地下牢(後編)
ガドレガの右腕が宙を飛んだ。プライム博士の剣は自在に変形し、怪僧の攻撃を難なくいなした。
出血はほとんどなかった。ガドレガは次なる腕を即座に生やし、追撃の機会を伺っているギャルムとヴェーナーに牽制を入れた。
それを見たプライム博士はゆっくりと後退した。ガドレガは自分が圧していると判断して前がかりになった。
合図もなしに、ギャルムとヴェーナーが同時に飛び掛かった。それを目視したプライム博士は変形自在の剣を振るい、実質三人がかりの一斉攻撃で一気に仕留めにかかる。ガドレガは身を屈めた。そして大きく胸を開き腕を振り回した。
魔力の渦が生まれ、ギャルムとヴェーナーが吹き飛ばされた。魔法ではなく濃い魔力の波で攻撃した。あらゆる魔法に耐性のあるクマドの猟犬が、体の制御ができなくなる。目新しい攻撃方法だった。
「ミア教の秘儀に、人間の魔力を抜き出し調整することで心身の健康を保つ、というものがある。もしやその類か?」
プライム博士が言うと、感心したようにガドレガが拍手した。
「さすがですな。一度見ただけで看破した御人はあなたが初めてです、プライム博士。吾輩が昵懇にしているミア教の高僧が非常に優秀でしてな、彼からミア教の奥義や秘儀を余すことなく教授していただいたのです」
「ミア教の奥義……。門外不出のはずだ。お前はそこを破門されたと聞いた。そんな半端な人間が、ミアの深淵の世界まで到達できたとは思えんな」
ガドレガは涎を垂らしながら笑った。
「ふふふ! とことん鋭いですな。もちろん、吾輩のような凡人では、一生をかけても到達できるか怪しいものです。しかし、実践を交えて、その都度、教授してもらえるとしたら?」
「なに?」
「ここに最高の指南役がいるのです……。お分かりですか?」
下卑た笑み共にガドレガは自らの股間の辺りを指差した。そこにはひときわいびつな形の人面があり、呪詛の言葉を吐いている。
「ミア教の高僧……。そこにいるのか」
「かつての恩師であり、今では友です。ふふふ、普段は服の下から暑そうにしているのですが、今は全て開放していますから、ご機嫌ですな。私に向かって呪詛を吐く元気がある」
「おぞましい奴だ。地獄ですらお前の扱いに困るだろうな」
「ならば地獄に己の席を築きましょう。そして現世の罪を余すことなく贖いましょう」
ガドレガが跳躍した。ギャルムが雷撃の魔法を撃ち攻撃するが、着弾する前に魔法の弾道がねじ曲がった。ガドレガの纏う分厚い魔力の層が、魔法を弾き飛ばしてしまうようだった。
「人間を取り込み、自分の体にその意識と顔を植え付ける。それもミア教の秘儀だな?」
「ええ、その通り。禁術ですがね。飛躍的に能力を向上させ、ミア教のその他の奥義を使いこなすのに必須の儀式とされておりましたが、他の宗派から悪魔じみた所業と指弾され、何百年にも渡って封印されていたものです」
「そんなものを持ち出して、それほどまでに強くなりたかったのか?」
「半分正解です。吾輩は知ってしまったのです。力がなければ世界を変えることはできないと。そしてこの秘儀は、取り込んだ者の罪を、その強さに貢献することで浄化する。いずれ吾輩はこの身を煉獄の炎で焼き尽くすと決めております。罪深き者どもの邪悪を、吾輩も一身に受け止め、ともに贖う」
理解できない論理だったが、ガドレガは固く心に決めて行動している。それが厄介だった。
プライム博士は剣を構えるのをやめた。そしてふうと小さく息を吐く。ギャルムとヴェーナーが互いに顔を見合わせ、ゆっくりと退いていった。
それを見たガドレガが不審そうに振り返り、そしてプライム博士を見た。
「……ガドレガ。詳しい説明をありがとう。やはりお前はここで死ぬか、あるいは私の駒になるしかようだ。それ以外はこの世界の摂理が許さない」
「大きく出ましたな」
「貴様の素直な態度に免じて、私も説明しておこう。この剣についてだ」
プライム博士は剣を指し示した。ガドレガは首を捻る。
「その邪悪な剣……。壊さなければと思っていたところです。無機物は取り込めませんからな」
「ふっ。節穴だな。これはただの剣ではない。私の意思が宿る、私という人間の複製品だ」
「ほう」
「これを造り出せたことで、私は実質永遠の命を得た。もっとも、この剣に宿る人格は私という人間の人格とは似て非なるもの。私という人間は、いずれ肉体が朽ち、老いの恐怖の中で、静かに息絶えていくのだろう。後に残されるのは私の記憶を引き継いだ別の存在――しかしそれでいい。どうせ普通の人間とて、一日の内何時間かは睡眠をとり、意識を隔絶させる。目覚めるたびに記憶を引き継いだ新しい人格が出発すると考えれば、そうおかしなことではない」
説明の途中でガドレガは虚空を見つめた。そして興味なさそうに、
「ふむ……、いいですな、それ。吾輩のも造ってください」
「断る。この剣は、自在に変形し、材質も変わっていく。そして質量も変化する」
「質量も? それはどういうカラクリなのでしょう。小さくするのはともかく、大きくするのは難しそうです」
「簡単な話だ。足りない分は他の物質を取り込んで補う。地面を抉り、壁を剥がし、空気を吸う。それで剣は巨大化する。これがどういう意味か分かるか」
「さあ」
「他の物質をすぐさま取り込む――言い換えれば、他の物質を瞬間的に“私”にする。この地下牢全体が、既に私と同一なのだ」
「うーむ?」
ガドレガはいまいち理解できていないようだった。プライム博士は剣を床に突き入れた。
地下牢全体をこの剣が取り込む。形状は変化しない。ただ、今この瞬間、プライム博士は地下牢全体を自在に変形させることができるようになった。
遅れてそれに気づいたガドレガは突進してきた。床の一部が変形し、彼の足首を掴んだ。そしてそのまま地中に引きずり込む。
半身を床に埋めることになったガドレガは、もうまともに動けなくなっていた。鎖による拘束よりもよほど強力だった。ガドレガは自らの敗北をあっさり認め、フハハハと笑った。
「悪い御人だ……。最初からこうすれば、戦闘にすらならなかったというのに」
「お前を洗脳しなければならないことに変わりはないからな。少し話してみたかったんだ。そして決めたぞ。お前を私の駒にする」
「不可能ですよ。吾輩は誰にも屈しません」
「そうだろうな。しかしお前の体内にいる何十人かいる人間はどうかな」
プライム博士はガドレガを地上に引き上げた。強力な石や建材の塊が、怪僧を完全に拘束している。
「はい?」
「お前は、そこにいる人面全てに意識を持たせているのだろう。つまり私にも懐柔の余地がある」
「いったい、どうやって? 彼らと吾輩は、友人よりも恋人よりも家族よりも、固い絆で結ばれているのですぞ」
「……フォーケイナ」
念話で呼び出していたフォーケイナが、地下牢へと下りてきていた。少年はガドレガの異様な迫力に恐怖しているようだった。怪僧を直視すらできない。
「……博士、本当にやるの?」
「見てわかるだろう、フォーケイナ。ガドレガに取り込まれた哀れな人間。彼らを救うには、お前の力が必要だ」
「うん、そうだね……」
フォーケイナが、ガドレガの体内に存在するフォーケイナの細胞に干渉する。まずは一人目……。ミア教の高僧であり、ガドレガの師である男性から、苦痛と怒りと悲しみとこれまでの記憶を奪い去る。
そして新たに植え付けるのは、ガドレガへの対抗心。ガドレガの股間にあった高僧の人面が、みるみる薄くなっていく。人面痣は焼失し、彼の股間に残ったのは人形のようにのっぺりとした質感の肌だけだった。
「おお! わが師のご尊顔が消えた! いったいどこへ!」
「まだお前の体内に意識はある。できればさっさと解放してやりたいが、今は苦痛を取り払うことだけで勘弁して欲しい。フォーケイナ、次だ」
フォーケイナは脂汗をかきながら、ガドレガの人面痣を消していった。最初、ガドレガは余裕そうだったが、人面痣が消えていくたびに力の衰えを感じたのか、段々と焦り始めた。
「おやめなさい! 吾輩をただの人間に戻すおつもりか!?」
「まさか。お前は私の駒にする。力を失わせることも可能だが、今はまだそんなことはしない」
「ならば……」
「貴様に取り込まれた哀れな彼ら……、そうだな、仮に群と呼称しようか、レギオンに主導権を握らせる。ガドレガ、お前の役目は終わりだ」
ガドレガは冷や汗をかいた。声が上擦る。
「何を……。吾輩の贖罪の旅は、こんなところでは……」
「邪悪だが、大した傑物だった。それは認めよう。……それではレギオンの墓の下で、永遠に眠っているがいい」
プライム博士の指示で、フォーケイナがレギオンに命じた。ガドレガの人格を圧し潰せ、と。
体内に存在する数十の人格がガドレガを一斉に攻撃した。ガドレガはすぐに何も話さなくなった。体を何度も痙攣させ、震わせ、涎を撒き散らしながら、体内のレギオンと戦い始めた。
数分間待ったが、ガドレガとレギオンの戦いは彼の肉体の中で続いているようだった。プライム博士は踵を返す。
「……ヴェーナー、ギャルム。監視を頼む。勝敗に決着がついたら教えてくれ」
「はい」
「それでは行こうか、フォーケイナ」
プライム博士とフォーケイナは地下牢から研究所まで上がった。研究所も地下にあったが、地下牢より何倍も空気が良かった。思わず深呼吸してしまう。
フォーケイナは不安そうだった。
「博士……。あのガドレガという人物は……、一体何なのかな」
「狂人さ。たまたま力を手に入れただけの、な」
「……レギオンはガドレガから肉体の主導権を奪えるのかな」
フォーケイナの質問に、プライム博士は顎をさすった。
「五分五分だろうな。ガドレガが勝ってもおかしくない。そのときは殺せばいい。焼死が希望の死に方らしかったから、教会の庭で燃やすか。先日の聖都爆発事件の犯人ということにすれば群衆の溜飲も下がるだろう」
「爆発事件を起こしてまで、ガドレガを駒に加えたかったのに、それでいいの?」
プライム博士は思わずフォーケイナを見た。少年がこんなに突っ込んだ質問をしてくるのが珍しいことだった。もしかすると、自分の親友にまとわりつく不穏な空気を察しているのかもしれない。
「うん? ああ、私が聖都で爆発事件を起こしたのは、複数の目的があってね……。メトたちを逃がすため、ガドレガが注目されないようにするため、貴族連中の驚く顔が見たかった……。色々あるが本命は別だ」
「その、本命とは?」
「ゼロだ」
フォーケイナが息を呑んだ。
「ゼロ……? あの子がどうしたの」
「彼女には未来予知の能力がある可能性が高い。しかし、未だ完全な覚醒には至っていない。ここの研究所に移ってから、私はゼロの能力抽出より未来予知のほうに興味があった。様々な実験を施したが、成果はなかった」
「そうなんだ……」
「これは仮説だが、ゼロは人に死に関する予知の成功率が高い。人間の死に際する強烈な思念の発露を感じ取っているのかもしれん。だから私は都民をまとめて爆発で吹っ飛ばし、ゼロの予知が発動するか見てみたかったのだ」
プライム博士は思い出す。未来予知の能力がある人間は、稀にだが世の中にいる。その能力をゼロが抽出したとき、プライム博士は真っ先にそれを獲得しようと実験を施した。しかしうまくいかなかった。未来予知の元々の持ち主だった人間ですら、まともに使いこなすことができなかった。しかし、ゼロにはそれに関する驚くほどの適性があったようだった。
「それで……。どうだったの」
「成功だ。ゼロは未来を予知した」
「ゼロをわざと逃がしたのは? 手元に置きたかったんじゃないの?」
プライム博士は何度も頷いた。
「私も迷ったんだがな……。ゼロは人の感情の機微に疎い女だ。研究所の封鎖的な環境ではその内向的な性格に拍車がかかってしまう。だから、人間らしい生活をさせてやる必要があるかもしれないと考えていた。人間の死がきっかけで未来予知が発動するのなら、ゼロの感情が完全に消えて、人間の死に何も思わなくなったとき、予知できなくなる可能性があると思った」
「つまり、ゼロを自由にさせたかったんだ」
「メトならば、自分よりもゼロの安全を優先して旅を続けるだろう。護衛としてはぴったりだ。友人としても優秀だろう」
フォーケイナは皮肉っぽく、
「メトちゃんを評価しているんだね」
「ああ……、なにせ私の複製品とすら仲良くやっているような甘ちゃんだからな」
「最終的にはゼロを連れ戻すつもりなんだね」
「ああ。ゼロはいずれ私に泣きついてくるだろう」
フォーケイナが不審そうにプライム博士の顔を見上げた。
「どうしてそう思うの?」
「メトがもうすぐ死ぬからだ」
「え?」
「そうなったとき、ゼロは私しか縋る相手がいないことを理解し、ここ聖都に戻ってくるだろう。豊かな感情の奔流と共に。未来予知の能力を自在に引き出せるようにするためには、幾つかの障壁を乗り越えなければならないが、私はモノにしてみせる」
フォーケイナの声が震える。
「メトちゃんがもうすぐ死ぬって、どういうこと? 博士……!」
「いずれ分かる。私だって、メトには元気に生きていて欲しいがな。言っておくが、本心だぞ」
そう言ってプライム博士は笑んだ。フォーケイナの表情は固まったままだった。




