参の宴 ~秋収冬芽・2~
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
『秋』での酒と肴の消費スピードは、『夏』に比べてぐっと遅かった。
麦酒より何倍も酒度の強い蒸留酒を同等以上の量を飲んでいたのだから、当然ではある。
しかしそこは、酒好きの鬼とスキマ妖怪。……いや、妖怪はあまり関係ないかもしれないが、事実紫も萃香に付き合って飲んだ割に全く酔った様子がない。
ちなみに萃香は相応に酔っ払っているが、ただのいつも通りだ。
――それでも、形あるものはいつか無くなる。
酒瓶も、グラスも、七輪の上も。すっかり空になったのを見た萃香は、上機嫌で歌うように話す。
「あー、秋も美味しかったなー! しっかし、紫は色々とよく知ってるねぇ」
「伊達に長くここに在るわけじゃないのよ。幻想郷はあらゆるものを受け入れるのだから、受け入れたものは私たちも享受しなければ、勿体無いわ」
「はぁ、そういうものかぁ」
グラスの氷が溶けたあと、ほんのり蒸留酒の薫りが残っているだけの水を飲み干して、萃香は立ち上がる。
「さって、次は『冬』だね! 冬といえば、やっぱり雪だよねぇ。どんなのを萃めてきたのかもう忘れちゃったけど、楽しみね! ほらほら。早く行こうよ、紫っ!」
「あら、私は行かないわよ?」
これまで通り当然連れ立って行くものだと思っていた萃香は、掴んだ手をやんわりと解かれてその場に固まる。
紫の方も当然といった様子で再びその場に座り直し、空いたグラスにスキマから取り出した新たな酒を注いだ。
「え、どうして……」
「どうしても何も、冬嫌いだもの。眠くなるし」
想像しただけで眠くなってきたわ、と欠伸を噛み殺す紫。
萃香が知らない訳では無かったが、紫は冬になると冬眠する。と言っても、自然界のソレとは違い、ベッドに入ってずっと寝てる、という類の行動だが。しかし一回寝入ってしまうと、春を迎えても起きてこないなんて年もざらなくらいだ。
「私はここで好きにやってるから、あなたも『冬』を堪能してきなさいな。ほら、この七輪貸してあげるから」
「えーっ、いいじゃないか。ここまで付き合ってくれたんだし、一緒に『至上の宴会場』を作ろうってやってきたじゃない。ほらほら、深々と舞い落ちる雪に、この月の光が反射すると星屑みたいに煌めいてさ……きっと酒が進むいい景色だよ?」
「そんな詩情に訴えられても、嫌なものは嫌よ。冬は私にとって、至上には程遠い環境なの」
「じゃ、じゃあ紫は『秋』に居たままでいいからさ、スキマで窓みたいにして乾杯だけするとかさぁ」
なおも食い下がる萃香を紫は素気無くして、遂には自身でスキマをくぐり、彼女と物理的に距離を取った。
紫の手のグラスで、たぷんと琥珀色の液体が揺れる。
「スキマから冬が見えたら、私の体はきっと眠りを願うわ。スキマから冬風が入ってきたら、私の心は眠りを選ぶわ。……私だって、季節外れの冬眠になんて入りたくないのよ」
「そ、そこまで……」
断固たる拒絶っぷりに、萃香は驚くと同時に、胸の中で形容し難い何かが渦巻くのを感じる。
この気持ちは何だろう。上手く言語化できない。一つ言えるのは――これは、酒が美味しくなる類の揺らぎではない、ということだ。
そうだ。いつもと違う雰囲気で酒が飲めれば、それだけでいいじゃないか。ある意味、初心を思い出したのだ。
――そう、思い至り。
「……わかった。まぁ別に? 最初っから一人でもやるつもりだったし?」
「七輪と一緒に、お鍋も提供してあげるわ。あなたの手持ちの酒をお燗でもして、一緒に楽しみなさいな」
「ん、わかった」
ゔにょん。
紫の姿がスキマへと消えたのを見て、萃香も次の領域に足を踏み出す。
その先にあった銀世界で乱暴な足跡をつけながら進み、ぽつんと建つかまくらに入ると、そこには七輪の上に乗せられた鍋がすでに置かれていて――。
「……っくはぁ! これ、美味ぁい!」
木腕の汁を啜り、萃香の白い息混じりでの感嘆が室内に反響する。
雪で濡れた寒さも、その他諸々の雑多な思考も、この滋味深い味の前には雲散霧消していくようだった。
味付け自体は醤油の単純なものだろう、しかしとにかく出汁が美味い。雉の野生を感じる力強い旨味と、野菜やキノコの優しい旨味が互いを高め合い。汁の表面に薄ら浮く脂も全くしつこく無く、最後に載せた柚子皮の香りと苦味が、全体を爽やかに引き締めてくれる。
出汁でこれだけ美味いのだ、肉の方はどうなんだろう。
「ゴクリ……!」
期待で喉を鳴らし、はふはふと息を吐きながらそれを口に放り込むと……。
「んんっ! な、何だこれ⁈」
ぎゅっとした肉質は弾力があり、歯を入れるとしっかりと反発するがサックリ千切れる。噛むごとに濃縮された甘みと旨味の奔流がまるで噴泉のように湧き出てきて、堪らない極上の美味であった。
どこぞの鴉天狗や夜雀はギャーギャー言うだろうが、鳴いたら撃ちたくなる気持ちがよくわかる。
そんな雉の旨味をふんだんに吸った柔らかい野菜、キノコ類。さらに、それら全ての旨味を余さず吸収しているであろう豆腐。
「はふっ、はふっ」
辺りで唯一聴こえる炭火の音も耳に入らないぐらい、次から次へと箸が進んで止まらなかった。
そこへ、燗につけていた伊吹瓢産の酒をちびり。
直後、瞠目して天を仰ぐ萃香。迎える真白い天井が、萃香の視線を全て吸い込む。
「これ、本当にいつもの酒か……?」
そう疑いたくなるほど、この雉鍋の後に飲む酒は別物だ。
『――婚儀と比喩することもあるらしいわ』
きっと、片棒が馴染みの酒だったからだろう。紫の言葉が脳裏に蘇り、なるほどしっくりくる表現だと感じさせられた。
「すごい、確かにその通りかもしれないね、ゆか――」
またその声は誰にも届かず、反響して萃香の耳に戻ってくる。
……くつくつくつ。
残った鍋が沸き立つ音が、その場の空白を埋めた。
そして、しばらくの後。
「はぁーあ、もうっ。しょうがないなぁ!」
一際大きな声をあげ、萃香は立ち上がる。
体についた水滴を払い、半分以上残っている土鍋に蓋をして抱え、歩き出す。
足を向けるは、紫が残ると言っていた『秋』の方。
まぁ、この空間に道なんて無いようなものだから、何となく行こうと思って進めば辿り着くだろう。
サクサクサク……としゃり。
吹っ切れて軽い足取りの萃香の靴底が、不意に雪と違う感触を捉えた。
同時に白銀の世界が一瞬で切り替わり、慣れない目が眩む。
――そして。
視界に、ぼんやりと人の影が像を結ぶ。それに向かって、萃香は叫ぶ。
「紫っ! 一緒に鍋、食べようよ! すっっっごく、美味しいよ!」
萃香が言葉を並べる間に、視界は完全に復活した。
確かに、そこにはふわりと笑う紫も居た。
ただし。
場所は想定していた『秋』ではなく――元の、博麗神社の境内。
紫が引いた境界線はかき消えており、萃香が萃めた四季の要素たちが塵山のように雑多に堆積していて、中にはもちろん神社の縁側『だったもの』も含んでいる。
何より、涼しい顔の紫の横には……明らかに機嫌が悪そうに立つ巫女、博麗 霊夢。
「ちょっと、萃香! 何か言う事があるんじゃない?」
眉をひくつかせ、大幣をビシリと突きつけてくる彼女に対し、萃香は答える。
大声で、心よりの感情と共に。
「――霊夢も一緒に、至上の鍋を食べよう!」
ガックリと項垂れる巫女を、美しい満月が優しく照らして慰めるのだった。
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