第15話脱構築
2025年2月。松戸の街は、冬の寒さに包まれていた。だが、ライブハウス「ギフテッド」の地下室は、豪志とシャンボの音楽への情熱で、いつも熱気を帯びていた。この日は、彼らにとって、新たな挑戦のライブだった。
豪志は、ステージの真ん中でマイクを握り、少し緊張した面持ちで観客に語りかけた。
「今日は、ちょっと哲学的な曲に挑戦しようと思います。……僕も、何を言ってるのか、よくわからなくなるんですけど」
観客から、くすくすと笑いが起こる。豪志は、そんな彼らの反応に少し安心したように、続けた。
「タイトルは、『脱構築』です」
彼がそう言うと、静かにギターのコードを鳴らし始めた。その音は、これまでのロックサウンドとは違い、どこか内省的で、実験的な響きを持っていた。シャンボの歌声も、いつもの力強さとは違い、語りかけるように、そして少し戸惑うように、歌詞を紡いでいった。
(歌:アナクロニズム)
現代思想とは、差異の哲学である
差異とは、多様性、違いを認める思想
同一性は絶対ではないというマインドを持つこと
存在論は究極ではないという哲学を持つこと
非本質的なものの重要性
本物と偽物の二項対立
直接的な現前性
間接的な再現前
観客たちは、その難解な歌詞に、耳を傾けながらも、どこか戸惑っているようだった。しかし、豪志のギターとシャンボの歌声が作り出す独特な世界観に、次第に引き込まれていく。
世界は差異でできている
同一性よりも差異の方が先
バーチャルな関係の絡まり合い
同一性だけで考えるのはリアルじゃない
楽観的で、人を行動へと後押ししてくれる思想
世界は多方向の関係性に開かれていて、変動している
ここから曲調は、次第に激しさを増していく。それは、豪志の頭の中で渦巻く、複雑な思想が音になったかのようだった。
監獄的な空間にノイズを集約することによって、
主流派世界をクリーン化していくことになった、それがまさに近代化
思弁的実在論
ノマドのデタッチメント
パロールのエクリチュール性
真理の複数性
脱構築によって問われるグレーゾーン
逃走線の先の外部
歌が終わると、豪志は少し疲れたように、マイクを握ったまま呟いた。
「……うーん。哲学者の千葉雅也さんを参考にしたんですけど、自分でも何を言ってるか、訳分かんねーんです」
観客から、大きな笑い声が起こった。彼らは、豪志のその正直な言葉に、親近感を覚えたのだろう。
「でも、少しずつ自分の中で咀嚼して、千葉雅也さんの哲学を理解していくしかないなって思ってます」
豪志は、そう言って微笑んだ。
ライブ終了後、豪志とシャンボは、いつものようにクラブ「ベーカー」へと向かった。エミとノリコは、すでに店で彼らを待っていた。
「今日のライブ、見たよ!ポンちゃん、あれ、ちょっと難しかったね」
ノリコが、正直な感想を口にした。エミも頷きながら、豪志の顔をじっと見つめた。
「でも、ポンちゃんらしい曲だったよ。言葉の意味は分からなくても、ポンちゃんの伝えたいこと、なんとなくわかる気がする」
エミのその言葉に、豪志は心が温かくなるのを感じた。
しかし、その夜の「ベーカー」は、どこか不穏な空気に包まれていた。豪志は、用心棒として店内の様子に目を光らせていたが、彼の視界に、ある男の姿が捉えられた。
政治結社『日本愛国連合』の幹部、テリー。彼は、カウンター席に座り、豪志に冷たい視線を向けている。彼の顔には、怒りだけでなく、豪志に対する深い憎悪が浮かんでいた。
テリーは、豪志のライブの動画を、スマートフォンで見せながら、冷たい声で言った。
「…脱構築、だと?ふざけるな。お前が一番、俺の人生を脱構築しただろうが」
テリーの言葉に、豪志は思わず息をのんだ。テリーは、豪志の過去の、ある出来事に深く関わっている人物なのだろうか。
「お前らのくだらない哲学と音楽は、俺が叩き潰してやる」
テリーはそう言って、豪志に背を向けて立ち去った。彼の言葉は、豪志の心に、深い不安を植え付けた。
彼らの音楽活動が、テリーとの因縁を、再び呼び覚まそうとしている。豪志とシャンボの「愚連隊」としての正義は、今、彼らの想像をはるかに超えた、巨大な闇と対峙することになるだろう。