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弐の宴 ~夏祓・2~

「あらあら。これまた大層たくさん盛り付けたわね」


 スキマから帰ってきた紫は、目の前の光景を見て苦笑と感嘆を(こぼ)す。

 もし茶を()れていたらまだ冷めないぐらいの短い時間で、笹飾りは萃香の手によって大きく様変わりしていた。

 何せ、てっぺんから下まで。枝葉という枝葉に、文字通り鈴生(すずな)り状にびっしりと風鈴が括り付けられていたのだから。普通ならば重みに耐えきれず笹が折れるところだろうが、そこは萃香が能力で茎の密度を高めて強度を上げ、無理矢理に成立させているらしい。

 ――おかげで、暑さと一緒に風流も気にならないぐらいの騒音発生源と化しているが、作業に熱中していた彼女は気がつかなかったようだ。


「あっはは、なんか付けてる内に楽しくなっちゃってねぇ」

「あなた、酔ってない時の方がよっぽど酔狂だわ」

「否定しきれない……それはそうと、出かけてきた成果は?」

「もう、せっかちね」

「鬼をここまで()らすのは、紫ぐらいだよ」

 半目の萃香の言葉には答えず、紫はスキマに手を突っ込む。

「あの子がちょうど仕込んでいて、都合が良かったわ。はいどうぞ、召し上がれ」


 そう言って取り出されたのは――。


「……胡瓜(きゅうり)?」

「そう、胡瓜よ」

「待たされた挙句の、胡瓜?」

「待たせた末の、胡瓜よ」


 まごう事なき胡瓜。木の棒に刺さった、胡瓜そのもの。

 極限の渇きを癒すにふさわしい凄いモノが出てくると期待していた萃香は、目に見えてガックリと肩を落として落胆した。

 しかも見たところ、棒に刺した以外に手が加えられている様子もない(ただ)の胡瓜であるから、なおさら。

 それでも紫は気にせず、(こうべ)を垂れる萃香の頬へ、グリグリと胡瓜の先端を押し付ける。


「イメージで判断するのは良くないわ。ほらほら、さぁ。食べてごらんなさいな」

「あー、もう。わかった、わかったよ」


 心底嫌々といった風で、萃香は緑に輝く野菜をはっしと受け取った。

 次の瞬間、ハッとして顔をあげる。その視線の先には、ニヤリと笑う紫。


「……冷たい」

「そりゃ冷たいわよ、『冷やし胡瓜』だもの」

「そのまんま、なのね。でも何でこんなに冷たいんだ?」

「山の河童が変な機械で冷やしていたのを、(こころよ)く提供してもらったわ」


 萃香が飲み込めずにいるうちに、「ほら」と紫が手にした棒付き胡瓜をひと齧りしてみせた。


 ――シャクッ。

 瑞々(みずみず)しい快音が響き、瑞々しく飛沫が散る。

 上品に咀嚼する紫は目を細め嚥下(えんげ)すると、見せつけるようにゆっくりと舌先で唇を舐める。

 ほぉ、と一服吐かれる息は涼を帯びて、蒸し暑い大気へ溶けて消えていく。


 ……そんな艶かしく堪能する(さま)に、萃香の喉が思わずゴクリと鳴る。

 ここまで来れば、彼女の気落ちは期待へとすっかり入れ替わっていた。

 もはや一切の躊躇もなく、萃香は胡瓜に(かじ)り付く。


「い、いただきまっ!」


 サクッ、シャクッ。

 彼女の期待通りの涼音が響き、同時口内で水飛沫が散る。

 確かに表面もキンキンに冷えていて気持ち良かったが、噛み締める度に湧き出てくる青々とした水分の心地良さは比じゃない。まるで砂地に染み込む雨のように、萃香の火照って渇いた体へ染み込んでいった。

 特に調味されている訳ではない、本当に純粋に冷やされた()()の胡瓜。

 それが……まさか、こんなにも美味しいだなんて。


「んーっ!」


 萃香もまた、目を細めてその涼を存分に堪能する。ただ紫と違うのは、どんどん次の一口に進む手が止まらないところ。みるみる内に胡瓜は短くなっていき、程なくするとスッカリ無くなって丸裸の棒になってしまった。

 少し物寂しそうに棒を振りつつ、萃香は感嘆する。


「う、美味かったぁ……」

「それはよかったわ。でも、これで終わりじゃないわよ」

「えっ?」

「胡瓜はあくまで、用意していた主菜(しゅさい)へのツナギよ。そっちがそろそろ出来上がったみたいだわ」


 再び、紫がスキマへ手を伸ばす。

 そして取り出されたのは、またしても棒付きの食品。

 しかし先ほどの冷やし胡瓜とは打って変わって、こちらはこんがりとした焼き目が付いており、更には勝手に鼻が動きそうなほど香ばしい匂いをたてている。

 胡瓜で完全に食欲に火が付いた萃香が、じゅるりと涎を(すす)る。


「これは……魚?」

「そう、魚。『(あゆ)の塩焼き』よ。特に夏の鮎はとっても身が柔らかくて、甘味と香りも抜群なのだそうよ」

「そ、そうなのかっ! ――あぶっ⁈」


 早く寄越せとばかりに迫り寄る萃香の顔へ、紫はいつの間にか取り出していた『進入禁止』の標識板を貼り付けて押し止める。


「まぁまぁ、待ちなさい。せっかく主菜を出すのだから、もう一つ解禁しないとね」

「酒ね!」

「そう。合わせるのは、コレよ」


 ゔにょん。

 取り出されたのは、茶褐色の瓶。金属の蓋で封され、表面にはびっしりと()をかいている。

 ――まさしく、キンキンに冷えている証拠だ。


麦酒(ビール)よ。川か氷妖精で冷やそうと思っていたけれど、ちょうど良かったから胡瓜と一緒に冷やしてもらったわ」

「おぉぉ……!」

「栓抜きという道具を使って開けるのが作法らしいのだけど……面倒ね」


 葡萄酒(ワイン)の時と同様、紫が手を振るうと封は消え去る。

 そして縁側に腰掛ける二人の間にジョッキを置き、瓶をゆっくり傾ける。

 トクトクトク、シュワシュワ……。

 泡の弾ける音と共に注がれる、輝く黄金色の酒。ふわりと蓋をする、白い泡の層。

 もう何度目だろうか、萃香の喉が鳴る。

 ――流石に、待ちきれなかった。


「ふふ、良いわよ。乾杯しましょう」

「乾杯っ!」


 ガチリと重堅い音を響かせて、掲げられた二つのジョッキがかち合う。

 すぐさま口をつける萃香は、ジョッキまでが冷えている事に驚きつつも、止まらず麦酒を流し入れる。

 最初は泡の優しい口当たり。すぐに()いで、黄金色の酒がなだれ込む。

 口一杯に広がるのは、麦の香ばしい薫りと発泡の刺激、そして独特の強い苦味。

 勢いそのままに喉を鳴らして飲み込めば、体中を通り抜ける激烈な爽快感。

 しつこく(こも)っていた熱が、残らず昇華していくようだった。


「ぷっはぁ……! 最っ高ぉ!」

「ほらほら、鮎の方もお食べなさいな」

「そ、そうだった!」


 紫に(うなが)され、感動に打ち震えていた萃香は慌てて我にかえり、鮎の方に向き直る。

 そして、その背中へ一気に齧り付く。


「んっ! あふっあふっ」


 まず感じるのは、熱。焼きたてだから熱いのはもちろんだが、麦酒で冷えた口には余計鋭敏に刺激として伝わってくる。

 次いで強めに付けられた塩味。そしてすぐ追いかけてくる、鮎自身の風味。

 なるほど、紫が言った通り。その身は歯で噛み切るまでもなく口の中でほろりと柔らかく(ほど)け、肉汁と共に甘味と旨味が優しく広がる。決して強い香りではないが、どこか夏の草原を感じるような、実に爽やかな風味だった。

 戻ってきた熱を癒すように、萃香はまたジョッキに口をつける。

 すると、焦げの苦味と麦酒の苦味、鮎身の草原感と麦酒の穀物感が共鳴し合い、別次元の旨味となって鼻を抜けた。


「う、美味いよぉ……」

「ふふ、良かったわ」


 空になった萃香のジョッキに麦酒を注ぎ足し、紫は満足げに微笑む。

 彼女も堪能しているのだが、萃香とは違って小さな一口ずつでちびちびと。合間合間に薄紅色の矢生姜(はじかみ)を挟みつつ。


「――って、なんだそれは! 美味しそう、私にもくれ!」

「もちろんどうぞ」


 サクッと軽い食感の矢生姜は、噛み締めれば独特の辛味が口の中を爽やかにしてくれる名脇役。

 鮎の魚臭さに合うのはもちろんのこと、麦酒にも一味加えられるという事実に気が付き、萃香は瞠目する。

 なんで最初からくれなかったんだ、夢中で食べてたあなたのせいでしょう――という無言の視線の応酬が行われるが、結局は酒と肴の摂取を優先してしまう。

 鮎、麦酒、矢生姜。鮎、矢生姜、麦酒……。

 そんな風に夢中で食べ飲み進めれば。

 縁側に骨と(から)のジョッキと瓶だけが残されるまで、大した時間は掛からなかった。



❖ ❖ ❖



「くはぁ……」


 満足の吐息を漏らす萃香は、静かな縁側で仰向けに寝そべる。

 ちなみにあの鈴なり風鈴(騒音発生源)は、食事後の彼女自身によって「うるさい」の一言で疎に散らされていた。後に残ったのは、サラサラと軒端に揺れる葉と他人の『願い』だけ。


「ねぇ、紫」

「なぁに?」


 空を仰ぎ見たまま訊ねる萃香に、空を見上げたまま答える紫。


「あの金銀散りばめた星の砂の道。人間は川に見立てて『天の川』って呼ぶらしいよ」

「そうらしいわね」

「不思議だよね。魚も何にもいなそうで、寂しそうな川なのに」

「あらじゃあ、萃香は何だと思うの?」

(こぼ)した酒」

(わび)しい想像ねぇ。きっと願いは叶わなそうな川だわ」

「紙に書くほどの叶えたい願いがあるのに、やる事が遠くの空を見上げようなんていうのは、無駄な行為でしょ」

「そうかしら?」

「紫は、そう思わないの?」

「私も願いは余所に預けないけれど――」


 でもほら、と紫は指を振る。


「星は夜になればいつでもそこにある。そんなのを口実に話が弾んでお酒が飲めるなら、とってもお得で便利じゃない?」

「んーまぁそうだねぇ。私は、花火とかの方が派手で口実としては好きだけど」

「河童のお家に火でも付けたら、打ち上がらないかしら」

「さんざん胡瓜やら貰っておいてから焼き討ちとは……鬼の所業だね」

「ふふ。鬼に言ってもらえるなんて、光栄だわ」

「……褒めてないよ」


 ――と、呆れのため息をつく萃香だったが。

 天上に煌めく星々の下で、気の置けない相手と、ただ取り止めのない話をする幸せを。

 奥歯に残った矢生姜の辛味と一緒に、じっくり噛み締める。


「ねぇ、次はやっぱり花火にしようよ」

「いやよ、面倒臭い」

「……はは。そっかぁ、面倒臭いかぁ」


 天の川で隔てられた二つの明星が、笑うようにキラリと瞬いた。

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