フォーケイナの棺(中編)
魔物の被害は少なくなかった。それでも宿場町は活気があったし、魔物を恐れている町民はあまりいなかった。魔物が宿場町の近くに出没しても、宿場町そのものに被害が出たことが一度もなかったからである。話には聞いていても、ここで商いを営む者にはピンとこない話だったのかもしれない。旅人の被害も少なかった。被害が最も多かったのは、ドゥラ都市同盟の商人だった。
その事実に意味を見出す者もいた。何者かが魔物を操って商売敵を襲撃させているのではないか――しかし程度の低い陰謀論の域を出なかった。魔物を討伐すれば、その魔物を操っていた者の手掛かりが掴めるかもしれない。メトとガイに魔物退治を依頼した男性は、陰謀論を否定しつつも、魔物の死体を勝手に処理して“証拠”を隠滅したら他の商人から真犯人に仕立てあげられる可能性があると恐れていた。そんな理由で、魔物の死体はそのまま現地に放置するように求められていた。
当然、魔物の肉は調達できない。食料は十分備蓄があるので問題ないが、今回は報奨金だけの仕事ということになる。多少齧るくらいなら大丈夫だろうが、もし美味かったら、その肉の大部分をみすみす捨てることになる。それならいっそ一口も味わうことなくその場を去るべきではないだろうか。メトは少し悩んでいた。
「おい、この先は危険だ。魔物の出没地点だ」
街道から少し外れた先にある岩場の入り口に二名の男が陣取っていた。メトは正式な依頼を受けてやってきたことを説明しようと思ったが、ガイに話をさせたほうが円滑にまとまるだろうと思い直した。ガイの後ろにさっと隠れる。
「え!? メトさん?」
「ほら、説明して。貰った地図を見せれば分かってくれるでしょ」
背中を小突く。ガイは慌てて頷いた。。
「わ、分かった」
ガイが小走りになって二人の男に近づき説明すると、彼らは渋面を作った。
「ここは我々“天頂の銀星”の狩場だ。助力など必要ない。さっさと消えろ」
やっぱりそういうことになるか……。メトは諦めかけたが、存外ガイは意固地だった。
「そうは言っても正式な依頼を受けてここまで来たわけで……。狩場を封鎖する権利などそちらさんにはないだろう」
「なんだと。我々のギルドに対抗するつもりか」
「ギルドを持ち出すなら、俺は“魔遣りの火”だ」
ガイの言葉に男二人は動揺した。顔を見合わせる。メトは少しハラハラした。
「ち、ちょっとガイくーん? あなたギルド脱退して私についてきたんじゃないのー? 勝手にギルドの名前出して大丈夫ー?」
「シャキア副長はいつでも戻って来いと言ってくれたよ。だから大丈夫、大丈夫」
「あらー……」
ガイが所属している“魔遣りの火”はそこそこ名の通ったギルドだった。とはいえ今は壊滅状態にあり、二人の男に通用するかどうかは未知数だった。二人の男は小さな声でこそこそ相談している。
「……いいだろう、通って良い。ただし足の引っ張り合いは御免だぞ」
「もちろん」
ガイは頷いた。メトはガイの背後に隠れるようにして岩場の中に入った。
「すんなり通してくれたね。ガイ、なかなか交渉が上手じゃない」
「交渉というか……。彼らはギルド同士の力関係には結構敏感だからなあ。そもそも狩場を封鎖する法的な根拠なんてないわけで。後々揉めたくないんだろうね」
「そうなんだ。その辺よく知らないけど。まあ、とにかく魔物のところへ行こうか。こっちだよ」
メトがあまりにも迷いなく進むのでガイは困惑したようだった。
「どうしてそっちにいると分かるんだ、メトさん。鼻が利くのか?」
「あー、うん、まあね」
直刀の柄を握り込みながらメトは頷いた。周辺は岩がごろごろと転がっていて、人工的に作られた坂や洞窟があった。石切り場として使われていた形跡があり、街道の建材もここから調達していたのかもしれない。岩場を進むと木立と川があり、見晴らしが悪くなった。メトは川下に向かって進み始めた。
《魔物が人間に追われてこっちにむかってくる》
「了解。さっさと仕留めるよ」
《しかし相当に弱っている。横取りする形になりそうだな》
「え……。どうしようかな」
メトは躊躇した。あまり人間同士で揉めたくない。ただでさえ化け物みたいな体になってしまったのに、人殺しにでもなったら本格的に社会から孤立してしまう気がする。メトが立ち止まったのを見てガイが振り向いた。
「メトさん、どうかしたか?」
「ああ、いや、やっぱり帰ろうかな」
「えええ!? どうして!?」
「私たちが関与しなくても討伐できそうだし」
ガイは納得いっていない表情だった。メトはうーむと腕を組んで考えた。そうか、単独行動だったらここで何の迷いもなく引き返せるわけだが、なまじ仲間がいると説得する手間が増えるわけだ。やっぱり一人旅のほうがいいのだろうか。
「分かった」
ガイはメトの前に立った。
「メトさんがそう言うなら帰るよ。俺はきみに付き従うだけだ」
「いいの?」
「ああ……。メトさんは意味のないことをしないと信じている。きっと何か根拠があってそんなことを言っているんだろう? 俺にははかりしれないことだが」
「うーん……、なんか信頼されてるね。ありがたいけど」
ガイはメトに心酔している。メトにとってかなり都合のいい人間だ。しかしそれとは別に、彼に好感を抱いていた。旅をする上で重要なのは、むしろ互いに信頼できるかどうかではないか。利用価値があるとか、カネを出してくれるとか、そういうことは小さなことのようにも思える。多少ガイが足手纏いになったとしても、自分は許せてしまうだろう。メトはため息をついた。
「メトさん?」
「ううん、なんでもないっす。それじゃ、帰ろうか――」
《メト。警戒しろ》
「え?」
《魔物討伐にしくじったらしい。連中の作戦を引き継げ》
メトは振り向いた。川の中をよたよたと進んでいるのは血まみれの白い獣だった。小さな目が四つ、脚が六本、小さな翼が胴体の側面から生えている。巨大な舌が二枚口からはみ出しており、それぞれの舌の上で噛み千切られた人間の頭部を転がしていた。
「うっ……!」
ガイが怯んだ。メトは抜刀した。魔物はゆっくりとした足取りで川から上がると、巨大な尾で自分の体表を払って水気を切った。すると血で汚れていた体が綺麗に清められ、神々しささえ感じられる白く美しい毛皮が日に当たって輝いて見えた。
《この魔物……。先ほどまでかなり傷を負っていたのは間違いないが、今はすっかり癒えている。驚異的な再生能力を持っているな。しかも……》
「私たちが今まで戦ってきた魔物の中で、一番強い……、でしょ?」
《ああ。それに加えて、妙な気配がする。撤退も視野に入れて戦え》
博士がそこまで言うとは。本来ならこの少人数で戦う相手ではないのだろう。加えてガイはほぼ戦力外だ。自分にどこまでやれるか……。
「あんたなら逃げる?」
《いや。興味深い研究対象だ》
メトは一歩前に進み出た。ガイに目線で退くように伝える。ガイは一瞬共闘する姿勢を見せたが、メトの鋭い視線を浴びて、ゆっくりと後退していった。
「速く逃げて」
メトは直刀を構えた。魔物の四つの目の内、三つはメトを捉えていた。もう一つはガイに向いている。
「――もっと速く!」
魔物が六つある脚を一斉に地面に叩きつけた。その跳躍は低く鋭く、メトの脇をすり抜けた。メトが斬撃を放ったが魔物の肉を薄く切っただけだった。ガイはまともに回避行動を取れずに魔物に圧し掛かられる格好になった。もちろんまともに攻撃を食らえば即死だったが、準備していた岩魔法が発動して魔物の軌道を僅かに変えた。メトが魔物に飛び掛かると、魔物は警戒して体を回転させながら川の中に入った。ガイは砂利道を転びそうになりながら駆けて行った。
ガイは無事のようだった。一瞬戦闘態勢に入ったからこそ防御魔法が間に合ったようだ。メトは大きく深呼吸した。魔物の挙動の速さに対応しきれなかった。それに魔物はメトを相当に警戒している。仕留めるのは骨が折れそうだった。
《どうする? 撤退するなら見逃してくれそうだぞ》
「私が逃げると思う?」
《いや。逃げるくらいなら死を選びそうだ。私もろとも終わりを選択するだろう》
「強ければ強いほど良い……。あんたの浴びる魔物の血がより呪われていたほうが、戦う意味がある」
《くっくっく、お前が面白い女で良かったよ。退屈な旅路になんて興味がないからな》
やはりガイには無理な旅路だ。狂気の沙汰としか思えない。あんな普通の人間に付き合わせて良いわけがない。直刀が一瞬で変形する。やや小ぶりな曲刀。この形状が最も戦うのに適すると博士が判断した。
魔物は武器の変形を見て更に警戒心を強めたようだった。尾で川面を叩いて大きく音を立てた。瘴気が徐々に川の水を濁らせていく。魚が何匹か腹を上にして浮かんできた。
尾を川面の上すれすれを滑らせていく。水しぶきが鋭く飛んでくる。こちらの集中を乱そうとしているのか。メトが一歩進み出る。魔物は甲高い鳴き声で威嚇した。
魔物の体が深く沈む。メトは瞬時の判断で飛び退いた。魔物が弾丸のような突進を仕掛けてきた。曲刀を盾のようにして構える。魔物の脚が四方から襲い掛かる。地面を転がりながら切りつけると、鮮やかに赤い血が飛び散った。手ごたえがあった。しかし一瞬で再生している。メトは素早く起き上がると追撃した。魔物は六つある脚を巧みに操って機敏に距離を取った。
槍に変形。魔物の脚を地面に縫うように突き刺した。魔物は一瞬怯んだが、残る脚でメトを押し潰そうと踏み込んできた。
槍の更なる変形。先ほどまで柄だった部分が鎌となり、メトは両足を踏ん張るようにして思い切り振り切った。突っ込んできた魔物の脚を二本刈り取ることに成功し、重量のある脚が川に落ちて、水面を赤く染めた。
魔物はさすがに体勢を崩し、失った二本の脚をうらめしそうに見た。脚の断面が徐々に再生していくが完全回復には多少時間がかかるようだ。
《ふむ……、この魔物の分析が済んだ。なかなか面白い魔物だぞ、なんとこいつな……》
「余計なこと言ってないで弱点を教えて」
《心臓だ。なんと三つもある。一つは天然の、残り二つは増設されたものだな》
「は?」
メトはしかし、すぐに理解した。博士が面白そうにしている理由も分かった。胸やけしたかのような不快な気分だった。
「フォーケイナの棺……」
《そういうことだな。死体はどうする?》
「処分するに決まってる。報酬はいらない。それにしても誰がこんな……」
メトは歯を食いしばった。魔物はいよいよ追い詰められて捨て身の特攻に出る構えだった。こういうときの獲物が最も恐ろしい。退路を断たれた魔物はその全ての能力を殺戮に費やす。メトは槍と鎌が混合した奇妙な武器を曲刀に戻し、ゆっくりと構えた。
「来な。兄弟」
魔物は咆哮した。躰を捩じりながら突進してくる。メトは横に回避しながら曲刀を水平に振り抜いた。魔物の胴に食い込んだ曲刀は魔物の躰の内部で膨張し、突進の勢いを利用しながら骨を砕き、心臓の一つを破壊した。
魔物は口から血を吐きながら方向転換し、すぐさまメトに突進してきた。曲刀が棘のついた大盾に変形し、地面に杭を打つようにその場に固定された。魔物は鼻っ面を盾に激突させ、一瞬怯んだ。メトは盾を大刀に変形、容赦なく首を切断した。
魔物の巨大な首が地面を転がる。しかし首を失った魔物は何の支障もなく動き続けた。血を噴き出しながら猛然と迫ってくる。メトに残る心臓の位置が伝えられた。視覚も嗅覚も聴覚も失った魔物には、その後のメトの動きを捉える術がなかった。
柄の長い槍で一突き。そしてもう一発。立て続けに心臓を貫かれた魔物は、糸の切れた操り人形のように、ぱたりと動きを止めた。通常ならとっくに息絶えていたその躰を動かしていたのは、増設された心臓の仕業だった。
直刀に戻った武器を、血を拭うことなく鞘に納めた。もはや魔物は微塵も動かない。メトは大きく息を吐いた。ほぼ負傷もなく乗り切れたが、紙一重の戦いだった。ぐぅと腹が鳴った。戦いの後は腹が減る。
「め、メトさん! やったな!」
ガイが遠くから駆けてくる。メトは手を振った。
「近くで見てたの? 逃げればよかったのに」
「正直、攻防が速過ぎて、見ていても理解できなかったが……。これで報酬はメトさんのものだな。討伐したことを依頼人に伝えよう。死体の検分に来るはずだ」
「それなんだけど、ガイ、この死体、焼却処分しようと思う」
「え?」
ガイは困惑した。
「……いや、依頼では死体には手を付けるなと……。報酬が貰えないぞ。いや、それどころか敵視される可能性も」
「ちょっと、この魔物に思うところがあってね」
「……どうしても?」
「うん」
ガイは微笑んだ。
「メトさんが討伐した魔物だ。メトさんが好きなようにすればいいと思う」
「ごめんね」
「いや、謝る必要なんてないさ。燃やすなら俺の魔法が役立てると思うが、手伝わせてくれるかい?」
「頼んだよ。でも、魔法だけで燃やし尽くすのは苦労するだろうから、燃料を調達してくる。ちょっと待っててね」
メトは近くの林から木材を調達してきた。ヤニの多い植物があったのでうってつけだった。魔物の死体の前に並べる。ガイが着火して魔物の死骸を派手に燃やした。魔物の肉体自体かなり燃えやすかった。もしかすると木材は要らなかったかもしれない。灰色の煙がもくもくと上がっていった。
「お、おい、何をしてる!」
先ほど岩場の入り口で見張っていた“天頂の銀星”とやらのギルド員が二人やってきていた。二人は魔物の死骸を、信じられない、とでも言わんばかりの表情で見つめた。
「まさか、討伐した死体を燃やしているのか? そのまま引き渡す約束だろう!」
「魔物の肉が毒を含んでいるようなので、焼却処分することにしたの。放置すると自然への影響が大き過ぎるから」
「素人が! 魔物なんだから毒なんて当たり前だろうが! お前ら、まさか俺たちが討伐した魔物を勝手に処分しているんじゃないだろうな! 俺たちの仲間はどこだ!」
「仲間って、何人? 魔物が二つ、人間の生首をくわえているのを見たけれど」
「なっ……!」
「向こうに落ちてると思う。拾ってあげて」
「い、言われんでも!」
二人は慌てて走り去った。メトとガイは魔物が燃え尽きたのを確認すると、火の始末をしてからその場を去った。報酬は貰えないが、魔物の討伐を果たしたことは報告しなければならない。
それに、メトには依頼人に尋ねたいことがあった。あの魔物にはおかしな点がいくつかあった。もし、街道に出没している魔物の全てが人為的に配置されたものなら、放置するわけにはいかない。特に、自分だけは。