」
「小岩クリニック」1病棟の空気は、豪志(ponzi)が入院して数日で劇的に変わりつつあった。
鉄扉の鍵をジャラジャラと鳴らし、感情を排して患者を「管理」する側であったはずのスタッフたちが、豪志の前では一人の「聴衆」としての顔を見せ始めたのだ。
昼休憩に入る直前、病棟長の若狭健二が豪志のベッドサイドにふらりと現れた。若狭は40代、いかにも堅物そうな風貌だが、その眼鏡の奥の瞳は心なしか潤んでいるように見えた。
「ponziさん。実は……夏のライブツアー、プライベートで観に行っていたんですよ。新小岩の『ペニーレーン』です。あんなに魂を揺さぶられたのは、学生時代にパンクを聴いて以来でした」
若狭がそう漏らすと、横から副病棟長のマキさんが豪快な笑い声を上げて割って入った。彼女は50代、この道数十年のベテラン看護師だ。
「ちょっと、若狭さん。自分だけ良い格好しちゃって。私もYouTubeで毎日リピートしてるわよ。……まあ、ボーカルのシャンボさんも含めて、ちょっと『おじさん』が入ってるバンドだけど、そこが渋くていいのよね」
さらに、30代の若手副病棟長である須賀くんも、頷きながら加わった。
「アナクロニズムの歌詞は、僕ら医療従事者にとっても救いなんです。管理し、分類することでしか世界を見られなくなっていた自分に、喝を入れられたような気がして」
豪志は、自分の音楽がこれほどまでに、しかも「敵地」であるはずの病院の深部にまで浸透していた事実に、震えるような感動を覚えていた。
「こんなに、みんなが観てくれていたんや……」
メディアから締め出され、テリーのような闇の勢力に追い詰められた果ての強制入院。だが、彼らが築き上げようとした「壁」は、音楽という目に見えない振動によって、すでに内側から脱構築されていたのだ。
2. 作業療法の静かなる蜂起
お昼ご飯の後、1病棟のデイルームではOT(作業療法)の時間が始まった。
担当の作業療法士、小澤くんは30代前半の爽やかな青年だ。彼はリハビリ用の道具を並べながら、興奮を抑えきれない様子で豪志に話しかけてきた。
「ponziさん、改めまして、本当に素晴らしいコンサートでした。まさか江戸川区から、あんなに哲学的なメッセージを放つヒーローが現れるなんて。僕、市川の『ケアレス・ウィスパー』での初日を観てから、ずっとあなたのことが頭から離れないんです」
豪志は、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「ありがとうございます、小澤くん。正直なところ、ライブツアーの最中は、権力者たちの妨害のせいで『本当に届いているんだろうか』って不安でいっぱいだったんです。でも、この小岩クリニックで皆さんにこうして声をかけてもらって……今、心からミュージシャン冥利に尽きるというか。音楽をやってきて、本当に良かったと思っています」
小澤くんは、何かを決心したように真っ直ぐ豪志の目を見つめた。
「そこで、無茶なお願いだと分かっているのですが……一曲、披露していただけませんか? 近々、作業療法の一環でカラオケ大会があるんです。でも、僕はあなたに、本物の『音』を鳴らしてほしい」
豪志の胸の中で、静かな炎が燃え上がった。
「喜んでお引き受けします、小澤くん。ただ、条件があります。隔離室にいるシャンボさんが段階開放されて、ここに出てきたら……。その時、僕たち二人にギターを用意してもらえませんか? 2人揃って、ここをライブハウスに変えたいんです」
小澤くんの顔が、ぱあっと明るくなった。
「アコースティックギターなら、僕が責任を持って持ち込みます! 二人のミニコンサート……想像しただけで鳥肌が立ちますよ」
3. 「恋は小岩」の約束
「何か、リクエストはありますか?」
豪志の問いに、小澤くんは即座に答えた。
「なんと言っても『恋は小岩』ですよ。あの曲の『社会の片づけをしてよいのか』という歌詞は、まさに今の僕たちが向き合っているテーマそのものです。ここ、小岩クリニックで鳴らされることに、大きな意味があるんです」
「分かりました。『恋は小岩』を含めて、数曲、魂を込めて演奏します。……ですが小澤くん、これは『公式』の行事にする必要があります。院長の青山先生に、コンサートの許可を取っておいてください」
青山道胤。テリーと繋がり、自分たちをここに閉じ込めた張本人だ。
だが、もしスタッフ全員が、そして患者たちがこの「音楽」を望んでいるのなら、たとえ院長であっても、それを拒むことは「治療の否定」に繋がる。豪志は、小澤くんという「内部の味方」を通じて、病院のシステムそのものを味方につける賭けに出たのだ。
「分かりました! 青山先生には僕から……いえ、若狭病棟長やマキさんたちも巻き込んで説得します!」
小澤くんは力強く返事をして、足早にナースステーションの方へと向かっていった。
豪志は、窓の外に広がる小岩の空を見上げた。
隔離室の奥深くにいるシャンボ。彼を救い出すのは、薬でも強制力でもない。
再び二人でギターを抱え、不条理な現実に「No」を突きつけ、「Yes」という名の愛を歌う。その瞬間こそが、彼らにとっての真の治療であり、解放となるはずだった。
「待っててや、シャンボさん。もうすぐ、音の力でこの壁を壊してやるから」
豪志の指先は、まだ見ぬギターの弦を弾く感触を、すでに求めていた。




