蘇る相棒(前編)
メトとゼロが馬で移動している間に、博士がガイと交信した。シャキア率いる“魔遣りの火”の協力もあり、村人の避難が開始されたという。避難先は西の都であるシャーグル。シャーグルにはさほど戦力があるわけではないが、堅牢な砦があり、シャキアが仲立ちすれば中に入れてもらえるはずだという。
プライム博士の支配下となり理性を手に入れたジョットは、シャーグルほど大きな都市となれば真っ向から叩き潰すのに躊躇するはずだった。避難さえ完了すれば、もう悲劇は起きないはずだ。
そしてメトがジョットに手を出さなければ……。ジョットはプライム博士の命令により、無益な殺生を行わない。全ては丸く収まるはずだった。
しかしメトは不安だった。楽観的になれるはずがなかった。仲間がいるから絶望というほどでもなかったが、それでも困難に直面しているのは確かだ。
特に心配しているのはガイだった。ジョットはメトの人間関係を把握している。仲間の中で、ガイとの付き合いが一番長いということを知っているはずだ。最も執拗に狙われるのがガイ。間違いない。
村人の避難を進めながら、メトはガイの傍にいなくては。何が何でもガイだけは逃がす。
博士とガイの交信で、落ち合う場所を決めた。シャーグルに到着してしまえばそれに越したことはないが、到着前にジョットが追い付く可能性が高かった。できるだけ交戦したくはない。ガイたちは隠れながら移動しなければならない。
「ねえ、ゼロ……」
メトは馬を走らせながら、傍らにぴったりとつくゼロに話しかけた。
「ゼロは、未来が見えると言ったよね? 私って、どう? この後すぐ、死ぬのかな」
ゼロは首を振った。メトはほっと一安心したが、ゼロは声を絞り出した。
「私は、自由に未来が見えるわけではない……。メトの村の人たちや、ガイや、メトの未来は、おぼろげで、よく分からない……」
「そ、そうなんだ。ありがとう、ごめんね」
「でも、メトが博士を叩き割る未来が、見える。そのときが来るまで、たぶん、メトは死なない」
「なるほど。少し元気が出たよ」
メトは馬に揺られながら、つまり博士を破壊しない限り、自分の命はあるわけかと考えた。もちろんゼロの言葉を鵜呑みにして自分の行動を曲げるわけではない。しかし自分が死ぬのはもう少し先の話のようだ。
だったら、ジョットに挑んでもいいかもしれない。目の前で無関係な人間が死ぬのを眺めているよりは、自分が大怪我したほうがマシだ。
一昼夜走り続けた。メトとゼロは馬の限界が来たことを悟り、下馬した。馬から轡などの馬具を外してやると、馬はのんびりその辺の草を食べ始めた。野生に還るか、誰かに拾われるかはわからないが、周囲に魔物の気配はないし、うまいこと生き延びて欲しかった。
二人はいよいよ村に近づいた。ジョットはどこにいるだろうか。博士が間断なく交信を続けているが、ここで少し深刻そうな声になった。
《そうきたか……。ジョットの奴、徹底しているな》
「どうしたの?」
《シャーグルに向かう道の至る所に、魔物を配置しているようだ……》
「魔物を? あいつ、手駒を抱えていたのか」
《随分と手際が良い。事前に準備していたのかもしれん》
「私と話をする前からこうするって決めていたってこと? でも、だとしたら、避難が開始される前に村を魔物に襲わせていたはずだよね」
《ああ……、そうなっていた可能性もある。しかしメトに宣言する前、魔物に命令を下して村を襲わせていたら、もしかすると奴が禁じられている無益な殺生に該当する可能性がある。つまりメトが研究所でジョットに戦いを挑んでいたら、魔物で村を襲うという命令を解除しなければならない》
「そっか……。あいつ、プライム博士に行動を縛られているのか。事前に魔物は準備していたが、前もって命令は下せなかった、というところか」
《だろうな。避難先は変更せざるを得ない。フォーケイナの棺で強化された魔物を村人たちが突破するのは至難の業だ。レッドやシャキアの援護があっても、犠牲者は必ず出るだろうな。その場で待機させて我々との合流をはかるという手もあるが、ジョットが先に追いついてしまうだろう》
「だよね。となるとここは……。近くで大きな都といったら、タングスしかないんだけど」
《タングスには復帰した“魔遣りの火”のメンバーがいる。相当な戦力だ。メトやゼロ、ディシアも加えれば、ジョットに対抗できるかもしれん》
「でも、そうなると、ジョットと村人は必ず一度はすれ違うことになるよ」
《魔物とジョットの挟み撃ちになるよりはマシだ。なんとかどこかで時間稼ぎをしなければならないだろうな……。ジョットが自在に空を飛べることを考えると、同じく魔物の翼を生やして飛翔できるディシアにしか不可能な芸当だ》
「ディシア……。また彼女に頼るのか」
かつて研究所内でも二強と称されていたジョットとディシア。ジョットとやり合える人物といえば、ディシアしかいない。もし彼女が協力的でなかったとしたらぞっとする。
博士がガイ、レッド、シャキアに交信し、方針転換を進言する。メトとゼロは徒歩でひたすら走った。早く村人やガイたちと合流しなければならない。気が急いていた。
《まずいな……。シャキアが先導している一団がジョットに見つかったようだ》
「え……」
《シャキアがなんとか時間稼ぎをするつもりのようだ。近くにいるレッドや他の“魔遣りの火”のメンバーも助勢するようだが……》
メトは走った。とにかく速度を上げた。かろうじてゼロがついてきているが少し距離が空いた。博士が示した地点まで、息を切らしながら走った。
ジョットのいる場所はすぐに分かった。林の中で爆炎が上がっていた。黒々とした煙が上がって青空を醜く汚していた。村人の悲鳴が聞こえてくる。炎の上がっている地点からは少し離れた場所から声がしている。戦いの場と村人たちの距離はある程度あるようだ。
今なら間に合う。メトは林の中に飛び込んだ。煙で視界が悪かった。
ジョットが炎の中心にいた。涼しい顔をして立っている。それに対峙しているのはレッドとシャキアの二人だった。地面には焼け焦げた人間の死体が幾つか転がっていた。
犠牲者が出てしまった――メトは口元を押さえた。自分のせいだ、と強く自身を責めた。
だが体は既に動いていた。今にも倒れそうなレッドとシャキアに駆け寄る。
「事情は聴きました」
レッドが言う。
「メトさん、あなたはあの男に手を出してはいけません」
レッドの言葉にメトは首を振った。
「でも!」
シャキアは大楯を構え、ジョットに鋭い眼差しを向けていた。
「ジョットの実力はすさまじい。しかし、どういうわけか派手に魔法を撃つばかりで、とどめを刺してこない。逃げた村人を追うこともない。避難さえできれば、まだこちらにも打つ手があるはずだ」
とどめを刺してこない? やはりジョットは無益な殺生をしないという制約に縛られているのか?
いやしかし、既に死人が出ている。今更ここで殺しに躊躇することなんかあるのか?
何か狙いがあるはずだ。そう、ジョットはメトを殺したがっている。その為にはメトがジョットを襲わなければならない。つまりジョットはメトに恨まれたがっている。その為に必要なのは、ただ殺すことではない。
目の前でメトの仲間を殺すこと。それが最も効果的だ。
「逃げて! レッドさん、シャキアさん!」
メトは叫んだ。ジョットの躰が一瞬消える。次の瞬間、ジョットの両腕から青白い光が発せられた。
レッドが氷の隔壁で防御しようとする。しかしジョットの青い炎の前に一瞬で溶かされた。
そしてシャキアが構えていた大楯も、あっという間に燃え盛り、炭化した。二人の女傑はほぼ同時に全身が燃え上がった。
「うあああああ!」
メトは慣れない水魔法を二人に使おうとした。しかしうまくいかない。助けなくては。助けなくては。このままだと死んでしまう。彼女らはメトほど頑丈ではない。こうなっては死ぬしかない。どうしてこんなことに。こんなことになるなんて思ってもみなかった……。
全身の力が抜けた。膝から崩れ落ちた。ジョットがゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「どうです、私を殺したくなりましたか? ここで一戦交えるなら、残りの人間を生かすことも――」
メトは呆然とジョットを見つめた。ここでジョットの表情が僅かに歪んだ。
燃えていたはずのレッドとシャキアが、いつまで経っても倒れない。それどころかどんどん炎の勢いがなくなっていった。
やがて体の炎は全て消えた。体どころか衣服や髪も無事だったのはレッドだった。
「やれやれ、氷使いに炎ですか。随分と分の悪い戦いがお好みのようだ。フォーケイナの棺のおかげで体の再生はありますし、これくらいの炎なら簡単にやり過ごせますよ」
体から氷を生やしたレッドは、氷塊をジョットに投げた。一瞬で融解した氷だったが、蒸発しきれなかった水の一部がジョットの足元にかかった。
シャキアはいつの間にか全身を黒い鎧で覆っていた。表面の煤汚れを手で払う。
「古今東西あらゆる魔法武具を所持する私からすれば、耐火装備はいたって標準的なものだ。ジョットが爆炎を撒き散らしながら近づいてきたので、着用しておいたのさ」
シャキアはまだ唖然とするメトの背中を叩いた。
「メト。私を見くびるなよ。ジョットの実力は私だって何となく知っていた。事前に襲撃があると分かっているのに、無策で対峙すると思っていたか?」
「でも……、死んだかと……」
「確かに手強い相手だ。しかし時間稼ぎならできる。お前はジョットに手を出すな。お前は、お前が守りたい者の傍にいろ」
「時間稼ぎって……。どれくらい? どれだけ避難に時間がかかると思ってるんだよ? 無茶だ……。ここで私も戦う」
「しかし……」
メト、シャキア、レッドの三人は横並びになってジョットに対峙した。そして脇からゼロも現れる。
「ゼロ……!」
ゼロはメトに向かって頷いてみせた。シャキアはまだ迷っているようだったが、やがて頷いた。
「仕方ないな。時間稼ぎから討伐へ目標変更だ」
四人はそれぞれ距離を取り、ジョットを囲むように布陣した。ジョットは動かなかった。じっとメトのほうだけを見ている。
四人は互いに目配せした。いつ開戦するか――緊張感が場を支配したが、きっかけがつかめなかった。どれくらいの時間膠着していたか分からないが、これはこれで時間稼ぎになるなとメトが考え始めたとき、ジョットが素早い動きで上空を見た。
それまで余裕の構えだったジョットがせわしなく手足を動かして防御に徹した――上空から降ってきたのは巨大な魔物の脚を生やしたディシアだった。地面が割れるほどの衝撃と共にジョットに足蹴を食らわせる。
ジョットが複数同時に魔法を発動し、ディシアの手足を引き裂き、爆発させた。人間なら当然即死だ。しかしディシアはけろりとしていた。すぐに再生する。
「お前ら、主役抜きで始めようとしてるんじゃねえよ。それと、そこの金髪の武器女」
シャキアを指差したディシアは迷惑そうに手を振った。
「お前、生身の人間だろ。フォーケイナの棺を摂取していないから再生もしない。はっきり言って命が幾つあっても足りんから、村人たちについてやれよ。村人がしょうもない魔物に殺されないようにな」
シャキアは何か言いたげな顔になったが、やがて頷いた。そして一人林の向こうへ消えた。
レッドが一歩下がる。
「私も、避難に回りましょうか?」
「いや」
ディシアはにやりと笑った。
「お前は見込みがある。あたしたちの援護をしろ。死なない程度にな」
「はは、分かりました。なかなか迫力のある戦いが見れそうですからね、特等席で観戦するとしますよ」
ジョットは静かにディシアの言葉を聞いていた。レッドがやや下がり、メトとディシアが最前線、ゼロが遊撃位置について死角に入ったのを見て、ジョットは口を開いた。
「結局、こうなりますか……。ディシア、私はきみのことも忘れてしまった。最初に会ったとき、随分気安く話しかけてきたということは、以前、私ときみは随分親しかったようですね」
「いや、全然? 年中殺し合ってたよ。互いの頭を殴り潰し、内臓を噛み千切り、切断した腕の数を競ってた」
「そうですか。やはりそう……。それを聞いて安心しました。きみには全くいい感情が持てない。メトの次に殺したいのはきみだ」
メト、ゼロ、ディシアに加えて、レッド。この四人で倒せないなら、きっとどんな軍隊でもジョットを凌駕することはない。メトは博士に問いかけた。勝てると思うか、と。
《不可能とは言わん。だが、逃げたほうが良い。とだけ言っておく。戦うというのなら私も全力になるがな》
ディシアが魔物の腕と脚を自身の少女の体に生やした。加えて少女の体が肥大化し、魔物そのものになっていく。
本気だ。ディシアの本気の戦闘。竜の頭を生やし、毒液を撒き散らしながら、ディシアがジョットに襲い掛かった。




