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旅の果て(中編)



 ガイの頭は、メトが思っていた以上に良い。しかしそれでも博士が行っていた専門的な実験を理解するのには相当な勉強が必要だった。もし博士以外の実験体が見つからなければ、困ったことになっていたかもしれない。


 複製体四体を相手に、記憶消去実験が行われた。記憶を失った複製体にジョットが拷問を行い、それから拷問の記憶を消して、人格に影響があるかどうかも調べた。具体的に拷問とは何をしているのか、メトはジョットに訊ねたが、教えてはくれなかった。


 拷問の有無で、記憶消去後の人格にあまり変化はなかった。しかしジョットが言うには、改めて拷問をかけると、拷問に対する反応が違ってくるという。複製体連中は、過度な痛みを受けると、最初は抵抗するものの、やがて痛みを最小限にするために防御に徹するようになり、必死に心を閉ざそうとする。拷問を過去に受けたことのない個体より、受けたことのある個体のほうが、心を閉ざす速度が早い。つまり拷問に対する適切な対処方法をいち早く取り入れるらしい。


 記憶を消去されることで、当然拷問に関する記憶は消えるはずだが、記憶領域だけではない部分で、この物事を覚えていて、再学習するのが早くなる。単純に、調整器が複製体たちの記憶を完全に消すことが出来ていないという可能性もあるが、博士曰く考えにくいという。


《ジョットの拷問とやらが具体的に何をやっているのか分からないから推測で話すしかないが、強烈な記憶がその後の人格に不可逆的な影響を与えるということはなさそうだ。しかし人間の場合、精神の不調が肉体を破壊し、破壊された肉体が精神を更に不調に導くため、記憶を消去すれば人格も何もかも元通りということにはなりそうにないな》


「複製体の話はどうでもいいけど、フォーケイナの記憶を消すのに有用な実験結果は得られたわけ?」


《集まった、と言えるだろう。万全を期すならあと何年でも実験を重ねたいところだが、さすがにそれはフォーケイナのほうがもたないだろうからな》


「それじゃあ……」


《私が主導していいのなら、明日、フォーケイナの記憶を消す。本人とメト、お前らの意見はどうだ?》


「明日だね。分かった。私がフォーケイナに話す」


 メトはそう言うと、研究所内にいるはずのフォーケイナを探した。彼が寝床に使っている部屋を見たがもぬけの殻で、敷地内をくまなく歩いて回ったが彼の姿はなかった。


 研究所を出て、廃墟と化している通りを抜けて、街に出た。行き先で思い当たる場所は病院しかなかった。もし病院にいなかったら博士に探知してもらうしかないだろう。というか、最初からそうすれば良かった。


 半ば諦めながら病院に行くとフォーケイナがいた。今日もゼロが大量の患者をさばいていて、医者や看護師がその補佐に回っているのを見ると、まるで彼女がこの病院の主のように見えてきて、おかしかった。そんな様子をフォーケイナが診療室の隅で眺めていた。


「フォーケイナ……。今、いい?」


「どうぞ」


 メトはフォーケイナの隣に立った。なんだか居心地が悪かったので床に座り込むと、フォーケイナもそれに続いた。


「明日、あなたの記憶を消すことになった。これであなたの人格は死ぬことになる。……それで構わない?」


「ああ、やっとか。僕は今、なんとか精神をなだめる薬をもらえないかと病院に来たところだったんだ。今夜乗り切ればいいだけなら、薬はいらないかもね……」


「そっか。フォーケイナ、待たせちゃったね」


 フォーケイナは冷たい眼差しをメトに向けた。


「実験を色々としていたみたいだけど、成果はあったの?」


「あったみたいだけど詳しくは聞いてない。博士を信じるしかないし」


「……メトちゃんにとって、一緒に旅したあの個体は、他の複製体と比べて特別なんだね」


 メトは話題が転換して少し動揺した。何を話したいのだろう、と一瞬考えた。


「特別……、かどうかは分からないけれど、なんか他の複製体は話が通じないんだよね。たぶん、自分が最初から複製体だって自覚してたからなのかな」


「というと?」


「私と一緒に旅をしていた博士はさ、最初自分が複製体だって気づいてなかったんだよ。薄々察していたかもしれないけど、否定したがってた。自分は人間なんだって自分に言い聞かせてたのかな。なんだかそれって、人間臭いじゃん。他の複製体は、最初から自分の命は代替可能で、予備の内の一つだって割り切ってた。それって人間らしくないじゃん?」


 フォーケイナは軽く頷いた。

 

「そうかもね。だからとっつきやすいと?」


「うーん、幾分謙虚というか。私に理解があるというか」


「情が移った?」


 メトは返答に詰まった。自分でもよく分かっていない部分だった。


「……かもしれない。けど、長い間一緒にいたら、そうなるでしょ」


「僕を殺した後、博士も殺してくれ」


 フォーケイナの言葉にメトは目を見開いた。


「……えっと、それは、その……」


「そんなに驚くことかい? 最初はそのつもりだったんじゃないの?」


「それはそうだけど」


 フォーケイナはじっとメトの顔を見つめた。


「当然だけど、記憶を失った後の僕は博士に恨みなんか抱いていないだろう。だけど、今の僕の感情は……。やっぱり、この世に博士は存在しちゃいけないと思うんだ」


「……かもしれない。分かった。必ず博士は殺しておく。反対する理由なんて、ないよね」


 メトはフォーケイナの言葉が至極当然のものだと思った。それなのに衝撃を受けてしまった自分が信じられない思いだった。何度も博士を殺そうと思ったし、それが自然の流れだと思っていた。しかし、聖都で、博士を復活させたのはメトだった。あのときの感情は武器を手に入れられた安堵感だけではなかった気がする。


 メトはしばし考え込んでしまった。するといつの間にか、治療を行っていたゼロが中座し、メトとフォーケイナのほうに近づいてきた。


「あ、ゼロ。どうしたの」


 メトが訊ねる。ゼロは小さく頷き、それからフォーケイナのほうを向いた。


「私も、見た」


 ゼロが囁く。フォーケイナは怪訝そうにゼロを見つめ返した。


「何を? 未来視のことかい?」


「うん。私も、この世の人間全てが、自殺する未来を、見た」


 フォーケイナは苦笑しながら、ゼロから視線を外した。


「それはそうだろうね。ゼロに未来視をさせて、その映像を僕は共有したわけだから。それがどうかしたのかい?」


「フォーケイナが生きていても……。その未来を避ける方法は、ある。私が、この世の全ての人間の体から……、フォーケイナの影響を除去する。私の、能力を抽出する力で」


 ゼロがつっかえながら言った。フォーケイナは一瞬ぽかんとしていた。メトも咄嗟に言葉を紡げなかった。


「……ふふ、ゼロ。何を言うかと思えば……。そんなことは不可能だよ。いったいどれだけ僕の肉片が世界にばらまかれたか。プライム博士はありとあらゆる方法で僕の細胞を人間の体内に送り込むか、その研究にも余念がなかった。水源に仕込んだり、食べ物に混ぜ込んだり、人通りの多い施設で散布するなんて方法も検討された。ジヴィラムでの実験の通り、町全体が僕の支配下に落ちるなんて光景も目の当たりにしただろう? プライム博士の死で、これ以上の拡散はなくなったかもしれないけれど、もうきみの手に負える規模ではないんだ」


「それでも、やる。私、フォーケイナには生きていて欲しいから」


「……はは……、冗談きついよ、ゼロ。きみは僕の理解者だったはずなのに」


 フォーケイナは立ち上がって病院を出て行った。メトはそれに続こうとしたが、ゼロがメトの腕を掴んで引き留めた。


「ぜ、ゼロ……?」


「メト。フォーケイナを殺さないで」


 こんな力強い言葉のゼロは知らなかった。メトは力なく首を振ることしかできなかった。


「約束したんだ。そうしなければ、最悪の事態が起きる。フォーケイナにそんなことをさせたくないんだ。彼はぎりぎりのところで踏ん張ってる」


「それでも……」


 メトはゼロの腕を掴んで、


「私が、殺すことを躊躇したら! フォーケイナは間違いなく、フォーケイナの細胞を保有している人全てを殺す! 鏖殺おうさつだ! そんなことさせない!」


 ゼロはメトの大声に全く臆することなく、


「記憶を、消せるのなら……。全てを消すのではなく、都合のいい場所を消すことはできないの?」


「そ、そんなの……。そんな器用な真似」


「できないの?」


 できないと思う。しかし、確かめていない。そんな簡単なことも確かめていないなんて。いや、博士やガイだって、その手段について考えていないはずはない。


 メトはゼロを振り切って、フォーケイナを追いかけた。フォーケイナはすぐに見つかった。彼の背中に触れると、彼は鋭く振り向いた。


「まさか、僕を生かすわけじゃないだろう、メトちゃん」


「もちろん」


 メトはそう言うのが精一杯だった。フォーケイナは追い詰められている。これ以上かける言葉が見つからず、メトは一足早く研究所に戻った。


 そして明日の記憶消去に向けて準備をしているガイと博士に近づいた。博士を持ったまま作業をしているガイの腰に触れ、振り向かせた。


「お。どうしたんだい、メトちゃん」


「博士と話をさせて」


「おお、了解だ。作業は進められるだけ進めておく」


 メトは博士を受け取った。そして部屋を移動し、通路の奥、行き止まりまで向かった。周囲に人の気配は皆無だった。そのことを確認して心の中で会話する。


(記憶の消去って、全て消すことしかできないの?)


 博士は少し呆れた様子で、


《ふん……、お前の言いたいことは分かる。人類への憎悪、復讐心、そういった部分だけの記憶を消去してやれないか、ということだな》


(そ、そう。察しが良いね)


《結論から言えば可能だろうな。ただし100年後の話だ。今の技術と理論では不可能だ。人間の脳というのは解剖してもいまいち仕組みが分からなくてな。まあ、私がそちら方面の関心が希薄だったというのもあるんだが、生きた人間の脳で実験するという機会がほぼなかったので、理解が浅い。記憶を全て消すだけなら、乱暴な方法で済むのでなんとかなるんだが、記憶の取捨選択はできない》


 メトは博士を持ったままうなだれた。


(そう……、だよね。複製体の実験のときも、記憶を全て消してたもんね)


《いや、人間相手なら記憶の取捨選択は不可能だが、無機物の複製体の記憶なら細かく制御可能だ。する意味がないのでしていないだけだ》


(え、そうなの?)


 博士はこともなげに、


《私自身、その複製体であるというのも大きいのだが……。所詮我々は無機物の羅列であり、生体とは大きく異なる。どの部分がどの記憶に対応しているかを解析することは容易い》


(そ、それじゃあ……)


 メトは自分の考えを話した。ついさっき思いついたことだった。ただしここ数日、苦しむフォーケイナを間近で見て悶々と思索を重ねていた結果生まれたものでもあった。


 メトは長々と博士に説明し、博士は幾つか質問を返した。そしてその返答に満足すると、唸った。


《その発想はなかった。確かにそれならフォーケイナの記憶を一部分だけ切除し、奴を生かすことが可能だ。しかし、果たしてそれが意味のあることなのか、私には分からない》


(やっぱり、そうかな)


 メトには自信がなかった。多くの人の意見を知りたかったが、おいそれと言い触らしていい話題でもなかった。


《フォーケイナがそれを望むとも思えない。私が言うのも何だが、狂気じみた解決方法だ》


(ゼロが、言ったんだ。フォーケイナの影響を受けた人たちを全て治療するって。そうすればもう、フォーケイナが復讐しようと思っても他人に干渉できなくなるでしょ)


《無謀な考えだ。いったい何十年、いや何百年かかるか》


(でも、私はそれを聞いて感心した。それも悪くないって思えた。だから……)


 メトは黙った。博士が、やはり呆れた様子で、


《旅を続ける……、か?》


(そう、なる、かも、しれない……)


《ふん。しかしその旅に私は同行しないほうがいいだろうな》


 メトは目を見開いた。


(え? どうして)


《ここで殺せ。それが嫌なら封印しろ。はっきり言わせてもらうが、お前の今の提案は、更なる災厄を招きかねない。私の存在はここで途絶させたほうがいい》


 博士の言葉は理解できる。改めて考えるともっともだと思った。メトは小さく頷いた。


(分かった……。じゃあ明日は、予定通りフォーケイナの記憶を全て消す。その後、フォーケイナを安心して預けられる人を見つけたら……)


《聖都へ行け。ジョットに連れていってもらえば一日で移動できるだろう。もし聖都で全てが失われていたら――》


(私の今の提案はなかったことになるね)


 メトは博士との会話を終えた。いくらか気分がすっきりしていた。ガイのもとへ戻り博士を返すと、ガイは不審そうな顔になった。


「メトちゃん、吹っ切れた顔をしているな」


「え、そう?」


「ああ。初めて出会った頃の雰囲気に似てる。怖いものなしって感じだ」


「うん……。髪もかなり伸びてきたしね」


 メトは笑ってごまかした。笑ってから気づいたがここ数日まともに笑っていなかった。頬の筋肉が錆び付いていてぴくぴく痙攣した。


 メトはその夜、一睡もしなかった。自分の行いが正しいのかどうか自信はなかった。もしかするとおぞましい行為に手を染めているのではないかと不安になった。フォーケイナに恨まれるかもしれない。しかし、メトはその選択に魅力を感じていた。考えれば考えるほどこれしかないという気分になった。


 フォーケイナの記憶消去当日、朝、ゼロは病院を休んで研究所まで来た。メトは不安そうな顔のゼロにそっと忍び寄って耳打ちした。


「フォーケイナと一緒に旅に出る」


 そして詳しく説明した。ゼロはそれを全て聞いてからメトの手を握った。


「ありがとう、メト。でも、もしかするとそれは……」


「うん。私たちのエゴでしかないのかも。けれど、これで私たちは前向きに生きていける。そう思うんだ」


 フォーケイナはガイたちが作り上げた設備に身を委ねた。記憶消去は問題なく行われ、記憶を失ったフォーケイナはしばらく昏睡状態になった。いずれ目覚めるはずだと博士が太鼓判を押した。


 その日の内にメトはジョットを説得して聖都まで連れていってもらった。ジョットは最初渋ったが、メトの説明を受けて、奇妙なものを見る目になった。


「お前、いかれてんのか?」


 しかし最終的に聖都まで運んでくれた。メトはラグと再会し、聖都内を探索させてもらった。聖都では復興はおろか瓦礫の撤去も満足に進んでいなかった。聖都の周囲に人々の仮住まいが続々と建てられていた。大災厄が起こっても人々はたくましく日々を生きている。メトはそれに倣わなければならないと思った。


 そしてメトは聖都を半日徘徊し、瓦礫の下から目的のものを見つけた。研究所への道。地下への階段。地下の中のものはほぼ全てが無傷だった。携えていた博士はプライム博士の研究室を目の当たりにして、


《これなら十分だ。数日以内にやれるだろう》


 そう言ってメトを安堵させた。メトは必要なものを布袋に掻き入れると、研究室を出た。ジョットにタングスまで連れ帰ってくれと頼む。


「てめえ、あんまり調子に乗んなよ」


「ありがとう、ジョット。感謝感謝です」


 メトはジョットの肩に掴まって空を飛行しながら、考えていた。フォーケイナの死によってこの世界の危機は去ったのかもしれない。でもまだ何も終わってはいない。決着はついていない。このまま静かに世の中から消え去って終わりだなんて耐えられない。


 私たちにだって生まれてきた意味があるはずだ。空気の薄い上空、暴風に耐えながら、必死に呼吸を繰り返すメトは、あまりのしんどさに心が折れそうになりながらも、この状況を楽しんでいた。淡々と生きていくより苦しんだり悲しんだりしながら人生の旅を続けるほうが楽しいに決まってる。


 待ってろフォーケイナ。今からお前に最悪の気分を味わわせてやる。でも後悔はさせないと思う。楽しいと思えるように頑張るから。メトは逸る気持ちを抑えながら、これからの未来に思いを馳せていた。




まだ書き上げていないので確定ではありませんが、次回最終回です。

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