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聖都大虐殺(三)


 ガドレガの体はまだ肥大化し続けている。歩行するだけで石畳の街を破壊し、瓦礫と砂埃が舞う地獄のような風景を作り出す巨人に、立ち向かう人間はメトだけだった。


 この街の兵隊は最初、自らの肉体に宿るフォーケイナの細胞の影響で命令を受け、静観する構えだったが、今では自由に動けるようになっていた。フォーケイナがこの街を離れる際、ちゃんと逃げられるように改めて命令を下したのだろう。彼の思惑通り、兵隊たちはガドレガを倒そうなどとは微塵も考えず、街の人々と一緒に逃げることだけに集中した。


 メトは返事をしなくなった博士を変形し、どれだけ大きくできるか試した。以前と比べて、自由が利かなくなっている。巨大化するのにも限界があり、せいぜいメトの身長の三倍程度の剣にしかできなかった。


 メトにはまだ信じられなかった。博士がこの街と一体化し、ガドレガを抑え込んだそのとき、プライム博士の攻撃を受けて自我を奪われた――つまりプライム博士は前もって、この石畳の街に、自らの複製体の意識を紛れ込ませていたということになる。ガドレガはそのためのエサだった。


 まんまと思惑通りの展開になってしまったわけだ。メトはしかし、聖都に来たことを後悔してはいなかった。結局、ここでプライム博士と対決するまでは、メトたちは何処へ行こうと、彼に縛られた状態だったに違いない。


 もうプライム博士はメトに興味をなくしたのだろうか。ここでガドレガを倒し彼を追いかけることができたなら……。彼の思惑通りには事を運ばせない。


 メトは崩壊した家屋を足場に跳躍した。ガドレガは巨大化した体を機敏に反応させ振り向いた。ガドレガが動いただけで風のうねりが生まれ、メトの体が浮き上がった。


「メト殿! 逃げてしまったかと思いましたぞ!」


 巨体を使った彼の声は聖都全体に轟いた。メトは構わず剣を振るった。ガドレガは右腕を突き出して、それを防ごうとした。


 メトには勝機があると考えていた。ラグ司教がガドレガを削ってくれたので体力が消耗しているはずだ。時間をかけて、足元から崩していけば、ガドレガも倒せる……。そう考えていたのだ。


 ガドレガの拳がメトの剣とぶつかり合った。いとも容易く剣が破壊され、粉々になったとき、メトの頭の中は真っ白になった。


 あれほど強靭で、自由自在に変形した武器が、全く役に立たない。魂が消え、抜け殻になった武器は、ガドレガのような化け物には通じなくなっていた。


 ガドレガの拳がメトに当たる。なんとか腕を交差させて防御したが、その威力は凄まじく、全身の骨が砕けたかと思った。地面に叩きつけられ、血反吐を吐く。


 瓦礫の山に埋もれ、このまま死ぬのではないかと思った。しかし博士から貰った強靭な肉体は、少女を簡単に死なせることはなかった。


 瓦礫を掻き分け、地上に顔を出したメトは、ガドレガが足を振り上げ、メトのいる場所を踏みつけようとしているのを見た。必死に逃げた。寸前でかわしたが、一帯はガドレガが随分見晴らしを良くしていた。捕捉され続ける。


「メト殿! まるでネズミのようです! 足の裏が少し痛いですが、楽しいですな! ああ、可愛いネズミさんだ!」


 ガドレガの哄笑。踏みつけ攻撃なんて、ガドレガからしたら遊びの延長のようなものだろう。しかしそんな彼に対抗する術がない。


 メトは手に残る剣の柄をじっと見つめた。変形させようとするも、ほとんど変化がない。


 完全にこの武器は死んだ――博士はいなくなった。メトにはまだその実感がなかった。


 仮に博士が万全の状態だったとしても、この敵に勝てただろうか? メトは弱気になっていた。足つきがふらついてしまう。倒壊した家屋の衝撃に巻き込まれて、足が止まった。そこをガドレガに捉えられた。


 踏みつけをなんとかかわしたものの、捲り上がった石畳とその陥没穴に巻き込まれ、倒れてしまった。ガドレガが手を伸ばす。必死に逃げたものの、捕まってしまった。


 手足をじたばたさせたが既にガドレガの手中。ガドレガが少し力を入れて握り込んだだけで、メトはもう体に力が入らなくなった。


 ガドレガが自分の顔の前までメトを持ってきた。メトは口から血を流しながら、自分の死が近いことを察した。


「メト殿。吾輩は、メト殿に恨みなんてこれっぽっちもないのですが、致し方ありません。吾輩は既にフォーケイナ殿の奴隷にして、レギオンの一部。自分の意思はあれども、それを突きとおすことができないのです」


「ガドレガ……。私を殺した後、どうするつもり? プライム博士の後を追うの?」


「さあ。聖都を破壊した後のことは、何の命令も受けていませんからな。しかしメト殿、最期まで立派でしたな。自分のことより、聖都の人々の心配をするとは」


「あんたに褒められてもうれしくないけど」


「メト殿。もし吾輩がミア教の秘術を貴殿に施すことができたなら、間違いなく貴殿の人面を吾輩の肌の表面に宿していたでしょう。きっとお気に入りになった。残念です」


「クズめ……」


「せめて貴殿を消化吸収し、吾輩の血肉とすることで、敬意を示しましょう」


 ガドレガが口を開けた。丸かじりにされる。メトは口内の黒くいびつな歯を目の前にしても、恐怖はなかった。唾液が糸を引き、口蓋のおぞましい赤黒い突起物や、先ほど食われた人の髪の毛が歯に巻き付いている様子などを見ても、感情が鈍かった。激烈な腐臭が口の中から漂ってきて、メトは息を止めた。


 このままじっとしていれば死ぬ。自分の人生は終わる。最終的にガドレガのクソになって満足な人生だったかと聞かれれば、もちろん違う。


 しかしやれることはやった。子どもの頃から、プライム博士に利用され、力を与えられ、そして死に場所まで用意された人生だった。


 全てはあの野郎の手の平の中……。ジョットはプライム博士の駒となり、フォーケイナは彼に心酔し、ゼロは再び捕まり、ディシアは死に、メトもまた、こうして終わろうとしている。他の実験を受けた子どもたちも、例外なく死んだ。全て、プライム博士の思惑通りだった。


 そして、さっきまでメトの手の中にいた複製体の博士も、プライム博士の思惑通りの死を迎えた。最初から、かなうはずのない戦いだったのかもしれない。


 だから、もういいのかもしれない。諦めてもいいのかもしれない。メトはゆっくりと瞼を閉じた。このまま死んでもいいのかもしれない。


《メト》


 誰かの声が、突然聞こえた。近くにいるはずもない、女性の声が。メトは思わず目を見開いた。 


 そして見た。ガドレガの喉の奥から伸びる人間の腕を。死人の腕かと思ったがそうではない。その腕はこちらに手を差し伸べようとしている。


 メトはガドレガの手に圧迫されて朦朧とする意識の中、手を伸ばした。その腕の指先を何とか掴む。


 ガドレガがメトを飲み込もうと口の中に差し入れた。体を噛み砕こうとしている。そんなとき、腕がメトを引っ張り込み、咀嚼を免れた。そのままメトは巨人の腹の中に落ちる。


 ぬめぬめする食道の中をずり落ち、メトは胃の中に入った。血と死体と、得体の知れない臭いが充満し、息をするのもきつかった。怖かったが照明魔法を使うと、中の様子が分かった。大半のものは胃液に消化されて、少しずつ胃の奥のうごめく門の向こうへ滑り落ちていく。メトは胃の内容物の正体を考えないようにしながら、胃液を避ける為にその塊の上に乗っかった。


 メトを引っ張り込んだ腕の正体は、すぐに分かった。胃液に風呂のように浸かったラグが、そこにいた。衣服が溶け、全裸だったが、依然美しい顔と体のままだった。美しい黒髪が抜け落ちるたびに、凄まじい速度で再生していく。


「ラグ司教……。生きてたんだ」


「残念ながらね。なかなか死ねない躰なのよ」


 ラグ司教は言い、立ち上がった。そしてすぐにへたり込む。


「ラグ司教、大丈夫?」


「消化はされなくても、徐々に力を奪われているみたい。情けないわね。でもメト、あなたならまだ間に合う」


「何を言って……。ラグ司教もここから出よう」


 ラギは力なく笑った。


「出られるならとっくにそうしてるわ。でも、上から出てもまた噛み潰されるだろうし、下から出るのは死んでも嫌だわ。内部から破壊しようかと思ったけれど、もう力が残ってない」


「そんな……」


「でも、メトならば内部から武器を巨大化させて、ガドレガを殺すことができる。だから腹の中に引っ張り込んだの。どう?」


 ラグの目は輝いていた。メトは申し訳なくなって、うつむいた。


「は、博士は……。死んだ。プライム博士の複製体に乗っ取られて、自我がなくなった。ここにはいない」


「あらら……」


 ラグ司教はきょとんとした後、くすりと笑った。


「じゃあ、おしまいね。私も、あなたも、この聖都も」


 ラグ司教は吹っ切れたように胃液の中に身を投げ出した。メトはしばらく呆然としていたが、常にガドレガの体内は動き、時折食道から彼の食べたものが落ちてきた。いずれも人間を噛み砕いたものだったので、ガドレガが街の人間を食い荒らしているようだ。照明を消して、メトは震えることしかできなかった。


 もしラグが引っ張り込んでくれていなければ、自分も咀嚼されて肉団子になっていた。しかしだからといって助かったわけではない。胃の中が度々動いて、次なる消化器官に導こうとしてくるが、メトは必死に抗った。


 どれくらいの時間が経ったか分からない。胃の中に充満する激臭で、意識が飛びかけていた。暑い。胃が動くたびに付着する胃液で、メトの体の表面がつるつるになったり、痛んだりした。せっかく髪が伸びかけて女らしくなってきたのに、胃液のせいでまた髪を失いそうだった。


「――随分、粘るんだな」


 男の声。メトは目を見開いた。おろおろしていると、照明魔法が焚かれて胃の中が照らされた。胃液の中を泳いでいたラグが焚いたものだった。ラグがよろよろと立ち上がる。


 ラグは男の正体がすぐに分かったようだった。


「さっき私がさんざん呼びかけたときは無視していたのに、メトの前には姿を現すのね、レゴリー」


 レゴリーと呼ばれた男は、唐突に胃の中に出現していた。気怠そうに胃液の中を歩いてくる。怯えた表情のメトを見下ろした。


「無視するのも仕方ねえだろう、ラグ司教。あんたはクマドの猟犬と同じルーツを持ちながら、立場を違える異端者だ。そのまま死んじまえって思ってたよ」


「メトのことは?」


「……こいつは自分の意思とは関係なしに改造された、子どもだ。俺やあんたのように、承知の上でプライム博士の実験台になったわけじゃねえ」


「だから助けたいと? レゴリー助祭、あなたクマドの猟犬の新人なだけあって、まともな感性してるわね」


「あんたには言われたくねえよ」


 メトはレゴリーから下がろうとして、胃液の中に落ちてしまった。すぐに肉の塊の上に這い上がる。


「クマドの猟犬が、私に味方してくれるの?」


「味方というか……。気に食わねえのさ。俺はガドレガに強制的に同化させられた。同化している最中は地獄の苦しみだったぜ。プライム博士がそこから解放してくれたが、今でもこの怪僧に囚われていることに変わりはない。ガドレガがプライム博士の駒になったから、俺も大人しくしていようと思ったが、もう駒としての役割は終えたようだし、この辺で仕舞いにしようじゃねえか」


「中から、ガドレガを殺せるの?」


「力を弱めるだけだ。俺だけじゃなく、ガドレガに吸収させられた奴らは、全員ガドレガのことを恨んでるから、一斉にガドレガの中で暴れれば、全身が砕け散るだろう。すぐにガドレガは再生を始めるだろうが、力は弱まるはずだ。後はメト、ラグ、お前たちが仕留めてくれ」


 ラグが、外に出られると知って身づくろいを始めた。魔法で服を生成して着用し始める。服の袖を通しながらラグはレゴリーを見た。


「……そんなことをしたらレゴリー助祭、あなたはもう生きていられないんじゃ?」


「どうせガドレガに敗れた時点で失った命だ。未練はないさ」


 メトは吹っ切れたように笑うレゴリーを見た。


「間接的に、プライム博士に敵対する行為にはならない? 私を助けたら、私はプライム博士と戦うことになるよ」


「いいさ。バカな俺にはプライム博士がどんな世界を創り上げようとしているのか分からねえが、任務に忠実な内は安心していられた。バカな俺でも役に立てるんだと思うと、クマドの猟犬として働くことに満足感があった。結局、俺は自分のことが一番大事だって分かったよ。俺は新人なんで、忠義心もそれほどなかったみたいだ。ガドレガに取り込まれて、地獄の苦しみを味わっているとき、俺はこの世の全てを呪ったんだ。だからもう、どうでもいい。今更、プライム博士に忠義を誓ったって、どうにもならねえもんなあ」


「レゴリー助祭……」


「それによお、プライム博士は、きっとクマドの猟犬なんて使い捨ての道具くらいにしか思ってないんだろうよ。全部、全部、あの男の計画通りなんだ。メト、一度聖都にやってきたお前をプライム博士がわざわざ逃がしたのも、貴族派の研究者たちがお前を欲していると知ったからなんだぜ。プライム博士は王貴貴族が所有する財産や魔法に関する道具を狙っていた。それらを没収する段取りをしている最中で、どうしても時間が必要だった。そこでお前をゼロと共に逃がすことで、貴族派の連中に追手を差し向けさせ、国内の戦力を手薄にした。それで本懐を遂げたってわけだ。ガドレガから脱出したら、王宮へ行ってみるといい。プライム博士に骨抜きにされた王様たちがクソ小便を垂らしながら死んでるぜ」


 レゴリーはまくしたてる。ラグ司教は首を振った。


「精鋭部隊が聞いてあきれるわね。でも、人間らしくていいわ。要は、バカなあなたは、賢いプライム博士が気に食わなかったってわけね」


「いつも澄ました顔のあんたも気に食わなかったんだ、ラグ司教。本当はあんたなんか助けたくないが、ついでだ、仕方ない」


 レゴリー助祭の姿が、ふっと消えた。ラグがメトに近づいてくる。メトとラグは抱き合うようにしてそのときを待った。


 やがて胃の中が細かく震動し始めた。ガドレガが何か大声で言っているが、胃の中だと反響して聞き取れなかった。


 バチバチバチ、という何かが弾ける音と共に、胃液の流れが早くなった。ラグが宙に浮かび、メトはそれにしがみ付いた。


 突然、世界がひっくり返った。宙を浮かんでいたラグたちだったが、胃の中の空気の塊が一気に攪拌されたことで、胃壁に激突した。


 ラグが衝撃で気絶してしまった。メトはラグの体を抱え、逃げ場を探した。


 すると、ガドレガに囚われていたレギオンたちの歓喜の雄たけびを、四方八方から聞いた。


 どこからか新鮮な空気が入り込んでくる。見上げると、肉壁が裂け、空の青が見えた。


 みるみるガドレガの体が破けていく。メトは思い切って跳躍した。引き裂かれ、砕かれていくガドレガの体の隙間から、メトは地上へと落下していった。


 途中でラグが目を覚まし、空を飛んだ。二人は濁流のように崩れ落ちるガドレガの肉塊からすんでのところで逃れた。


 聖都はすっかり瓦礫の山と化していた。方々で火の手が上がり、黒い煙が一帯を霞ませている。


 メトはよろよろと立ち上がった。肉体の大半を失ったガドレガが、苦痛の叫びを上げながら立ち上がるところだった。すっかり元の大きさに戻っている。全身に黒い傷を負った男は、顔を押さえながら、呪詛の言葉を唱え続けていた。


「ガドレガ」


 メトが呼びかけると、愚かなる怪僧は、血走った眼をメトに向けた。


「わ、吾輩はどうなった……! 何をした、メトぉ!」


「今からあんたは死ぬんだよ。それ以上のことは何も知らなくていい」


「武器を失った貴殿に、何が――」


 メトは歯を食いしばってガドレガに飛び掛かった。拳を固めて顔面を殴りつける。


 悲鳴を上げたガドレガは地面に倒れた。メトを押しのけようとしたが、巧みにガドレガの力を逃がして、怪僧の顔面を殴り続けた。


 すぐにガドレガは動かなくなった。メトは渾身の力を込めて殴る。全身の筋肉が悲鳴を上げて、息が上がっても、それでも殴り続けた。


 拳の残る感触は最悪だった。人を殴るなんて、ろくなことじゃない。けれど、これまで博士はその全身で魔物を斬り続けてきた。どんな気分だったんだろう。魔物の血を浴び、日々呪われていくその感覚は。


 ラグに止められるまで、メトはガドレガに跨って攻撃を続けていた。とんでもなく長い間そうしていた気がしたのに、空を見上げると太陽の位置はほとんど変わっていなかった。




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