第17話偉い女
2025年3月。春の兆しが、松戸の街の冷たい空気を少しずつ和らげていた。ライブハウス「ギフテッド」の地下室は、豪志とシャンボの変わらぬ熱気で満ちていた。この日、彼らは、これまでの曲とは少し毛色の違う、新しい曲を披露しようとしていた。
ステージに立った豪志は、少し照れくさそうにマイクを握り、観客に語りかけた。
「今日は、ちょっと変わった曲をやります。タイトルは、『偉い女』です」
観客から、ざわめきが起こる。豪志は、その反応に少し戸惑いながらも、続けた。
「これは……東大卒大富豪の村田美夏ちゃんとか、TBSテレビアナウンサーの篠原梨菜ちゃんとか、女優、モデルの小貫莉菜ちゃんとかをイメージして書いた曲なんです。皇室の佳子さま、愛子さまも。でも、よく考えたら、こんな女、存在しねぇわ、っていう(笑)」
観客から、どっと笑いが起こった。豪志は、その笑いに安堵したように、ギターを構えた。シャンボが、メロディアスで、どこか切ない歌声で、歌詞を紡いでいった。
(歌:アナクロニズム)
君を守れるのは僕だけ
僕を守れるのは君だけ
人生は美しい
人生は素晴らしい
生きてて良かったって今なら思える
これが最後の恋だって今なら思える
君が頼れるのは僕だけ
僕が頼れるのは君だけ
人生は続いてく
人生と実存主義
出会えたことが奇跡だって今なら思える
道ならぬ恋じゃないって今なら思える
シャンボの歌声は、豪志の理想とする「完璧な女性」への、純粋な憧れを表現していた。しかし、その歌には、どこか手の届かない存在への、切ない諦めも感じられた。
君は世間的には「偉い女」
本来なら高嶺の花だ
君は僕の前では「エロい女」
本来の姿を晒してくれる
君は不思議なくらい「エモい女」
僕に恋の魔法をかける
君はそれはときどきは「痛い女」
ピントのズレたお姫様
六本木に住んで東大卒
大富豪で絶世の美女
「釣り合わない」と言う
僕の現実じゃないって
曲調は、次第に激しさを増していく。それは、豪志が抱える、理想と現実のギャップに対する葛藤を表しているようだった。
「偉い女」と付き合うのは難しいって分かってる
身分違いの恋が不幸を生むかもしれないことも
ものすごく若くて芸能人
やんごとなき身分の美少女
「上手くいかない」と言う
僕の現実じゃないって
「偉い女」と付き合うのは実は簡単なんだ
そのコと1対1で誠実に向き合ってあげればいい
歌が終わると、客席から、拍手と笑いが沸き起こった。観客たちは、豪志の奇妙な歌詞に込められた、彼の純粋で、どこか滑稽な恋愛観に、親近感を覚えたのだろう。
ライブ終了後、豪志は、ステージ上でシャンボに語りかけた。
「どうだった?ユーモアだと捉えてくれればいいけど、ちょっと誤解を生むかもしれない曲だね」
豪志は、そう言って肩をすくめた。
「Exactly!でも、それが豪志さんらしいんじゃないですか。正直で、馬鹿正直で。俺は好きですよ、この曲」
シャンボは、豪志のその矛盾を、優しく受け止めていた。
しかし、彼らのライブの様子は、再び、ある人物の目に留まることになる。
政治結社『日本愛国連合』の幹部、テリー。彼は、豪志が「偉い女」と名指しした人物の中に、自分の知る人物がいることに気づいた。テリーは、スマートフォンを握りしめ、冷たい笑みを浮かべた。
「……村田美夏?まさか、豪志のやつ、まだあいつのことを…」
テリーの脳裏に、九年前の、ある出来事が蘇る。それは、豪志と村田美夏、そしてテリー自身の間に起こった、決して語られることのない、忌まわしい過去だった。
テリーは、豪志の音楽が、彼自身の過去を歌っていることを確信した。そして、その歌が、彼の心の中にある、決して触れられたくない部分を、暴き出そうとしていることに、激しい怒りを覚えた。
彼は、豪志たちの次のライブの日程を調べると、冷たい笑みを浮かべ、呟いた。
「…次のライブで、お前らの音楽活動も、お前らの命も、終わりだ」
テリーは、自分の持つコネクションを使い、彼らの次のライブを、完璧な形で妨害する計画を立て始めた。彼の計画は、豪志たちの想像をはるかに超えた、危険なものだった。
彼らの音楽が、光を放てば放つほど、松戸の街の闇は、さらに深いものになっていく。彼らの「愚連隊」としての正義が、今、最大の危機を迎えることになるだろう。