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蘇る相棒(後編)


 メトは研究所にいた頃のことを思い出していた。


 ジョットやディシアはまったく会話にならないほど凶暴な人間だったが、最初からそうだったわけではない。博士の実験が本格的に始まる前は、普通の少年少女だったわけだ。


 メトが研究所に来たときには、既にジョットやゼロ、フォーケイナの実験が始まっていた。なので人格崩壊が少しずつ始まっていた。最初の内はそれぞれの子供は隔離されている時間が長かったから、物理的に会話はが不可能な時間が大半だったわけだが。


 ディシアとは話したことがあった。今とそう姿の変わらない黒髪の小柄な少女だった。博士に手を引かれて研究所の部屋に入ってきた彼女は、綺麗な白のワンピースを着ていた。メトと同日に研究所にやってきた。新しい家、新しい環境。お互いに不安だったはずだ。


 奴隷商に買われた、という意識がメトにはあったが、ディシアにはなかったようだった。


「ずいぶん変な家だね、ここ。地面の下にある」


 ディシアはそう言った。そして、水浴びしたいなあなどと言った。博士は早速彼女をとある実験室に急かすように連れて行った。メトはそれを見送った――そしてすぐに彼女の悲鳴を聞いた。


 今まで忘れていた。博士に最も大きな怒りを抱いた瞬間かもしれない。メトもまた、博士からよく分からない実験の対象になっていたが、博士の目的である研究に不適だったのか、最初の内はそれほど苦痛の大きい実験には参加しなかった。しかしディシアは違った。彼女には才能があった。博士が求めていた人材だった。だから扱いも苛烈となった。


 死なない程度の実験。逆に言えば死ぬ寸前まではやらせる。数か月でディシアは人格が破壊された。だから、メトはディシアから口汚い罵倒をされても、たまに会ったとき暴力を振るわれても、彼女を憎む気には全くなれなかった。


 同情。そして仲間意識。メトは彼女に寄り添いたかった。


 もしかすると……。


 ディシアもまた、メトに似た感情を抱いていたのかもしれない。


 ガイの亡骸。


 メトは白い世界に立っていた。ただガイの昏い瞳を見ている。彼がこっそりフォーケイナの棺を食べていて、再生が始まりやしないか。そう思っていたが、そんな都合のいいことは起きなかった。


「よう、メト」


 ディシアがメトの隣に立っていた。メトは初めてガイから視線を外し、ディシアを見た。彼女はあの日研究所で初めて会った日のように、白いワンピースを着ていた。肌は綺麗で、傷一つない。魔物の器官も、どこにもない。


「ディシア……」


「お前、そんなにこいつのこと、大事なのか?」


 ディシアがしゃがみ込んで、ガイの体をつんつんとつついた。メトは頷いた。


「ああ……。研究所を出て、最初に出来た仲間だよ」


「大して強くもない、足手纏いだっただろ。こうして、簡単に死んじまったわけだ」


「でも、彼がいなければ、私はここまで来れなかった」


 メトは絞り出すように言った。そして自身の髪に触れた。


「私の為に、命を張って魔物と戦ってくれた。おかげで私は餓死せずに済んだことがあった。私の秘密を守ろうとして、危険なことを……。そんなに気にすることなかったのに」


「律儀な奴なんだな。不器用ともいえるか」


「かもね……。私は心底感謝したんだ。でも」


 メトは声が詰まった。


「でも?」


「ガイがくれた帽子、海でなくしちゃった。ガイは何も言わないけれど、戦闘のときくらい、彼に預けておくべきだった」


「ふうん? 帽子ねえ? 女の子が髪の毛失ったから、それを隠せるように、ってか?」


「たぶん……」


 ディシアが、ガイの買ってくれた帽子と全く同じものを、手品のようにぽんと出現させた。メトは手を伸ばしたがディシアはすぐに消してしまった。


「あたしはもう、髪の毛なんか自由に生やせるから、その感覚は分からんけど。メトも気にしないほうだろ? 髪の毛なんて放っておけばまた生えてくるだろ」


「……実は少し、気にしてた……」


 ディシアは意外そうに眉を持ち上げ、少し笑った。


「あら、そう。ガイってば気の利く男だったんだなあ」


 メトは頷いた。そしてうずくまった。涙がぼろぼろとこぼれてきた。意思の力では抑えることができなかった。


「でも、死なせてしまった……。私と出会わなければ。こんなひどい死に方をすることもなかったのに……!」


「確かにそうかもしれねえな。お前はこれからどうする気なんだ?」


「どうするって……」


 ディシアは肩を竦めた。


「ジョットはまだ暴走してるぜ。止める気か?」


「私は……。私じゃあ、あの男には勝てない」


「そうだろうな」


「ジョットだけじゃない。私は弱い。あまりにも弱過ぎる。ガドレガとかいうあの怪僧にも勝てない。クマドの猟犬にも後れを取った。フォーケイナを助けることもできない。博士の力を借りて、これだ。私には、何もない……!」


 メトは拳を強く握りこんだ。そんなメトをディシアはへらへらしながら見下ろしていた。


「へえ……。お前は自己評価低めなんだな?」


「私はもう、生きる価値なんてない。ガイ一人守れず……!」


「生きる価値ね……。ガイは生きるべき人間だったのか?」


「彼ほど善良な人間はなかなかいなかったよ」


 メトが顔を持ち上げると、ディシアは笑みを消した。


「善良なら生きる価値があるのか? じゃあお前は?」


「私は大して良い人間じゃないし、失敗してばかりだし……」


「でも、ガイはお前以上に間の抜けた男だったぜ。あたしからはそう見えた」


「……何が言いたいんだよ」


 ディシアもしゃがみ込んでメトと目線を合わせた。彼女の美しき赤い瞳を間近に見た。


「生きる価値なんてものを、お前が決めることなんてないさ。つまり、そういうこと」


「慰めてくれてんの、ディシア……?」


「なあメト。お前はガイが死んで、悲しんでる。それはなぜだ?」


「それは……。分かるでしょ。彼は私の仲間だった」


「あたしにはいまいちわからねえんだよ。教えてくれ、メト」


 ディシアは立ち上がった。メトもそんな彼女につられて、よろよろと立ち上がった。


「ディシア……?」


「あたしはさ、これから自分のすることが疑問なんだ。大人しく、このまま死のうかと思ってたが、どうやらまだやれることがあるみたいなんでな」


「ディシア、あなたまで逝くの? 嘘だ、無限に再生するはずじゃあ……」


「あたしもそう思ってた。けど、ジョットは再生を阻害する攻撃ができるみたいだ。あたしはもうすぐ死ぬよ。まったく、ろくでもない人生だった」


「そんな……! そんな!」


 ディシアは白い歯を見せてにやりと笑った。清々しい顔だった。未練も何もないような。


「おーおー、悲しんでくれるのかい、ガイのときみたいに? だけどな、二倍涙を流す必要はねえぜ。だってさ……」


 ディシアの姿が霞んでいく。メトは消えゆくディシアに追いすがった。彼女の体に掴めず、もがき、メトは目を覚ました。


 そこは煙と火炎が支配する戦場だった。メトは今まで夢を見ていたようだった。傍らにはガイとディシアの骸があるはずだった。


 しかしそこにディシアの姿はなかった。その代わりに、五体満足のガイが寝転がっていた。うっすらと瞼を開ける。


「ガイ!? ガイ、生きてるの、ガイ!」


 メトは駆けよった。ガイは上半身を起こした。彼は泣いていた。ぽろぽろと大粒の涙を流していた。


「メトちゃん……。村人を守るんだ」


「ガイ、でも、あなたは……」


「いいから。俺は大丈夫だ。俺は、ディシアが助けてくれたよ……」


 ガイが右腕から、魔物の眼と思われる器官を生やした。それはディシアが持っている能力だった。メトは驚いたがすぐに理解した。


 ディシアがなけなしの力を振り絞ってガイと同化し、失った臓器や血液、下半身を作ってくれたのだと。ガイは何度も頷いた。


「メトちゃん、村人を守るんだ……」


「ガイ……」


「俺、俺はさ、情けない男だけど。名ばかりの師匠で、足手纏いだったけど。彼女の分まで、きみや、フォーケイナや、ゼロ、そしてジョットの為に戦うよ。約束する。きみたち五人の子どもたちの為に、力を尽くすよ……。最後にはきみたちが笑って過ごせるような世界を作ってみせるよ……!」


 メトは頷いた。涙を拭った。ガイはそのまま倒れて気絶してしまった。彼をその場に置いて、メトは走り出した。


 メトが気絶してから目を覚ますまで、ほんの数秒しか経っていなかったようだった。ジョットはまだ追いつく距離を移動していた。シャキアが村人を守る為、武器を構えてジョットを迎撃するところだった。


「早く逃げろ! 死にたくなければ、なりふり構わず逃げろ!」


 シャキアが村人を鼓舞している。ジョットが手をかざすと、シャキアが纏っていた鎧が粉々に砕けた。そしてそのまま卒倒する。そんな彼女の頭を潰そうとジョットが振りかぶった。


「止まれぇー!」


 メトはジョットの背中に突っ込んだ。ジョットはふわりと浮かんで容易くかわすと、舌打ちした。


「邪魔しやがって……。そろそろ脳だけじゃなく、博士の課した制約まで再生する。思う存分人を殺したかったのに、できねえじゃねえか」


「ディシアが死んだ!」


 メトは叫んだ。


「私は、ジョット、あなたが憎い! けど、けど、あなたも被害者だから! どうしても憎み切れない! だから、だから、あなたも救ってみせる!」


「はあ?」


「プライム博士から解放して、自由に生きられるように。私が頑張るから! だから……」


「キャンキャンうるせえな。ディシアが死んだ? 当然だろう、俺が殺したんだから。さすがに再生を繰り返して消耗した。また自分を燃やして制約を課した脳の一部を焼き切るのはやめておいたほうがいいだろな。というわけで、この辺で終いだ」


 ジョットは退却の理由を言い訳するかのように説明してから、空高く浮かんだ。


「ジョット……。迎えに行くから。プライム博士のところで待ってて。迎えに行くから!」


 メトの叫びに、ジョットは怪訝そうにした。そして首を捻りながら空を飛び去ってしまった。


 メトはその場に座り込んだ。柄にもなく内股を閉じて、震える腕で自分を抱きしめる。


 こんなにディシアの死に動揺するなんて、少し前の自分では想像できなかった。思い出してしまった。そして知ってしまった。ディシアの優しさに。だからこそこんなに悲しい。


 メトは呻き声をもらしながら涙を流した。止めることができない。自分と同じように売られ、非道な実験を繰り返し受け、人格が引き裂かれた。それでも彼女は、最近になって優しさを取り戻していた。


 プライム博士が憎かった。こんなことは許されない。今も、ジョットを支配下に置き、フォーケイナの体を切り刻んでいる。メトやゼロに自由になってほしいなどとのたまうあの男は絶対に許せない。


 自由なんて、とんでもない。縛られ続けている。復讐に。この因縁を断ち切るまで自由なんてありえない。


 メトは腰にある博士の柄を握った。博士が何か言わないかと思った。その言葉によってはこの場で叩き割ってしまうかもしれない、そんな不安定な今の自分の心が、メトには怖かった。


「博士……」


《メト。村人を村まで帰してやれ。あるいはタングスまで連れていくか? いずれにせよ、事態が決着するまで故郷に帰るな。村人を守りたいならそうするしかない》


 極めて冷静な男だった。メトは柄を強く握り込んだ。


「ディシアには、何か言うことはないの?」


《……ガイの中で、まだ生きている。正直、こんなことが可能だなんて知らなかった。ディシアは私の想定以上に成長したな。素晴らしい》


 メトは立ち上がった。博士に何を期待していたのだろう。彼に何かを求めても無益だ。仇に何も求めるな。


 メトはシャキアが気絶しているだけだと確認すると、彼女を背負い、ガイのもとへと戻った。


 戦いの後、至る所で火災が起きていた。メトはちろちろと踊る炎を眺めながら、ディシアの顔、声、体つき、それから初めて会ったときに彼女が着ていた白いワンピースを思い出していた。


 博士に買われなかったら、どんな人生を歩んでいたんだろう。あの村の人たちは、今でもディシアの帰りを待っているんだろうか。二度と彼女が故郷の地を踏むことはない。


 メトはまた、泣いていた。これからディシアのことを思い出すたびに泣いてしまうんだろうか。メトは鼻を赤くしながら、静かに黙祷を捧げた。





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