砂蟲を枕に(前編)
ガイと一緒に旅をすることによって、カネの使い道が増えた。食費、宿泊費、衣料費のほか、関所を通る際の通行税も倍増した。十分だと思っていた路銀が一気に心もとなくなったが、メトとガイの財布を別々にはしなかった。カネが原因で彼が旅を離脱することになると、あまりに哀れだし、魔物退治の依頼を受けるのに彼の存在は非常に大きいと分かったからである。
魔物退治の需要はあるのに、メトが仕事を受けに行っても、歓迎されることは全くなかった。ギルドに所属しない少女が魔物退治に向かいたいと言っても、ただの遊びとしか受け取られないのは必定だった。依頼人との交渉はガイが適任だった。“魔遣りの火”の構成員だという後ろ盾も強力だった。社会的にはガイは手練れの魔物退治屋であり、メトというよく分からない少女の指導役であり、単独で魔物退治を成し遂げる豪傑だった。
メトはガイと共に魔物退治をこなした後、とある方針を定めた。これにはガイが猛反対した。
「メトさん、方便だと分かっていても、俺の心が耐えられない! 俺がメトさんの師匠ってことにするなんて」
「いちいち本当の関係性を説明するより、そっちのほうがいいでしょ。ガイが師匠で、私は見習い魔物退治屋。依頼人も安心して仕事を任せられるよ」
ガイは頭を抱えた。それからメトを見つめる。
「しかし、メトさんはそれでいいのか? 本当は強いのに、周囲から舐められることになるんだぞ」
「別に気にしないよ。私の目的は周りからちやほやされることじゃないし。むしろあまり目立ちたくないかも」
「そうなのか……。まあ、メトさんがそう言うのなら」
メトはぽんと手を叩いた。
「それもやめよう」
「え?」
「メトさんって呼び方だよ。師匠が弟子に敬称なんて不自然でしょ」
ガイは分かりやすく狼狽した。
「し、しかし……。呼び捨てにするのか? メトって」
「不自然じゃなければ、何でもいいけどさ。そもそもちょっと気になってたんだよね。年上の人にメトさんって呼ばれるたびにちょっと居心地悪かった」
「それならもっと早く言ってくれればいいものを。……じゃあ、分かった。これからはメトちゃんで」
メトは驚きのあまり目を見開いて手をぶんぶんと振った。
「は!? いや、それはナシで! 子どもじゃないんだから」
「なんでもいいと言っただろ?」
一転してガイがくすくす笑い始めたのでメトは腹が立った。
「言ったけどさ……。私はそんなタマじゃないんだけどな」
「師匠が弟子を親しみを込めて呼んでいる気がしていいじゃないか。それに、こう呼んでおけば、みんなきみのことを侮ってくれるぞ。それが望みなんだろう?」
「うん……。まあいいや。自分で言ったことだしね」
二人はガンヴィという街に逗留していた。近くに鉱山があり、大都市への道が交差する交易の要衝でもあった。複数の魔物討伐ギルドが存在していたが、討伐が間に合っておらず、メトのような流浪の旅人や、他の街を拠点にしているギルドが手を貸すことが珍しくなかった。
ガンヴィでの仕事を三件ほどこなし、ガイという男の活躍っぷりが街の人間の間で話題に上がり始めた頃、依頼人はやってきた。依頼人は同業だった。メトたちが宿泊している宿にまでやってきて、こう持ち掛けた。
「共同戦線といきませんか、先生」
それはレッドという名前の女だった。驚くべきことに、彼女はこの街を拠点としている魔物討伐ギルド“大戦廻”の棟梁だった。構成員40名を超す、けして小さくはない集団の長だ。
「ええとそれは」
ガイはメトの様子を伺ってきた。メトは拳を振って「しゃんとしろ!」と合図を出した。ガイは背筋を伸ばした。
「話を伺おうか。こちらへどうぞ」
ガイの宿泊している部屋に、レッドを招き入れた。入口にはメトが立ち、ちょうどレッドが見えない位置からガイに合図を出せるようにした。
レッドは妙齢の女性だった。銀色の髪を後ろで束ね、黒い塗料が塗ってある各種武器を携えている。メトはレッドが相当な手練れであることを見て取った。大体身のこなしで分かる。強者とは何となく距離を取りたくなるし、弱者とは手が触れあえる距離でも全く緊張しない。それがメトの判断基準だった。
レッドは椅子に腰かけた。脚が長い。メトと比べて拳二つぶんは違うだろう。剥き出しの褐色の肌に、ガイの目が一瞬止まったように見えた。そういえばこの獣人、恋愛対象はやはり獣人なのだろうか。虎の獣人だから虎の女獣人とだけ恋愛するんだろうか。獣人なんて珍しくはないが、やはり普通の人間と比べて出会いが少ないのは間違いない。見た目以外はわりと普通の人間だから、獣人以外でも大丈夫かもしれないが、そうなるとメトとの二人旅に何か思うことはないのだろうか。今更ちょっと気になった。
「こほん。それで、共同戦線とは……」
レッドは背中越しでも分かるほど、穏やかな人物だった。声にゆとりがある。ガイも心なしか油断しているように見える。
「我々のギルドで追っているヤマがありましてね。周辺のザコを蹴散らすのはわけがないんですが、魔物の巣窟の最奥部に控えている親玉になかなか手が届かなくて……。部下を危険な場所に送り込むのは、棟梁として気が進みませんで」
「それで、俺たちに協力を?」
「一度、他のギルドにも呼び掛けて、精鋭を揃えて親玉へ攻撃を仕掛けたことがあったんです。しかし、魔物の巣窟は迷宮のようになっていて、消耗が激しく、まともに戦えるのが私だけだったという状況で」
ガイがちらりとメトを見た。少女に睨まれたのですぐに視線を戻す。
「ほう」
「私一人だけではさすがに魔物の巣窟から逃げるだけで精一杯でした。しかし噂に聞こえたガイ殿ならば、私と一緒に魔物の巣窟へ潜ってくださるのでは、と」
「なるほど……」
ガイがメトの反応を伺っている。メトは少し思案した。恐らくレッドは足手纏いにはならない。確かな実力者だ。しかし一緒に魔物の巣窟へ向かうとなると、ガイではなくメトが主力であることを絶対に見抜かれる。メトの食事の風景を見られるのもまずい。
メトは身振り手振りで意思を伝えた。ガイの察しはかなり良かった。
「こほん。……共同戦線のお話は、断らせていただく」
「なぜです?」
「俺と弟子、二人だけで仕事をやるのが流儀なんでね。レッドさんを交えて迷宮に潜ると、連携が崩れて、危険が増す可能性がある。俺たちだけでやるのが最善だ」
断言したガイには貫禄があった。演じると決めたのなら、この男はなかなかの役者だった。少し感心する。レッドは顎に手をやって思案する素振りを見せた。
「なるほど……。では、別々の道から魔物の巣窟を叩くというのはどうです?」
「と、言うと?」
「狙っている巣窟には、複数の道があって……。そのいずれもが親玉のもとへ繋がっていることは確認済みです。ギルドのメンバーを総動員して魔物を攪乱、私とガイ先生が別の道から最奥を目指す……、となれば、それぞれが相手する魔物の数を抑えられるはずです」
メトは身振りで必死に答えを指示した。今度は少し手間取った。
「ええと……。ああ、そうか! こほん、地図はあるのかな」
「……ありますが」
レッドは少し不審に思っているようだった。ガイも緊張し始めたようだ。
「その地図を見せてもらう。その上で協力するか決めたい」
「もちろん構いませんが……」
レッドが差し出した地図を、メトは覗き込んだ。迷宮内の構造が大雑把に書かれていた。しかし当然のことながら不完全だったし、途中で途切れている道、曖昧な表記になっている道などがあった。
メトとガイが二人で迷宮に潜る場合、魔物に挟み撃ちになるのは避けたい。ガイを守り切れない可能性がある。安全な場所にガイを置いていくという選択肢もあるが、魔物がどこに出没するか分からないし、“大戦廻”のメンバーが迷宮内まで加勢してくれるのなら、ガイと接触させるのはまずいことになるかもしれない。
「えーと、メトさ……、メトちゃん、どうしたんだい?」
ガイが言うと、メトは地図の一点を指差した。
「ここからの進行が良いと思うけど、先生」
「ほう?」
メトの示した道からなら、魔物に囲まれる心配も、ギルドの人間と鉢合わせになる可能性も少ない。レッドが意外そうな目でメトを見た。ガイが慌てて頷く。
「正解だ、メトちゃん。よくできました」
「……彼女はガイ先生の、お弟子さんと聞きましたが」
ガイは腕を組んで虚勢を張ろうとしたが緊張でなかなかうまく組めなかった。何度も胸の前で腕が空を切る。さっきまでの貫禄は早くも消え失せていた。
「ああ、自立心を涵養するため、できるだけ多くのことを自分から判断させるようにしているんだよ、ふふ……」
「そうですか。感心ですね」
「自慢の弟子さ。大抵の大人よりよほど強い」
レッドは笑ったがおそらく愛想笑いだった。やり過ぎるなとガイに目配せする。
「それで、ガイ先生。私の提案は……」
「ああ、分かった。大丈夫そうだ。その話に乗るよ。魔物の討伐に協力する」
「ありがとうございます。長らく街の住民を悩ませていた難敵を、これで討伐できそうです」
詳しい話は後日詰めることとなった。レッドは足早に部屋を出て行ったが、すれ違いざまにメトをじっとりと注視していた。
扉を閉めてすぐ、ガイは気を緩めた。ぐったりと椅子によりかかる。
「ふう、俺には向いてないかもしれない。大物ぶるのは疲れるよ」
「無理なら自然体でいいよ。肩肘張らなくてもさ。それより、変に私を持ち上げなくてもいいよ」
「え? しかし、ちゃんと強いぞってことを言っておかないと、メトさんが舐められて――」
「舐められてもいいんだってば。それに、メトさんってまた言っちゃってる」
ガイは頭をガシガシと掻いた。この男は人を騙すことに慣れていないのだろう。きっと今後も慣れることはないのだろうなと直感した。
「あ、ああ。慣れないもんだな。俺は本当、心の底からメトちゃんを尊敬しているからして――」
「分かった、分かった。ありがとうね」
メトは苦笑した。メトはそれから自分の部屋に戻った。保存していた魔物の肉を食う。匂いが部屋に充満しないように手早く食事を済ませた。
「……ねえ」
誰もいない部屋で呟く。
《どうした》
「さっきの、レッドって女性。相当強いでしょ?」
《メトと同等ってところだな。ただし、能力を存分に発揮できるという条件付きだが》
「え? どういう意味?」
《おそらく、自分の真の能力を持て余している。そんな感じがする」
メトは首を傾げた。博士の言っている意味がよく分からなかった。手練れであるというのなら、自分の能力については十分に理解しているはずだ。普通、鍛錬や実戦を通して、嫌というほど自分の限界や特色について理解させられるものだろう。漫然と訓練を続けただけの人間には見えなかった。
「……博士的には、レッドさんは未熟だということ?」
《いや。未熟ではない。そういう問題ではない》
「もっと私が理解できるように話してくれる?」
《やめておく》
メトは博士のそっけない言葉に少し苛立った。
「どうして」
《ワケを話せば、お前とレッドが対立しかねない》
「はあ?」
《あまりあの女と関わらないほうがいい。仕事は仕事で、割り切ることだ。でないとこの街全体とも対立しかねない》
メトはその言葉の意味を考えた。しかし博士が何を考えているのか分からなかった。
「……そのワケを聞いても、きっと答えてくれないんだろうね」
《この一件が終わったら、ガンヴィを出たほうがいい。魔物以外に私を使う気はないんだろう》
「そりゃあ、人殺しをするつもりはないよ。どうしてもってときは自分が死んだほうがマシ」
《軟弱だな。世の中に揉まれて気が変わることを期待する》
「そーですか」
メトは博士の言葉について考えている内に眠気に誘われて、硬い寝台の上に寝そべった。同じ魔物退治屋同士、対立することがあるかもしれないが、メトはあまり自分の権利を主張するつもりはない。もしメトがガンヴィの魔物退治屋にとって不都合な存在になったら、さっさと旅立てばいい。
土地に根付くことがなければ、ひどいことにはならないはずだ。それに、魔物を退治して、街の人間には感謝されている。この街には魔物退治屋が不足しているのだ。同業者であっても、人手が多いに越したことはない。魔物の数が増え過ぎれば、この土地ごと放棄せざるを得なくなるかもしれない。そうやって滅んだ街が幾つもあると聞いている。
翌日、メトはガイに簡単な講義を行い、彼をレッドのもとへ送り出した。魔物退治の具体的な段取りはガイに任せることにして、メトは宿屋の部屋に引きこもって体を休めた。
戻ってきたガイは魔物の詳細な情報を携えていた。魔物はミミズによく似た特徴を持っていて、砂蟲と呼ばれていた。毒があり、自己増殖能力があり、特に親玉の増殖能力は群を抜いていて、一刻も早く討伐しないと大変なことになるとのこと。ただし今では砂蟲がエサを調達できないよう、ギルド員が魔物の巣周辺に張っているので、増殖は抑えられているらしい。さすがの魔物もエサがなければ増えることはできない。
「向こうのギルドまで行ってきたよ。あのレッドという女性、部下から相当尊敬されているらしい。レッドがスカウトしたという理由だけで、丁重なおもてなしを受けた」
ガイが語る。メトは博士の言葉の意味を考えていて上の空だった。
「ふうん。じゃあ私も行けば良かったかな」
「しかし、嫉妬の目で見てくる者もいたな。あれはきっと、彼女をギルドの長としてではなく、一人の女性として見ている人間だよ」
「そういうの、分かるの、ガイ?」
ガイはなぜか誇らしげに腕を組んだ。
「敏いほうじゃないが、当事者になって初めて実感したよ。俺なんてメトちゃんの代理なのにな」
「ところでガイはレッドさんのことどう思ってる?」
「どうって……。優しそうな人だな。おっかないけど」
「おっかない?」
「強い人は尊敬する。同時におっかないものだろう」
「じゃあ、私のこともおっかない?」
ガイはきょとんとした。
「え? そういえば、メトちゃんは別に怖いと思ったことはないな……。命の恩人だからだろうか」
「ふうん。まあいいや。で、いつ決行だっけ」
「明後日だ。色々準備があるらしい」
「了解。それまでゆっくりしてようか」
砂蟲の一群を倒せば“大戦廻”も手が空いて、この街の魔物事情が一気に改善されるだろう。メトたちもほいほい仕事を見つけられる状況が一変すると思われる。これがこの街最後の仕事だ。メトは宿屋に閉じこもって、この街で調達した本を読んだり、筋力増強の鍛錬を黙々と行ったり、隣の部屋に出向いてガイと駄弁ったりした。そしてその日はあっという間にやってきた。