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松戸愚連隊  作者: ponzi
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第32話小岩クリニック

1. 鉄格子の安らぎ


松戸での熱狂、そしてあの卑劣なテリーの影。それらから物理的に遮断された「小岩クリニック」の1病棟。重い鉄扉が背後で閉まった瞬間、豪志(ponzi)が感じたのは、絶望ではなく、奇妙な安堵感だった。


「強制入院」という言葉の響きは、自由を愛する者にとっては死の宣告に近い。しかし、ここ数ヶ月の豪志は、あまりに眩しすぎる光の中にいた。英雄として担ぎ上げられ、見えない敵と戦い、愛すべき人々を守るために心神をすり減らしていた。


シャンボは現在、重度のうつ状態と判断され、監視の厳しい隔離室に保護されている。彼を独りにした罪悪感はある。だが、今の豪志にできることは、まずこの場所に適応し、次の「旋律」を待つことだけだった。


案内されたのは、4人部屋の端のベッドだ。豪志は使い古されたシーツの上に、着の身着のままごろんと横になった。天井の蛍光灯が、規則正しいフリッカーを刻んでいる。


「しばらく、ゆっくりしていくか……」


天井を見つめながら呟く。松戸の喧騒が、遠い前世の出来事のように感じられた。


2. 予期せぬファン


「ponziさん、もうすぐ夕食の時間ですよ」


鈴の鳴るような、柔らかな声が枕元に届いた。顔を上げると、そこには若く、清潔感のある白衣を纏った女性看護師が立っていた。閉鎖病棟の緊張感を和らげるような、穏やかな笑みを浮かべている。


「ああ、ありがとうございます。……ええと、こんにちは。ponziです」


「こんにちは、はじめまして、ponziさん。担当看護師の中川ヒナと申します」


中川ヒナ、と名札にある。まだあどけなさの残る顔立ちを見て、豪志は少しだけ緊張を解いた。


「ヒナちゃん、か。失礼ですけど、まだお若いですね」


「えへへ、4月で24歳になったばかりなんです。これでも一応、国家試験通ってるんですよ」


彼女は少し照れたように笑うと、周囲を気にしながら声を潜めた。


「……ここだけの話なんですけど、アナクロニズムのライブ、YouTubeで観たんです。市川のも、新小岩のも。私、本当に感動しちゃって」


豪志は、思わず身を起こした。この無機質な管理空間に、自分の音楽が届いていた。


「え、本当ですか? 看護師さんにそう言ってもらえるのは、なんだか嬉しいな。……でも、不謹慎じゃなかったですか?」


「そんなことないです! 私、アナクロニズムの曲を聴いてると、仕事の疲れも吹っ飛んじゃうんです。特に『ウソ』と『恋は小岩』が大好きで……。まさか、ご本人がここに入院してくるなんて思ってもみませんでしたけど」


ヒナは目を輝かせながらそう言い残し、「また後でね」と軽やかにデイルームへと戻っていった。管理する側であるはずの看護師の中に、自分の「共犯者」がいる。その事実は、豪志にとって何よりも力強い追い風となった。


3. デイルームの連帯


夕食のチャイムが鳴り、豪志は重い腰を上げてデイルームへと向かった。


そこには、さまざまな事情を抱えた「社会の余剰」たちが、プラスチックの椅子に身を沈めていた。豪志が空いている席を探して立ち止まると、一組の男女が手招きをした。


「ponziさん! こっち、こっちに座ってくださいよ」


声をかけてきたのは、30歳前後の快活そうな青年だった。その隣には、40代くらいの、少し控えめな印象の女性が座っている。


「ありがとうございます。……あの、僕のこと、知ってるんですか?」


豪志が座りながら尋ねると、青年は「当たり前じゃないですか」とはにかんだ。


「少なくとも、この小岩クリニックでアナクロニズムを知らない患者なんて、モグリですよ。僕は佐藤と言います。統合失調症で入退院を繰り返してますけど、あなたの『脱構築』の曲を聴いて、自分の病気も一種の個性なんだって思えるようになったんです」


隣の女性も、伏せていた顔をゆっくりと上げた。


「こんばんは……久仁子と言います。私は、あなたの恋愛の曲が好きで……何度も泣きました。はじめまして、ponziさん」


「佐藤くんに、久仁子ちゃんか……。はじめまして。まさかこんなところでファンミーティングができるなんてね」


豪志は苦笑しながらも、胸の奥が熱くなるのを感じた。テリーや蘭といった権力者たちがどれほど彼らをメディアから締め出そうとも、現場の「魂」は繋がっている。この病棟さえも、今は彼らにとっての小さなライブハウスのような場所へと変容しつつあった。


4. 焼肉と化学の壁


運ばれてきた夕食は、予想に反して豪華なものだった。


メインは焼肉。それに厚切りの玉子焼き、ほうれん草のおひたし。


「いただきます」


一口、焼肉を運ぶ。甘辛いタレの味が舌の上で踊る。久しぶりに食べる「管理された味」は、意外なほどに美味かった。外の世界で常に命を狙われ、毒を盛られるのではないかと疑いながら食べていた食事に比べれば、毒見の必要がない病院食は、ある種の贅沢品ですらあった。


しかし、食事を終えた後の儀式が、豪志を現実に引き戻す。


「ponziさん、配薬です」


看護師が持ってきたトレイには、見たこともない色と形の錠剤が並んでいた。松戸のクリニックで処方されていたものとは明らかに違う。


「……これは?」


「青山院長からの指示です。ponziさんの興奮状態を鎮めるための、新しいお薬ですよ。飲んだら見せてくださいね」


豪志は、疑念を飲み込むように、無言でそれらを口に放り込み、水で流し込んだ。


口を開けて確認を済ませる。看護師が去った後、豪志は静かに自分のベッドへ戻った。


シャンボのことが気がかりだった。隔離室の重い扉の向こうで、彼は今、どんな夢を見ているだろうか。スタッフたちはすでに夜勤の交代体制に入り、ナースステーションは慌ただしく、声をかけられる雰囲気ではない。


豪志は、ぼんやりとし始めた意識の中で、明日やるべきことを整理した。


あの薬の正体を知らなければならない。


青山院長が、自分に何を「上書き」しようとしているのか。


デイルームにあるボロボロのお薬辞典を引いて、化学の言葉を哲学の言葉に翻訳する必要がある。


「勝った者が正しいのではなく、正しい者が勝つのだ……」


「Last Love」で歌った自らの歌詞を反芻しながら、豪志は深い眠りの縁へと沈んでいった。明日、この病棟で何が起きようとも、思考の自由だけは、誰にも渡さないと心に誓いながら。

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