氷雷の剣(後編)
ゴイタムたちのもとへ戻るとまだ二人は争っていた。お互いに細かい傷を負っている。ゴイタムの鋭い一撃を、クィックの理性的な剣が受け止めている。クィックの反撃の機会は少なかったが、ゴイタムの癖を知り尽くしているのか、的確な足さばきで相手の死角を取り、決定的な場面を作ることもあった。
二人とも、息を切らして相手を睨みつけている。このまま剣の師弟の勝負を見届けても良かったが、メトが間に割って入った。
「はい、そこまで。ルタテトラさんに会ってきたよ」
しかしそれでも二人の殺気は消えなかった。とことんやらせたほうがいいかとも思ったが、ゴイタムの右腕から無視できない量の血が流れていたし、クィックのほうは右足を引きずっていた。やはりじっと眺めているなんてことはできない。
「ゴイタムさん、クィックさん。師弟でケンカするっていうなら、私に止める権利はないけど、クィックさんの雇い主であるルタテトラさんから伝言がある。それを伝えるよ」
クィックが舌打ちして、一歩下がった。ゴイタムも一歩下がる。両者間合いから外れたことで、一気に空気が弛緩した。ゴイタムが剣を納める。
「伝言、ですか。ルタテトラさんから私にどんな言葉が……」
「クィックさんに向けての言葉だよ。依頼は白紙。報酬はちゃんと払う。だってさ」
メトの言葉に、クィックは呆れたように笑った。
「護衛は終わりか。結局、抗えなかったわけだ」
メトはクィックの乾いた笑いを聞き、首を傾げた。
「……クィックさん、事情を知っているなら教えてくれない? この街で何があったのか、私たちに弓矢を射かけてきたのはなぜなのか」
「矢を射ったのはそういう任務だったからだ。これまでこの屋敷に侵入してきたのはろくな奴がいなかったからな。ただの盗人ならまだマシで、暗殺者、女目当てのクソ野郎、放火魔、狂人、他国の密偵……。味方なんていなかった」
クィックが指折りながら話す。メトも一緒になって指を折り、
「でも、私たちだって分からなかった?」
「メトたちだけだったら仕掛けなかったかもしれん。だが師匠がいた。何をしでかすか分からなかったから撃った。あまり弓矢が得意ではなかったから、師匠には当たらなかったがな」
殺意の漲った目をしたクィックに、ゴイタムが意地悪そうな笑みを返す。メトはもう一度二人の間に立って、手をぶんぶんと振った。
「そ、そっか……。まあそれはいいや。みんな、半分眠っているような状況だけど、どうなってるの」
「俺も詳しくは知らないが、ルタテトラは秘薬が影響していると言っていた。体が冒され、別の意識に乗っ取られている、と。ルタテトラは飲食物に気を付けてと俺に言っていたが、この街の水源か、あるいは何らかの食べ物か、それは分からないが、知らない内にその秘薬を摂取していたようだ」
どんどん世の中に浸潤していく。フォーケイナの棺はもう、珍しいものではなくなっている。
「秘薬……。フォーケイナの棺を摂取すると、こんなことになる……? 初耳だけどな」
「ルタテトラにとっても予想外だったんだろう。この街の人間は多かれ少なかれ秘薬を摂取してしまっている。俺が護衛として呼ばれたとき、既に館の大半の人間は半分眠っているような状況だった。飲まず食わずでも平気。さすがに窒息すると死ぬようだが、それ以上のことは分からない」
「そうか。外部の人間に護衛を頼んだのは、私兵が全員眠ってしまったからか」
クィックは深く頷いた。
「そういうことらしい。ルタテトラもどうしていいか分からないようだった。街は眠り、旅行者や外部の人間も困惑していたが、犯罪も多く起こるようになった。俺はこの館を守るので精一杯だったが、たまに街に出没する不届き者を斬ったりもした。街に僅かにいる無事な人間も、それを見て外には出たがらないようになったな。おそらく安全のためならそうしたほうがいい」
「ルタテトラはこの館を出るつもりにはならなかったのかな。進行が遅れたかもしれないのに」
「さあな……。依頼が白紙になった以上、俺はもうここにいる義理はないが。もう少し様子を見てみる。せっかく館を守っていたのに、俺がいなくなった途端燃やされでもしたら、気分が悪い」
クィックなりに責任感を覚えているのだろう。仕事は仕事だ、と割り切ることができない性格か。メトはそんな彼を好ましく思った。
「そっか……」
メトは閑散としている館に耳を澄ませた。博士によれば100人以上この館にいるらしい。そんな気配がない。静かなものだ。
「……ガイ、ゼロ、外に出ようか。ここはクィックさんに任せても大丈夫そう。そもそも私たちがここを訪れなければ、流血沙汰もなかったわけでね」
メトはクィックに軽く頭を下げて、館の外に出た。
中庭に立ち、日差しが燦々と降り注ぐ木々の伸びやかな枝葉を見る。この街で人間が危機的状況にあるとは思えないほどのどかな風景だった。きっとこの街から人がいなくなっても、これらの木々は問題なく生い茂り、館や街を覆い尽くすのだろう。あるいは、プライム博士の撒いた秘薬は、これらの植物まで統御してしまうものなのだろうか。
風が強く吹いた。メトが視線を下げたそのとき、頭上を横切る何かの影が足元に落ちた。視線を上げると、館の屋根に一人の男が着地するところだった。
金髪の男……。ジョットがそこにいた。偶然居合わせたということはありえない。明らかにメトたちを追ってきている。ジョットは街を見渡し、つまらなそうに欠伸をした。
「ジョット!」
「メト。つい最近も会ったが、奇遇ですね」
ジョットは屋根の上に座り込み、足をぶらつかせた。メトはそんな彼を指差す。
「しらばっくれないでよ。平原のど真ん中の次は、そこから遠く離れたジヴィラムで再会? あなたが私を追ってきているんでしょ」
「残念ですが、本当に偶然です。プライム博士には色々と雑務を押し付けられていましてね。他に使いやすい駒がいないんでしょう」
全く信じられなかったが、彼が意味もなく嘘をつくわけがないとも思った。これ以上追及しても仕方ない。
「ふうん……。それで、ここに何の用?」
「ジヴィラムはかねてよりフォーケイナの棺の実験場として注目されていました。フォーケイナの棺を先行的に行き渡らせ、フォーケイナの細胞がどれくらいの速度で人体の大部分を占めるようになるのか、その情報が欲しかったのです」
メトは唖然とした。
「は? ここが、実験場?」
「もちろん、誰もそんなことは知りません。知っているのはプライム博士だけです。フォーケイナの棺を入手していた貴族や商人連中は、自分たちの手腕が優れているからフォーケイナの棺を多く入手できていると錯覚していたようですが。実際はプライム博士がそのコネを隠れ蓑に、多くの秘薬を投入していたに過ぎません」
メトはジョットの言葉を聞きながらイライラを募らせていった。それが声に反映されてしまう。
「いったい、何様なんだよ……! こんな素敵な街で、実験? 御大層な目標を掲げておきながら、やっていることはただの侵略、破壊じゃないか」
「プライム博士には狙いがあります。それに、悪いようにはしませんよ。いずれ、この街の人々はプライム博士に感謝するようになるはずです」
「冗談でしょ」
メトは吐き捨てるように言った。ジョットはそんなメトを意外そうに見た。
「人々が無防備な間、何者かに襲われる心配をしているのなら、大丈夫。傭兵を雇いました。ジヴィラムの人々が眠りに落ちる時期が掴めず、手配が遅れてしまいましたが、間もなく到着するはずです」
「そういうことじゃないんだよ。いったいこんな実験をして、何になるっていうの。いったい何をしでかそうっていうんだよ」
ジョットがプライム博士の考えを代弁できるわけがない。それでも聞いてしまう。ジョットは肩を竦めた。
「いずれ分かりますよ。メト、聖都に来るんでしょう? プライム博士が待っていますよ。プライム博士は、メトとゼロの可能性に期待しているんですから」
「……プライム博士からは、自由になれと言われたけれど」
「しかし痛感したはずです。檻の中では理解できない範囲で、自分が消してプライム博士からは逃れられないということが」
プライム博士の余裕を含んだ佇まいを思い出す。どうあがいても、あの男を驚かせたり怯えさせたりなんてことはできないような気がする。
「そんなの……。私次第じゃん。聖都に再び行くかどうかなんて」
「いいえ、プライム博士は確信していましたよ、メト。あなたはフォーケイナの細胞を受け付けない躰だ。魔物のほとんどがフォーケイナの棺に冒されている今、食べるものに困っているはず」
メトは目を見開いた。
「ああ……」
「生に執着するならば聖都に戻ってくると。ゼロがメトを想うのなら聖都に来ると。プライム博士には分かっていたことです」
メトは一瞬、息を呑んだ。そして、小さく笑んだ。
「……なんだ、その程度か」
「はい?」
「安心したよ。プライム博士なら全てを見透かしていたとしても、不思議じゃないと思っていたけれど」
ジョットがじろじろとメトを見る。
「まるで、聖都に向かっているのは別の理由かのように言うんですね。平原であなたは飢餓を経験したはずだ」
「そこまでは合ってる。……これ以上は言う義理がないね」
ジョットは空を仰いだ。
「……まあいいでしょう。どうせ私は、この街の人々の様子を確認できれば、それでいい。メト、聖都で会いましょう」
「うん。そのときは戦うことになるのかな。洗脳を破壊して、元の凶暴な性格に戻してあげるよ」
「……ああ、また、あなたへの殺意が強くなってきました。また、暴走してしまうかもしれない。あなたとはもう、話したくないですね」
ジョットはそう言うと垂直に飛翔した。そのままあっという間に姿が見えなくなる。メトはそんな彼を見送り、ゆっくりとガイとゼロに向き直った。
「……傭兵とやらを信用して、私たちは聖都へ向かおう」
「ああ、そうだな、メトちゃん。向こうも待ち構えているようだ。道中妨害が入ることもないだろう」
「プライム博士ともう一度話がしたい。場合によっては強引にフォーケイナを取り戻す。最初からそうすればよかったんだ、私が甘かった」
メトはジヴィラムの惨状を見て、プライム博士には何の正義もないと確信した。フォーケイナを犠牲に世界を救うのではない、何もかもを犠牲にして世界を壊そうとしている。それがプライム博士だ。
いったい彼がどんな言い訳をするのか。メトは今からそれが楽しみだった。どうせ独りよがりなことを言うに違いない。
メトたちは館の敷地から出ようとした。すると館の内部から、剣と剣がぶつかり合う音が聞こえてきた。クィックとゴイタムが、また戦いを始めたらしい。
メトたちはその音を背にしながら館から離れた。晴れていた空がにわかに曇り始めた。雷鳴と共に雨が降り始め、メトたちは足早に街を出る。三人とも身軽で、馬よりも速く走れたので、道を選ばなかった。聖都までそう日数はかからないはずだった。




