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旧研究所(後編)




 緊迫した空気の中で、メトは身動きできなかった。


 ジョットはディシアにちらりと視線を向けた。


「……服を着てください、ディシア。まるで痴女じゃないですか」


 メトは耳を疑った。ジョットが丁寧な口調でディシアに話しかけている。それも内容が普通だ。ディシアはハハハと笑った。


「ククク、おい、メト、聞いたか? ジョットの奴、まともになってやがる。何度聞いても笑えてくるぜ」


 メトは一歩、近寄った。ジョットだ。間違いなくジョットの顔だ。しかし暴虐極まる男は、今や落ち着いた様子で、静かに佇んでいる。


「ど、どうしたのジョット……。何があったの」


 メトの質問に、ジョットは首を傾げた。そしてメトをじろじろと見る。


「……ナナシ、いや、メト、ですか? そんな顔でしたっけ」


「あ、ああ。まともに会話したことはないけれど」


「そこにいるのはゼロ。なるほど……、フォーケイナを除いて、この研究所出身の人間が集結したわけですか」


 ジョットはゆっくりとディシアに向き直った。


「……ディシア。待ち合わせにこの場所を選んだのは、メトやゼロと会わせるためですか?」


「そうだ。メトが旅の間、確実に訪れる場所といったらここだったからな」


「そうですか。こちらもここに用事がないわけでもなかったので、別に構わないのですが……。少々回りくどかったですね」


 ジョットは小さくため息をついた。それから一同は黙り込んだ。メトは必死に自分を落ち着かせようとした。


「ね、ねえ、ジョット。随分雰囲気が変わったね? まともにこうして会話できるなんて、夢にも思わなかった」


「雰囲気、ですか。まあそうですね。正直に言うと、私は昔の記憶がなくて……。記憶があるのは、直近半年くらいですよ」


「え、そうなんだ……」


 メトはジョットの表情をよくよく観察した。無表情。笑いも、怒りも、倦怠も、何もない。


「ジョット。今は、一人で旅をしているの?」


「旅?」


 ジョットは首を傾げた。


「旅……。私にはゆかりのない言葉ですね。今は、父の指示の下、動いています」


「父?」


「プライム博士です」


 メトはぞっとした。そして急速に理解した。ジョットは既にプライム博士の支配下にあると。


 優秀なジョットは、研究所を飛び出した後、すぐに復讐相手であるプライム博士の居場所を探知したのだろう。そして挑み、敗れた。人格が破壊され、再構成させ、プライム博士に従順な使徒となった。


 自分もこうなるかもしれなかった。そう思うと恐怖があった。メトがプライム博士に見逃されたのは、ジョットと比べて、能力がなかったからに過ぎない。もしもう少し使い道があれば、きっとプライム博士に調教され、彼を父と呼ぶ従順な駒となり果てていただろう。


 ディシアがけらけら笑っている。


「な、メト。笑えるだろ。こいつ、やられてやがんの。傑作だよなあ。笑える。可笑しい。そんで腹立たしい。全部あのクソの思惑通りに進んでるのが気に食わねえよなあ」


 ディシアは表情を引き締め、メトの同意を待った。メトは小さく首を振った。


「……ねえ、ジョット。ゲイドの商人のマナって人に、伝言したりした?」


「ええ。しましたが。そういう任務でした」


 マナを脅したジョットという人物は、本物のジョットだったわけか。プライム博士に協力しているから、偽物かと思っていた。メトはふわあ、と息を吐いてその場に座り込んでしまった。


 そんなメトを、ジョットは見下ろしている。

 

「メト。実は、私はメトに用があったんです」


「私に?」


「ええ。任務ではないのですが……。これは個人的な用事です」


 メトは立ち上がった。ジョットの眼差しには何の感情もない。


「個人的な……。はい、どうぞ」


「きみを殺したいと思っているのです」


「……あー、え?」


 メトは後ずさった。ディシアが怪訝そうにジョットを見ている。


「父はきみを自由にさせたいようで……。なので父の意思には反するのですが。遭遇することがなければ、もちろんきみを殺すこともないけれど、こうして出会ったわけで」


「ど、どうして私を殺そうと?」


「さあ……。記憶を失う前の私が、きみを殺すことを欲している。としか言えないですね」


 メトは彼の言葉を咀嚼したが、理解はできなかった。理不尽な男であるジョットは、記憶を失って人格が書き換えられても、依然理不尽だった。それだけのことだった。


「ああ……」


「ですが、父から無益な殺生はやめるように命じられておりまして」


「そ、そっか。良かった」


 メトは笑顔で何度も頷いた。ジョットは自身の額を指で軽く叩く。


「例外が一つありましてね。向こうから仕掛けてきたときは、返り討ちにしていいと。そういうことになってます」


「私がジョットを襲うことなんてないよ。私があんたに勝てるわけないし」


「私もそう思います」


 ジョットは平然と言った。


「私は考えました。メトを殺すにはどうしたらいいかと。方法は一つしかない。メトが、私を襲うように仕向けるしかない、と」


「う、うん、ありえないけどね」


 ジョットは拳を握り、くうを殴った。


「だからメトの故郷を滅ぼします。あなたの近くにいた人たちを全員殺します。特にガイとかいう男。あなたはガイに心を開いているようだ。そうすればメト、きみは私を殺しに来ますね?」


 メトは驚愕した。突然感情が爆発したかのように動揺した。


「は!? な、なに言ってるの!? む、無益な殺生は駄目なんだろ!? だったらガイにも手を出すなよ!」


「益ならありますよ。メトが私を殺しに来てくれる」


「めちゃくちゃじゃねえか! それはあんたの利益であって、そんなのが許されるなら何でもアリじゃん!」

  

 やっぱりこの男は狂ってやがる。全然プライム博士が調教できていない。狂気が抑えられていないではないか。


「メト。今ここで、きみが私を襲ってくれれば、私はきみの故郷を滅ぼさずに済みます」


「何を……」


「そうしなければ、さっき言ったことを実行します。どうしますか」


 メトはジョットを観察した。佇まいは普通……。迫力はさほど感じない。しかし戦えば、勝ち目がないことは理解していた。それほどジョットという男は圧倒的だった。


「……死ぬだろ。今、ここで私があんたと戦ったら」


「確実に」


 メトは動揺していた。今、この瞬間、自分の死を受け入れられるほど、覚悟があってここに来たわけではなかった。


 だが、もしジョットがメトの故郷を襲うというのなら、メトは果敢に戦いを挑むだろう。ならば今ここで戦っても、結果は一緒ではないか。


《早まるなメト》


(でも……)


 博士の声は無比に落ち着いていた。メトは泣きそうになっている自分を情けないと思った。


《今戦っても、後で戦っても一緒だとお前は判断したな。それは間違っている》


(私だけ死んで済むなら、それで……)


《お前に死ぬ覚悟が本当にあるのなら、それでもいいだろう。だが、村には今、ガイ、レッドやシャキアがいる。私がここから念波を送れば、意図を伝え、今から避難させることが可能だ》


「あ……」


 メトは思わず声に出してしまった。


《いかにジョットが高速で移動できるとして、我々の足で三日かかる道だ。猶予は十分にある。今すぐ村人を全員避難させればいい》


 メトは深呼吸した。動揺の波が引っ込んでいく。


(そ、そっか……。ありがとう)


《これくらい自分で思いつけ。動揺し過ぎだ》


(じゃあ、伝言頼んだ)


《ああ。しばらく集中する》


 メトは博士に感謝した。もし一人だけだったら、ここでジョットに挑んでいたに違いない。そしてあえなく死んでいた。そうしなくていいんだ。


 しかしメトはすぐに不安に駆られた。避難して、どうする? ジョットの探知能力は尋常ではないだろう。この男にできないことはない。博士が最高傑作と称したほどの男で、ありとあらゆる能力を吸収し、戦闘力はディシア以上。本当に逃れられるのか?


 ジョットはじっとメトを見ていた。


「……メト。死ぬ覚悟ができましたか?」


「もうちょっと待って。考える」


「避難させるために、時間稼ぎをするつもりですか? 博士の複製品を使って、仲間に危機を報せていますね」


 メトは黙った。もしかすると、メトと博士の思考のやり取りを傍受していたのかもしれない。


「残念です。私の益の為に、あの村には沈んでもらいましょう。私には生きる目標がない。過去がないから、未来もない。メト、きみを殺したい。その願望だけは、私の中に強く残り続けている。私ときみの間にどんな過去があったか知りませんが、きみの未来をここで途絶させる。それが私の過去が渇望する未来だ」


「よく、分からないけど……。クソ喰らえだ」


 メトの言葉に、初めてジョットがにやりと笑った。感情あるじゃないか。ろくでもない感情だが。


 メトは部屋を出た。それにゆっくりとジョットが続く。二人は静かに研究所内の通路を歩いた。この後二人が殺し合う運命にあるとは思えないほど、表面上二人の表情は穏やかだった。


 梯子を上り、地上に出る。メトが出て、すぐにジョット、ゼロ、ディシアと続く。


 ジョットはメトをじっとりと見つめた後、前触れもなく浮遊した。そして村のある方角へと飛翔する。メトとゼロは馬を買うことにした。さすがに自力で走るよりは速い。


「なあ、メト。怒ってるか?」


 ディシアが言う。メトは首を傾げた。


「え?」


「あたしがジョットとお前を引き合わせたこと。正直言うと、こんなことになるとは思ってなかったんだ。ジョットが随分大人しい野郎になっていたから、お前と一緒に笑ってやろうと、そう思っただけなんだ」


 ディシアはいつもより小さな声で言う。メトは、ディシアが責任を感じていることに気づいた。意外だった。


「別に……。いずれはこうなってたよ。仲間が大勢いるこの時期で良かったまである。もうすぐレッドさんやシャキアさんとは連絡がつかなくなっていただろうし」


「ふぅ……、仕方ねえからあたしも加勢してやるよ。いざジョットと戦うとなったらな」


 ディシアが早口で言った。メトは目を見開いた。


「え?」


「一度でいいからあの野郎と本気でやり合いたかったんだ。さすがに一対一なら勝ち目はねえけど、メトとゼロ、三人がかりならどうにかなるだろ」


「ディシア……。本当? ありがとう。ディシアが本気でやってくれるなら、勝機があるかも」


 メトが笑顔で礼を言うと、ディシアは痰を吐いた。メトは慌てて飛び退いた。


「素直に礼を言うな。悪態を返したくなる。あたしの性格が分かってねえな、メト」


「分かった。バーカ」


「なんだと……。ジョットをぶちのめした後は、メト、お前を真っ裸にして吊るしてやる。そんで物好きな連中から見物料を徴収して財を成してやる」


「ははは。小遣い稼ぎにもならないよ」


 ディシアは翼を生やして飛翔した。メトは手を振って一時の別れを告げ、タングスの馬飼いから二頭の馬を買い、故郷の村へと全速力で駆けだした。


 恐怖だった。村が自分のせいで滅びるのではないかと、危惧していた。


 しかし仲間がいた。仲間と協力すれば、どうにかできるはずだ。あの狂気のジョットから、逃げ切るか、協力して打ちのめすかすれば、勝ちだ。


 きっとできる。できる。できる。メトは呪文のように繰り返した。できる。できる。誰も死なない。できる……。




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