第19話日雇いさん
SNSでの活動は、豪志とシャンボにとって、新たな世界への扉を開き始めていた。ライブハウスの地下室やクラブの喧騒とは違う、静かで、しかし深い繋がりが生まれていた。その中でも特に、「日雇いさん」と名乗る人物との交流は、豪志の心を強く惹きつけた。
ある晴れた日、豪志は日雇いさんと上野で待ち合わせをしていた。彼は、SNSのプロフィール写真通り、豊かな長髪をなびかせ、まるで大瀧詠一のような風貌をしていた。50代後半だという彼の口ぶりは、柔和で、しかし知性に満ちていた。脚が少し不自由なようで、歩くたびにわずかに体が揺れるが、その柔らかな微笑みは、人を惹きつける不思議な魅力に満ちていた。
日雇いさんは、上野の喫茶店で豪志の音楽を絶賛してくれた。彼は、豪志の歌詞に込められた哲学的な思想を的確に読み解き、豪志自身が気づかなかった部分まで、深く洞察してくれた。
「君たちの音楽は、今を生きる若者の魂の叫びだ。社会の不条理を鋭く切り取りながら、それでもなお、愛と希望を捨てない。素晴らしい」
彼の言葉に、豪志は心が温かくなるのを感じた。しかし、その後に続く言葉は、豪志の心を凍り付かせるものだった。
「ただ、いくつか、気がかりな情報があるんだ」
日雇いさんは、コーヒーカップを静かに置き、真剣な眼差しで豪志を見つめた。
「gokiさんたちの成功を面白く思っていない勢力が、業界にいる。文学界も音楽界も、狭い業界だからね。噂はすぐに出回る」
豪志は、思わず身構えた。
「おもに、有名プロデューサーの**蘭**などの右派勢力だ。政治と結託して、日本のショービジネスを支配している連中。彼らは蛇のように執念深く、こすっからい。gokiさんたちの才能を潰すためなら、なんでもする」
豪志の脳裏に、かつてテレビで見た、プロデューサー蘭の姿が浮かんだ。彼は、グラン・ブルーなどの大ヒット作を手掛けた、日本の音楽界の重鎮だ。
「プロデューサーの蘭って、あの…?」
「そうだ。今やテレビやラジオ、新聞、雑誌をはじめ、オールドメディアは分断と対立が本当に進んでしまって。彼らに嫌われれば、君たちはまず露出できないだろう」
日雇いさんの言葉は、豪志たちが直面している現実を、まざまざと突きつけた。FM松戸での小さな成功も、この巨大な権力構造の前では、無力なものに思えた。
「なぜ、そんなことを…?」
豪志が問いかけると、日雇いさんは静かに答えた。
「彼らは、君たちの音楽が持つ『多様性』や『個の尊重』といった思想を、自分たちの支配体制を揺るがす危険な思想だと見なしているんだ。君たちの音楽は、彼らが築き上げてきた『日本』の価値観とは、真逆だからね」
日雇いさんの言葉は、豪志がこれまで漠然と感じていた、社会の閉塞感の正体を暴き出した。彼らの音楽は、単なる趣味の範疇を超え、政治的な闘争へと巻き込まれようとしていたのだ。
「…大丈夫だよ、gokiさん」
日雇いさんは、豪志の不安を見抜いたように、優しく微笑んだ。
「君たちには、君たちにしかできないことがある。それは、ライブハウスで、インターネットで、直接、人々の心に語りかけることだ。どんなに大きな権力も、人々の心の繋がりを断ち切ることはできない」
その言葉に、豪志は勇気をもらった。日雇いさんが去った後も、豪志の心には、彼の言葉が響き続けていた。
彼らの音楽活動は、もはや、自分たちの夢を追いかけるだけのものじゃなくなった。それは、日本の音楽業界を支配する巨大な勢力との、静かな、しかし熾烈な闘いへと発展していく。そして、彼らがこの後、プロデューサー蘭とどのように対峙していくことになるのか、それはまだ、誰にもわからなかった。