進化(前編)
メトたちは村人と共にタングスへと向かった。ジョットによって殺された村人は三名……。あの恐ろしい男に襲われたにも関わらず、これだけの被害に抑えられたのは奇跡的だった。
しかしメトを標的としたジョットの振る舞いに巻き込まれたことに間違いない。メトは村人に合わせる顔がなかった。負傷した村人をタングスの病院まで運んだ後、メトは静かにその場を離れた。
ひっそりと独りで行動するつもりだった。しかしガイがぴったりと傍についていた。メトはしばらくタングスの通りを意味もなくうろついた後、ガイが追い付くように歩調を緩め、彼の顔を見上げた。
いつもの間の抜けた獣人の顔がそこにあった。ガイはメトに心配そうな眼差しを向けている。
「……ガイ、体のほうは大丈夫なの?」
「ああ……、問題ない、と言いたいところだが、慣れないな」
ガイは衣服を捲り上げる。するといつもは毛皮でもふもふしている彼の腕に、皮膚がひび割れたような跡があった。そこから魔物の眼のようなものが浮かび上がる。
ディシアが命をかけてガイの命を救った。間違いなくガイは一度死んだ。しかし肉体の大半をディシアが再構築してくれた。ディシアの能力はガイに引き継がれ、ガイは魔物の器官を幾らでも作り出せる体になったらしい。
ディシアもあのとき、死にかけていた。最後見たメトとディシアの会話は、幻だったのか、それともディシアからの最後の言葉だったのか、メトには分からない。しかしディシアが崩れゆく自らの体を犠牲にして、全ての力を傾注し、ガイを救ってくれたことは間違いない。
ガイはその事実を受け止めつつも、ふとするとディシアのことを考えてしまうようだった。どこか苦しそうな表情になることが多い。
「……これでガイも強くなったかもね。不本意な形だろうけど」
「ああ。そうだな……。俺はどこか、無類の強さを誇るきみたちに、憧れに似た感情を抱いていた。あんなに強かったら、世の中を渡り歩くのに不自由なんてないんだろうな、と」
「そんなこと考えてたの?」
「だが、そうじゃなかった。特に、この力を得た経緯を考えると、俺は自分が恐ろしくなった。きみたちも、一緒だったんじゃないか?」
「一緒?」
「きみは、魔物を退治しても、報酬なんてどうでもいいという態度を示すことが多かった。あれこれ理屈をつけてはいたが、この力を世の中の為に役立てたかったんだろう」
「それはあるかもね……。まあディシアはそんな感じじゃなかったけど」
「建設的な思考ができるかどうか、ってところだろう。きみの目はきちんと世間のほうへ向いていた。一方ディシアはせいぜい身近な人間に少し力を貸す程度だった。いや、もしかすると、彼女の力を拒絶していたのは世間のほうかもしれないが……」
ガイは首を振った。
「この躰になって、初めて気づくんだ。俺は普通の獣人として過ごしていいのだろうか、と。世間に馴染むことができるのか。この躰になってまだ数日なのに、こんなに悩むんだ。命が救われたという経験があり、ディシアへの感謝の念がありながらも、こんなに悩む。意図せず力を与えられたきみたちは、理不尽な試練を与えた世間を恨んでもおかしくないのに、そうはならなかった。これは凄いことだと、俺は思うよ」
ガイの言葉にメトは俯いた。
「……別に凄いことなんかじゃないと思う。私はただ怖かっただけだよ。自分が怪物だと呼ばれるのが……」
メトとガイはタングスの通りを意味もなく散策した。街は近辺の森林地帯で起こった大規模な火災で動揺していた。魔物が原因だと断定され、タングスに逃げ込んだ村人はその被害者だと判断された。
その火災の原因となった魔物の死骸が、林の中で見つかった。それはジョットがディシアを削りまくったときの残骸だったのだが、それだけでも相当な量の肉塊だったので、疑う者はいなかった。討伐者はこの街で名を挙げているシャキアということにしておいた。
メトとガイはぐるりと街を一周し、病院まで戻ってきた。メトは病院の前に見知った顔があることに気づいた。メトに気づくと走ろうとして、転んだ。
「ルーファさん!」
故郷の村長であるルーファが、地面に膝をついていた。メトが慌てて支えに行く。
メトの力を借りながらルーファは立ち上がった。そしてメトの肩を掴んだ。
「メト! お前……、無事だったか」
「無事だよ。どうしたの、怪我してるのに、外に出ちゃって」
「私の怪我なんて大したことはない。それより村人から聞いたぞ。お前たち、また村を救ってくれたんだってな」
メトは首を振った。ガイが止めようとしたが、メトは真実を口にした。
「違うんだよ、ルーファさん。村を襲った怪物は、私を狙ってたんだ」
「なんだって? それはどういう……」
メトはジョットという男に狙われていること、ジョットがメトと戦う動機を作る為に、村を襲ったことを簡潔に説明した。しかしルーファは首を傾げた。
「よく分からん話だが……。メトと戦いたい、というだけなら、そのまま戦えばいいじゃないか」
「ジョットは洗脳されているんだ。元々、凶暴な性格に改造されているんだけど、その上から、人殺しをしないようにという制約を設けられている。正当防衛を成立させるために、私の感情を高ぶらせて、私から襲わせようとしているっていうか」
「しかし、それでやることが村人を殺すことなら、人殺しをしないという制約と矛盾しているじゃないか」
「要は本人の中で納得ができるならそれでいいみたい。実際、矛盾を抱えて、最初は全力を出せていなかったし」
「ジョット……。ジョットか。メトはその男と因縁があるんだな?」
「……うん」
「もしかして、お前と同じように、買われた子どもか?」
メトは頷いた。
「……そうだね」
「今のお前は信じられない力を持っている。それと同じように、そのジョットという男も、何かしらの力を得て、今暴れているわけか。お前はそれを止めにいくのか?」
「……殺すことになるかもしれない。けど、できれば助けてあげたい。元々は何の罪もない子どもだったんだ。改造されて、人格が断裂して、それでおかしくなっているだけなんだ」
「そうか……。しかし、今回、死人が出ている。お前も知っている人たちだよ。その罪が消えるわけではない」
「うん……」
「もうこれ以上、村民が死ぬことは許さない。メト、彼と対峙するなら、絶対にやられるな。彼を救う前に、お前が救われて欲しい。私はそう思っている。私からは以上だ」
「ふふ、ありがとう、ルーファさん。けど、さっさと病室に戻ったほうがいい。見た感じ、魔物にやられた傷は浅くないんでしょ」
「心配するな」
ルーファは笑ってそう言い、病院の中へと戻っていった。わざわざ外に出ていたのは、街をふらふらと出歩くメトを迎えるためだったのだろうか。メトは村長が無事に去ったのを見送ると、ゆっくりと歩き出した。ガイがすぐに横につく。
「どこへ行くつもりだい、メトちゃん」
「研究所へ」
「まだ中をろくに調べていないものな」
「うん。付き合ってくれる?」
「もちろん」
メトとガイは封鎖されている区画まで近づいた。先日もこの近辺をうろうろしていた老婦人が、つかつかと歩み寄ってきた。
「お嬢さん! この前は、禁止されてるのに中にずかずか入っちゃって!」
「ああ、どうも」
「どうもじゃないわよ! 悪いけど通報させてもらったからね! あなたの命が危ないんだから」
「どうもどうも」
「この中がどれだけ危険か分かっているの? ところでそこの獣人さんは? 男前ねえ」
ガイは突然話しかけられておどおどした。
「お、男前? 俺が? 初めて言われたが」
「そうよ。良い顔してるわ。あなたも中に入りたいの?」
「ああ、まあ……」
「感心しないわねえ」
メトはガイを小突いた。目配せすると、ガイは合点がいったようだった。
「ああ、ご婦人、俺は“魔遣りの火”のメンバーなのだが」
「あら、あの?」
「ああ。中に入っても問題ないはずだ」
「それはもちろん。お嬢さん、今度はちゃんと許可を貰ったのね」
「許可……。許可か」
メトははいともいいえとも言わず、そのまま封鎖区画に踏み入った。鉄条線を潜り抜ける。メトとガイは荒廃した街中をゆっくりと進んだ。
研究所は以前見たときと全く同じ佇まいでメトを出迎えた。隠し通路の扉が開いたままになっている。メトとガイはそこから梯子を下って研究所の中へと侵入した。
下まで到達し、メトは周囲の警戒をした。人や魔物の気配はない。今度こそじっくり研究所内を探索できそうだった。
「メトちゃん、確認させてくれないか」
ガイが言う。
「なに?」
「この研究所に来た目的は何だ」
「研究をしたい。フォーケイナが傷つかずに済むように、フォーケイナの棺に代わる秘薬を作る」
「それだけか?」
「どういう意味?」
「フォーケイナを普通の人間に戻す研究……。そんな道もあるはずだろ?」
ガイの言葉にメトは足を止めた。ゆっくりと振り返る。
「元の体に戻すってこと?」
「ああ……。普通はそういう発想になるのではないかと思ってな」
「それは……」
言われて初めて気づいた。どうして気づかなかったのかというと、それが不可能であると分かっていたからだ。
メトもまた、改造された存在だ。だからこそ分かる。普通の人間と比べてあまりに頑丈で、あまりに変容したメトの肉体は、元の体に戻そうと思ったらその途中の工程で命を落とすだろう。強化された体をあえて脆弱な方向に持っていこうとするのは無理がある。
肉体を急激に変容させるとなると、絶大な負荷がかかる。負荷がかかった結果強くなるのなら耐えられるかもしれないが、負荷がかかった上で弱くなると、そのまま回復不能の領域まで落ち込み、死に至る。理屈ではなく、感覚でそれが分かる。
「たぶん、無理だと思う……。死ぬはず」
「そうか。済まないな、メトちゃん。余計な口出しだったか」
「いや。でも、そういう方向性の研究もあるね。ありがとう」
メトは研究所の奥へと踏み入った。研究所が崩壊したあの日、メトが迷い込んだ例の部屋。博士の複製品と出会ったあの部屋に数分でたどり着いた。
《奇妙な感覚だ》
博士が言う。
《私という存在はこの部屋から始まった。しかしここに至る以前の記憶も、しっかりと存在している。その記憶が全て転送されたものだとは信じがたい》
「研究に役立つものって何かある?」
《この部屋だけではなく、研究所全体で現存する設備も一度確かめて欲しいが、とりあえずはこれだな》
博士が納められていた箱が、そこにあった。メトは再びそれを開いた。中には博士が安置されていた黄金色に輝く円筒形の容器がある。
「……これは?」
《メト。お前はこれをただの容器だと思ったようだが、実は違う。私にとって非常に危険な代物だ》
「危険?」
《ざっくり言うと、これは私という人格の棺。これを使えば私の記憶が消去されたり、逆に私が持つ機能を追加したりできる。私は決まった形を持たない万能武器だ。なので外的変化に非常に強い。多少削られたり、衝撃を与えられても、死ぬことはあってもその機能が変容することはない。だがこの容器に納めて、一定の操作をすると、簡単にその性質が変わる》
「……もう少し簡単に言ってくれない?」
《つまり、これを使えば私は進化できるかもしれない》
「博士が進化してもしょうがないんだけど」
《メト。道中ずっと考えていたのだが……。人体実験なしでフォーケイナの代わりを造り出すことは、普通なら不可能だ》
「……それで?」
《可能とするなら……。どんな形にも変化できる私が、フォーケイナと同等の存在になる。それしかない》
「博士が……?」
《これも人体実験にあたるか、メト?》
メトはじっと黙り込んだ。驚きはあったが、しかしうっすらと察していた部分もあった。
博士は天才だ。しかし、人体実験をせずとも秘薬を量産できるなら、とっくの昔にそうしていただろう。人道的な理由ではなく、生体を切り刻んで秘薬を作るのは不安定だし、量産に向かないから。
かつての博士が不可能だったことを、この複製品の博士が急にやれるようになるとは思えない。しかし、プライム博士は、自らの複製品というとんでもない発明を作った。
博士自身なら――ありとあらゆる形に変化できるその特異な存在ならば、フォーケイナののような奇跡の存在にも成り代われるかもしれない。
メトは博士を鞘から抜いた。博士はここで言った。
《鞘ごと容器に入れろ。それも私の一部だ》
「博士……。どうするつもり」
《自分の頭蓋に指を突っ込んで脳味噌をほぐすような感覚だが……。やれるかどうかだけ確かめておく。実際にそんなことが可能かどうかは分からないが》
「う、うん」
メトは博士を鞘に納め、それから箱の中の容器に博士を入れた。蓋を閉じる。
《少し暇を潰してろ》
博士は言った。メトは振り返り、部屋の入り口に立つガイと目が合った。
メトは尋ねたかった。自分は正しいだろうか? 博士がフォーケイナの棺と似たものを量産できるようになったとして、フォーケイナを救うことができるのだろうか? プライム博士は、このことを予期していないのだろうか?
結局メトは何も言わなかった。ガイと見つめ合ったまま、時間が過ぎていった。




