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聖都大虐殺(一)



 港街ゲイドは平和そのものだった。人の流れはいつも通り、港湾は復旧し、船の出入りも回復していた。遠目で見ただけだが、軍船“六花の祭壇”が停泊しているのも確認した。メトたちが聖都を脱出するとき、海路が封鎖されていたが、あれもプライム博士の仕業だったのだろうか。それともデイトラム聖王国の他の刺客の仕業? 


 あの航域の制限で物流が著しく滞った。彼らの狙いとして真っ先に思いつくのはフォーケイナの棺の流通に関わることだが、港の人間に話を聞くと、輸送業者や港湾職員の半数以上が、あの日からごっそりと入れ替わったという。何らかの仕掛けを成立させるための異動であることは間違いない。


 しかし、メトたちにとってはどうでもいいことだ。既にフォーケイナの棺が世界中に広まりつつある。魔物を支配下に置き、人間の精神すらも操るそれが、一人の人間の思惑によって操作されている。仮にプライム博士が善人だったとしても危険な状況だった。まして彼が倫理観の欠片もない狂人なのだから、放ってはおけない。


 かつて魔法動力車で聖都へ向かった道を、メトたちは歩いて移動した。他に聖都へ向かう旅人や商人もいて、地域全体が活気づいている感覚がした。異常なんて何もない。


 聖都に着いてもその雰囲気は変わらなかった。メトたちはすんなり聖都の中に入ることができた。人々の営みも通常通りで、穏やかで優しい日常が紡がれていた。


 しかし、聖都の奥へと進んでいくと異常は見つかった。聖教地区が封鎖され、大教会は無骨な灰色の壁に覆われて見えなくなっていた。


 メトたちがそれをじろじろと見ていると、メトたちが観光客だと判断した親切な婦人が近づいてきて、色々と教えてくれた。爆破事件が起こったこと、大教会が破損し修繕作業中だということ、事件以来、ラグの合唱会が開かれず、聖教地区への立ち入りもできなくなっていること。


「それは残念ですね」


 メトの言葉に婦人が深く深く頷いた。


「ラグ様の合唱会が生きがいだっていう人、多いですからねぇ。私も歌の練習は欠かさずやってきましたけど、最近はサボっちゃって、罪悪感が凄いの」


 雑談をこなしながら、メトは聖教地区のほうに注意を向けていた。メトが近くに来ているのに特に反応はない。メトは地下にあった、聖都全域を映像として映し出している壁を思い出していた。連中はメトが来たことを把握しているはずだ。さっさと姿を現しても良さそうなものだが。


 ガイがそれとなくその場を離れて、聖教地区の敷地沿いに歩き始めた。全域を確認してくるつもりのようだ。


 メトはガイと目配せして、頷いてから、婦人に一歩近づいた。


「ところで、おかあさん、最近眠ってばかりの人って、見かけませんか」


 メトは何げなく尋ねた。婦人は目をぱちぱちと大袈裟に瞬きさせた。


「眠ってばかりの人?」


「ええ。そういう病気なのかな」


「奇妙な質問ねえ。よく知らないけれど……。そういえば最近、近所で見なくなった人が何人かいるのよね。旅行に行ったのかしらと思っていたけれど、家にはいるみたいなの」


「ほう」


「呼びかけても出てこないし。ラグ司教と会えなくなったから気が塞がっちゃってるのかしら、なんて思っていたけれど、もしかしたらその眠っちゃう病気? にかかっているのかも。最近そういうのは流行ってるのかしら」


「ええ。ジヴィラムでそういう症状を見ましたから」


「ジヴィラム。山向こうの都ね。あそこにはデイトラム聖王家の分家があるのよね。我が国の王女さまがあの都が好きで、年に何度も遊びに行っているらしいわ」


「そうなんですか。……あの、他に最近、聖都で変わったことってありませんか」


「変わったこと? さあ……。いつも通り、平和です。ところで、お嬢さん」


「はい?」


「そちらの方、少し顔色が悪いようだけれど、大丈夫かしら」


 振り向くと、ゼロが今にも倒れそうなほど体を傾けて、苦しそうな表情になっていた。普通の人間よりも感情表現が希薄なので、婦人からすると少し顔色が悪い程度にしか見えなかったらしいが、メトからすると危険な状態に見えた。


「ゼロ! どうしたの」


「み、見えた……」


 メトは婦人からゼロを離すように移動しながら、彼女の顔を覗き込んだ。彼女の体は氷水に浸かったかのように冷たかった。


「何が見えたの?」


「死ぬ……、この都の人たちが、死ぬ、光景……」


 以前、聖都から離れるときも、ゼロは大量の人間が死ぬ光景を未来視した。あのときは爆破事件や、ガドレガとクマドの猟犬との戦いに巻き込まれた人たちの死を予見したわけだが……。


 今回はメトとプライム博士の戦いに巻き込まれた人の死を未来視しているのだろうか。ゼロの未来視は人の死に関わるものをよく予見する。


「ゼロ、大丈夫だから。今回は私たちがその未来を止める。具体的に、何か分かることはない?」


「く、食われる……。ガドレガに」


「ガドレガ? あの怪僧が?」


 またあいつなのか。いい加減大人しくしていて欲しい。今度会ったら決着をつけなければならない。


「他には?」


「暴れ出す、ガドレガ……。わざとなの。わざと、暴れさせるの、プライム博士が」


「わざと?」


「私を試している……。私の未来視能力を試す、ただそれだけの為に、ガドレガを聖都に解き放ち、人々を食わせるつもりなの……!」


「……正気か? あの野郎……」


「だから、私がここからいなくなれば、やめると思う。今すぐ、聖都を出よう」


 ゼロから行動の指定をしてくるのは珍しかった。ゼロの憔悴しきった顔を見て、メトは頷いた。


「そうだね。そうしよう。ガイと合流したら、すぐに」


 ちょうどそのときガイが戻ってきた。小走りになっている。


「メトちゃん。ゼロさん。動きがあったぞ」


「動き?」


「聖教地区の中から、兵隊がわんさか出てきた。今はまだ整列してる最中だが、もしかすると俺たちを狙っているのかもしれない」


「ガイ、一旦聖都から出ようか。戦闘になったら、私たちはともかく、もしかすると一般市民を巻き込むかもしれないからさ」


「分かった。しかしどう仕切り直す? どうせ聖教地区に忍び込まないといけないんだろう」


 メトたちの話し合いに、婦人が聞き耳を立てていた。メトと目が合ってお互いに愛想笑いをした。そのときだった。聖都の空から降り注ぐ大音量の雨。拡声魔法で大きくなった声が、聖都全域に響き渡る。ガイが思わずびくりとして耳を塞いだ。


「――聖都市民の皆様にお知らせいたします。現在聖都に連続殺人犯が侵入したという情報が入りました。今より聖教の軍隊が聖都内を警邏いたします。今すぐ屋内へ避難してください。大規模な戦闘になる可能性があります。繰り返します――」


「あら、ラグ様のお声だわ」


 婦人が言う。メトたちは速やかにその場を離れた。


 連続殺人犯……。というのが誰のことなのか分からなかった。メトのことか? 今からメトたちを相手に一戦交えるということだろうか。その可能性もあるが、ゼロの未来視が気になった。ガドレガが聖都市民を食い荒らす。その未来はいつ訪れる?


 聖都の出口を目指す。しかしその途中で道を塞ぐ人間がいた。ふわりと空から降ってきて、静かに着地した女。絶世の美女であるラグ司教が、目の前に立っていた。透き通るような肌、艶やかな黒髪、露出の激しい儀礼服と、すらりとした脚は、まるでここが演劇の舞台上であるかのような錯覚を招く。


「ラグ司教!」


「光栄ね。私のことを知っているなんて」


「……戦うつもり?」


「いいえ。全く。むしろ協力したいの」


「協力?」


「ガドレガという名の怪僧を知っているかしら。私はあの男を仕留めなくてはならない」


「……どういうこと? プライム博士があの怪僧をけしかけてきているんじゃなくて?」


「そうよ。その認識は正しい。そして私は、プライム博士と対立している」


「……聞いた話と違うな。私はてっきり、ラグ司教はプライム博士と特別仲が良いかと」


「私の可能性を切り開いてくれた恩人であることは間違いないのだけれどね。とある貴族の愛人でしかなかった私が、地位を得られたのは、プライム博士のおかげよ。けれど、彼は今、この国の中枢を脅かしている。フォーケイナの細胞を取り込んだ王侯貴族を意のままに操ろうと画策し、徐々に私たちの戦力を削いできていた。それに加え、ガドレガを捕縛して自らの駒として、人々を襲わせようとしている。メト、あなたたちの到着をきっかけに一気に仕掛けてきたわね」


「フォーケイナの細胞を取り込んだのは、あなたもでしょう? フォーケイナが念じるだけで、あなたは動けなくなりそうだけれど。勝ち目はあるの?」


「私は特別なの。クマドの猟犬は全員、プライム博士に従わざるを得ないようだけれど、私は彼の支配下にはない。彼は私に魔法の才能を与え過ぎたのね。フォーケイナが自らの細胞を変容させるのに使うのも魔法の一種だから、それに対抗できるように魔法で防衛すればいい。私を支配下におけないという失敗から、プライム博士は意図的にクマドの猟犬に魔法の才能をそこそこしか与えなかった」


「……事情は分かったけれど、ラグ司教から見て、私は脅威じゃないの?」


「全然。あなた、良い子ですもの。意味もなく人を襲ったりしないでしょう?」


「それは、まあ……」


「私はこの国と都を愛しているの。平和を脅かす存在が許せない。だから、ガドレガを止める為に、協力を願いたい」


「兵隊を大勢抱えているんでしょ。私たちにどうして協力を……」


 言いかけてメトは気づいた。ラグ司教は悲しそうに俯く。その動作ひとつひとつが画になる女性だった。


「いずれも、フォーケイナの棺を摂取しているわ。いざというとき、フォーケイナに動きを止められて、使い物にならない。メト、ガイ、ゼロ。あなたたち三人なら、フォーケイナの妨害は受け付けないでしょう。まともな戦力は私を含めて四人だけってわけね」


「……フォーケイナが、みすみす人を殺すような真似に加担するかな?」


「彼は、あの少年は……。優しい子ね。でも、幼い頃からプライム博士に洗脳されている。プライム博士が正しい存在だと思い込んでいる。だから」


「……ゼロ、どうする? もうガドレガが解き放たれてるらしいけど」


 ゼロはしばらく俯いていた。額にしわを寄せ、瞼を閉じながら何かを見ている。おそらく、未来視を行っている最中なのだろう。


「もう、駄目」


 ゼロが言う。


「戦うしかない、と思う……。プライム博士は、もう行動を変えそうにない。私たちが逃げても、聖都で大虐殺が起こるだけ」


 メトは頷いた。ラグ司教がほっとしたように笑った。


「感謝します。ガドレガ相手に私一人だけだと、勝てる気が全くしなかったから。さて……」


 東のほうで誰かの叫び声が上がった。ラグ司教はふわりと宙を飛び、高い目線から東を睨んだ。


「ガドレガが暴れているみたい。一応兵隊を向かわせるけど、無駄でしょうね」


「よし、行こう!」


 メトたちはラグの先導で走り始めた。さっきまで賑やかだった聖都の通りは静かになっていた。ラグの拡声魔法を使った呼びかけが効いたのだろう。市民からの信頼が厚い彼女だからこその現象だった。


 通りを幾つか横切った先で、一つの巨大な住居が崩れ去るところだった。土埃を風の魔法で払い、巨大な男の姿が現れる。


 ガドレガ。僧衣を脱ぎ捨て、肌の人面を全て失い、顔面の獣の眼も全て取り払った男の淡白な顔が、喜悦に満ちていた。


「ああ――支配されているというのがこんなにも心地よいとは。吾輩は想像だにしておりませんでした。レギオンの皆さん、いきますぞ」


 ガドレガの右腕がいびつに変形した。変形過程でいくつもの人の顔が浮かび上がる。黒く金属質の光沢を持ったその腕は、いともたやすく家屋の柱を削り取った。住民が瓦礫の下から這い出して、逃げようとしたが、腕から口が生えてその人間を頭から齧り食ってしまった。


 ゼロが目を伏せた。メトは一歩進み出て、博士を抜き放った。


「お久しぶりです、メト殿! 貴殿はきっと、こんなスカスカじゃない、ちゃんと身の詰まった肉体なのでしょうな! 楽しみです、楽しみですぞ!」


「――ゲスが!」


 メトは走り出した。横にはガイが、後ろにはゼロがついている。ラグも空を飛んで臨戦態勢に入った。ガドレガは四人が突っ込んできても余裕の笑みを浮かべていた。メトには嫌な予感があったが、それを振り切って、大剣になった博士を振り回した。







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