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ばいばい、フォーケイナ(中編)



 メトにとっては予想外の出来事が連続した。軍船“六花の祭壇”の乗りこめたのは幸運だった。魔法動力で動くこの船に他の船で追いつくのは事実上不可能だったので、出航直後に捕捉できたことには安堵した。何らかの理由で出航が遅れていたらしい。


 船に乗り込んですぐに戦闘になるかと思ったが、監視があまりに緩かった。兵士たちは一か所に集まって待機しているらしく、船外はおろか船内ですらある程度自由に動くことができた。ガイも一緒の乗り込んだのだが、発見されるのを警戒して、船底に張り付いている。魔物の器官を利用すれば、それでも問題なくひっついていられるらしい。しかし船内の様子を見る限り、そんなことしなくとも大丈夫そうだった。


 そして、武器庫で様子を見ているとき、思いがけずプライム博士と遭遇した。しかしプライム博士は思いつめた顔をしていて、しかも体調が悪そうだった。手中の博士は殺せ、それは嫌ならせめて捕まえろ、と訴えたが、メトは咄嗟に動けなかった。


 覚悟を定めて来たつもりだった。プライム博士が襲ってきたならすぐに反応できただろう。しかし彼の弱った顔を見て、メトは自分の覚悟が甘かったことを実感することになった。


 甲板に出て、プライム博士がジョットに殺されたときも、事態をよく掴めていなかった。騒ぎを聞きつけてガイが甲板に上がってきた。びしょ濡れの体を雨に濡れた犬のように震わせて払い、それから流血して倒れているプライム博士を発見した。


「メトちゃん。ついにやったのか」


「あ……。私じゃなくて、ジョットが……」


 ジョットもまた、呆然としていた。雨に打たれるまま立ち尽くしている。メトとガイは目を合わせて、周囲を警戒した。近くに船員がいるが、プライム博士の死にも反応せず、淡々と作業をこなしている。


「彼らはフォーケイナに操られているんだ……。もう自分の意思では動いてない」


「しかし、フォーケイナはプライム博士がやられたことを察知していないのか? そんなはずが……」


 ガイが疑問を口にする。同じことをメトも思っていた。ジョットがいつまでも硬直して動かないので、彼を放っておくことにした。


「船内へ行こう。フォーケイナを迎えに行く。もうプライム博士は死んだ……。言うことをきくことはない。一緒に帰ろうって伝えるんだ」


「……そうだな」


 メトとガイは船内への扉を開いた。すると目の前にギャルム司祭が立っていた。通路を塞ぐように佇んでいる。


「ギャルム司祭……!」


 戦闘になるかと思ったが、彼にその意思はないようだった。視線はメトに向けられているが、戦闘態勢に入らない。手には短剣を持っているのに、殺意を感じないのは奇妙な感覚だった。


 メトとガイは距離を保ったままギャルム司祭の動向をうかがっていた。やがて彼は口を開いた。


「この世界で、これから何が起こるのか……。メト、ガイ、きみたちは分かっているか?」


「え?」


 ギャルム司祭は怯えた表情をしているように見える。それがメトには意外だった。ギャルム司祭はじっとメトの返答を待っているようだった。


「……これから何が起こるか、だって? そんなの……、漠然とし過ぎていて分からないよ」


「画一的なことが起こるんだよ。僕も信じがたいが……。ついさっき理解した。そう、この手が……」


 ギャルム司祭は自分の持っている短剣を自らの腹部に突き刺した。メトはぎょっとした。


 ギャルム司祭は何度も短剣を引き抜いては、自分の腹を傷つけた。一発一発が致命傷になりかねないものだが、圧倒的な再生能力で大事には至っていない。


「何をしているんだ、ギャルム司祭!」


「分からないのかい、メト……。僕は今、共有しているんだよ。痛みを。全人類が味わうべき痛みを」


「はぁ!? よく分からないけど、やめなよ」


 メトはギャルム司祭に近づいた。そして、彼の震える手を握って、短剣を取り上げた。


 まるで糸が切れた操り人形のように、ギャルム司祭はその場に倒れてしまった。軽く揺さぶってみるが、起きそうにない。メトとガイは再び目を合わせた。


「なんだ、これ……。プライム博士も、ギャルム司祭も、おかしいぞ……」


「メトちゃん、プライム博士が死んだ今、フォーケイナは俺たちの仲間ってことじゃないか? フォーケイナがギャルム司祭を無力化してくれた、とか?」


「それなら、嬉しいけど……」


 無力化するだけなら、短剣で自らの体を傷つけさせるなんて悪趣味な方法を取らなくていいはずだ。


 いったい何が起きているのか。メトは考えたが答えは出なかった。フォーケイナの気配を探って通路を進む。


 やがて一つの部屋の前に着いた。


《この中だ。間違いない。この中にフォーケイナはいる。一人のようだ》


 博士の言葉。メトはしかし、緊張していた。中にいるのはフォーケイナだけなのだから、さっさと救出してしまえばいい。


 しかし、もし拒絶されたら? プライム博士の遺志を継ぐとか言われたら? いったいどうすればいいのか。いや、それならまだマシで、メトは不穏な雰囲気を感じていた。


「メトちゃん」


 ガイもそれを察したか、メトの肩に手を置いた。メトは頷いた。部屋の扉を開ける。


 中は薄暗かった。がらんとした部屋で、何も置かれていない。メトは一歩踏み込んだ。


 フォーケイナが一脚の椅子に腰かけて、壁を睨んでいた。メトは彼の横顔を見て、その険しい表情に不安が募った。できばれ彼の笑顔を見て、不安を消し飛ばしたかった。


「フォーケイナ……?」


「……メトちゃん」


 フォーケイナが振り向いた。その顔に笑顔はなかった。


「……プライム博士は死んだよ。もう彼に従う必要はないんだ。だから、一緒に帰ろう。ゼロも一緒にね」


「ゼロ……」


 フォーケイナは呟くと、改めて深く椅子に腰かけた。ここから離れないという意思表示に見えて、メトは心臓の鼓動が早くなった。


「……ゼロが未来視の能力を獲得したのは結構昔のことなんだ。長い間、その能力を使いこなすことができなかった。けれど、メトちゃん、きみや大勢の人間の“死”の未来を何度か見たことで、少しずつ未来視の能力が開発されていったみたいだ」


「え……。う、うん」


「もしかすると、未来を見るだけでは駄目だったのかも。未来を変える努力をし、彼女自身が必死に抗うことこそが、未来視には必要な能力だったのかも。僕は今、ゼロの感覚を共有している。ゼロの中で増殖した僕の細胞が、教えてくれるんだ。全人類が死滅する未来が」


 フォーケイナの言葉にメトは凍り付いた。そして、彼の言葉の意味を考える。


「全人類が、死滅……?」


「最初は戸惑ったさ。メトちゃんやガイさんが、ゼロと一緒に平原あたりで生活していた頃の話だよ。突然僕の頭の中に未来視の映像が流れ込んできた。ゼロもその未来視を見たはずだけど、僕はすぐにゼロの肉体に干渉して記憶を奪った。僕は全人類が自らの肉体を傷つけ、集団自殺する未来を見たんだ」


「集団自殺……」


「どうしてそんなことが起こるのか考えた。未来を変えるには、未来を見た人間自身が、未来を変える為に行動する必要がある。ゼロの記憶を奪っている以上、このままいけばその未来は変えられないはずだ。全人類が自殺する未来なんて、いったいどういう経緯があればそんなことが起こるんだ。答えは一つしかなかった」


 フォーケイナは早口で言う。メトは頭の中で必死に言葉を整理していた。


「……なに?」


「僕がそれをやるんだ。全人類に僕の肉片を食べさせ、細胞を増やし、そしてあるとき命令する。自殺しろと。できるだけ苦しんで死ねと。自らの手足を切り落とし、僕が人類の為に自らの肉片を差し出したときのように、地獄の苦しみを味わって死ねと。命令するんだ……」


「そ、そんなこと……。なによそれ」


「僕も驚いたんだ。僕はそんなことをするつもりは毛頭なかったからね。でもね、映像を見て気づいた。僕が本当にやりたいこととは、つまりこれなんじゃないかと」


「……他人を、自殺させることが、あなたのやりたいこと?」


 フォーケイナは椅子の背もたれに寄りかかり、小さく嘆息した。


「僕はずっと耐えてきた。子供の頃、研究所に売られて、非道な実験を受けているときも、僕はそこに意味を見出した。僕が実験を受けている間は、他の子どもたちは休める。博士が僕を気に入れば、他の子どもたちは助かるかもしれない。僕の実験から有用な結果が得られれば、他の子どもたちにはもっと安全な実験が行われるかも。本当に、色々とこの苦痛の意味を見出したよ」


「……私はひたすら博士を恨んでたけど、フォーケイナは優しいから……」


「でも、所詮それらは全て現実逃避でしかなかった。残酷な人間はどこまでも残酷になれる。頭を押さえつけてくれる人がいない限り、どこまでも増長する。結局、僕の我慢は何もいい結果を残さなかった。研究所の子どもたちはほとんどが死んでしまった」


「それはフォーケイナが気にすることじゃ……」


「メトちゃん。きみは僕を優しいと言ってくれる。けれど違うんだ。僕はそんな高尚な人間じゃないんだよ。僕は世界を恨んでいた。僕たちが生まれたときには既に、この世界はあまりに理不尽で、残酷で、修正し難いものだったんだよ。プライム博士がいなくても、この世界はきっとおぞましい方向に進んでいた。プライム博士の研究を容易く受け入れたこの世界は、もう腐っていたんだ。だからもう僕は諦めた」


 メトは首を振った。


「何を、諦めたっていうんだよ」


「人間のことわりの中で生きることを。この星では人類が繁栄し、できるだけ多くの人間が幸福を享受すべき、という大前提を。全人類に僕の細胞が行き渡ったら、皆には僕の痛みを知ってもらう。僕がさんざん味わったように、肉を切り落とす痛みと怒りを味わってもらう。そしてみるみる再生していく自らの体を見て、絶望してもらう。そんな苦しみを経ても、まだ多くの人間が“全人類はこの研究を糧に繁栄すべきだ”と考えるなら、僕もそれに従おう。でも、僕だけ……。僕だけ痛いのはもう嫌だ。僕だけ苦しむのは御免だ。もう、うんざりなんだ」


 フォーケイナの言葉にメトは何も言えなかった。しかしここでガイが進み出る。


「……きみがこれまで味わった苦痛をなかったことにはできない。しかし、もう誰もきみにその痛みを強要することはないんだよ。平穏無事に暮らせるときが来たんだ。メトちゃんや、ゼロさんと一緒に帰ろう。それでいいんだ」


「僕の寿命はもう長くない」


 フォーケイナの言葉に、今度はガイが絶句した。


「再生速度がどんどん鈍っている。肉体の老化が進んでいる。見た目はどうとでもできるけど、もう長くないんだよ。穏やかに生きろって、じゃあこのまま恨みも怒りも晴らせないまま死ねってことかい? ガイさん、僕はね、やろうと思えばプライム博士の計画をいつでも破綻させることのできる立場にいたんだよ。どうしてあの非道な男に協力するのか、自分でもよく分かっていなかった。けれどゼロの未来視を自分で体感したとき、僕は僕の感情を理解した。プライム博士に協力するのは、全人類に復讐するためだ。そのためにずっと耐えてきたんだ。この怒りを、ぶつけるときが来たんだよ」


 メトは壁に寄りかかった。まともに立っていられなかった。全く予期していなかった事態、というわけでもなかったはずだ。博士が「フォーケイナと戦うことになるかもしれない」と以前話したとき、メトはよくよくその意味について考えてみた。そしてこうなる可能性について予期していた。


 つまりプライム博士は神輿に過ぎない。黒幕はフォーケイナだと。


「メトちゃん、簡単だよ。僕の計画を阻止するには、僕を殺せばいいんだよ」


 フォーケイナは笑った。あのときの、研究所で見せた優しい彼の笑顔が、まだそこにはあった。


「僕を殺せるのは、きみだけなんだ。この船の乗組員も、クマド司教も、ジョットも、ガイさんですら、僕の細胞の影響を受ける。メトちゃんだけなんだ。僕の細胞を受け付けず、行動できるのは。僕を殺せば、今僕が話したおぞましいことなんて、一つも起こらないんだよ」


「フォーケイナ……。あなた本当は……」


「行動しなければ未来は変わらないよ。メトちゃん。僕は本気なんだ。本当に全人類が自殺する未来を見たんだ。僕は、そんな大それたことをしてしまう邪悪な人間だったんだ。そのことを、僕は最近まで知らなかった。きっと、変えられないんだ、この未来は。だから……」


「い、嫌だ……。嫌に決まってる」


「メトちゃん、きみが僕を優しい人間だと評してくれるのは嬉しい。もしかするとそれは正しいかもしれない。今、ここできみが僕を殺してくれたら、僕は本当に、優しい人間のまま死ねるのかもしれない……」


「嫌だ……。何を……、クソ……!」


 メトは思わずここで博士の柄を掴んだ。そして博士が何か言ってくれないかと期待した。しかし、博士は、


《……フォーケイナを殺すなら、その場でただ目をつむって私を振るえばいい。私が変形し、全てを終わらせてやる》


「ふっ……、ふざけるな!」


 メトは叫んだ。そして全身の力が抜けて、その場に座り込んでしまった。


 博士から手を離す。殻の中に閉じこもって、全てを拒絶したかった。現実が受け入れられなかった。こんなことがあっていいのか。どうして、こんなことになるのか。最初に聖都を訪れたとき、強引にフォーケイナを連れ戻すべきだったのだろうか? そうすれば、こんな思いを抱くこともなく、穏やかに生きることを選択したかもしれない。


 でも、穏やかに生きることが、本当にフォーケイナにとって幸せだったのだろうか? 彼の中に渦巻く怒りや恨みが消えたわけではない。もしかすると、優しく生きなければならない環境に立たされた彼は、肉片を削られるより苦しい思いをしたかもしれない。怒りを発散し、恨みを晴らす彼の今の考えは、彼自身の心を守る為なのかもしれない。


 傷は再生しても心は壊れてしまった。考えてみれば当然だった。メトは、椅子から立ち上がったフォーケイナを見上げた。彼は無表情だった。


「メトちゃん。決断できないなら、こうしてやる」


 ガイが突然メトに覆いかぶさってきた。メトは驚き突き飛ばそうとしたが、彼の怪力は凄まじかった。


「め、メトちゃん、逃げろ……! 体が勝手に……!」


 フォーケイナに操られている。ガイは苦悶の表情を浮かべていた。フォーケイナは薄く笑った。


「殺さなくちゃいけない人間が、僕一人から、二人に増えてしまうよ、メトちゃん? どうするんだい?」


 メトはガイの腕を押さえながら、必死に考えていた。もう、どうすることもできないのか? フォーケイナを殺すしかないのか? この旅の終着点はそこだったのか? 認めたくない。メトは涙を流していた。力が緩み、ガイの力が優勢になる。


 メトにまたがったガイがメトの首をぐいぐい絞めてくる。完全に力が抜けていた。意識が朦朧となる。このまま死ねば苦しい選択をしなくて済む。メトはそんなことを考えてしまった。


「メトちゃん、頼む……! 諦めないでくれ……! きみなら、できる……! 俺が憧れたメトちゃんなら、きっと全てを覆せる……! だから、諦めるな……!」


 ガイが操られながらも、言葉を絞り出す。メトは遠のく意識の中でそれを聞いていた。




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