フォーケイナの棺(後編)
依頼人は立腹だった。魔物の死体の状況を報告、情報を共有して、今回の魔物の異常な挙動の原因を調べることは、ドゥラの商人間での約束事だった。それを破ったとなれば信頼を失う。報告に来たメトをさんざんなじり、報酬どころか迷惑料をもらいたいくらいだとのたまった。それからなかなか魔物を仕留められなかった“天頂の銀星”の実力不足にも不満を漏らし始めたところで、依頼人の部下と思われる男が神妙な表情で報告に来た。
「なんだと……。他の七体の魔物が討伐されたと?」
「はい」
「結構なことじゃないか。死体の検分は早速行われているんだろうね」
「それが、その全てが討伐者によって燃やされたと」
「なに!?」
依頼人が責めるようにメトを見た。しかしもちろんメトは関与していない。討伐したのは一体だけだ。
「いったいどうなってるんだ。まさかお前らの仲間の仕業か?」
メトは首を振った。心当たりがなかった。同じ研究所出身の四人――ジョット、ディシア、ゼロ、フォーケイナたちならしかねないが、むしろ魔物を人間にけしかけてきそうな気もする。あの魔物はフォーケイナの能力を利用されて造られたことは見当がついていた。
フォーケイナは、研究所が崩壊する前、どこかへ連れていかれてしまった。博士ならその行方を知っているだろうが、教えてはくれなかった。フォーケイナは、メトと同じく生まれつき何の能力も持たなかった子どもだったが、実験の末、メトとは全く違う能力を開花させた。
無限再生能力。それがフォーケイナの能力だった。そしてそれが応用されて、博士はなんともおぞましい研究へと発展させるのだが、その領域のことはメトは詳しくは知らない。知っているのはフォーケイナの能力こそが博士の悲願を完成し得る鍵であるということだ。
メトは依頼者に幾つか質問したが、まともに話ができる状況ではなかった。メトたちが命の恩人であるということを忘れたのか、その眼差しは侮蔑に満ちていた。
「メトさん、依頼人の頭が冷えるまでまともに会話できそうにないよ」
ガイの言葉にメトは頷いた。
「だね。その辺ぶらぶらしてこよっか」
二人は依頼人の拠点から退出した。これからドゥラ都市同盟での仕事はやりにくくなるかもしれない。別の国に行って仕事をするのは構わないが、旅が始まってすぐこんなことになるなんて想像していなかった。メトは今後自分が何をしたいのか、今一度考えずにはいられなかった。
この忌々しい武器で、魔物を駆除していく。そのことに迷いはない。しかし人から恨みを買ってまでやることだろうか。さっさとこの武器を破壊してしまえと囁く自分がいるのも事実だ。あるいは、ジョットやディシアあたりにこの武器を差し出せば、適切に処理してくれるだろう。
宿場の街並みは喧騒に満ちている。盛んな商いの声に混じって、何者かの歌声が聞こえてきた。
それも一人や二人の歌声ではない。音楽に乗せて、男性女性問わず、何十人もの歌声が聞こえる。調和は全くない。別の歌声が、それぞれ自分勝手に主張しあって、重なり合っている。
「何か聞こえるな……」
ガイが呟く。町人もざわざわし始めていた。どうも町人にとっても異常な出来事らしい。一体どんな集団がこんな混沌とした歌を歌っているのかとメトは気になった。
《メト!》
博士が叫んだ。
「うるさいよ。突然話しかけないで」
《一刻も早くこの場を離れろ。やばい奴が町に紛れ込んでいる》
「はあ? 魔物ってこと?」
《違う。それよりも厄介な奴だ。私自身、倫理というものは軽視しがちだが、そこにいるのはもっとおぞましい何かだ。逃げろ。数秒後この町がどうなっているのか、想像もつかない》
「……ええ?」
逃げろと言われても……。周りには人が大勢いた。ガイもぼけっと歩いている。それに、メト自身、危機察知能力は人並み以上にあるつもりだが、全く危険な雰囲気はない。
博士が無駄なことを言うとは思えなかった。しかし一目散に逃げる気にもなれなかった。歌声がどんどん近づいてくる。
《ああ……。見つかった》
博士が言う。
《どうせ逃げても無駄だっただろうが……。戦闘になる覚悟をしておけ》
メトはさすがに緊張して、背筋を正した。人混みの中、それはひときわ目立っていた。なにせ背丈がある。他の人間より頭二つぶん大きかった。それは一応、人間の姿形をしていた。分厚い僧衣を幾重にも身にまとい、顔もツギハギの頭巾に覆われてよく見えない。背中には棍棒を背負い、その異様な風体に、町人は遠巻きにしていた。
ガイが恐れおののいて、メトの後ろに隠れるように立った。その男はまっすぐメトのほうへと向かってきた。強烈な香木の匂いが漂ってくる。男が体臭隠しに使っているようだった。やがて町の往来の真ん中で二人は相対した。
しばらく睨み合っていた。男の周りでは混沌とした歌声が流れている。この男が歌声の発信源であることは明らかだった。大音量で耳が痛くなる。それに、歌声自体は陽気なものであったり美しいものであったりしたが、脈絡のない組み合わせのせいか、どこか不気味な気分になる瞬間があった。メトは直刀の柄に触れた。男は頭巾の一部をずらし、金色の瞳が輝く双眸をあらわにした。
「もしや、貴殿が八体目を討伐した猛者ですかな!?」
歌声に負けない、常軌を逸した大声。メトは飛び上がってしまった。町民の視線がいよいよ集まる。男は自分の頭をガシガシと掻きながら、
「いやあ、吾輩を除いて、あの魔物を討伐できる狩人がいるとは思いませんでした! どのような大男かと思えば、こんな小さなお嬢さんだったとは! あはっ、あふっ、はあ、あっぱれ!」
メトは目を丸くしていた。陽気な声。とても危険な男には思えない。確かに見た目は異様だし、この男の周りで響いている歌声は異常だが、この男自体に敵意は感じられなかった。
「あ、あなたが街道の七体の魔物を討伐して、燃やした人?」
「左様! あの呪われた魂の浄化を願い、供養した者! 随分と商人連中からは叱られてしまいましたが、いささかも後悔はしておりません!」
「そ、そう……」
「貴殿も、せっかく討伐した魔物を焼却したとか! 理由をお伺いしても?」
男の眼は油断なくメトを観察している。メトは一呼吸置いてから、
「魔物の血が自然を穢すと思ったから。魔物退治を始めて日が浅いんだ。だから他のギルドの人に怒られちゃったよ」
「……ほう?」
男は顎と思われる位置に手をやった。
「それにしては、魔物の血を浴びたままにしているように思われますなあ」
「え? ちゃんと服は着替えたし、体だって……」
「その武器ですよ。なんとも面妖な武器です。見たことがない」
博士は息を潜めている。メトは柄を握り込んだ。
「……なんてことはない、直刀だよ。ところで、あなた、名前は? どこのギルド? 私はメトっていうんだけど」
「吾輩としたことが! これは失礼いたしました。吾輩はガドレガと申す! ギルドには所属しておりませんで、旅の僧でありますぞ」
「僧侶さん」
「ミア教をご存知ですかな? 今は既にそこを破門されてしまいましたが、その教えと心意気を忘れたことはありません!」
「破門されちゃったんだ……。理由は、その音楽だったりする?」
ガドレガは首をぶんぶんと振った。
「いいえ、これはただの吾輩の趣味ですがね! 常に最良の音楽に囲まれていないと、気が済まないのです! ご迷惑だとは分かっているのですが、こればかしはやめられずにおりまして! ふはっはははふふ!」
変な人であることは間違いない。しかしガイなんかは危険な人間ではないとすっかり安堵してメトの隣に無防備に立った。メトは博士の反応が気になっていた。あまり長話をする気になれなかった。
「メト殿」
ガドレガは頭巾の位置を戻して顔面全体を隠した。
「……なに?」
「吾輩はこう見えて、金銭的な余裕がありましてな。メト殿に相応しい良質な武具を、幾らでも提供したいと考えております」
「え?」
「その代わり、その面妖な武器を吾輩に譲ってはくれませぬか。非常に興味があるのです」
「あー……」
メトは一歩後ずさった。
「悪いけど、幾ら積まれても、この武器は渡せない。そもそもあなたのことを全く知らないし、そんな取引に応じる気になれない」
「ふふっ! ごもっとも! 不躾な愚僧に、どうかお許しを!」
その瞬間、ガドレガの巨体が大きく膨らんだ。メトは咄嗟にガイを突き飛ばした。後方に飛び退こうと思ったが動きが読まれている気がして、敢えて踏み込んだ。ガドレガの大きな手が棍棒を掴んで一切の躊躇もなしに振り下ろしてきた。宿場町の舗装された道路を棍棒が叩き割った。メトはその棍棒のすぐ横に立っていた。
「……どういうつもり?」
「ふふふっ、ははふふはうは! 冗談です!」
「冗談で道を破壊するのは辞めてほしいけれど。あなた、この武器を壊したがってるの?」
「ふふ……。まあ隠しても仕方ありませんか。貴殿の持つ武器からは禍々しい邪気を感じます。悪いことは言いませんから、吾輩に譲ってくだされ。しっかりと供養せねば!」
「たぶん、あなたは私より数段強い。けど、たとえ殺されるようなことになったとしても、この武器は譲らない。たった今そう決めた。本当に欲しかったら私を叩き殺すことだね」
ガドレガは棍棒を無造作に持ち上げ、ゆっくりと背中の留め具に掛けた。
「そこまで言われるのなら、吾輩も諦めるほかありませんな。しかし、その荷を下ろしたくなったら、いつでも吾輩に言ってくだされ。その武器の呪いを責任を持って払いますからな」
「ありがとう。ところで、破門の理由をまだ聞いてないけど、当ててあげる。数えきれないほど人を殺してるでしょ、あなた」
「ふふふ、いいえ、一人たりとも!」
ガドレガはのっしのっしと歩み去った。まだ尻餅をついているガイを起こして、メトはきびきびと歩き出した。
「め、メトさん! あの男はいったい……」
「さあ。通りすがりの怪僧でしょ。それより、道を壊した責任を負わされても困る。さっさと逃げるよ」
「あ、ああ、そうだね。昼食を取ったら依頼人のところに戻ろう。多少は落ち着いて話ができるようになっているかもしれない」
二人は軽食屋に入って時間を潰した。町の騒ぎはなかなか収まらなかった。メトのことを指差す人間もちらほらいたが、町の警備を担当している兵士がメトのもとへやってくることはなかった。あの怪僧ガドレガの衝撃が大き過ぎて、近くに突っ立っていたメトの印象が薄まっているのだろう。とりあえずは安心できそうだった。
街道の魔物の討伐に、ドゥラ都市同盟はてこずっていた。メトが対峙した魔物の強さを考えると、傭兵やギルドがなかなか倒せなかったとしても不思議ではない。メトが担当した個体以外の七体の魔物も、同等の強さを持っていたと考えるのが自然だ。それをガドレガはあっさりと撃破した。おそらくメトが出向かなければ、八体目もガドレガが倒していたのだろう。
もしかするとあの怪僧も、魔物の正体に感づいていたのかもしれない。あれは普通の魔物ではない。人為的に強化された魔物だ。メトには確信があった。そして街道の魔物が、ドゥラの商人ばかり襲っていたのもその辺りに原因がある。もしかすると、メトたちの依頼人も事情を一部知っている可能性がある。
「なあ、メトさん。あの怪僧も魔物の死骸を燃やしていたが……。ひょっとして、メトさんが魔物を燃やしたのと、同じ理由だったりするのか?」
「さあ。あのガドレガとかいうおじさんがなぜそうしたのか、私は分からないし」
「じゃあ、メトさんが死体を燃やした理由は、話せるかい?」
「うん……」
メトは少し考えた。
「それについて話すには、私の過去について触れる必要がある。ガイ、あなたになら話してもいい気がしてきているけど」
「それは光栄だが……。無理はしなくてもいいんだぞ、メトさん」
「無理はしない。ただ、ガイ、あなたが私のことを不気味に思う可能性がある。魔物の肉しか食べられない私の躰の理由も、同時に話すことになる」
「ふむ……」
ガイは頭を乱暴に掻いた。
「ひょっとして、メトさん。それを話すことによって、俺がきみのもとから去ることを恐れているのかい?」
「別に、そんなことは。あなたに付きまとわれているだけだし」
「確かに、そうだな。うん、うん」
ガイは大袈裟に何度も頷いた。メトは少しムキになって、
「じゃあ、もう私にはついてこないでね。ここでさよなら!」
「気を悪くしないでくれよ、メトさん。子どもみたいなこと言うなって。俺はメトさんの強さと正しさに憧れているんだ。メトさんが多少、他の人間と違った人生を辿っていようと、今更気にしない」
「本当?」
「ああ。約束する」
メトは更に考えた。なんだか自分が仲間を欲しがっているみたいじゃないか……。そんな自分を批判的に感じつつも、ここで黙り続けるのは悪い気分をずっとひきずることになるだろうなとも思った。
「……おそらく、例の魔物は、フォーケイナの棺と呼ばれるモノを取り込んでいる。その結果、普通の魔物とは違う能力を有するようになった」
「フォーケイナの棺……? いったい、それは」
「フォーケイナという男の肉片が入った、食べ物だよ」
「肉片……?」
「フォーケイナは、私の親友だった。成長するにつれてどんどんおかしくなっていったけれど、彼の持ち前の優しさだけはけして消え去ることはなかった。彼がおかしくなった理由は、人体実験の対象になったから」
「それは……。つまり……。もしかしてメトさんの体も人体実験の……?」
「私の話は一旦置いておいて。人体実験によってフォーケイナは無限に再生する能力を手に入れた。それと同時に、彼の躰から削った肉片には、それを取り込んだ魔物に再生能力を付与する力もあった。魔物によっては心臓が増えたり、新しい能力が発現することもあったみたい」
「そんなことが……!」
「私が過ごしていた研究所には、フォーケイナのその能力を更に深く研究する為に、世界各地から運んできた魔物がたくさん閉じ込められていた。強い魔物は生きたまま輸送するのが不可能だったから、弱い魔物しかいなかったけど、魔物同士の交配を繰り返して、一部強い魔物もいた。そして私は見たんだ。再生能力を得た魔物が別の魔物に食われたとき、その再生能力が捕食側にも付与されるのを」
「それは、つまり……」
「あのまま死体を現場に放置して、別の魔物がそれを喰った場合、また厄介な魔物が生まれる可能性がある。それだけは避けなくちゃいけなかったんだ」
「なるほど……。死体を燃やした理由は、分かったよ。メトさんが正しいと思う。それに、事情が事情だけに、依頼人にワケを話さないのも理解できる」
「それはよかった」
「しかしそのフォーケイナの棺なんてものを、どうして街道の魔物が口にしたんだろうか。その彼はいったい、どこに……」
「分からない。私もフォーケイナの足取りは追っているところなんだ。依頼人が手掛かりを知っているなら、教えてもらいたいところだけど」
メトは小さくため息をついた。とりあえず事情は話せた。肩の荷が下りた気がする。隠し事なんて自分には向かない。
《意図的に話さなかったことがあるな、メト》
博士が言う。
「私の名前を気安く呼ぶな。研究所では一度も口にしなかったくせに」
《哀れな我が子が、過去の記憶に苦しめられないようにとの配慮からだよ。それより、フォーケイナの棺は、魔物に再生能力を与えるだけなんて、チンケなものではない。それは研究の初期段階での話だ》
「だろうね。ゆくゆく話す」
《ガイを危険な状況に引き込んでいることを自覚しているか? 言っておくが、フォーケイナやゼロの件は、私たちの手に余るぞ。巨大な組織を敵に回すことになる》
「博士がその巨大な組織とやらの正体を教えてくれればいいんだけどね」
《もし、私が奴らの名前を告げたら、お前は無謀な戦いを始めかねない。私としても残念なのだよ。私の研究成果の大半を奴らに無理矢理奪われたようなものだからな」
「カネで売ったくせに」
《経済的にも、政治的にも、立ち行かなくなったのだ》
「へえ」
メトは半ば呆れつつ、
「話は変わるけど、さっきの僧侶さん、ガドレガっていう人、もしかして博士の研究に関係ある?」
《いや。全く関係ない》
「何者だと思う?」
《おおよその見当はつく。私とは全く別の方法で、人間の能力を超越しようとしたのだろう。私は生まれつき能力の欠けた子供を実験台にしたが、あの男は自らを実験に使った》
「実験……」
《世の中には、いるものだ。超越者とでも呼ぶべき、恐るべき能力者がな。私の研究が今も継続できていれば、今頃は同等の能力者を量産できていたものを》
「クズ」
《そう思うのはお前の自由だ。私はお前を我が子のように愛しているがな》
直刀の言葉を頭の中から締め出した。ガイからすると、メトが一人でぶつぶつ喋っているように見えたらしく、心配そうな顔をしていた。メトはちょっと頬が赤らんだ。
「さあ、依頼人に話を聞きに行こうか。あなたの命は私たちが救ったんだよってことを思い出してもらって、強引にでも事情を聞きに行こう」
「あ、ああ。メトさんに従うよ」
二人は並んで歩いた。もし一人だけだったらこんなに堂々と訪ねることはできなかっただろう。自分の行いを他人に認めてもらえるというのは、予想外に力になるものだった。もし、博士と二人きりの旅だったら、どうなっていただろう。憎しみも、恨みも、全て博士にぶつけて回って、この直刀が摩耗する前に、自分の精神が壊れていたかもしれない。
依頼人は何も事情を知らなかった。あるいは何も話そうとしなかった。依頼人のそっけない態度を見ても、メトは動揺しなかった。それは隣にガイがいたからだった。もし博士と二人きりだったら、軽く暴力に走っていたかもしれない。
ガイがいると、旅が窮屈になるのは間違いなかった。戦力的にもあてにはならない。しかしその枷こそが、自分には必要なのかもしれない。自分を人間の領域にとどめてくれるのは、ガイのような普通の人間の目なのかもしれない。
結局、人間が人間らしくあるためには、孤独ではいけない。気が狂うような研究所の中で、なんとか自分を保てていられたのは、フォーケイナのような親友がいたからではないか……。今も同じだ。ガイが自分のもとを去ったとき、孤独に負けて、人間らしさを失い、博士の狂気に近づくだろう。そんな直感があった。