第14話お金では買えないもの
2025年。松戸の街は、新しい年を迎えても相変わらずの日常を繰り返していた。しかし、豪志とシャンボ、そしてバンド「アナクロニズム」のメンバーにとっては、この一年が、彼らの運命を大きく左右するであろう、特別なものになる予感がしていた。
1月の「ギフテッド」でのライブ。この日は、彼らが新年最初の新曲を披露する日だった。会場には、新しいボーカリストの登場以来、さらに増えた観客たちが、彼らの音楽を待ち望んでいた。
ライブが始まり、何曲か演奏した後、豪志がマイクを手に、少し照れくさそうに笑った。
「新年一発目の新曲です。……でも、まだ全然まとまってないんです。とりあえず、歌詞だけでも、みんなに聴いてほしくて」
豪志はそう言うと、静かにギターを構えた。シャンボが、彼のギターの音に合わせて、語るように歌い始めた。
(歌:アナクロニズム)
あらゆるものがカネで取引される時代。
市場原理主義は正しいのか?
だが、やはり何かがおかしい
民間会社が戦争を請け負い、
臓器が売買され、
公共施設の命名権がオークションにかけられる
結局のところ、市場の問題は、
実はわれわれがいかにして共に生きたいか、という問題なのだ
大事なのは、出自や社会的立場の異なる人たちが
日常生活を送りながら出会い、ぶつかり合うことだ
なぜなら、それがたがいに折り合いをつけ、
差異を受け入れることを学ぶ方法だし、
共通善を尊ぶようになる方法だからだ
われわれが望むのは、何でも売り物にされる社会だろうか。
それとも、市場が称えず、お金では買えない
道徳的・市民的善というものがあるのだろうか
シャンボの歌声は、客席に静かに響き渡った。観客は、ただじっと、その歌詞に耳を傾けている。それは、いつもの熱狂的なライブとは違う、まるで哲学の講義を聞いているかのような、不思議な雰囲気だった。
自分の意志で自分の身体を売って、何が悪いのか?
プレゼントの代わりに現金を贈るほうが合理的では?
あるものが「商品」に変わるとき、
何か大事なものが失われることがある。
その「何か」とは?
結局のところ、市場の問題は、
実はわれわれがいかにして共に生きたいか、という問題なのだ
豪志は、自分のギターの音を少しずつ大きくし、シャンボの歌声も、徐々に熱を帯びていく。彼らの音楽は、観客一人ひとりの心に、深い問いを投げかけていた。
大事なのは、出自や社会的立場の異なる人たちが
日常生活を送りながら出会い、ぶつかり合うことだ
なぜなら、それがたがいに折り合いをつけ、
差異を受け入れることを学ぶ方法だし、
共通善を尊ぶようになる方法だからだ
われわれが望むのは、何でも売り物にされる社会だろうか。
それとも、市場が称えず、お金では買えない
道徳的・市民的善というものがあるのだろうか
歌が終わると、ライブハウスには静寂が訪れた。観客たちは、拍手するのを忘れて、ただ呆然とステージを見つめている。それは、彼らがこれまでに経験したことのない、強烈な感動だった。
その日のライブを終え、豪志は、疲労と達成感に満ちた顔で、シャンボと話していた。
「……なんか、すげぇ歌だな。俺、歌ってて、泣きそうになったよ」
シャンボがそう言うと、豪志は小さく微笑んだ。
「まだ未完成だけど、この曲、俺たちが目指してる『愚連隊』の美学を、一番ストレートに表現してる気がするんだ」
彼らの「愚連隊」は、単なる不良集団ではない。それは、社会の不条理と戦い、人々が失いかけている「お金では買えないもの」を取り戻そうとする、小さな抵抗組織だった。彼らは、音楽を通して、その信念を人々に伝えようとしていたのだ。
その夜、クラブ「ベーカー」に出勤した豪志とシャンボは、エミとノリコに、新曲のことを話した。
「すごいね、ポンちゃん。なんだか、どんどん難しい曲になっていくね」
ノリコが少し困ったような顔で言った。
しかし、エミは、豪志の顔をじっと見つめると、静かに頷いた。
「大丈夫。ポンちゃんの音楽、きっとみんなに伝わってるよ。だって、わたし、感動して泣いちゃったもん」
彼女の言葉に、豪志は心が温かくなるのを感じた。
しかし、その夜の「ベーカー」に、不穏な空気が漂い始める。用心棒として店内に目を光らせていた豪志は、ある男の姿を捉えた。その男は、かつてクラブを荒らそうとしていた、政治結社『日本愛国連合』のテリーだった。
テリーは、カウンター席に座り、豪志に冷たい視線を向けている。彼は、豪志の音楽活動を妨害するために、再びこの場所に姿を現したのだ。そして、彼の顔には、怒りだけでなく、豪志に対する深い憎悪が浮かんでいた。
豪志とシャンボ、そして彼らの音楽活動は、今、新たな試練を迎えようとしていた。彼らの「愚連隊」としての正義が、松戸の街の闇に潜む、本当の悪意と対峙することになるのだ。