事の始まり
私は、名前も、顔も知らない人に殺された。
死んだ世界はとても暗く……何もない。
あの日、あの道を通らなければ、とか。
二本も早い電車に乗らなければ、とか。
結婚式代をケチって大安にしなかったからだ、とか……
今さら、いくら考えても仕方のない事を何度も何度も頭の中でループした。
そして酷く自分を責め、後悔し続けた。
そんな時、私は生まれ変わった。
その瞬間、神様が私に『復讐の機会』を与えてくれたんだと思った。
でも――今なら分かる。
それは間違いだったんだって。
きっと神様は、私に『愛される喜び』を与えようとしてくれたんじゃないかと思うの。
「シエル」
私を呼ぶ野太い声に振り返ると、思わず笑みが零れた。
…………
……
「うっ……」
倒れ込んだ私の目の前で、アスファルトに真っ赤な血が広がっていく。
朝の風はとても冷たく、鉄の匂いが強く立ち込めていた。
体中を貫く、これまでに味わったことのない激痛に、意識が朦朧としてくる。
いったい、何が……起こったの?
私は、さっきまで、駅からの道を歩いていたはずなのに……
全身が、小刻みに動いている。
赤い海にうつ伏せで浸かりながら、必死で歯を食いしばり、限界まで視界を持ち上げた。
すると、霞む目に映り込んだのは、まっすぐで、とても艶のある綺麗な長い黒髪。
誰……?
この人が、私にこんなことを……?
なんとか記憶を巡らせ、記憶と照らし合わす。
でも、どれだけ考えても誰とも一致しない。
顔を確認しようと踏ん張りたい気持ちに反して、視線は力なく地面へと落ちていく。
そうして視界に映ったのは、どす黒い革靴だった。
血に染まるアスファルトの中で、うつ伏せのまま首だけ横を向いた私。
映る自分の手が、無意識にピクリと動いた。
徐々に意識が薄れていく――
私は……犯人も、動機さえも知らないまま……死ぬの?
あれ……?
でも、なんで誰も私を助けてくれないの……?
辺りは、驚くほどにしんと静まり返っている。
そう考えていると、血の海に浸かっていた黒い靴の先がこちらを向いた。
「あれぇ? まだ生きてんの」
黒髪の奴が慈悲も涙も無いような言葉を落としてくる。
「早く死んで」
三半規管までやられているのか、そんな声がエコーでもかかったかのように酷くぼやけて耳に届く。
目を閉じる力も残っていない私に、さっと影が落ちたのが分かった。
何かが、こめかみに何かを当てられた気がした。
その瞬間、一瞬で恐怖が襲い掛かる。
今すぐにでも逃げ出したい。
なのに、何を当てられているのかも確認出来ない私は、次の瞬間――雷に打たれたような鋭い痛みが脳天を直撃した。
視界がふっと消えた。
突然暗闇に放り出される。
「きゃっ!」
私は、上か下かも分からないような場所で尻もちをつく。
目を開け、辺りを見回すが、明かり一つも見当たらない。
「……ここ、どこ?」
慌てて立ち上がった瞬間、気付いた。
さっきまで感じていた痛みが、嘘のように無くなっているということを。
手を開いたり閉じたりして、自由に動く手の感覚を確かめる。
あっ……
私の人生が――終わった。
そう思った瞬間、全身の筋肉が抜け落ちたかのように膝から崩れ落ちた。
「嘘っ……」
なんでこんな日に……
今日は、私の結婚式の日だった。
本当なら、自分の人生の中で最高な日になるはずだったのに……、なんでこんな事に……
今頃結婚式場では、夫になるはずだった彼や式場の人たちが、私を探しているのかもしれない。
それに――
どこで嗅ぎつけたのか分からないけど、教えてもないのに出席すると言い張った両親も……
私はずっと両親の言うことを聞き続けて来たのに、両親は最後まで私の言う事なんて何一つも聞いてくれなかった。
あんなに参列したがったのは、私に興味があるからじゃない。
ただ、ご祝儀を横取りしたかっただけ! だから参列人数まで聞いて……
親ガチャで大外れを引いて最悪の人生を歩んできた私が、やっと掴んだ幸せだった。
なのに……
「本当に運が悪い。
私の人生って、一体なんだったの?」
……何のために生まれて来たの……?
親を養う為?
親の憂さ晴らしになる為?
心から幸せだと感じたことなんて、一度もなかった!!
なのに、これで終わりだなんて――
これじゃ、まるで私が苦しむためだけに生まれてきたみたいじゃない!
「悔しい……っ!!
なんで?どうして今私を殺したの!?
通り魔か何か分からないけど、なんでこのタイミングだったのよ……!!
どうせ殺すなら、もっと辛かったあの頃にしてくれれば良かったのに……っ!!」
黒髪の奴が憎い……
憎い!殺してやりたい!!
「もし、もしも生まれ変われるのなら……
私の人生に勝手にピリオドを打った黒髪の奴に……復讐させてください!!」
真っ暗な空に向かい、何度も何度も手を合わせ、強く願い続けた。
どれだけの時間が経ったのだろう。
気づけば、暗闇の中に一筋の光が差し込んでいた。
光の温度が、真っ暗だった私の胸に静かに触れたような気がした。
その光は次第に広がっていき、私を包み込んだ。
そして、次の瞬間――
「おぎゃあ、おぎゃあー」
突然、赤ちゃんの産声が響いた。
「無事に産まれたぞ!ほら見ろ!元気な女の子だ!」
そんな喜びに満ちた男性の声が聞こえた。
願い通り、私は本当に生まれ変わってしまったようだ――




