進化(後編)
アメド司祭の巨体が揺れる。メトは正面から受けて立った。彼が持っていた小刀はかすっただけで骨が断たれるほどの切れ味があり、一発でももらえば致命傷になる。博士を変形させ、大きな面で受け流すのが確実だった。
博士を二つに分割する。どちらも博士が変形を担当し、メトはそれをそれぞれの腕で巧みに操った。見切ることが難しい変形速度で、アメド司祭の攻め手を封じる。何回か斬り合っている内に、アメド司祭は劣勢を悟り、大きく後退した。
そこにガイの魔法が飛んできた。
ガイが軽く放った火球が、過去見たことのないほどの規模と速度で襲った。アメド司祭はそれを受けてびくともしなかったが、一瞬全身が燃え、視界を失ったようだった。すぐに鎮火し肉体の再生が始まったが、大きな隙が生まれた。メトが追撃する。
アメド司祭が更に退いた。彼の部下が一斉に襲い掛かってきて、彼らも一様にフォーケイナの棺を服用しているようだったが、メトの敵ではなかった。変形した武器を振り回しているだけで一掃できてしまう。
加えて、ガイが相手の攻撃を受けても平気そうだった。魔物の肉体を持つディシアと同化したガイは、尋常ではない強度の体を手に入れたようだった。相手の武器を取り上げて、膂力の差で取り上げてしまう。
「ガイ! 油断しないで! 相手の攻撃をまともに受けすぎ!」
「あ、ああ。まだ慣れないんだ。この躰……。やっぱり基本的には逃げたほうがいいのかな?」
そう言いつつガイは複数の敵を無力化していた。メトは頷くことも首を振ることもできず、返答に窮した。
「まあ、お好きなように」
メトは言いつつアメド司祭から注意を逸らさなかった。最も警戒すべきは彼だった。恐るべき再生能力があり、何度打ち負かしても平気で切り返してくる。
「アメド司祭。一つ尋ねるけど、ゼロには手を出してないでしょうね」
メトは分割した博士を構えながら言った。アメド司祭は焼失してぼろぼろになった自分の衣服を剥ぎ取り、異形の異様に白い肉体をあらわにしながら、肩を回した。
「……後回しにしましたよ。この街の人間に邪魔されると厄介ですから」
「それは良かった。ここなら思う存分やれると思ったんだろうけど……。それはこっちも一緒だからね」
メトが踏み込む。一つに戻した博士を振りかぶったが腕を掴まれた。ならばこちらも、と相手の武器を奪い取ろうとアメド司祭の手首を掴んだ。
力が拮抗する。メトは自分の怪力に自信があったが、アメド司祭の力も強力だった。
アメド司祭の蹴りが鳩尾に入った。メトは体を曲げて衝撃をいなしたが、それでも力が緩んだ。
屈んだところに短刀が振り下ろされる。メトは涙目になりながら体を回転させて相手の腕に踵を当てた。衝撃で武器を手放させようとしたが、アメド司祭はがっちりと短刀の柄を掴んでいた。
メトは起き上がった。二人の間合いは皆無に等しかった。超接近戦。
短剣に変えた博士を振り回す。アメド司祭はそれを避けようとしなかった。避けようと退けば、博士が変形し、射程を補うことは分かり切っていたからだろう。持っていた短刀で受け止めた。
更に一歩踏み込む。相手の懐に潜り込んで、自分の体をうまく当てる。アメド司祭の体が浮き上がった。
相手の腕を掴んで強引に投げる。力任せの投げ技に、アメド司祭は激しく地面に背中を打ち付けた。
そのままメトは自分の体をかぶせ、顔面に肘鉄を食らわせた。そのままの勢いでアメド司祭の首に短剣を突き入れる。
最悪の感触だった。心が痛んだ。しかしこれくらいなら死なないはずだ……。
メトはすぐさま博士を引き抜いた。ここで体を引く。死んでいないか様子を見るつもりだった。
これがいけなかった。
アメド司祭は起き上がってすぐ風の魔法を放ち埃を巻き上げた。視界が一瞬で悪くなる。
メトが怯んだところに風刃の魔法が飛んできて足を切り刻んだ。メトの肉体が頑丈で魔法への耐性がなければ、そのまま足を二本失っていただろう。
「今、躊躇しましたね、メト。殺すつもりできなさい」
「アメド司祭……!」
「殺されても文句は言いませんよ。気にする必要はない。こんな異形の男が死んだところで、誰も悲しみません。元々、全てを捨ててプライム博士の実験に参加した身です」
「そんな……。悲しいこと言わないで」
メトは土埃の奥にいるアメド司祭に向かって言う。
「私は弱いから……。あなたを救うことはたぶんできない。打ち負かすことしかできないけど、何も死ぬことはない。任務失敗の報告をしに聖都まで戻って。あなたは有能だから、ここで死ぬより聖都に戻ってあげたほうが、喜ばれると思うけど」
「なまぬるい考え方ですね。聖都の政治家にとって、私たち猟犬は替えの利く道具でしかない。欠損すれば補充すればいい」
「そんなの……」
「任務失敗を是とした駒など、今後重要な局面では微塵も信頼されない。それならば討ち死にしたほうが万倍もマシだ!」
「それが悲しいと、私は言っているんだよ……!」
メトは歯を食いしばった。声のするほうへ歩きかける。
「待った、メトちゃん」
ガイの声。メトは立ち止まった。
「きみがこの視界の悪い場所で暴れたら、本当に人を殺しかねない。それがきみの意思なら尊重するが、そうじゃないだろ?」
「でも……」
「博士を頭上に掲げてごらん」
メトは首を傾げつつも、言われた通り博士を持ち上げた。すると扁平な盾に変形した。直後、土砂降りの雨が襲い掛かってきて、メトはすんでのところで濡れずに済んだ。
「……この雨……。ガイが降らしたの? 博士、それを察知して雨除けに変形したの?」
《いや。私を変形させたのはガイだ》
「え? 遠隔で変化を?」
《あいつは過去に私を何度か変形させているし、魔力の絶対量が増えた。遠隔で私を変化させることが出来ても不思議ではない。非常に不快だがな》
大粒の雨で土埃が抑えられ、視界が澄んできた。首の傷を押さえながら立つアメド司祭の姿があらわになった。雨がやみ、メトは博士を雨除けから剣へと変えた。
隣にガイが立つ。他のアメド司祭の部下を全て倒したようだった。負傷した戦士と、戦意を喪失した戦士が、退却の準備を進めている。
「メトちゃん、どうしても殺したくないなら俺がやるが」
「ガイだって人なんて殺したことないでしょ」
「メトちゃんが必要だと思うのなら、俺が代わりにそれをするよ。それが心苦しいなら同罪ってことでもいい」
「……ありがとう。でも、殺さなくていいよ。しばらくどこかに拘束しておいて、私たちがさっさとこの場を去れば……」
アメド司祭はよろめいた。尻餅をつく。なかなか首の傷を癒せないようだった。例によって、博士が敵の体内に入った瞬間、切っ先を暴れさせたのかもしれない。
メトとガイが近づく。アメド司祭は息が荒くなっていた。そして吹っ切れたように首の傷から手を離す。
アメド司祭は地面に座り直した。それを見た部下たちが、同じように地面に膝を立てて座った。その統率の取れた動きに、メトとガイは警戒して一歩退いた。
アメド司祭は落ち着いた様子で、流れ落ちる自らの血を眺めていた。
「……いったい、どうやったのか知りませんが……。体内が破壊されたばかりか、血液が凝固しない。なかなか素晴らしい攻撃方法を持っていますね」
「……博士?」
メトが博士に呼びかけると、
《私の体の一部を分離させて、血液の凝固を阻害する物質を送り込んだ。奴の再生能力を前にどれだけ機能するか未知数だったが、効果は覿面のようだな》
「それで死んでしまったらどうするの」
《これだけでは死なないさ。血が固まらなくとも、少しずつ肉が塞がっていくはずだ。血を失わせて、戦闘復帰を遅らせるのが狙いだ》
アメドはうなだれた。
「任務失敗……。これだけの部下を預かっておきながら、聖都の外に出てまで行った任務が、完全なる失敗……。やれやれ、私は私に失望してしまいました」
「大人しく聖都に戻ってくれないかな。私たち、もうちょっとゆっくりしていたいんだよね」
「戻る場所などありません。任務失敗となれば、更なる強化改造が施されるのが目に見えています。プライム博士は止めてくれるでしょうが、王侯貴族の一派が送り込んだ無能な研究員が、プライム博士の手法を真似て、私の限界以上の能力を詰め込もうとするでしょう」
「それって……」
「もう苦しいのは御免です。フォーケイナくんの肉塊を大量に食らうのは、もっと御免だ。ここにいる部下は全員投降します。温情ある処置をお願いいたします」
「それはもちろん……、だけど、アメド司祭? 何するつもり?」
「私の体は毒まみれで、自然に悪いでしょうから、魔物の死骸と同じ処理方法でお願いします」
アメド司祭の肉体が突如として崩壊を始めた。メトは手を伸ばしたがもう手遅れだった。肉と、骨と、内臓と、黒く固まった血液の塊。まるでそれらが組み合わさって出来た人形だったかのように、アメドの体がバラバラに砕かれてしまった。
アメドの部下はその場から動こうとしなかった。完全に敗北を認めている。
「毒でも飲んだのかな……。メトちゃん、気にするな。彼は自ら死を選んだんだ」
ガイが言う。メトは頷いたが、心はざわついていた。
フォーケイナの棺に代わる物を造り出せたとして、それを使う人間が邪悪なら何の意味もない。苦しみも、悲しみも、痛みも拡散されて、幸せなんてどこにもないんじゃないか。そんな気分になった。
メトはアメド司祭の部下に手伝わせて彼を研究所近くの土地に埋葬した。それからゼロたちが待つ病院へと向かった。アメド司祭の部下たちはそのまま解散させた。彼らに戦意がなかったので、もう危険はないと判断した。
《つくづく甘い女だな》
「……こんな辛いことばかりの世界じゃ、私みたいな能天気な女の優しさは貴重でしょ」
《それで犠牲になるのは自分だがな。まあいい》
メトは雨に濡れたタングスの通りに出た。突然の豪雨で街の人たちは困惑しており、濡れた洗濯物を前に呆然としている者もいた。ガイがばつが悪そうに体を縮めたのを見て、メトは思わず笑ってしまった。




