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飢餓(前編)


 タングスから東、ドゥラ街道の交通網から離れ、平原に点在する遊牧民の村にメトたちは滞在していた。タングスでシャキアと別れ、メト、ガイ、ゼロ、レッドの四名は、無口だが親切な遊牧民に混じって生活していた。


 この平原には幾つかの名前が付けられている。地理学者からすれば正式な名称は800年前から“西フォラム平原”と決まっていると主張しただろう。しかし実際にそこで暮らしている遊牧民は単に“平たい土地”と呼び、交易の為に訪れる商人は魔物が頻繁に現れることから“死が転がる場所”と呼んだ。


 そしてレッドはここを“ご飯が美味しい村”と呼んだ。


 狩りで仕留めたばかりの小動物の肉を、遊牧民が捌いてそれを提供してくれた。メトはもちろん食べられなかったが、ガイたちはその素朴な料理を絶品だと興奮した。ゼロですら食べた瞬間目が輝いたように思う。


「どうして魔物の多い土地に人が住んでいるんだと思ったけど、これが獲れるから?」


 メトが言うと、レッドが首を振った。


「いいえ、この平原で獲れる獣肉は珍味として都会の人間に重宝されています。魔物が多い土地にわざわざ商人が買い付けに来るのはそういう理由ですね。遊牧民がここに居ついているのは、家畜を飼育する為と、魔物を駆除する為です」


「魔物の駆除……」


「彼らはこの土地が魔物に汚染されるのを防ぐ使命を抱いているのです。ですから、彼らは全員漏れなく腕利きの魔物退治屋。通常なら魔物が増えても、他人に駆除を依頼しません」


「でも、タングスの“魔遣りの火”に、魔物退治依頼を出してきた……」


「魔物の数が急激に増加しているそうです。それだけならともかく心臓を複数持つ奇妙な個体が増えて手を焼いていると……」


「なるほどね。“魔遣りの火”だけじゃなく、私たちにも依頼を寄越したのは正解だね」


 メトたちが遊牧民の魔物退治依頼を受けたのは、理由がある。デイトラム聖王国やドゥラ商会から狙われている立場だが、ここでは遊牧民と稀に現れる商人くらいしか人がいないので、追手を撒くのに適した場所である。仮に戦闘になっても、無関係の人間の安全を確保しやすい。遊牧民たちが戦闘に慣れているというのも大きい。


 それに、魔物に困っている人を見捨てることはできなかった。メトたちは遊牧民の村を順々に回り、魔物退治を助けていた。


 メトとガイで、午前で一体、午後で二体、魔物を退治した。レッドとゼロの組は合計五体倒したという。一日だけでこれだけ多くの魔物と遭遇するのは、遊牧民の間でも異常なことだとされているらしい。


 魔物の死骸は、穴を掘ってそこで焼いた。残った灰には薬草を混ぜた水を混ぜて固め、埋める。そして埋めた場所には浄化の効能があるとされる低木を植える。これが遊牧民たちの儀式であり、土地を腐らせない智慧だった。


 平原を見渡すと、紫色の葉を持つ低木がぽつぽつと存在する。それらは全て魔物の死骸の上に植えられたものだった。紫色の葉は毒を浄化している最中だと信じられている。


《低木の葉に、僅かだが毒が含まれている。確かに地中の魔物の毒を吸い上げているようだな》


 博士を低木の近くにやると、そう分析した。メトは葉を一枚摘んで、口に含んだ。


「……不味い」


《魔物の肉に飢えたら、この葉も食用になるかもしれんな。もっとも、この平原では魔物に困ることはないわけだが》


「でも、遊牧民の人たちが退治した魔物をすぐに処置しちゃうから、私が食べる暇があまりないんだよね。一体だけ、こっそり肉を拝借できたけど」


《ガイも試しに魔物の肉を食べていたな。あいつはディシアの肉体を引き継いでいるから、魔物を食べられるかと思ったが、微妙な反応だった》


「毒への耐性があるけど、食べるものは別に魔物の肉じゃなくてもいいみたい。ずるいよね、あいつだけ」


《……メト。最近遭遇する魔物は、フォーケイナの棺を摂取した特殊な個体ばかりだな》


「そうだね。どれだけ蔓延しているんだって話だけど」


《大量に量産されているのも気になるが、それよりもお前の体についてだ》


「私の?」


《ジョットやディシア、ゼロは、フォーケイナの肉片を摂取することで多種多様な能力を獲得できた。しかしメト、お前だけはフォーケイナの肉を受け付けなかった。体質的に馴染まなかったのだろう》


「そうだね」


《そして最近の食事は、フォーケイナの棺が混ざった、魔物の肉だ》


「なに、心配してくれてるの? 大丈夫だよ、平気だし、元気」


《……研究所にいた頃、私はお前になんとかフォーケイナの肉片を食べさせようと工夫を施したことがある。フォーケイナの棺を食べさせて強化した魔物の肉をお前に食わせた。間接的にフォーケイナの肉片を取り込ませようとしたわけだ》


「へえ。そんなことしてたんだ」


《お前はその魔物の肉を問題なく食べられた。しかし体調に問題が生じた。意識が朦朧とし、まともに喋れなくなる一方で、身体能力が向上した。投薬を増やして対応したが、記憶障害が残った》


「え……、そんなことになってたんだ。でも、研究所にいた頃は体調不良なんてよくあったけどなあ」


《お前は具体的にどんな実験が影響して自分の体調が変化したか分かっていないだろうが、私は全て把握している》


「ふうん……。で、つまり、私は最近ろくな魔物肉を食べられてないから、体調がまずいんじゃないかってこと? でも本当に体調は悪くないんだよ。少なくとも自覚症状はナシ」


《今は大丈夫だろう。実験で使った魔物と比べて、この辺の魔物のフォーケイナの肉片の含有量はかなり少ないからな。だが、徐々に影響が出てくる可能性がある。今後フォーケイナの棺が本格的に流通したら、人々がそれを魔物に食べさせない手はない》


「うーん、なるほど。確かに、まともな魔物肉にありつけることが少なくなっていくのか。確かにそれはまずいね」


 メトはそう言いつつも、それほど危機感は抱いていなかった。魔物がどこからやってくるのか知らないが、世の中に魔物は溢れている。仮に全人類がフォーケイナの棺を常備するようになったとしても、誰よりも先に魔物を見つけて駆除すればいい。人の住んでいない場所、秘境、僻地に行けば、魔物の肉にありつけるだろう。


 メトは平原の巡回を進め、日が暮れると遊牧民の村に戻り寝床を借りた。そんな生活が七日ほど続いた。メトたちの魔物討伐数は50を超え、遊牧民はメトたちの圧倒的な強さに感服し、敬意を示した。メトやゼロはもちろん、ガイの凄まじい威力の魔法や、レッドの豊富な知識と手際の良さは、遊牧民にとっても驚きのようだった。


 だが、どれだけ多くの魔物を退治しても、その全てがフォーケイナの影響を受けていた。一匹たりともただの魔物がいない。フォーケイナの棺を持った人間が、わざわざ魔物の生息地を訪れ、一匹ずつ投与している。そんなことがありえるのか。


 メトは不気味な気配が迫っていることに気づいた。それは漠然としたものだった。最初その正体が分からなかったが、メトはやがて気づいた。


 死の気配。


 魔物肉を食べても満たされない。栄養になっている気がしない。最後に普通の魔物の肉を食べたのはいつだったか。メトは不安だったが誰にも告白できなかった。事態を察知している博士以外には。


「……いくらなんでも普通の魔物が一匹もいないのはおかしくない? 別に私はまだ大丈夫だけど、これが続くとなると……」


《おそらくだが……。プライム博士はフォーケイナの棺を商人に売らせたり、国家や組織に売るだけではなく、ばらまいているな》


「ばらまく? ってどういうこと」


《フォーケイナの肉を食らった魔物を別の魔物が食らえば、その魔物もフォーケイナの影響を受けることになる。自然界にばらまけば、時間が経つとその一帯の魔物は全てフォーケイナの棺を摂取したのと同じことになる、かもしれない》


「そんなことが……」


《この世の全ての魔物がフォーケイナの棺を食らえば、フォーケイナの指示一つで魔物が従順な駒になる。そもそも、フォーケイナの棺を食らった魔物が人間の指示に従順になるのは、人間の命令がフォーケイナの細胞を介して魔物の肉体を変容させるからだ。フォーケイナの棺を買った国家や組織は、魔物が自らの意に従う戦力として数えるかもしれないが、フォーケイナがその気になればあっという間に全ての魔物を支配下に置ける》


「それがプライム博士の狙い? じゃあこの平原も、プライム博士の指示でフォーケイナの棺をばらまいたってことか」


《そうかもしれないが、もしかすると別の人間がやった可能性もある。商品を売る際に適当にあることないことでっちあげれば、購入者が勝手に自然界にばらまいてくれるかもしれん。あっという間に世界中でフォーケイナの細胞が魔物の内に宿ることになる》


 メトは顔をしかめた。


「……私は、世界中の魔物がフォーケイナの支配下に入るのは、何十年も先の話になると思ってた。フォーケイナにも再生限界はあるし、大量の肉片を世界にばらまくには時間がかかると……。でも、一般にフォーケイナの棺が流通する前に、一般の人間がその存在を認知するその前から、この世界はプライム博士に掌握されてしまうのかもしれない……」


《メト。以前、フォーケイナを普通の人間に戻せる、ということを話したことがあったな。お前がもし、魔物の肉を入手できないようなら、大変危険だが、お前を普通の人間に戻す処置を施すことも可能だ》


「でも、ほぼ死ぬんでしょ」


《ああ》


「やめておく。今更、普通の人間に戻らなくてもいいし」


《……実を言えば、お前はもう、自分の食料を得る為に、魔物を狩る必要はない》


「は?」


《ガイは魔物の器官を幾らでも作り出せる。食料が見つからなければ、ガイに食料を作ってもらえばいい》


 メトはぞっとした。そんな発想はこれまで微塵もなかった。鳥肌が立ち、思わず博士を投げ捨てそうになってしまった。


「ふざけないでよ、私にガイを食べろって!? 冗談でも……」


《しかしガイならば、喜んで自らの体を差し出すだろう。そしてああ見えてあの男は色々と気が付く。もしメトが食料に不足していると知ったなら、大して悩みもせずに自分の体を切り分けるだろう》


「おぞましいったら! やめてよ、もう……!」


《お前ならそう言うと思った。だから言うべきか迷ったのだが》


「迷ったなら一生言わないでよ」


 メトはすっかり不機嫌になってしまった。その腹いせに魔物を狩る速度が上がった。遊牧民との生活が8日、9日、そして10日を超えた。メトはその間も通常の魔物と遭遇できないことに悩みつつ、とにかく魔物を狩った。


 魔物の数が尋常ではなく多かった。この平原を少し歩くだけで、地面に伏せるようにして獲物が通りがかるのを待つ魔物を発見することができる。遊牧民は魔物の討伐に参加しなくなった。メトたちが討伐した魔物をきちんと処理するだけで日が暮れてしまうからだ。


 ガイと別れて、一人で平原を駆けずり回っていた。魔物を狩り、魔物の死骸があることを示す為に狼煙を上げておく。そして次の魔物を探す。


 どうしてこの辺は魔物がこんなにも多いのだろう。メトは不思議だったが、とにかく無心に魔物を追い求め続けた。


 日が暮れかけ、そろそろ村に戻ろうとかというとき、馬の蹄が平原の固い地面を叩く音が聞こえてきた。メトは振り向き、馬にまたがる女の姿に気づいた。


 随分身なりの良くなったマナが、そこにいた。馬を巧みに操って減速し、メトに笑いかける。


「マナ!」


「メト、あんた随分多くの魔物を屠ってるみたいね」


「どうしてここに……。海賊稼業はどうしたの」


「どうしたのって……。海賊船が沈んだんだから続行できるわけないでしょ。とりあえず水夫たちを最寄りの港まで連れて行って職を斡旋してから、商人として再出発よ。この平原で珍味肉が調達できると聞いて、様子を見に来たの。そうしたら“魔遣りの火”とその協力者が、とんでもない速度で魔物を討伐してるって話じゃない。メトたちだってすぐにわかったわ」


「そうなんだ……。私たちが滞在してる村まで案内するよ。きっと珍味肉も分けてくれるはず」


「おお、助かる! ところでメト、あんた顔色悪いわね」


「え?」


「今にも倒れそうな顔して……。過労気味? 少しは休んだほうがいいわよ」


「大丈夫だよ、たぶん……」


「ふうん。ああ、そうそう、フォーケイナの棺なんだけど、ドゥラ商会が大々的に売り出し始めたわよ。一部の地域じゃ普通に買えるみたい」


「え……」


「いくらなんでも大量に売り過ぎだから、きっと培養工場かどこかで生産してるに違いないわ。もしかするとフォーケイナはもう肉を切り刻まれてないのかもね」


 マナは言う。メトは首を振った。


「……いや。量産は成功しているかもしれないけど、そう簡単に事態は好転しないよ」


「あら、そう?」


「うん」


「……ねえメト、マジで顔色悪いんだけど。馬に乗ってく?」


「いい。歩くよ」


 メトはそう言って、一歩踏み出した。腹は減っていなかった。さっき倒した魔物の肉を食べていた。しかし、体に力が入らない。


 膝から崩れ落ちた。眩暈がして、世界がぐわんぐわん揺れている。吐き気もしたが、喉の奥で必死に押し込めた。


「メト!?」


 マナが馬から下りて支えてくれる。メトは彼女の手のぬくもりを感じて、初めて自分の体が冷たいことに気づいた。そして彼女に体を預けて、瞼を閉じた。



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