第16話利他的な遺伝子
松戸の街に、春の足音が聞こえ始めた2025年3月。ライブハウス「ギフテッド」の地下室は、豪志とシャンボの変わらぬ熱気に包まれていた。豪志は、新たな曲のデモ音源をシャンボに聞かせていた。彼の顔は、いつになく真剣だ。
「作詞作曲しました。『恋の季節 ~利他的な遺伝子~』」
豪志がそう言うと、シャンボはヘッドフォンをつけ、デモ音源に耳を傾けた。流れてきたのは、これまでの豪志の曲とは少し違う、ポップでメロディアスな曲だった。その歌声は、豪志自身のものではなく、打ち込みで調整された、まるでアイドル歌手のような甘い声だった。
(デモ音源:豪志)
僕の夢は好きな女の子に美味しい料理を振る舞ってあげることだった
その子が喜ぶ顔が見たい一心で
僕の夢は好きな女の子に素敵な洋服をデザインしてあげることだった
その子が喜ぶ顔が見たい一心で
優しい男はモテないよ
恋愛学者たちは言うけれど
ワガママ男がモテるのよ
恋愛学者たちは言うけれど
僕はいつだって好きな女の子に優しく尽くしてきた
そしてフラれ続けてきた
何も学習しちゃいない
いつだって利他的な遺伝子
シャンボは、デモ音源を聞きながら、豪志の顔をじっと見つめていた。豪志の過去の恋愛と、それが彼にもたらした苦悩が、この曲に詰まっていることを、シャンボは知っていた。
優しいヘテロは損するよ
恋愛学者たちは言うけれど
暴力ヘテロが得するよ
恋愛学者たちは言うけれど
マーロン・ブランドを演じてみても何かしっくりこない
僕は僕にしかなれない
恋という名の病
道化師さ、利他的な遺伝子
曲は、さらにポップなメロディーへと変化していく。それは、豪志の心の中にある、純粋で、しかし報われない愛を歌っているようだった。
僕の夢は好きな女の子をボーカルにして作詞作曲してあげることだった
その子が輝く瞬間を見たい一心で
僕の夢は好きな女の子をヒロインにしてドラマを描いてあげることだった
その子の人生の実存を見たい一心で
優しい男が好きです
美少女たちは言うけれど
ワガママ男は嫌いです
美少女たちは言うけれど
進化論的科学は残酷なくらい正確に真理を言い当てる
恋愛は不条理だ
いつもいつも損ばかり
少し憧れる利己的な遺伝子
デモ音源が終わると、シャンボはヘッドフォンを外し、豪志に笑いかけた。
「どう?シャンボさん。これはジャニーズのような男性アイドルに楽曲提供したいんじゃけど」
豪志が、少し照れくさそうに言った。彼は、この曲を、彼自身のバンド「アナクロニズム」で歌うのではなく、誰か別の、輝かしい存在に歌ってもらいたかったのだ。それは、彼自身がなれなかった、理想の自分を投影しているかのようだった。
「**Very nice!**いいと思うよ」
シャンボはそう言うと、豪志に親指を立てた。
「なんか、豪志さんらしくない曲ですね。でも、それが逆に、豪志さんらしさというか…」
シャンボは、豪志のその矛盾を、優しく受け止めていた。
「俺、この曲を聴いて、ちょっと泣きそうになったんですよ。豪志さんの、どうしようもない優しさが、全部詰まってるみたいで」
豪志は、何も答えず、ただ静かに微笑んだ。
その夜、クラブ「ベーカー」に出勤した豪志は、用心棒として店内を歩きながら、その日のライブで披露する予定だった新曲のことを考えていた。それは、「恋の季節」とは対照的な、彼らの「愚連隊」の美学を歌った、激しいロックナンバーだった。
しかし、その夜の「ベーカー」には、どこか不穏な空気が漂っていた。豪志は、店内に目を光らせていたが、彼の視界に、ある男の姿が捉えられた。
政治結社『日本愛国連合』の幹部、テリー。彼は、カウンター席に座り、豪志に冷たい視線を向けている。彼の顔には、怒りだけでなく、豪志に対する深い憎悪が浮かんでいた。
テリーは、豪志に近づき、冷たい声で言った。
「お前らのくだらない音楽、聞かせてもらったぜ。『利他的な遺伝子』、だと?笑わせるな」
テリーの言葉に、豪志は身構えた。
「お前が『利他的』?ふざけるな。お前は、いつも自分のことしか考えていなかったじゃないか」
テリーの言葉は、豪志の過去の、ある出来事を暗示しているかのようだった。豪志は、何も答えず、ただテリーを睨みつけた。
「お前は、俺の人生を壊した。そして今、こんなくだらない歌で、俺の前に現れた。お前らのバンド活動は、今日で終わりだ」
テリーはそう言って、豪志に背を向け、店の奥へと消えていった。彼の言葉は、豪志の心に、深い不安を植え付けた。
豪志とシャンボ、そして彼らの音楽活動は、今、新たな試練を迎えようとしていた。彼らの「愚連隊」としての正義が、松戸の街の闇に潜む、本当の悪意と対峙することになるのだ。