氷雷の剣(中編)
都市ジヴィラム。聖公家の貴女ルタテトラの住まいまで、彼女を護衛したことがある。そこでゼロと再会し、一緒に旅をするようになった。あのときはろくにジヴィラムの街並みを眺めることができず、すぐに出立することになった。
門を潜り抜け、街に入ってすぐ、そのきな臭さに気づく。人の出入りが極端に少なく、綺麗な街並みがだというのにほぼ無人街のようになっていた。窓の向こうからこちらを観察している住民に気づいたが、特に敵意は感じられなかった。
街の通りを進んでいく。フドで出会い、ジヴィラムまで護衛した貴女ルタテトラの巨大な屋敷があった。そこでも誰かに見られている気がしたが、その正体はよく分からなかった。
ゴイタムが通りの途中で買ったパンを頬張りながら、敷地内を見渡している。
「ゴイタムさん、クィックはどこに?」
「さあ。何も聞いておりません。とりあえず一番大きな屋敷に来ましたが、ここで奴が働いているという確証があるわけでもないです」
「なんだよ、それ……。護衛を頼むくらいだから、やんごとない身分の人なんだろうけど、よくよく考えれば魔物の脅威がなくなりつつあるこの一帯で、新たに護衛を雇うというのは、どういうことなんだろう。たとえばここで言うと、ルタテトラさんは自前の兵隊を抱えているわけだし」
「確かに、そうですな。もう少し詳しく話を聞いておくべきでした。私は弟子がつまらない職に就くことが気に食わず、機嫌が悪くなっていましたから」
「つまらない職? 護衛が?」
「剣の道に邪念は禁物。カネへの執着が彼の感覚を鈍らせると思ったのです。実際は、稼がないと明日食べるパンも手に入らない。私の方が間違っていたわけですが」
「ゴイタムさんって、相当な変わり者だよね……。カネへの執着が駄目って、マナさんの海賊稼業には加担してくれたじゃない。言ってることが矛盾してない?」
「あのときはお腹が空いていたので、致し方なく……。マナさんはやり手ですぞ。飢え死にしそうな男二人の目の前で美味しそうな肉を焼き始め、これが食いたかったら協力しろよ、と言ってのけました。このアマ殺してやると思いましたが、そのときは全く力が入らず……。はめられたのです」
「ふうん。まあ、ゴイタムさん相手ならそれくらい強引にやらないと駄目だよね」
二人が話していると、辺りを探索していたガイとゼロが戻ってきた。
「メトちゃん。この街の様子、やっぱりおかしいな。人通りがないのもそうだが、まともに市場や学校、病院などが機能していない」
「どういうこと?」
「経済活動がほとんど停止している。けれど住民がいないわけではない。そういう状況だ」
「……誰かに話を聞きたい。ルタテトラさんくらいしか、あてがないけれど……」
「向こうからしたら俺たちは命の恩人だろう。訪問したら歓迎してくれるんじゃないか?」
ガイは言ったが、表情は硬かった。ただごとではないことを察知して、色々と嫌な想像をしているに違いない。ルタテトラは無事なのか、どうか。
メトはルタテトラの屋敷の門を叩いた。すると簡単に開いた。敷地内に入ろうと思えば簡単に入れる。
番兵も何もない。以前来たときは、少なくとも見張りが4,5名はいた。
「……呼びかけながら中に入ってみよう」
メトの言葉に、一同は頷いた。館の敷地内に入り、玄関の扉が半開きであることを発見する。そして、弓が絞る窮屈そうな音が聞こえた。
「伏せろ!」
メトは叫んだ。反応が遅れたガイの肩に弓矢が突き刺さる。ガイは大して痛がる素振りをみせることなくそれを引き抜いた。
「が、ガイ! 大丈夫?」
「ああ。問題ないよ。それより、弓矢を撃った人間は屋敷の中にいるな」
ガイが指差す。その先には全開になった一枚の窓があった。既にそこには人影がない。
「……あんまり歓迎されてないみたいだけど、どうする。強引に中に入る? 正直、ここにこだわる必要は全くないんだけど」
メトの言葉に、ゴイタムが指を振る。
「何の理由もなしに襲って来るということはないでしょう。何か重大な理由があるはず。それにこれは私の勘ですが、ここにクィックがいる気がします」
「ゴイタムさんの勘は当たるの?」
「外れたことがありません」
「……それって都合よく記憶から消し去っているだけじゃなくて?」
「その可能性もあります。しかしメトさん、弓矢を射ったのがそのルタテトラさんとやらの配下なら、メトさんやガイさんの顔は覚えているはずでしょう。そのことについてはどう考えているのです?」
「……確かに、私やガイはともかく、ゼロはしばらくこの館で暮らしていたわけで……。弓矢を射かけてきたのは、ゼロも知らない奴。つまり部外者?」
「中に入りましょう」
ゴイタムが開け放たれた窓のほうへと歩き始める。メトとガイは頷き合い、ゼロと共にゴイタムに続いた。
ゴイタムは抜剣し、しっかりとした足取りで敷地内を横切る。やや高い位置にあった窓を見やり、軽く跳躍してその窓枠に手をかけた。片腕の筋力だけで体を引き上げると、剣先を先に館の中に入れるようにして警戒しつつ、中に侵入した。
「――問題ないようです。続いてください」
メト、ガイ、ゼロの順で館の中に入った。中は昼間だというのに薄暗かった。館の内部は綺麗に清掃され、調度品も揃っていて荒らされた形跡もない。しかし窓のすぐ横に落ちていた弓と、何本かの矢が、一同の目を引き付けた。
「……館の人間を探そう」
メトは言った。そして博士に触れる。
《人間ならそこらじゅうにいる。上階にも、地階にも、ざっと100人は》
「そんなに?」
《しかし、ほとんどの人間が眠っている。というか、ぼんやりとしているようだ。何人か活発に動いてはいるようだが……》
「その活発に動いている人の場所はどこ?」
《目の前の部屋だ》
博士が示したのは、開け放たれた窓から数歩先にある扉だった。メトは耳を澄ませた。特に物音はしない。メトが扉に手をかけようとした瞬間、ゴイタムがメトの腰のあたりに飛び掛かった。
強靭な足腰を誇るメトだったのでそこで踏ん張ることもできたが、ゴイタムの意図を察して抵抗しなかった。床に手をついて素早く起き上がる。
扉を開け放して剣を構える男。部屋の入り口に立ち、一同を睨みつけている。
「あの弓の軌道を見て、ぴんときた。剣の鍛錬をさぼり、自作の弓で獣を狩ろうとしていたお前の姿を、よく覚えているよ」
ゴイタムが剣を構えて前に進み出る。部屋から出てきたのはクィックだった。
クィックの表情は絶無と言ってよかった。メトたちを見ても全く動揺していない。
「……師匠。俺は今、ジヴィラムの聖公家に雇われているんだ。邪魔するなら斬る」
「クィックよ、この不気味な街はなんだ。私たちは話を聞きたいだけなのだが、その殺気はなんなのだ。わくわくするじゃないか」
「……師匠がどうなっても俺はどうでもいいが、そっちの人らにはさんざん世話になっているからな。一応説明しておく。俺の雇い主であるルタテトラは地下にいる」
メトは渋面になった。
「地下に? クィックさん、事情を説明してくれない? いつからこの街はこんな異常なことに」
「さあ。しかし、この街が早かっただけで、いずれ世界中がこうなるんじゃないか?」
「え……?」
クィックが剣を構えたまま数歩、歩み寄る。それを見たゴイタムの全身から一気に殺気が噴き上がった。
クィックの今の数歩は、素人からすれば何気ない動作に見えたかもしれない。しかし剣の道に生き、剣の道に死すゴイタムのような男からすれば、抜き身の得物が互いの急所を一瞬で穿つ、そんな未来が見えかねない危険な間合いだった。
やる気だ。メトは傍から見てそう思った。ゴイタムの雷撃のように激しく鋭い剣閃。クィックの凍てついたように研ぎ澄まされた剣撃。二人の剣士の一閃が重なり合ったとき、重くしなやかな剣のゴウンという共鳴音が鳴り響いた。
「……地下に行く。ゴイタムさん、うっかり弟子を殺さないでよ」
メトは言いながら走り始めた。特にクィックはそれを止めようとはしなかった。ガイとゼロもメトについてくる。
ゴイタムは薄笑いを浮かべ、
「まだまだ、未熟な弟子に後れをとるわけにはいきません。さあクィック、職務を全うできず雇い主に失望される覚悟はできたか!?」
「黙れ。俺をさんざん掻き回しやがって。俺はもう師匠にはこりごりなんだよ」
二人の斬り合いの激しさは、メトたちが通路を駆けている間も伝わってきた。メトは館の中で迷いかけたが、ゼロが階段の位置を教えてくれた。どんどん地下へと向かう。
《妙だな。地下の気配が、どんどん薄くなっていく。さっきまで動いていたが、もう……》
博士の言葉。それを聞いてメトは最悪の想像をしてしまったが、いざ地下に入り、そのだだっ広い空間に踏み込むと、ルタテトラが佇んでいるのを発見した。何もない空間で、ただ立っている。
「ルタテトラさん! 久しぶり!」
メトが呼びかけても反応がなかった。不審に思っていると、博士が、
《メト、妙な気配だ》
「え?」
《フォーケイナの棺に浸食されている。尋常じゃない状態だ。これは、見たことがない……》
博士の声がどんどん小さくなっていく。やがて聞こえなくなった。メトは博士が動揺しているのと感じ取ったが、今は博士よりも目の前のルタテトラのほうが気になった。
ルタテトラが、ぼんやりとした目でメトを見た。
「あら……。お久しぶりです、メト様」
「あ、久しぶり。どうしたの、こんな何もない場所で、ひとり」
「さあ……。なんなのでしょうね、これは……。わたくしも、気を付けていたはずなのですが、徐々に取り込まれて……」
「取り込まれて?」
「きっと、メト様と、それからゼロ、あなたがたは平気なのでしょう。少し、うらやましいですわ……。この街は特別、進行が早かったようで……。きっと聖公家がデイトラム聖王国の王族と血縁関係にあり、秘薬の供与をいち早く得ていたというのも、関係があるのでしょう。そこまでは、私も分かっていたのです……」
「何を言っているの、ルタテトラさん?」
「ご心配なさらずに。それと、熱心な傭兵であるクィックさんと、護衛の方々に伝言をお願いできますか? 報酬は払うので、いったん依頼は白紙に、と……」
「伝言はいいけど、全く事情が分からないよ。どうしたんだよ」
しかしルタテトラは何も言わずに、ただ瞼を閉じた。そして立ったまま動かなくなった。
メトは彼女に近づいた。脈はある。呼吸もある。しかし揺さぶっても反応がなく、不気味だった。安らかな寝顔。
「とりあえず、無事なようだな。メトちゃん、上に戻らないか? ゴイタムとクィックが戦う理由はないはずだ」
ガイの言葉にメトは頷いた。異常なことが起こっている。メトは聖都でのプライム博士の言葉を思い出していた。
――フォーケイナの棺を摂取することとはすなわち、フォーケイナの肉を他者の肉体に同化させることなんだ。つまり、人間だろうが魔物だろうが、その肉体の組成を変化させる力を持つ。人類を改造し、この世界に適応した形に進化させる。魔物を家畜化し、新たな労働力とする。研究が完成すれば、この世界は新たな段階へと進むだろう――
これが、そうなのか? 人々が夢遊病者のようになっているのも、プライム博士の思惑通りなのか?
もしかすると世界はもう、変わり始めているのかもしれない。メトの体は震えていた。




