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旧研究所(中編)


 タングスまではほぼ無休で進んで三日かかった。平穏で平坦な旅だった。すれ違う旅人にも警戒したが特に危険はなかった。クマドの猟犬や、ドゥラの商人の追手の姿はない。もしかすると目的地がタングスだとばれているので、待ち伏せされているかもしれない。メトは警戒心を強めていた。


 タングスに到着すると、開放的で牧歌的な雰囲気がある石造りの街並みに、メトは郷愁を誘われた。研究所に囚われていた頃、研究所の地下から一時的に庭へ出ることを許されていたメトは、この石造りの街並みに覚えがあった。


 研究所が崩壊したあの日、メトは病院に運ばれた。そして脱走した。今でも病院の人はメトのことを覚えているだろうか。普通の人間なら死ぬような怪我を負って、翌日には歩けるくらいには回復した彼女を、医師は「奇跡だ」と称した。


 そう、奇跡なんだ。こんな力を授かったのは、奇跡の力だ。人を喜ばせることもできる力のはずなのに、メトの周囲には、博士の研究で幸せになった人間が一人もいない。


 それが憎かった。能力があるのに、それでやることは人を傷つけることなのか。フォーケイナの棺もそうだ。素晴らしい力が秘められているのは分かった。だが、それでフォーケイナが傷つく。服用した人間が副作用で死ぬ。魔物を操って人が襲われる。そんなことが平気で起こる。


 本当に腹立たしい。本当はこんなもの、ないほうがいい。しかし世界がこれを必要とするのなら……。フォーケイナの犠牲なくして量産する方法を模索しなければならない。


 もちろんそんなことはメトにはできない。博士にやってもらうしかない。この呪われた頭脳を持つ男の複製品に、全てを委ねるしかない。


 メトはタングスに入ってすぐ、封鎖された領域があることに気づいた。ジョットとディシアが暴れ回り、タングスは一度炎の海となった。石造りの街で、木造建築がほぼなかったので、火災の影響は最小限にとどまった。それでも街の中心部は倒壊した建物が多く、特に研究所付近の住居は爆弾に吹き飛ばされたかの如く、跡形もなかった。


 今でも復興はされていない。崩壊した日から、まだ一年も経っていないのだから当然であるが、その気配もない。


 研究所から脱走したのは、ジョットたちだけではない。研究所で飼われていた魔物も、街に繰り出した。そちらは雑魚だったので、“魔遣りの火”がすぐさま退治したようだが、魔物の死骸が撒き散らした毒は建材や道に染み込み、簡単に人が近づけない場所となってしまったようだ。


「お嬢さん、危ないよ」


 立入禁止の看板と、鉄の条線で封鎖された通りの前に突っ立っていると、高齢の女性に話しかけられた。メトは軽く頭を下げた。


「研究所の見学って、できないのかな」


 メトが言うと女性は大袈裟に驚く顔をしてみせた。


「おったまげたわ。お嬢さん、観光にでも来たの? いるのよねえ、見境のない野次馬ちゃんが」


「すみません。入るにはどうすればいいの?」


「入れないわよ。入れません。今でもそこらじゅうの瓦礫には、魔物の血が残っているんですからね」


「さっさと除去しないの?」


「してるわよ。これでも、少しずつ封鎖を解除しているんですからね。でも、時間がかかるの。だって、汚れた瓦礫を、どこに運ぶっていうの? その辺の野原に捨てたら、そこも汚染されてしまうじゃないの」


「どうしてるの?」


「まあ、質問ばかりで、好奇心旺盛なお嬢さんね。言っとくけど、褒めてませんからね。皮肉です。まったく、図々しいお嬢さんだこと……」


「私以外に、その、図々しく中に入ろうとする人はいなかった?」


「いるわよ。たくさんいました。警備の人にお説教をくらってたわ」


「直近で?」


「最近だと、そんなおバカさんは、あなた以外にいません」


 メトは近くに立っていたゼロに目配せした。二人は頷き、鉄条線を飛び越えて、封鎖されている領域に踏み込んだ。高齢女性が叫んでいる。


「通報するわよ! 危険なんだからね! まだ若いのに、毒でやられたら、取り返しがつかないわよ! ちょっと、早まらないで!」


 メトとゼロはずんずん進んだ。メトはその異常に頑丈な肉体によって、ゼロは度重なる魔物混合実験によって、魔物の持つ毒など問題にしない。瓦礫で荒れた道を突き進んでいく二人を、女性は見送るしかなかった。


 少し歩いただけで埃が立つ。砕けた石片の間に、魔物の体液と、粉砕された石材と、雨水が混ざり合って、癒着を起こしていた。結果的にうねる遊歩道のようなものが出来上がり、メトはそれを踏みしめて研究所まで向かった。


 すぐに研究所は見つかった。崩落し、研究所の地下への入り口は塞がっているようだった。しかしメトは複数の隠し通路があることを知っていた。そこから脱出したのだから、覚えていて当然だ。


 瓦礫を幾つかどかして、隠し通路への扉を開いた。地面に穿たれたその穴は粗末な梯子がついており、そこから研究所の地下深くまで繋がっている。


 メト以外の誰かが出入りした形跡があった。靴跡や、扉に付着した汚れで分かる。メトは周囲を見渡した。


 誰かがこの瞬間も、メトたちを狙っている可能性がある。一度隠し通路に入ると、長時間下がるか上るかしかできなくなるので、無防備になる。


「……ゼロ、私が先に下りる。安全を確保できたら、この梯子を二回叩くから、下りてきて。合図があるまで、周囲を警戒してて。もし危ないと思ったらすぐに逃げてね」


 ゼロは頷いた。メトは手の中に光球を生み出し、照明にした。それから隠し通路に入る。


 梯子に足をかける。それから下に注意を向けながら素早く下りて行った。無意識に何段下りて行ったか数えていた。ちょうど100段を数えたとき、床が見えた。そこから10段ほど一気に下りて、研究所内に到達した。光球を雑に配置し照明を確保する。


 火災でひしゃげた扉や、黒ずんだ壁、破壊された天井などが見えた。メトは梯子を二回叩いた。


 ゼロが下りてくるのを待つ間、メトは耳を澄ませていた。ゼロが梯子を下りてくる音が聞こえる。一段一段、慎重に下りているようだ。ダン、ダン、と下りるたびに重い音が響き渡る。


 研究所内でそれは鈍く響いた。メトは最初、何も思わなかった。研究所内に魔物が残っていないか、警戒を向けていた。


 ダン、ダン、ダン……。


 メトは思わず梯子を見上げた。ゼロが下りてきているにしては、随分乱暴な足取りだなと思った。彼女の歩き方は常に静かで、気配を感じさせないものだった。そんな彼女が、こんな荒々しく下りてくるだろうか?


 メトは冷や汗をかいた。一時的に別れたのは失敗だったかもしれない。光球魔法を構えた。射程距離まで来たら照明を飛ばす。そして一気に距離を詰める。


「博士……」


《ああ、分かってる。ゼロではないな》


 メトは姿勢を低くした。ダン、ダン、ダン……、という音がどんどん近づいてくる。少しずつ速度が上がっていく。メトは光球を投げた。同時に跳躍した。そこに現れたのは、


「う、おおお!?」


 黒髪の少女――ディシアだった。例によって服を着ていない。街中をどう進んできたのだろう。


 メトは梯子に飛びついて、至近距離でディシアと見つめ合った。それから二人同時にぷいと顔を背け、下に飛び降りた。


「――ったく、驚かせやがって。殺す気だっただろ、あたしをよ」


 ディシアは自分の胸に手を当てながら言った。口では不機嫌そうなだけだが、相当驚いたらしい。


「ゼロを待っていたのに、明らかにゼロじゃない奴が下りてきたんだから、警戒するだろ」


「そんなびくびくするなら別れなけりゃいいんだよ」


 ディシアがゴキゴキと右腕を禍々しい形に変えながら言った。人を簡単に捻り潰せそうな、魔物の腕。


「だって、下が安全かどうか分からなかったんだもん」


「もん、じゃねえよ。ちょっとしか可愛くねえんだよ。それでゼロを攫われてたらどうするんだ。お前にはゼロを死ぬ気で守る義務があるんだぞ。分かってんのか?」


「そんな義務はない。そもそもゼロは私と同じくらい強いし」


「だったら二人同時に下りても平気じゃねえか」


 二人が言い合っている間に、ゼロが下りてきていた。全くの無音だった。二人は、澄ました顔でちょこんと立つゼロの顔を同時に見て、それから深くため息をついた。それでくだらない口論は終わりだった。


「……で、どうしてディシアはここに?」


「用事がある」


「用事? って何?」


「お前に言うつもりはない。ま、すぐにわかる」


 ディシアはのんびり歩き始めた。メトとゼロはそれについていくことにする。ディシアの歩みに迷いがないように見えたからだ。


 三人は研究所をどんどん進んでいった。焼け焦げて変形したり変色して元が何なのか分からないものが並んでいたが、メトの記憶ではこの周辺では実験装置を保管していたはずだった。


 拷問器具と言い換えてもいい。用途は違うが最終的な効果は一緒だ。


 暗い思い出に浸りながら、メトはディシアの後を追った。研究所内は雑然としている。ただでさえ得体の知れないものが、火災によって変形し、この世のものとは思えない不気味な様相を呈している。


 ディシアは迷いなく進み、メトが博士を見つけた部屋に近づいていることに気づいた。


 その部屋は火災の影響をほとんど受けていないように見えた。扉からして、黒い炭の跡さえない。綺麗なものだった。


 ディシアが立ち止まり、メトに扉を開けるように指示する。メトは迷いなく扉に近づき、把手に手をかけた。


《……待て、メト》


(なに?)


 メトは手を止めた。ディシアがじっとその様子を眺めている。


《部屋の中に誰かがいる。気配が希薄だが……。魔法を使って自分の存在を隠匿しようとしている感じがする》


(それって……)


 メトは考えた。追手か? それとも、研究所に忍び込んで金目のものを盗み取ろうとしている賊か?


《正体は不明だがわざわざ気配を消そうとしている人間だ。敵意があるかもしれない。それに……》


(それに?)


《ディシアはこの中に誰かがいることを知っている。その上でメトに先に入らせようとした。ディシアが何かを企んでいることは明白だ》


(……なるほど)


 メトは身を引いた。ディシアが腕を組んだ。


「ディシア、先に入ってよ」


「どうしてだよ?」


「怪しいから」


 メトはあえて正直に言った。ディシアはふっと笑みをこぼした。


「良い子だ、メト。実はあたし、待ち合わせをしててよ」


「待ち合わせ?」


「お前を驚かせようとしたんだ。ま、気楽に来いよ」


 ディシアが扉を開く。そして中にのんびりとした歩調で入った。メトは拍子抜けして、ゼロのほうに振り向いた。


 メトとゼロは中に入った。そこは他の場所と違って、整然と荷物がまとめられていた。


 書類が棚の中に綺麗に収納され、小さいが複雑な器械がガラス戸の奥に置かれている。白くて大きい机が部屋の中央に二つ置かれ、用途不明の置物が幾つか鎮座し、その剥き出しの機構の中を魔力が駆け巡っている。


 そんな置物の一つをじっと見つめる男がいた。彫刻のように均整の取れた肉体を持つ男。無限の生命力を感じさせるような煌めく銅色の髪。蛇のように感情の読めない黄金色の瞳。着ている上着はデイトラム聖王国の軍服を加工して着やすくしたもののようだ。


 メトはその顔に見覚えがあった。しかし落ち着いた様子のその顔に違和感があった。


「ジョット……」


 メトは思わず逃げようとしたがディシアに止められた。研究所にいた頃は、まともな会話にならなかった。フォーケイナを虐め、ディシアと殴り合い、ゼロとメトを殺そうとした。魔物と混ざり合っている内に正気を失い、ありとあらゆる能力を手に入れながら、その用途を殺戮にしか役立てなかった男。ジョットがそこにいた。


 ここは戦場になる。メトは確信して博士を強く握り込んだ。







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