月夜2
私は恐怖のあまり、すぐに叫んだ……はずだった。
なのに、どういうわけか自分の声が耳に届かない。
その異常さに驚き、慌てて口元に手を当てる。
でも、口や喉には何の問題も感じられない。
「お前の行動、ほんとやること代り映えしねぇな」
その言葉に、頭の上に浮かんでいたハテナマークが小さくなった。
まさか、私、魔法で声が消されてる!?
確かそんな魔法もあるって、本で読んだ事がある!
奴は床にトンと音を立てて足を下ろした。
ふわりと髪が揺れ、長い白銀の前髪の隙間から鋭い視線が飛んで来る。
今日は3つの月が出る日。
だから夜なのにとても明るい。
そんな月たちが、限りなく白に近い銀の髪を縁取るように輝かせている。
長いまつ毛に陶器のような綺麗な肌。
すっと通った鼻筋に、形のいい唇……そして、切れ長の綺麗な目。
月明りで逆光に照らされた男は異様過ぎる程に美しくて、心底嫌いなのに、意思と反して見とれてしまう。
初めて見た時から思っていた。
認めるのは死ぬほど悔しいけど、やっぱり顔だけは驚くほどにいいと。
「昼間はよくも逃げやがったな。しかも学園長を俺になすりつけやがって」
吐き捨てるように言った男は、こちらに足を向けた。
その瞬間、シャワー室からずっと握っていたお守りの石を、バレないようにサっとパジャマの中に隠した。
男は静かに一歩、そしてまた一歩と近付いて来るから、私はその分だけ後ずさる。
今度は、何?
声を出せないようにして、暗殺でもしに来たわけ?
学園長の事なら、冤罪よ。
たまたま通りかかった学園長が、『授業が始まってるのに、どうしたんだね』って話しかけて来たから、『すぐ行きます』と言って走って教室に向かっただけ。
それなのに……
ああ!でもそんな話はどうでもいい!
それより今は、この緊急事態をどうにかしないと。
こいつと完全個室で二人っきりなんて、死へのカウントダウンを取ってるのと同じだ。
せめて人目につくところに行かないと……本当にヤバイ。
後ずさりをしていた私は、背中にドアが当たって初めて気づいた。
このドアを開ければ共有の廊下に出られる、という事に。
私は、すかさずドアノブに手をかけた。
でも、いつもなら簡単に回るはずのドアノブが、まるで石のようにガチガチに固まっていて、微動だにしない。
……えっ!?なんで!?
冷たく硬いドアノブを何とかしようと、必死にガチャガチャと回し続ける。
その時――スッと背後に気配が迫り、影が私の肩に落ちた。
振り返ろうとした瞬間、頭上にドンッと大きな音が鳴った。
ギョッとして見上げると、奴が私の頭上に肘をついていた。
超至近距離、その無遠慮な視線が私をまっすぐ射抜いていていて、私は目を大きくした。
「今度は逃がさねぇ」
この状況に心の中で悲鳴を上げると、奴の背後にある出窓の白いカーテンがふわりと揺れるのが目に入った。
それと同時に、窓が開いていることに気づき、最後の手段が頭に浮かぶ。
ここは2階。
今、この男から逃げる方法はこれしかない――
私はそう確信し、グッと拳を握った。
決死の覚悟で目を見開き、浴室を指さしながら口をパクパクさせる。
奴は不審そうな顔をしつつも、視線を浴室へと向けた。
「ん?」
その隙を逃さず、奴の横をすり抜け、一気に窓際へ駆け込んだ。
すぐに出窓によじ登ろうとしたけど……
残念な事に、目前の窓がキーという音を立て、バタンと閉まった。
私はその閉ざされた窓に手をかけたが、またもやビクともしなかった。
「うっざ」
背後から聞こえたその声に、人生の終わりを見たような気分で振り返る。
すると、予想通りの鬱陶しさ極まりない目をした奴が映る。
確実にさっきよりも機嫌が悪く、顔に渋みが増しているのは見間違いなんかじゃない。
私の人生は間もなく終わるらしい。




