参の宴 ~秋収冬芽・1~
辺り一面、雪の世界。月が照らす光は、その全てを白銀に染め上げた。
そんな中で、淡く明かりが灯る小山が一つ。側面に空いた穴からは、一条の煙が立ち上っている。
パチリ、パチリ。七輪の炭が爆ぜ。
クツクツクツ、鍋で湯の煮える音が響く。
黒い土鍋で茹るのは、肉と豆腐、数種のキノコや野菜など。山の滋味溢れる良い匂いが篭もる中、萃香は片手の箸で鍋を突き回しながら、もう片手で静かに猪口に口をつける。
「あっちち……燗をつけ過ぎたかぁ」
ふーふーと息を吹いて冷まし、再び口を付けてちびりと酒を含ませる。
熱されて沸き上がる強い酒精の香りと円やかな甘みが、ふわりと口に広がる。
これ以上熱くならないよう徳利は湯から下ろし、地面の雪にしばし埋めておく。入れ過ぎてしまうとただの酒精が抜けた冷酒になってしまうから、忘れないようにしなければならない。
「よーしよし。もうそろそろ、頃合いかな」
桜色だった雉肉が色付き、豆腐がほんのり膨らんで踊り、野菜達もくったりとしたのを見計らって。口角を上げた萃香は、鍋掬いに手をかける。
そして、大きめの木椀に具材を一つずつ入れていく。少しずつお酒と一緒に食べ回すのが楽しむコツよ、と言い含められたのを律儀に守っているのだ。
最後に油の珠の浮いた汁を注ぎ、細く切られた柚子皮を散らして……。
「あっはぁ、美味しそう。それじゃあ紫、また乾杯を――」
そこまで言って、この場に返す相手が居ない事を思い出した萃香。
「……いただきます」
掲げたお猪口が空を切り、彼女は少しだけ睫毛を伏せて唇へ運ぶ。
「ふぅ……ちょっと、冷まし過ぎちゃったかな」
その独り言も、ひっそりと冷たい空気に消えていく。
――ここは、『冬』の領域。
雪原にポツリと建つかまくらの中で、少女は一人静かに酒を呑む。
❖ ❖ ❖
時は戻り、処は『秋』の領域。
萃香と紫は心地良い風に揺れる芒穂と大きな満月を前に、丸い氷の浮いた琥珀色の酒をちびりちびりと楽しんでいた。風習に習ってか団子も積み飾ってあるが、二人は手をつけていない。
萃香を含め遍く幻想郷の住民にとって『秋に月見酒』のイメージは特に強かったのだろう、これまでと違って単純明快でわかりやすい空間演出である。
尤も、中には月に縁のある者たちも含まれていたせいだろうか、月の威容は実物よりもだいぶ巨きく不気味になっている気もするが。
とはいえ、そんなものに怯む二人ではない。
「満月が人を狂わせるというけれど、酒とどっちが強いかしらね?」
「知らないけれど、人じゃないから関係ないわ」
「そんな詮無いことを……。ていうか月見団子ってさ、月がこんなに大きいなら相応にもっと大きくしないといけないんじゃないかねぇ」
「用意が面倒臭いわ。欲しかったら、月の兎が自ら拵えれば良いのよ」
「そういえば、月で餅を搗くってどんな気持ちだろうねぇ。寂しくないのかな?」
「あなた、さっきから随分と天体に悲しいイメージを持っているのね。無用な茶々が入らなくて、集中できるんじゃないかしら」
「だって実際、手が届かないところじゃないか」
「私はすぐ行けるから」
「まぁそりゃ、あんたはね」
「別に寂しいところではないんじゃないかしら、あの子たちにとっては」
「ふーん、そういうもんかねぇ」
「そういうものよ」
至極他愛もない話が、二人の間をころころと転がっていく。
カラン、とグラスの丸い氷が音を立てて揺れ、誘われるように萃香が口許へ運ぶ。
粘度を持っているかのようなとろんとした質感のその酒が、彼女の唇を潤した。
「しかし、この蒸留酒というのも美味しいなぁ。蜜のような濃い甘み、古い樽の木の香り、あとは花みたいな香りも……。一気に呷ってしまうのは、勿体無く感じるね」
「あら珍しい。鬼も成長するのね」
「たまには、ね。それにこの丸い氷も面白いよ。どうやって作るんだ? あの妖精にはこんな細かい芸当できないだろうし」
「酒を提供してくれた館で、瀟洒なメイドさんがナイフを器用に使って削ってくれたのよ」
「あぁ、あいつか。確かにそれくらい出来そうだね」
萃香もかつて紅魔館を訪問した際に会話したその少女を思い出して、納得する。あの掴み所のない奇人なら、それぐらいの芸当は造作もないだろう。何なら、削った氷でジャグリングぐらいできそうだ。
……頼んだところで本当にやるかどうかは、別問題として。
「館の主さんはもっと年代物のお酒も持っていそうだったけれど、今日のところはこれにしておいてあげたわ」
「年代物は味も違うのか?」
「違うらしいわ」
「興味湧くねぇ。じゃあ次はそれにして」
「面倒臭いけれど、あちら次第じゃないかしら。結構渋ってたから。あなたこそ、鬼の誼で口利いて貰いなさいな」
「えー、ヤダよ。吸血鬼風情のクセに、生意気だもの」
「それは残念」
カラン。
言葉ほど残念そうではない表情の紫もグラスを口にし、次いで置いてあった皿にも手を伸ばす。
盛られているのは、干した無花果や甘藷、そして燻製の栗。その内の栗が、紫のお気に入りだ。
普通なら剥くのが一手間なツマミだが、紫にとっては皮という境界を越えて取り出せば良いだけ。何ら障害もなく、美味しく頂けるのだった。
「はぁ……、美味しいわねぇ。蒸留酒と燻した栗の薫り、とっても合うわ」
「私はこっちの方が好きだなぁ」
そう言って萃香が手を伸ばすのは、皿ではなく七輪の上。すでに火は消えているが、網の上の食材は余熱でまだ温かい。
キノコ類や干し肉などが乗せられている中、彼女が取ったのは串に刺さった銀杏。薄く塩が振りかけられた黄緑色の粒たちを、大きく開けた口で迎え入れた。
もちっとほくっの中間の独特な食感と共に、ほのかな甘みと苦味が広がる。七輪で焼いてついた焦げ目と纏う炭の薫りが、より香ばしさを増している。
「んー! この苦味がいいんだよねぇ!」
「あなたって、意外と苦いのとか渋いの好きよね」
「そう、意外?」
「鬼って、汁っぽくて新鮮なのとか甘いのとか、そういう享楽的なものが好きなのだと思っていたわ」
「勇儀はそうかも? 私は、酒が進めばなんだっていいよ。あ、でもそう言われるとこっちも食べたくなるね!」
思い出したとばかりに、ころんとした立派な松茸へも手にかける萃香。
そのまま豪快に齧り付くと、繊維がさっくり解れる小気味よい食感と共に、旨味の汁が上品な香りと共にジュワジュワと染み出してくる。しかもそれは、噛めば噛むほど重奏的に深みを増す。
まさに、秋山の恵みそのもの。口から鼻へ抜ける幸福に、萃香は目を細めて震えた。
「ふわぁー、こっちも最高っ!」
「ふふ、あなたはわかりやすくていいわね」
「どーも。……あー。あの子の盃があったら、この蒸留酒を年代物に出来るのかな」
「館の子たちと仲良しするよりは、試し甲斐があるかしらね」
「ひひっ、そうだねぇ」
一本角の知己と酒を酌み交わす楽しそうな想像で顔を綻ばせる萃香を見て、紫もまた楽しそうにグラスを傾ける。
――そろそろ頃合いかもしれない、と。
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