前口上 ~催宴~
夜半の幻想郷。
美しい満月が煌々と照らす博麗神社の境内で、玉砂利をトシャリと踏みしめる足音が一つ。
博麗の巫女が留守の今夜は、種々雑多な妖怪たちが訪れる普段とは打って変わって静かである。
そんな状況だからこそ。無遠慮に小石散らすのを聞き咎める者など居ないし、覚束ない千鳥な足どりに眉を顰める者も居ない。
――いや。騒音の主は、そうだと知っていたからこそ、今ここを訪れたのであるが。
「よしよし、狙い通りね。今日は絶好の日和!」
そう言って拳を夜空へ高らかに掲げるのは、小柄な少女。体に不釣り合いな大きく長い角が生えた頭を前後にふらふら揺らして、しめしめと悪そうな笑みを漏らした。
「あの子が居ようと居まいと気にすることでもないけれど、この鬼才的な閃きに茶々が入るのは御免だからねぇ」
ため息を付いてあーだこうだ言ってきそうな博麗 霊夢の姿が、少女の脳裏に浮ぶ。
……でもまぁ何だかんだで、許してくれるだろう。そして万事済んだら、後であの子も入れてあげよう。
少女は一人で納得し、パンっと手を合わせる。
その両手に繋がる鎖が音を立て、ざわりと空気が揺らぐ。蠢く。
「春を萃める。あれは大好きな花見を邪魔されて確かに大迷惑だったけど、よくよく考えれば私だって同じことが出来ちゃうわけ。……しかも、もっとずっと良い感じにね」
蜜と疎を操る程度の力。
かつてその能力で幻想郷の諸共の心を萃めた少女は、手にした瓢箪を咥え、景気づけとばかりに一気に呷った。
ぐっ、んぐっ、くっ……ぷはぁ。
常人なら匂いだけで卒倒しそうなほどの酒精を吐息に絡ませながら、少女は宣言する。
「さぁ、始めよっか!」
静謐な境内で、にわかに妖気混じりの風が吹く。
一体どこから現れたのか。花弁が、水泡が、金葉が、雪片が。みるみる少女の下へ集まっていき――。
と、その時。
「あらあら、また好き放題蒐めて散らかして。そんな力業じゃ上手くいかないわよ、萃香」
ゔにょん。
形容し難い音と共に空間が裂け、『スキマ』から新たな少女が姿を現した。
白と紫のドレスを翻らせ、優雅に傘を広げてふわりと着地したその少女を、呼ばれた伊吹 萃香は驚きもせず迎える。
むしろ、「当然だろう」という調子で。
「そろそろ来る頃だと思っていたよ、紫!」
「本当に思っていたのなら、ちゃんと招待しておきなさいな」
「そんなこと言って、ぜーんぶ見てた癖にさぁ」
「招待された方が、気分が良いじゃない。おきゅうを据えるにしても、色々と準備できるし」
「へー。……じゃあ、そのつもりで出てきたわけ?」
「少なくとも今は、違うわね」
ニヤリと獰猛な笑みを浮かべて拳を構える萃香に対し、八雲 紫は面倒くさそうに手を振って往なす。
「言ったでしょ? それじゃ上手くいかないって。――いえ、そうね。例えばあなたの背中へ氷妖精を突っ込むなんていうのは、確かに楽しそうだわ」
「その『きゅう』は色んな意味で鬱陶しいから止めろ。……それで、私が何をしようとしてるか分かってるってこと?」
「私から言うなんて、そんな野暮なことしたくないわ」
「えー……。まぁ、いっか! じゃあ、私の鬼才的閃きをとくと聞くがいいわ」
萃香は地面にバンと瓢箪を置く。
「花見酒、星見酒、月見酒に雪見酒。どれもこれも最高に楽しいけれど、だらだら待っているから誰かに奪われるのよ。だったら――ちょっとずつ萃めてくればいいのよ!」
萃香が小さな胸を張り、分銅付きの鎖を鳴らす。
境内に再び風が巻き起こる。
「ここに、春夏秋冬ぜーんぶが一度に味わえる、『至上の宴会場』を作るわ!」
だからな、と紫に指を差し向ける。
「紫、あんたも手伝いなさい!」
「いいわ」
――即応即答。
「ふぅん。ならやっぱり、拳で納得させるしかないよう……え、あれ?」
「いいと言ったわよ? その酔狂な遊びに、乗ってあげるわ」
蠱惑的な笑みで返す紫。
一方、想定が外れて困惑した萃香は、その場で思わずたたらを踏んだ。何ならコレを口実に一発やり合えるか、とすら思っていたぐらいなのだから。
「ただ雑多に季節を萃めただけじゃ、ごちゃごちゃで宴会もしにくいでしょう」
「ふーむ」
「純白の雪原で満開に咲く桜、それを照らす満月を背に打ち上がる花火。そんなの、何をアテに飲めばいいか分からないじゃない」
「それも、そうかも? でもなぁ、季節を待つなんて無駄を無くしたいじゃない」
「無駄、ねぇ。……なら、こうしましょう」
ぽんと紫が手を叩き、スキマから『進入禁止』の道路標識をヒョイと取り出す。
そして、手にした標識で砂利面にガリガリ線を引いていく。巫女が目にしたら、発狂しそうな所業である。
しかしそんなことを彼女が気に留めるはずもなく。出来上がったのは、ちょうど畳一枚分くらいの四角い境界が、四つ。
「何? まさか、四畳の宴会場ってわけ?」
「ふふ、まぁそんなところかしら。あなたは、このそれぞれの所に別々の四季を萃めてくるの。そうしたら私が、綺麗に境界を仕切ってあげる」
ここが春、ここが夏ね、と差し示してゆく。
しかしそれを頬杖ついて眺める萃香は、やや不満げな様子だ。
「うーん。でも、なんか狭くない?」
「見た目の広さは問題じゃないわ」
動じない紫は、「それにほら」と境界線を踏み越えながら続ける。
「こうすれば、たった数歩で季節を一周できるじゃない」
「……おぉ、おおお! 確かに!」
得心したとばかりに、萃香がポンと手を打つ。その目は期待でキラキラ輝いていた。
「春夏秋冬、気が向くところに歩いていって飲めばいいわ」
「うんうん。流石だ、紫! じゃあ早速始めよう!」
――ゔにょん。
スキマが瞬き、萃香の身が一瞬で四畳の中心に移される。
間髪入れず、彼女が力を解放する。
――シャリン。
三本の鎖が舞い、萃香の周囲の景色が一瞬に歪む。
場に妖気が溢れ、四方遍くから集まる、蒐まる、萃まる。
「さぁ来たれ来たれ、幻想郷の四季よ!」
眩い光の魔法陣が現れ、消えた時……。
一畳には、花咲き乱れる『春』
一畳には、海さざめく『夏』
一畳には、満月輝く『秋』
一畳には、雪散る『冬』
そこには全てが顕現した、『しじょうの宴会場』が出来上がっていたのだった。
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