第2話再出発
真夏特有の、むっとするような朝の熱気が部屋の窓から差し込んでいた。カーテンの隙間から漏れる光が眩しくて、豪志はゆっくりと目を開けた。見慣れない天井と、部屋の隅に置かれた観葉植物。ああ、そうだ、昨夜はエミとノリコのアパートに泊まったんだった。
隣で眠っているはずのシャンボの姿がない。代わりに、エミの声が台所から聞こえてきた。
「ずいぶん寝たねー。10時間くらい寝てたよ」
豪志は慌てて身体を起こした。時計を見ると、午前九時を過ぎている。
「すみません、泊めてもらった分際で、こんな時間まで…」
「いいのいいの。遠慮しないで。朝だけど、お風呂入っちゃってよ」
洗面所にはタオルと新しい歯ブラシが用意されていた。彼女たちの細やかな気遣いが、豪志の心を温かく満たしていく。シャワーを浴びてリビングに戻ると、トーストの焼ける香ばしい匂いが漂っていた。シャンボはもうすでに食卓についている。
「豪志さん、朝ごはん、食いましょう!」
テーブルには、トーストにミルク、サラダ、ウィンナー、そして目玉焼きが並んでいた。質素だが、豪志にとっては刑務所暮らしと何ら変わらなかったこの数年間で、最も贅沢な食事だった。
「ありがとうございます、エミさん。泊めてもらった上に朝食まで…」
「いやいや。でも、それで二人はこの後どうするつもりなの?」
エミの問いかけに、豪志は少し戸惑った。彼女に話していいことと、そうでないことの境界が曖昧だった。だが、正直に話すのが最善だろうと判断した。
「精神病院から脱走してきたんで、捜索願いも出てると思います。まともな職にも就けそうにないですし…正直、弱ってます」
豪志がそう言うと、シャンボが口を挟んだ。
「俺らにできることと言えば、サッカーと音楽くらいしかないんですよね」
シャンボは真剣な表情で、これからのプランを語り始めた。
「とりあえず、豪志さんと二人で、ポップ音楽バンド**『アナクロニズム』**を結成したんです。作詞作曲もできるし、日本語、英語、スペイン語の曲のカバーもできる」
「すごいね!じゃあ、プロを目指すの?」
ノリコが台所から戻ってきて、目を輝かせた。
「あとは、戸籍を新しく作って、イビツァ・オシムと村田美夏の子供、『オシム・村田・豪志』としてジェフ千葉のトライアウトを受けてプロサッカー選手になるか…」
シャンボの突拍子もない発言に、豪志は思わず吹き出した。
「それは、お前が熱狂的なジェフ千葉サポーターだからだろ」
「それだけじゃないですよ!オシムさんのサッカー哲学は、俺らが考える『愚連隊』の生き様と一緒なんです。正義を貫いて、美しいフットボールをする。暴力に頼らず、知的に相手を打ち負かす。それが、俺らの『愚連隊』です」
豪志とシャンボの「愚連隊」は、喧嘩や暴力とは無縁だった。むしろ、不条理や不正義に対して、知性とユーモアで立ち向かうことを美徳としていた。だからこそ、彼らは「愚連隊」を名乗っていた。
「なるほどね。でも、戸籍を作ったり、ジェフ千葉のトライアウトを受けるのは、もう少し先の話として…」
エミは、豪志とシャンボの突飛な発言を笑い飛ばしつつ、現実的な話を切り出した。
「現実的には、まずは松戸のライブハウス**『ギフテッド』**で音楽活動をして、地道にファンを増やしていくのがいいんじゃないかな」
「そうだね。それが一番現実的だ」
豪志が頷くと、エミはさらに踏み込んだ提案をしてきた。
「あと、二人にやってもらいたいことがあるんだけど…」
彼女は真剣な表情で続けた。
「わたしとノリコ、昼間は福祉施設で働いてるんだけど、夜はホステスとして働いてるの。その夜働いてるクラブの方で、用心棒というか、ボディガードを探してるのよ。松戸も不良客とかヤクザとか、最近物騒になってきちゃって」
その言葉に、豪志は思わず息をのんだ。彼らは暴力から離れ、音楽で生きていこうとしていた。だが、エミとノリコのため、そして自分たちの自由のため、再び厄介事に首を突っ込むことになるかもしれない。
「私たちだけじゃ、どうにもならないことがあって。でも、あなたたちなら、きっと…」
エミの瞳は、まるで助けを求めるように豪志とシャンボを見ていた。彼らの「愚連隊」としての正義感が試される時が、早くも訪れたのだ。




