飢餓(後編)
何かが起ころうとしている。
直感があった。メトは夜明けまで平原を歩いていた。魔物の死骸を幾つも作り出し、返り血を全身に浴びていた。肉をかじってみたが、やはりガイのそれとはまるで違った。全く満たされない。
メトは遊牧民の村に戻った。そろそろ家畜が周辺の牧草を食べ尽くすところなので、移住の準備を進めているところだった。移住は段階的に行われ、まずは魔物が嫌う匂いを周囲に充満させるため、遊牧民の何人かが移住予定地に香草を焚くことになっていた。
遊牧民の出入りがあり、メトはそれを遠くでぼんやりと見ていた。レッドが寝床から出てきて、ガイたちに挨拶をしている。そろそろこの村を出て行くつもりらしい。
ふと、メトは遠くで雷鳴のような音を聞いた。空は晴れている。しばらくじっとしていると、湿った空気が吹き込んできた。もうすぐ雨が降ってくるのかもしれない。
《メト。一つ気が付いたことがあるのだが》
「なに。もうすぐ雨が降りそうってこと?」
《魔物の気配がする》
「……どこ?」
いい加減魔物退治に慣れてしまっていた。ここに来てから遭遇しない日がない。博士のもったいぶった言葉に違和感がありつつも、動じなかった。
《地中だ》
「地面の下に……。もうすぐ上がってくるの?」
《いや。地上に上がってくる感じはないが、一体や二体ではない。並んでいる」
「は? たくさんいるっていうの? 地中に魔物の巣があるのか。幾らでも湧き出てくるなあと思ってたけど」
《ただ、自然発生的に魔物の巣があるという感じではない。説明が難しいが、隠匿する意思を感じる》
「どういうこと?」
《数日前から、私はこの地に魔物が異常発生する原因を探っていた。そもそも魔物が自然発生する仕組みがよく分かっていない。その秘密がこの地には眠っているかもしれないと思ったわけだ》
「ふうん。知的好奇心がやまないことで」
《身を守る為でもある。地中に魔物の気配があることはすぐに分かったが、気配そのものは曖昧だった。魔物の気配を隠すための構造物があり、魔物が整然と並べられている……、その可能性に行き当たったとき、私は思い出した。魔物の養殖だ」
「養殖?」
《人間だったころ、私は魔物を使って研究をしていた。いちいち捕まえてくるのは不採算だったので、自力で増やせないかと思ったが、魔物同士の繁殖は不可能だった。自己増殖する魔物ならば簡単に増やせたが、全てがそういうわけでもない》
「じゃあ、養殖なんてできないじゃん」
《しかし、フォーケイナの棺を使えば可能かもしれない。というのも、フォーケイナの棺は魔物の心臓を増やす。それは私の魔物養殖研究の名残とでもいうべきか、フォーケイナの超再生能力を自己増殖という方向で行かせないかと四苦八苦した結果だったのだ》
「え。じゃあ、養殖できるの」
《私には無理だった。そもそも人間に服用させるものと、魔物に食わせるもの、どちらもフォーケイナの棺には違いないが、調整が異なる。私が人間だった頃は人間用に調整したものを完成させるのが精一杯で、魔物用の調整は完成の一歩手前だった。恐らく、私を複製した後、プライム博士が魔物用のフォーケイナの棺を完成させたのだろうが、研究はいよいよ発展すれば、養殖まで可能になっていたとしても不思議ではない》
「ふうん……、で、ここの地下にいる魔物が、プライム博士によって養殖されたものってこと?」
《可能性は高い。伝統的に、この地には魔物の数が多い。繁殖させるのに有利な条件が揃っているのかもしれない。魔物養殖の実験場にここを選んだ可能性がある》
「……人工的に魔物を増やしているのなら、この場所に住んでいる人たちは、いずれ処理しきれないほどの魔物の大群に遭遇してやられてしまうかもしれないね」
《しかし、地下の入り口がどこにあるのか分からん》
「現地の人に聞いてみよう。不審な大穴が最近できませんでしたか、不審な人が出入りしてませんか、とかって」
《……直接乗り込む気か? 尋常ではない量だぞ。何か策を講じたほうがいい》
「魔物をせっせと増やしている奴がいるなら早く倒しておかないと」
メトは遊牧民たちに質問した。すると拍子抜けするほどあっさりと手がかりがあった。南東にある丘陵に、三年前くらいにドゥラ商会が拠点を設営した。遊牧民との商取引を円滑に進める為の基地であり、遊牧民の生活の邪魔はしないと話しているそうだが、遊牧民が近づくと威嚇されるらしい。
そして最近になって、そこの人の出入りが少なくなった。基地はそのままだが、近づいても特に威嚇されることもなく、敷地内に入ることさえできたという。敷地内には幾つかの建物と、地面に穿たれた大穴があり、それが印象的だったと……。
「モロにそれじゃん。堂々と魔物養殖実験施設を作るなんて」
メトは呆れた。場所を詳しく聞いていると、ガイとゼロが近づいてきた。
「メトちゃん、マナさんとレッドさんが出発してしまうぞ。見送らないと」
「……ガイ。ここの魔物の異常発生の原因が分かったかもしれない」
メトが事情を話すと、ガイは例によって博士との念話をところどころ傍受していたのか、理解が早かった。
「なるほど。レッドさんたちを見送ったらすぐに行こうか」
「そうだね。遊牧民の人が、直接案内してあげるって言ってくれているんだけど、危険かな?」
「俺たちで守ってあげればいい。これは俺の憶測だが、遊牧民の人たちもその施設が魔物の異常発生に関わっていると疑っていたんじゃないかと思うんだ。彼らも原因究明に協力したいんだと思うよ」
「そうなのかな。じゃあ、お言葉に甘えて、案内してもらおうか」
馬に跨った遊牧民三名が、引っ越しの準備もそこそこに、案内してくれた。メトとガイ、ゼロもそれぞれ馬を駆り、平原を小気味良く横断していった。
ドゥラ商会の施設はすぐに見つかった。高い煙突のある大きな建物と、監視小屋と思われる建物、それから敷地を囲う高い塀が物々しかった。
入り口の門は閉まっていたが、乗り越えられない高さではなかった。監視している人間もいない。
「危険だから、この先は三人でいきます。案内どうも」
メトが言うと、遊牧民は無言でうなずいた。そして謝意を示す為に、深く頭を垂れた。馬も乗り主の意を汲んだかのように、一緒に頭を下げた。
「これで解決できるとも限らないから、そう期待しないでね」
メトは門を軽く押した。飛び越えても良かったが、あえて門を破壊することに決め、博士を大槌に変形させて叩いた。
一発でへこみ、二発で割れ、三発目で粉々に門が砕けた。遊牧民たちはメトの怪力に畏怖の感情を抱いたようで、また頭を下げた。
メトたちは敷地内に足を踏み入れた。人の気配は全くない。物が雑然と転がり、うち捨てられた後としか思えなかった。すぐに大穴が見つかったが、博士が警告する。
《このすぐ下に魔物がいるわけではないが、相当深いぞ。安易に飛び降りるなよ》
「ここが魔物の実験場なら、地下に下りる道があるはずだよね。建物内を探してみよう」
メトは大きな建物の扉を押した。驚いたことに施錠されておらず、簡単に入れた。
中はがらんとしていた。広い空間に、机と椅子が数個あるだけ。埃をかぶっており、しばらく人の出入りがなかったことが分かる。
「手分けして探索しようか」
メトは言い、ガイとゼロが頷いた。しかしすぐに博士が再び警告した。
《中に誰かいる。こちらの様子を観察しているぞ!」
メトはガイとゼロの手を掴んで引き戻した。そして奥の暗がりに潜む何者かに目を凝らす。
そこに誰かがいる。しかし奇妙だった。床に埃が積もり、人の出入りなんてないはずなのに、そこに誰かがいるというのは、どういうことだろう。
風。埃が舞う。
暗がりから出てきた金髪の男……ジョットは宙を浮いていた。机の上に着地すると、広い卓上で足を広げて座り込み、こちらを観察した。
「妙なところで会いますね、メト。……最近も会いましたっけ?」
「記憶が定かじゃないようだね、ジョット。またプライム博士に何か細工されたの?」
「さあ……」
「こんなところで一人サボって、何をしてたの?」
「ここの施設の放棄を命じられておりましてね。役目は果たしたので、魔物を全て駆除し、施設を破壊せよと」
「ここは何の施設なの?」
「フォーケイナの棺の量産、魔物の養殖です。奥に半自動的に魔物を増やす装置がありましたが、手を出すべきかどうか迷っていたところです」
フォーケイナの棺の量産なんてできるのか? それを目的とした研究をしていたということだろうか。メトは腕を組んで考えた。
「どうして迷うの? さっさと壊しなよ」
「ええ……、そうしたいのはやまやまなんですが、邪魔がありまして」
「邪魔?」
「恐らく、ドゥラ商会の人間だと思うのですが、私を奥まで入れてくれないのです。私が人を殺せないのを知っているらしく、体を張って止めに来ます」
ジョットは目に殺意をみなぎらせながら嘆息した。
「メト。ドゥラ商会の人間を排除してくれたら、私がここの装置を破壊し、魔物の駆除をしますが、どうです。協力してくれませんか」
プライム博士もここを破壊したがっている……。メトと目的が一致しているのがどうも気に入らないが、協力しない手はないように思えた。
「分かった。じゃあ、その人たちのところまで案内して」
「良かったです。こちらですよ」
ジョットはふわりと宙を浮いて建物の奥に向かった。先日会ったときと比べて、かなり穏やかだった。博士の手でより深く洗脳されているのだろうか。今回は戦わずに済めばいい。ディシアを失ったときのような思いをまたしたくない。
メトはガイとゼロに目配せして、ジョットに続いた。地下へと続く長い階段が三人の前に現れた。




