メトちゃんは優しい(後編)
天高く炎が上がっている。白い煙が絶え間なく湧き上がり空の青を鈍い色に変えている。平原各所から遊牧民が集結して手分けして泥を掻き集め魔物の死骸と合わせて火をつけた。広範囲に渡って毒を振りまいたので遊牧民に怒られるかと思ったがむしろ感謝された。彼らは直感的に、この巨大な魔物が最近の異変の原因だということを、説明もなしに理解したようだった。
メトは博士を鞘に納め、少し離れた位置から、魔物を浄化する炎とその煙を眺めていた。風が吹いても、煙はまっすぐ上に立ち昇る。まるで煙の中に針金でも仕込んでいるかのように、煙の巨大な柱は揺らがなかった。
ゼロが憔悴しきったカルサを連れて近づいてきた。さっきまでカルサは泣き喚いていたが、さすがに体力は無限とはいかず、疲れてしまったようだった。げっそりとしている。メトはカルサを隣に腰かけさせた。力なく平原の草の上に座り込んだ彼女の肩に手を回す。メトはカルサを自分のほうへ引き寄せた。カルサはびくりとしたがメトの視線は煙のほうへ向いたままだった。
「カルサさん。そろそろ落ち着いたかな? たった今、あなたの可愛い可愛い魔物さんが破壊した施設について、知ってることを全て教えて?」
「黙れ……! この世界は泥に沈むべきなんだ……!」
「もう狂ったフリをしなくていいよ。あなたが摂取したフォーケイナの棺の毒性は、ゼロが吸い上げてくれたから。彼女は人の能力を抽出できる。今のあなたは、力を失っているはず。それが自分ではわからない?」
カルサははっとした。そして自分の頭に手を当てる。そして鋭い目をメトに向けた。メトはそこで初めてちらりとカルサのほうを見やった。目が合ったカルサは、しばらく気丈にも睨みをきかせていたが、やがて観念したのか、ふっと視線を落とした。
「確かに……。頭の中が晴れている。目論みが全て瓦解したというのに、晴れやかな気分だ。不思議なものだ……」
「最近の記憶はある?」
「克明に残っている。貴様たちの求める回答ができるかもしれないが」
「それは重畳。じゃあ色々教えて欲しいんだけどさあ……」
「仕方ない。だが大したことは私も知らないからな。魔物の養殖方法なんて、貴様は知りたくもないだろう?」
「まあね。私が知りたいのは、プライム博士がこの施設で何をしようとしていたのか、ということだよ。最終的に廃棄しようとしたけれど、何か狙いがあったに違いないと思う」
「魔物の養殖、という回答では満足できないようだな。恐らくプライム博士は、フォーケイナの棺の量産方法を探っていたはずだ」
「フォーケイナから肉片を直接切り取らずにフォーケイナの細胞を増やす、そんな方法を模索していたということだね」
「ああ。人間に能力を付与する秘薬は無理だが、魔物に摂取させる類の秘薬は可能だった。実際にある程度運用されていたようだが、プライム博士はすぐにここを必要としなくなった」
「それはどういうこと?」
「さあ……。あの奇人の考えることはよく分からない。奴にとってここは数ある実験施設の一つであり、ここから得られるものはもうない、と判断したということだろう」
「あの、巨大な魔物は、博士の造ったもの? それともカルサ、あなたたちが造ったの?」
「あれは……。これから私の話すことを、信じてくれるか?」
「え?」
「もしかすると、単なる責任逃れに聞こえるかもしれない」
「それは……」
メトが少し考えていると、博士が、
《メト。私ならばそいつが嘘を言っているか見分けられる。話させてみろ」
(わかった)
メトは念話で返事をして、カルサを引き寄せている腕に力を入れた。
「話してごらん。信じるかどうかは聞いてから判断するよ」
「……私は、フォーケイナの棺を初めて知ったとき、これは世界を席巻すると直感した。商材としてもだが、この秘薬が持つ力は、国家を動かし、大陸の版図とも左右しかねないものだと思った。実際、それは間違ってはいなかった」
「うん」
「実物は驚くほど簡単に、それも大量に手に入った。自身の強化、魔物の調伏が可能で、商品としての価値もある。ありとあらゆる面で魅力的だった。しかし、私はいつしか、奇妙な声に悩まされることが多くなった」
「声?」
「脳内に聞こえてくる、声だ……。私にだけ聞こえてくる。それは私をとある場所へいざなっていた。私がここの施設を見つけたのも、最初からその存在を知っていたからではなく、声に導かれたからだ」
「ふうん……。その声はどんな感じ? 男性、女性?」
「今考えてみると、獣の唸り声のようなものだった。しかしなぜかそのときは、声の意図することがはっきりと分かったのだ。施設は既に僅かな人間で運用されているのみで、半ば放棄されているようだった。私は私兵を使って、残っていた人間を全員殺した」
「え……、なぜそんなことを」
「声に導かれたから、としか言いようがない。施設の最奥で、厳重に管理されていた“神”を目にしたとき、私は謎の声の主が、目の前の怪物であることを理解した。“神”はずっと私に呼びかけ続けていたのだ」
「どういうこと? カルサさんが施設を見つける前から、施設の奥にいた怪物が、ずっと呼び続けていた……。あなたとの繋がりなんて」
《おそらく、カルサが摂取していたフォーケイナの棺が、その怪物由来のものだったのだろう》
博士が声を差し挟む。メトは顔をしかめた。
「それって、つまり、完全なフォーケイナの棺を量産することができていたってこと?」
《完全かどうかは分からない。カルサはフォーケイナの棺を摂取することで狂気に染まっていたから、人間が服用できるものではなかったのかもしれない》
「えっと、カルサは“神”の声に翻弄されていた……。つまり“神”がカルサの体内で自らの細胞を増やして命令を下していたということ?」
《かもしれない。いうなれば“神”はフォーケイナの棺ではなく、神の棺を量産していたわけだ》
フォーケイナの棺を食べた者は、自らの体の内にフォーケイナの細胞を取り入れたことになる。それが増殖すると、フォーケイナの命令によって、意のままに操られてしまう。それと同じことを“神”がやっていたとなると、プライム博士がこの施設を破壊しようとしていた意味が見えてくる。
フォーケイナならば、プライム博士の命令に従ってくれる。しかし、得体の知れない魔物である“神”は、人間の命令など聞かないだろう。“神”の作り出した秘薬が、本質的にフォーケイナの棺と変わらないとしても、それは人間に有益なものにはならない。少なくともプライム博士の目的に沿うものではない。
だから施設ごと破壊しようとした。それはいい。理解できる。だが、もしかするとプライム博士はその気になれば、フォーケイナを使わずともフォーケイナの棺を量産することができるのではないかという疑念が湧いた。
《……フォーケイナの棺を量産するのは、私には無理だった。しかし本物のプライム博士はその手法を確立したかもしれない》
博士がメトの思っていたことをそのまま言ってくれる。
「じゃあ……」
《しかし依然、プライム博士はフォーケイナを必要とし続けるだろう。施設を調べれば、“神”をいかにして生み出したのか、突き止められたかもしれない。それがフォーケイナの棺を量産する方法にもつながったはずだが》
メトは黙った。施設は既に地面の下、徹底的に破壊されている。今から掘り起こしてもろくなものが残っていない。魔物を生み出し続ける施設なんて放っておけないので仕方ないし、そもそも魔物を使ってフォーケイナの棺を量産して、ただで済むとも思えなかった。あまり未練はない。
「メトちゃん」
ガイが指差している。ふと振り返ると、ぞっとするほど巨大な軍馬に跨った男が三人、平原を突っ切っていた。遊牧民たちが作業を止めて、じっと彼らを見ている。
カルサが震え始めた。メトはそれを見て連中の正体を察した。すっと立ち上がる。
「そう警戒するな」
現れた三人の男はいずれも武装していた。筋骨隆々の肉体に、落ち着きのある振る舞い。メトを見下ろすその眼には感情が一切こもっていない。
メトは一定の距離を保ったまま、カルサをかばうように立ち塞がった。
「警戒なんてしてないよ。あなたたちの目的は、彼女?」
「東席派の頂点である彼女の、最近の振る舞いは目に余る。ドゥラ商会各派の協議の結果、裁判にかけることになった。我々はその裁判を担当する者だ」
「裁判官みずから、こんな遠方まで? それに随分良い躰してるみたいだけど。お馬さんも随分ガタイがいいね」
「カルサ一派は過激な行動を繰り返してきた。魔物を意のままに操るという噂も立っていた。我々は現場でそのまま裁定と断罪を行えるよう、商会に特別に指名された裁判員だ」
「なるほどね。つまり腕っぷしで選ばれたと。彼女を引き渡すのはいいけれど、拷問とかはやめてあげてよ。今はただの人間だからさ、彼女」
「……メト。ガイ、そしてゼロ。三人にも少しだけ話がある」
「ん? 私にはないけれど」
「ドゥラ商会はとある事情から、きみたち三名を追跡し、その身柄を求めていたが、今ではそんなことはない。きみたちを追う者は全ていなくなった、と報告しておく」
「フォーケイナの棺を十分な量確保できる見込みが立ったから、これ以上デイトラム聖王国の機嫌をうかがう必要はなくなった、ってこと?」
「……さてな。我々は事実を伝えただけだ」
「それじゃあ、事実を教えて。クマドの猟犬はまだ私たちを追っている?」
男は表情を一切変えずに、
「さあ。ただ、これだけは言える。デイトラム聖王国の人間がドゥラ街道をうろつき回るようなことはなくなった」
「そう。それは良かった。じゃあ……」
カルサがよろよろと立ち上がる。男三人はそんな彼女を見て、昏い光を宿した眼を隠そうともしなかった。
それを見たメトは直感した。こいつらはカルサを殺すつもりだと。普通に殺すだけならまだマシで、拷問して東席派の残党まで一掃するつもりなのではないかと思った。
「……ところで、裁判官どの」
メトの呼びかけに男三人は警戒した。知らない内にメトの言葉に殺気が混じっていたかもしれない。それを敏感に察知したあたり、この三人は相当な手練れだった。きっとフォーケイナの棺で強化もされているのだろう。
「なんだ?」
「カルサ氏は、これから平原を泥で汚した罪を償うため、100年間の清掃業務をここでこなすことになっているんだけれど、それは聞き及んでいる?」
「何を言っている? ふざけたことを……」
「彼女はもう、力を失った。再起することはないでしょう。だから放っておいてあげなよ。なんか操られてたみたいだしさ」
「お前が口を出すことではない」
「それはそうだけど、目の前で殺されそうになっている人を見捨てられないって」
「じゃあ、どうするというのだ?」
「私と腕相撲対決して、私が勝ったら諦めてくれない?」
男たちは顔を見合わせた。そこでちらりと嘲り笑う。メトに向き直ると、表情が再び消えていた。
「ふざけるなよ。そこの女がいったいどれだけの人間を殺したか。ドゥラ商会をかき乱したか。お前には分かるまい」
「そうだね。だから、助けるのは今だけさ。カルサ、走って逃げなよ」
呆然としていたカルサが目を見開く。
「……え?」
「私があなたを助けるのは、ただの気まぐれ。今後のことなんて面倒みきれない。だから、自分で何とか生き延びて。私にはそれくらいしかできない」
カルサは、しばらく立ち尽くしていた。しかし意を決すると、それまでのふらつきが嘘のように、しっかりとした足取りで走り始めた。
「待て!」
男三人が馬を走らせようとしたが、すぐに落馬した。いつの間にかガイが馬の足元の地面に魔法で細工をしていて、馬が大きくつんのめったのだった。
「貴様!」
男たちがそれぞれの武器を抜き放つ。それを見たメトは博士を抜き、構えた。
メトと三人の男の戦いは一瞬で決着がついた。馬三頭を平原の彼方に逃がしたメトは、気絶した三名の男を一か所にまとめると、ふうと息をついた。
ガイが肩を竦める。
「メトちゃん、どうしてあの女を庇うんだい? 彼女が罪を犯したのは間違いない。ドゥラ商会の人間に処断を任せるのが筋ってものじゃないか」
「そりゃあ、そうだけど、彼女を裁くのは敵対する派閥の人間でしょ? 私からすれば、ドゥラ商会の人間はどっちもどっちなんだよね。たぶん私たちを狙ってたのは、色んな派閥の人間なわけで。だったら私が助けたいほうを選ぶよ」
「……メトちゃんがそれでいいなら、俺もいい。しかし、平原の魔物を討伐して、ドゥラ商会とのいざこざも解消して、次はどこへ行こうか。魔物が大量に発生している地域があるなら、そこへ助力しに行きたいところだが」
「聖都」
「え?」
「聖都へ行く。もう一度、フォーケイナと会う」
「それは……。しかし、フォーケイナ自身がプライム博士と共にいることを望んでいるのだろう? 以前とあまり状況は変わっていないのでは?」
「私は、いや、私たちは、薄々気づいていたけれど、プライム博士とは離れられない運命にある。最近特にそう思うんだ。だから……」
「メトちゃん。プライム博士を殺す覚悟はあるのか?」
「……ガイ?」
「それがなければ聖都に行くべきじゃない。俺はそう思うよ。メトちゃんは優しいから、きっと、躊躇するだろう。それが悪いことだとは思わないが、聖都にはきみを苦しめるものがあまりに多過ぎる」
「……ありがとう。でも、決めたんだ。いつまでも逃げてはいられない」
メトはそう言って、魔物の死骸を燃やす巨大な炎を見上げた。その近くを、ジョットが飛んでいた。メトと目が合うと、まるで思考を通じ合わせたかのように頷いて、空の彼方へ消えていった。
メトはしばらく風に吹かれるままになっていた。それから炎を背に歩き始めると、いつの間にか遊牧民たちが並んでいて、メトたちを見送ってくれた。
「ありがとう、お世話になりました」
メトが言うと寡黙な遊牧民たちは手を振ってくれた。ここで気絶していた三人の裁判官の内の一人が目を覚まして、慌てて立ち上がったが、遊牧民たちに睨まれると、そのまま座り込んでしまった。
メトたちは旅立った。決着を求めて。平原にはもう魔物が一匹も姿を見せなかった。




